《19》終了間際の国会と周辺を疾駆する/12-23

 12月20日から二泊三日の日程で国会周辺に行ってきました。最大の目的は、斉藤鉄夫国交相に栃木県の小型無人飛行機(ドローン)振興協会のメンバーを会わせ、要望すること。ついでに「安保政策研究会」の12月例会と、「姫人会」(首都圏在住の姫路出身の仲間たちの会)の年末懇親会に顔を出し、多くの知的刺激を受けてきました。さらに、出版したばかりの私の政治評論集『77年の興亡ー価値観の対立を追って』を全公明党衆参両院議員の国会事務所に配り歩きました。加えて、お世話になった方々への年末ご挨拶にも走り、あれこれ意見交換をしてきました。新型コロナ禍二年目のケジメをつけて、気分はスッキリしています◆栃木県のドローン振興協会になぜ私が関わるのか?この団体のアドバイザーの勝瀬典雄氏(地域産業活性化支援プロジェクトマネージャー)からの要請で橋渡し役を引き受けたものです。引退後、この人を通じて、全国の地域おこしに幾つか関わってきましたが、これもその一環です。ドローンを地域活性化に向けて活用する上で種々の課題がありますが、そのお役に立てればとの思いで、旧知の斉藤大臣との面談に臨みました(22日午後)。公明党からの国交相は彼で、6人目。束の間の交流に万感の思いを込めました◆二つの懇親会のうち、21日夜の「姫人会」は私以外に6人が参加。姫路西高、純心学院の姫路を代表する高校の出身者が3人づつ。前線を退いた人ばかりですが、官民両方の分野で大いに力を発揮してきた人たちだけに、後輩たちの仕事ぶりに懸念を表明する発言が相次ぎました。一方、「安保研」の方は、浅野勝人理事長(元NHK解説委員、内閣官房副長官)始め、元外務、防衛官僚やら産業界の名士と、中国人の若い研究者も含め14人が参加される盛況でした。この日は先の衆議院選挙の結果躍進した「維新」のこれから、中国の動向などを巡ってあれこれ議論を交わしました。私は出版したばかりの著作についてその意図を述べるとともに、「維新」には憲法改革への先駆役を果たせさせるべき、との持論を述べました◆衆議院32人、参議院28人の公明党所属の国会議員60事務所を回って、私の著作を配り歩く作業は、疲れましたが、楽しいものでした。後輩議員たちへ中道主義・公明党の原点を忘れるなとの趣旨の論考集ですが、果たして私のメッセージがどう理解して貰えるか、興味深いものがあります。私が逆の立場なら真っ先に辛口の論評を書くところですが。事務所で手渡しできたのは、幸か不幸か一人を除き全て秘書さんたち。時間の制約あり、「読みようによっては面白いよ」「年末年始に読んで、と議員に言っといて」と伝えるのがやっと。疾風のように、二日間3時間かけて議員会館を走り抜けました。さて、どんな波紋を呼ぶか。(2021-12-23)

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《18》見聞き応えあった14時間で感じたことー衆議院の補正予算質疑から/12-15

