【100】明石市に見る新型ポピュリズムの台頭──統一地方選結果から❷/4-27

●「全責任は自分にある」と西村経産相

 今回の統一地方選挙結果で全国的に注目されたのは、日本維新の会(以下、維新)の躍進ぶりである。大阪を中心に関西エリアに根強い支持基盤を持つ政党とされてきたが、今回は全国へとウイングを広げた。次期衆院選で野党第一党の座を奪うとの目標も、現実感が増してきたことは否めない。この背景には既成与野党への不満があると見られる。

 維新は、有権者に直接呼びかける手法を多用することからポピュリズムと位置付けられてきた。その点、泉氏が市長時代に議会での合意形成に汗をかかず、むしろ直接有権者の支持を求める動きを強めてきたことはよく似ているといえよう。維新と「明石・泉党」の勝利から、「議会政治のもどかしさ」という〝時代の空気〟が読み取れるのかもしれない。

 泉氏への批判は、度重なったパワハラ・暴言に対するものだけにとどまらず、虚言癖にも及び、その人格、識見を疑う向きは広範囲に広がっていた。「怒りをコントロール出来ない病」であることを自ら認め、「(今後暴言をしないとは)正直自信がない」とまで、告白していた人物の推す候補者が、県議選でトップ当選し、市長候補と5人の市議が上位当選したのはなぜか。〝泉房穂対西村康稔の代理戦争〟で、なぜ泉氏が勝ったのか。

 このエリアの自民党支部長である西村代議士(経産相)が、市長選敗北後のコメントで、「全責任は自分にある」と述べていたが、〝候補選び〟から疑問がつきまとった。連立与党の公明党に、市長候補についてなぜこの人物なのかの丁寧な説明があったのかどうか。泉氏が擁立した対立候補がツーショットのポスターを公営掲示板にまで貼るほどの徹底ぶりだったのに、自民党側は戦略から戦術に至るまでの〝ハズレ感〟は覆いようもなかった。

 では、敗北の責めは、西村氏ひとりに被せれば済むのか。30年もの長きに及ぶ長期経済停滞、向上感なき社会実感──多くは現政権の中核であり続けてきた同氏に帰するところがあろうが、それだけではない。自民党という政権政党の、庶民大衆の苦しい生活の実態を汲み取れない政治感覚━━そこはかとなく漂う〝時代とのズレ〟とでもいうものではないのかと私には思われてならない。

 偶々、この原稿を書いている最中に、古き友から、かの名歌謡曲『高校三年生』の替え歌ユーチューブが送られてきた。その名も『年金生活生』。次から次へと昭和のスターたちの映像があの懐かしい昭和のメロディと共に登場する。込み上げてくるものを抑えられない。こんなはずじゃあなかった、との世の中の中高年の呻き声がダブって聞こえてくるのだ。(4-28 一部修正 以下つづく)

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【99】明石市に見る新型ポピュリズムの台頭──統一地方選挙結果から❶/4-26

●パワフル市長とパワハラ市長のはざま

子午線上にあり、『源氏物語』ゆかりの明石市は、御食国(みけつくに)の名を持つ淡路島が指呼の間に横たわる風光明媚な地域である。明石港のすぐそばには「魚の棚」(うおんたな)と呼ばれる商店街があり、地元の人びとはもとより、内外の観光客を惹きつけてやまない。明石駅の真北には、剣豪・宮本武蔵が携わったという庭園を持つ明石城が聳える。

この地域で12年間市長を務めた泉房穂氏がこのほどの選挙で引退をした。同氏は、「子育てしやすい町づくり」の政策を積極的に進めたことで、注目される一方、市の職員や市議に対して幾たびか暴言を吐き、パワハラ市長としても全国的に有名になった。子どもや高齢者向けの福祉助成策をめぐって、市民に根強い人気を誇る一方で、財源調達の方途、議会での合意形成を軽視する手法は、深い不信感と分断をもたらした。

政治家を引退するとは言ったものの、選挙で全面的に支援した後継市長、市議グループに対して、いわゆる「院政」をしき、市政への影響力を強める意向である。しかも、今後自らのその手法を他の地域に広めていきたいとしている。泉氏的なるものと12年戦ってきた西村康稔氏は、自民党元首相の故安倍晋三氏の側近だったことで知られる。まともに戦えば、負けるわけがないと思われた。それが負けた。なぜか。その理由を探ってみたい。(4-27  一部修正 以下つづく)

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【98】日中仲介競争を──岸田首相のキエフ視察と習近平氏のロシア訪問/3-26

 恐らく偶然に日本の岸田首相と中国の習近平主席が、つい先日同時期に2つの戦争当事国ウクライナとロシアを訪れた。果たして、この営みが戦争終結に繋がっていくのかどうか。岸田氏はG7議長国として戦争の現地を見ておかねば、との一心だったかのように伝えられている。一方、習近平氏は、孤立するロシアに支援の手を差し伸べようとしているかに見える◆戦争が始まって13ヶ月。膠着状態とでもいう事態が続く。ロシアの極東隣国の日本から見ていると、終わりの見えない泥沼化(むしろ血の海化というべきか