 13日と14日の二日間、衆議院予算委員会の質疑をほぼ全部見聞きした。一日7時間の合計14時間。自宅のソファに座って自由な雰囲気で見聞きするのと、答弁する首相は言うに及ばず、現場でじっと座ってるのも大変だなあ、と改めてしきりに思った。かつてその場にいた人間からすると、頭をよぎることはまことに多い。初めて予算委の取材で、先輩の書いた原稿を持って走ったことに始まり、閣僚が自分で答えられず、事務方に振った姿を見て呆れたこと、テレビに映る場所を探して、本来は座ってはいけないところに座ろうとした厚かましい議員を見てしまったことなど、あげるとキリがない◆そんな中、佐藤栄作首相から、今の岸田首相までのこの国のリーダーの答弁を聴いてきたのだが、岸田氏はなかなかやるではないか、との印象が強い。滑舌の良さに始まり、テキパキとした対応ぶりなど、僅かの機会を見たに過ぎないが、ひとまず合格点はあげられる。とりわけ、18歳以下のこどもたちへの10万円の給付問題での柔軟な姿勢は好感が持てる。もちろん、制度設計の杜撰さは持ち出せばキリがないが、新型コロナ禍の緊急事態に、完璧を求めても無理があろう。激しい野党の要求に頑なでない態度でむしろ先手をとったことは評価出来る◆一方、野党の攻め方については、立憲民主党のこれまでの追及型が提案型になるのかどうかが、注目されてきた。8人の質疑を聴いた限り、混交型といえ、滑り出しは悪くないと思う。とりわけ、小川淳也氏の「経済」分野、岡田克也氏の「核兵器禁止」をめぐる質問には耳をそばだてた。かつての野党第一党だった日本社会党のような〝不毛の対決〟は非生産的なものだった。その背景には、その頃の野党には、労働組合など左翼的立場出身者が多かったのだが、今日では官僚出身が多いことと無縁ではないのでは、と思われる◆もう一つ、注目されたのは「日本維新の会」(維新)の、衆院選躍進後の初デビューぶりだった。大阪という地方に依拠するこの政党は、かねて構成メンバーの玉石混交ぶりが目立つと揶揄されてきたが、14日の4人衆は充分「玉」に見えた。維新の政党としての仕組みを解説してみせたり、脇でフリップを持ってサポートする議員を紹介するなど、その〝表現の有り様〟は新鮮だった。もちろん、中身も。半導体産業の現状とこれからへの警鐘を冷静に提起したり、「2025大阪万博」への期待をさりげなく披露するなど、見聞き応えがあった。それにつけても、質疑者の背後に座る議員(テレビカメラの位置から、殆ど自民党)たちの姿の辛そうなこと。見ていて気の毒に尽きる。そこで、提案したい。一つ一つの質問についての〝寸評〟を求め、公開してはどうか。明らかに内職をしてたり、眠さを抑えるのに必死であったり、テレビ映りを気にしているだけよりも、有意義だと思うのだが。(2021-12-15)

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《17》与野党ともに胸襟開き生身の言葉をー衆参両院の代表質問を聞いて

 岸田首相の所信表明演説を受けて、衆参両院の代表質問を聴いた。その印象を幾つか述べてみたい。まず総論として、いつもながらの一方的な「代表質問」の退屈さは否めなかったと言わざるをえない。演説にはもっとユーモアを、もっとわかりやすくドラマチックな質疑を、との率直な要望を伝えたい。例えば、泉健太氏が岸田首相と、志位共産党委員長との間に位置して、同じ誕生月日だと述べたことに対して、首相のそっけなさはいただけない。同じ星の下に生まれたもの同士、お互い大いに歩み寄りたいぐらいの答弁が欲しかった。安倍、菅両先輩首相に比べて滑舌の良さが評価出来るだけに勿体ないと思う。各論的には、立憲民主党の様変わり質問、日本維新の党の気張った角度など、今後の展開に向けて注目される傾向も伺えた。一問一答方式の来週からの予算委員会が期待されるところだ◆立憲民主党の泉新代表の質問は個人的には大いに好感を持った。枝野幸男前代表にはなかった新鮮さを感じた。総選挙を通じて、共産党との共闘に不安材料がクローズアップされる一方、維新と国民民主の蜜月ぶりを見せつけられる状況下では当然だろう。政府与党への批判と共に、提案型政党として新出発するという。先日、フジテレビ系の番組「プライムタイム」で見せた小川淳也新政調会長の斬新さと共に、大いに期待したい。一方、野党第二党に躍り出た維新の党の馬場伸幸共同代表の質問は、立憲民主を脅かすに十分な迫力があった。とりわけ、文書通信交通滞在費(文通費)の使途公開など、この党の年来のアピール「身を切る改革」を強調し、立憲民主に連携を呼びかけるなど、左右両勢力を揺さぶってみせた◆この「文通費」が現在における国民の最大の関心事であることは論をまたない。自民党は、議員の政治活動の在り方と密接に関係する過去からの経緯もあり、拙速な判断選択をせずに慎重な議論が必要であるとしている。過去に文通費を受給した人間として、これはその通りだと思うものの、現在の社会経済的状況に鑑みて、この態度は極めて反国民的姿勢に映る。ここは、公明党の出番だと思われる。石井啓一幹事長は「使途公開などの透明化も重要であり、実現すべきだ。適切な使途の範囲の明確化など検討すべき課題が残されており、引き続き政党間の協議を続けるべきだ」との主張の推移を見守りたい。自民党との合意を得てこそ、中道政党の面目躍如たる由縁と思われる◆この国会の最大の見どころは、自公、立共、維国という3種類のグループ化が判明してきた兆しがどう展開するかであろう。政治的価値観でこれを枠組みで見ると、「保守・中道」「保守・リベラル」「リベラル・革新」と大雑把に区分けできよう。ただ、そうは言っても、かつての55年体制下の自社両党による「保革対決」とは違う。自民、共産の間にはその名残りはあるものの、それ以外の党は、政治的手法では中道主義の本意である合意形成に執心するものと思われる。〝本家中道政党〟たる公明党としては、自民党の従来からの硬直化した姿勢を糺すことこそ、使命であると、自覚を促したい。安定を求めるあまり、改革がないがしろにされてはなるまい。支えることは大事だが、党が違う限り、自ずと限度があることを弁えて欲しいと痛切に感じる。(2021-12-11)

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《16》議員OBたちと心和む語らい弾む/12-5

  •  公明党兵庫県本部には、多くのOB議員がいます。私はそのグループの責任者をしているのですが、3日に養父市八鹿町にある「兵庫県立但馬長寿の郷」で、但馬、丹波地域のメンバーが集まり、伊藤孝江参議院議員を囲む会を開きました。一番若いNさん(63歳)から、最高齢のOさん(88歳)まで、20人ほどが一堂に会しました。コロナ禍で対面の会合が叶わず、2年ぶりの集いは味わい深いものになりました▲まずは、参加者一人一人が先に行われた衆議院選挙でどう戦ったかの報告から始まりました。この2年の間に連れ合いをなくされた方が二人。肺気胸を患ったり、足腰に支障をきたしている人など、寄る年波は覆い隠せぬものの、精一杯の戦いが次々と語られていきました。中でも私が感動したのは、丹波市・市島町のFさんがこの春に85歳の友人から「信仰をしたい」と自ら申し出られたとの体験談です。ある宗派の檀家総代をされていた友人が改宗を思い立ったというのです。Fさんは淡々と語られていましたが、誠実な彼の姿に感ずるところがあったのでしょう。それにしても驚きです▲それぞれの活動報告は興味深く胸打つものばかり。そんな報告の中で、共通していたのは、比例区の濱村進候補を落としたことの無念さです。朝来市のKさんは、町内各地に同氏を連れ回った思い出を語りながら、捲土重来を期す戦いを必ずして、この無念さを果たしたいと語っていたのが印象的でした。伊藤孝江議員は、初当選からの5年半を振り返る中で、実母の死を語ったのですが、聞くものの心を打たずにおきませんでした。事前に、単なる国政報告ではなく、「人間・伊藤孝江」を彷彿とさせる話をして欲しいと要望していたのですが、両親との心の交流をドラマチックに語ってくれたのです▲私からは、この日、引退後10数年ぶりに初めて参加した村岡町のNさんとの秘話を紹介しました。極度の人口減で悩む中山間地域の町おこしのために彼が頑張っいる姿を語ったのです。2年ほど前に彼から「この苦境を打開することこそ公明党の役割ではないのですか」との苦情電話を貰ったことがきっかけ。そこから様々な要望を党中央に上げてきたことを明かしました。最後に、香美町のTさん手作りの出来立てのお餅が6個(蓬と豆入りのが半々)も入った袋を全員が頂きました。感激でした。私のアイパッドで記念撮影。笑い弾ける中でのお開きとなりました。(2021-12-5)

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《15》久方ぶりの東京で嬉しい充実した出会い/12-2

 11月26日に久しぶりに上京し、国会周辺でさまざまな出会いをしてきました。東京に着いて直ぐに会ったのは、山口壮環境大臣。一般財団法人「日本熊森協会」の室谷悠子会長ら3人と一緒に。同協会は、日本最大の自然環境保護団体。懇談の中で同大臣は、環境行政は同協会と基本的には同じ方向を向いているとの認識を示したうえ、豊かな森の中で大型野生動物と人間が共生出来るように、共に尽力したいとの姿勢を見せてくれました。同大臣は、兵庫県の西部・西播磨地域を選挙区にしています。この地域の北の中心・宍粟市には日本有数の森林地帯があり、そこでは同協会や姉妹団体の公益財団法人「奥山保全トラスト」も活発に活動しています。初めて同協会のことを親身に捉えてくれる大臣に出会い、皆大喜びでした◆午後からは、石破茂元自民党幹事長に会いに議員会館に行きました。実はこのほど、同氏には日本カイロプラクティック登録機構(JCR)の理事長に就任して貰ったばかり。前任者の引退に伴う後任選びでは日本カイロプラクターズ協会名誉会長の私も尽力しました。この日はJCR副理事長の村上佳弘氏、竹谷内啓介同協会顧問らと共に訪問。石破氏から厚生労働省の山本英紀医事課長への第12次登録カイロプラクターズ名簿(583人)の手渡しに立ち会ったしだいです。石破氏から冒頭、総選挙に際し伝統的な統合医療のある団体から、推薦を断られた旨の発言がありました。この分野ではカイロの位置付けを巡って、様々な未解決の課題があり、政党、政治家との関係も複雑です。それを乗り越えて、彼が国民の健康優先の立場から支援してくれることは有難い限りです◆夜は、元外務省の男女2人の幹部と会食。現役時代にこの二人とは、外務委員会の仕事を通じ親しくなりました。引退後の4年前に欧州三カ国を訪問した際に、現地大使館で会っていらい久方ぶりの出会いです。K氏は中国とフランスの両国での大使経験者。「EV」(電気自動車)について、フランスと中国の取り組み状況についての見解を伺いました。また、ハンガリー大使を終えたばかりのS氏には最近の同国の事情を聞きました。ご両人とも外交官は離れたものの、それぞれ重要な立場で第二の人生に挑んでいます。幅広く意見交換ができたことは私にとってとても有意義でした◆翌日は、朝食と昼食時にそれぞれ古い友人と会いました。特に昼食を新宿で一緒にした大先輩のIさんは、公明党支援者であると共に、私のブログの愛読者。改めて「いつも勉強させてもらっています」との謙虚なお言葉を頂きました。〝お世辞半分〟とは思うものの励みになります。心から感謝の気持ちを抱いた次第です。2時過ぎには、元外交官でキヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦氏とお茶を飲みながら懇談。彼も現役時代に親しくした仲。関西の人気テレビ番組『そこまで言って委員会』の常連メンバーです。近く私が出版する予定の『77年の興亡ー価値観の対立を追って』に、推薦の言葉を寄せていただきました。以上のような人々との出会いを繰り返し、帰路につきました。車中で読んだのは、「異業種交流会」で友人になった高嶋哲夫さんの最新作『EV』。ためになるミステリー小説。未来社会へ次々と「予言」を発するこの人には心底から敬服します。(2021-12-2)

 

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《14》中国の世界戦略と「EV」をめぐる競争/11-29

 二つのNHKスペシャル番組を見て、心騒ぐ。一つは、『広がる〝中国化〟 一帯一路の光と影』(11-21)。もう一つは『EVシフトの衝撃〜岐路に立つ自動車大国』(11-14)。一見両者は無関係に見えるが、根底では繋がっている。つまりは、今世界はとてつもない時代の転換期にあり、その主役争いが展開されているということだ。前者の番組では、カンボジアを中国が経済支援の名の下に手中に収めていく過程がリアルに描かれていた。後者では、ガソリン車から電気自動車、水素使用のものへと変わることによる産業構造の大転換への各国の対応が描かれていた。共通するのは、これからの時代の主役は中国になる公算が強いという点である◆「一帯一路」構想は、かねてその存在が注目されていたが、いよいよ全貌が見えてきた感が強い。中国は経済発展に自信を深めてきており、これまでに関係があった国々に、順次手を伸ばしてきている。カンボジアはその典型だといえる。その昔、シアヌーク殿下が親密な関係を持ち、その後、「ポルポトの悪夢」の時代を経て、フンセン政権が今続いている。かつて日本も復興にそれなりに関わったのだが、今やこの国は中国に全面的に頼ろうとする姿が映像から読み取れた。改めて思い知らされたのは、中国のこの戦略の巧みさである。国家経営に財政的困難を極めている側にとって、喉から手が出るほど欲しい援助の数々。受け入れるなという方が無理かもしれない◆一方、「EV(電気自動車)」を巡るものは、世界の産業構造を根底から揺り動かすテーマである。テレビ放映でも、2030年、あるいは40年を目指して、これまでのガソリン車からの転換に取り組む内外の自動車産業の姿があった。この問題は、自動車にまつわる関連企業、労働者が膨大な数に及ぶだけに、そう簡単にはことは運ばない。一気に転換を図ることは大きなリスクを伴うことになる。14億もの人口を持つ中国は、技術分野での競争に勝利を収めるかどうかではなく、巨大な市場を持つという立場の優位さを意識せざるを得ない◆こう見てくると、共通するのは、「日本の疎外」という点である。かつて、日本は、アジアの盟主たろうとして失敗した。被害者と加害者の立ち位置とは別に、ほぼ同時に戦後復興に取り組んだのが日中両国だった。戦敗国と戦勝国という根本的な立ち位置は違っていたものの、荒廃から立ち上がることでは一緒だった。それが、欧米先進諸国の無為をよそに、中国は遅れた国々の救済に立ち上がるまでに経済成長をし、産業の根本的構造転換にも主役の一角を占めるまでに変身した。日本は逆に、ガソリン車からEV車への転換競争に立ち遅れ、一方、後進国救済競争でも〝疲れ〟が目立つ。この事実を前に、「77年の興亡」の決着期となる、明年以降の日本の立ち居振る舞いが決定的に重要だと思われる。(2021-11-29)

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《13》政治家、政党関係者の使う「甘い言葉」について/11-18

 さる14日朝のNHK総合テレビで放映された、『これからの日本政治は 新人議員に問う』は、なかなか聞き応えのある番組でした。昨今の政治家にかなり失望してきた私としても、微かな期待を持つに至りました。恐らく、新人議員なるが故の発言でしょうが、古い政治家に大いに見聞させたい爽やかな発言でした。登場していたのは知事経験者、秘書経験者、地方政治家出身者の3人。聞き手が、世論と政治に関するデータ分析する学者ら二人の女性。この人たちの切り口も真摯なものでした◆勿論、それでも気になるところはありました。議員を「先生」と何回も呼んだことや、いきなり自党宣伝めいたことを口にした議員の姿勢は、あまりいただけなかったと思います。それでも率直に自分の頭で考えたと思われる口ぶりは好感がもてました。このように言うのは、政治家の「言葉の劣化」を嘆き、憂う論調が新聞、雑誌等で散見されるからです。たとえば、情報誌『選択』11月号の「国を蝕む『甘い嘘』の氾濫』は、政治家として大いに耳が痛い内容でした◆「寄り添う」「誰ひとり取り残さない」「共感力」といった現実性、具体性のない甘い言葉を与野党政治家が乱発するようになった、としているのですが、確かにその傾向は顕著です。これは、政治家たちの責任というよりも、政党スタッフ(政調関係者、広報宣伝部局)から、ひいては世のコピー作りを職業とする人々のせいかもしれません。つまり、世の中全体の風潮と関わりあり、と思います◆そんな中で、「総選挙で抽象的な甘い言葉を振り撒」くことで、「目立っていたのは公明党」と、前述情報誌が指摘しています。「子ども基本法」「子どもコミッショナー」「グリーンイノベーション」ーなどを挙げたうえで、「具体性なく耳に心地よい言葉をAl(人工知能)で合成させたような造語の羅列」だというのです。これらは選挙用政策集で使われていました。候補者たちが頻繁に使っていたようには思えません。政治家の言葉の劣化というよりも、政党関係者の言葉の使い方の問題でしょう。有権者の関心を掴むために、より多数の人の胸に食い込む言葉を探した経験は私にもありますが、「甘い言葉を最も振り撒いた党」と言われると、穏やかではありません。恐らくは「未来応援給付」に抵抗を抱く、書き手の〝ためにする論難〟と思われますが、公明党側の反論を聞きたい気持ちが起こってきます。(2021-11-18)

 

 

 

 

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《12》「哲理なき現状維持」と批評されていいのかー衆院選の結果から

 今回の総選挙結果の様々な分析、評価などを見聞きして、最も考えさせられたのは、歴史家・保坂正康さんの「哲理なき現状維持」との位置付け(朝日新聞11月5日)である。その結論にいたった見立てを挙げている。一つは、有権者が大きな変化を望まず、安定と現状維持を求めたこと。二つは、自民党に近い政党が議席を伸ばし、総体的に保守勢力の追認となったこと。三つは、その結果、ますます立法府が無力化することの3つである。細かくは異論もあるものの、概ねその通りであろうと肯定したい◆この結果をもたらし、こういう論評を可能にした最大の責め負うのは、立憲民主党の枝野幸男代表の主導した共産党を含む野党共闘路線だろう。「政権選択」の選挙の側面が強い小選挙区比例代表並立制のもとで、「自民党中心か、立憲共産党(麻生太郎氏)か」と迫られれば、自ずと答えは出てくる。あれだけ、自民党に政治とカネにまつわる不祥事がありながら、この選択では、誰しも〝よりましな方〟を選ぶということになる。分かりやすく言い換えると、金権腐敗政治の継続か、強権政治の始まりかとの「地獄の選択」なのだから。この選挙戦略をとった方が巧みで、得をしたということになる。◆12日間という短い期間の選挙で勝利を得たい政党、政治家は自ずと、 短いフレーズで相手方を斬る戦術に終始しがちである。深い政策論争や国家観や未来展望など聞こうにも聞けるはずがない。そういう仕組みに、今どきの選挙がなってはいないのだ。かつてあった立ち合い演説はもとより、テレビでの政見放送も小選挙区候補はまとめて扱われがち。党代表ばかり前に出て、一人ひとりの政治家の顔は殆ど見えない。比例区単独候補にあっては、一般的には名前さえわからない。一束なんぼ、十把ひとからげとはこのことなのである。これで怒らない政治家はおかしい◆総選挙を通じての政党、政治家の哲理のあるなしを問う保坂さんの思いはわかる。だが、土台無理な選挙の仕組みで、ないものねだりという他ないのである。選挙上手、つまり、時々の空気を読んで、上手いやり方を駆使した方が勝つように出来ているのだ。今回でいえば、「革命的変化か現状維持か」を問うように仕掛けた側が、妙な例えであるが、かの人気テレビ番組の『プレバト』のように「才能あり」になる。それを受け入れた側は、「才能なし」と判定される他ない。政治に哲学と理念がないことを憂えて作られた公明党。その関係者にとって、別に政党名の上に冠せられたわけではなくても、「哲理なき」との形容には頭から反発したくなる。言った人にも、言われた党に対しても。せめてここは「哲理潜む現状維持」ぐらいに留めておいて欲しかった。(2021-11-9)

 

 

 

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《11》維新躍進の背後でー衆院選結果から考える/11-2

自民15減で261、立憲14減で96、公明3増で32、維新30増で41、国民3増で11、共産2減で10、れいわ2増で3ーこれが衆院選の公示前からの増減結果である。この結果、自民は単独で絶対安定多数を獲得した。菅前政権の末期、メデイアはこぞって、自民党の大幅議席減を予測し、野党協力のそれなりの効果を占った。だが岸田政権に衣替えした結果、自民の議席減は小幅にとどまり、立憲、共産の〝選挙向け連合〟は瓦解したと言わざるをえない。それに比し、維新の約4倍増は、公明と国民の堅実な勝利とともに大きく光って見える。国民の意思は、過激な変化を嫌い、野党内右派と与党内左派に力を与えようとしたと、見たい◆国会に議席を有さない代表が率いる地方発の政党がここまで議席を伸ばした背景をどう見るか。先の東京都議会の「都民ファースト」の善戦と相まって、既成の政党の行状に飽きたらない有権者の思いの反映と見るしかない。巨大与党、古い野党は共に根底から、政党運営の有り様の変革を迫られよう。巨大百貨店の停滞をよそに地方の中小スーパーが果敢な発展を示しているようなものではないか。それにしても、自民党は奈落の底に落ちるところを踏みとどまった意味を考えねばならない。問題がかねて指摘され落選が懸念されていた三回生たちが踏ん張った。その一方で、幹事長、現職大臣、派閥のトップ、高齢の大物議員が次々落選した。このことは世代交代を突きつけているに違いない◆立憲、共産の選挙協力は、与党側から「野合」との攻撃に晒されたように、選挙に勝ちたいがための付け焼き刃の印象がいかにも濃かった。議席結果だけ見ると失敗は否定できない。この方式を押し進めた枝野執行部の責任を問う立憲民主党内の議論の行く末が注目される。勝つための数合わせで、革命政党の本質を持つ勢力と組んだことは〝危険な火遊び〟に興じる子どもたちにも似て、AI時代にそぐわないといえよう。安倍、菅政権の負の側面に苛立つ有権者が少なくなく、政権運営の大転換を望む気運が満ちている時に、お門違いの手法で対応しようとした野党首脳の罪は大きい◆公明党は勝ったと素直に喜んでいいのだろうか。確かに9小選挙区は厳しい情勢のなか、涙ぐましい党員、支持者の戦いと夥しい友人たちの協力で当選できた。友党・自民党の協力も大きい。しかし、近畿の公明党の人間としては、大阪4、兵庫2の6小選挙区勝利は維新の挑戦回避に助けられた側面は無視出来ず、自民全敗もあって、思いは複雑だ。その点、立憲王国の北海道10区での連続勝利。維新の猛追を退けた東京12区の初勝利。金権腐敗の自民政治への嵐の中、立憲、維新を寄せつけなかった広島3区の勝利は特筆される。だが、比例区の目標800万票に90万票ほど届かなかったことは大いなる反省を要する。細かな分析は今後の課題だが、近畿は1議席減となってしまった。兵庫は小選挙区2を勝ち取ったものの、3期当選の働き盛りの人材を落としてしまった。私の後継者だけに引退後9年経っているものの責任を感じる。明年の参議院選が思いやられる。30万に届かなかった兵庫比例区票。さてどうするか。課題は限りなく多い。(2021-11-3 一部修正)

 

 

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《10》衆院選挙事務所での〝心うたれた出会い〟の数々/10-31

第49回衆議院選挙の選挙活動が30日の午後8時で終わりました。ただし、候補者は夜中の12時、つまり投票日の31日の時報が鳴るまで、選挙区内の街道沿いに立ち、走りゆく車に手を振るという初出馬いらいの恒例の「行事」に取り組んでいました。19日の公示いらい12日間、私は大学の13年後輩にあたる代議士の選挙事務所の事務長を務めました。5年前と2年前にそれぞれ参議院の新人候補者の事務長を務めましたが、衆議院は初めての経験です。開票結果が分かるまでの束の間、この間の得難い経験談を披露します▲第一日目に、近所に住むという老婦人が事務所に顔を出し、玄関先での言葉が今に至るまで印象深く残っています。「政治家は僅かの年金で暮らすものの身になってほしい。亡夫の遺族年金があるからなんとか暮らせているが、通常の国民年金だけだったら到底生きていけない」ー生活保護を受給している人たちより少ない生活費に喘ぐ苦しさを訴えられた。また、選挙中盤でやってきた高齢の女性が、今の政治家の質の低さーとりわけ世襲議員の劣化を嘆いていたのはとても印象深かったです。爺さん世代は日本政治史にその名が残るものの、孫たちは酷すぎる、と。今例にあげたお二人は、共に公明党員ではありません。友人に熱心な学会員がいることから公明党に興味持ち、頼りにするに至ったと言っておられました▲事務所にいると、当然ながら候補者の人となりがよく分かるエピソードにでくわしました。初出馬から28年、落選した3年余りの空白期を除いても25年も衆議院議員をやっているだけあって、心底から世話になったという人たちが次々訪れてきてくれたのです。中でも〝陣中見舞い〟に来てくれたある企業のトップが、寄付金額を備え付けの用紙に書いた際に、「あっ、間違えた」とひと声呟いたのが聞こえました。一桁書き間違え六個もゼロを書いたといわれるのです。私が、「ああそれは、大変」というと、その社長曰く「いや、本当は一桁多く出してもいいぐらいなんです。それくらいお世話になったから」と。また、最終日の午後6時過ぎにある大企業の中堅幹部が、最終打ち上げ演説に間に合うようにと、わざわざ東京から来てくれました。残念ながら、今回は現場にひとときでも長く回りたいとのことから、事務所前演説はしないことを伝えました。すると、遠く離れた最終演説場所までタクシーを飛ばして行くと言われるのです。一眼見て帰りたい、と。その熱情に心打たれた次第です▲事務長の私としても、心和む個人的出会いがいくつもありました。長く会えなかった仲間の町議の息子さん、所在が不明の高校同期の弟さん、その昔世話になった先輩のご子息や、昔親しくした国交省のOB官僚たちなどという風に枚挙にいとまがありません。航空会社の最高幹部を務めた友人の元部下やら、JR東西の幹部や電力会社の幹部の皆さんとは、ついつい観光政策の展開、都市の発展と駅舎の佇まいや、原発の是非論を口にしてしまうなど、私の悪い癖が出ました。選挙支援の挨拶に行って、事務長に議論をふっかけられたことは恐らく初めてでしょう。ちょっと余計だったかなと反省もしました。それでも、ある訪問客が「勉強になりました。今日のことは生涯忘れません」と口にしてくれた事は、お世辞半分にしても、嬉しいことではありました。(2021-10-31)

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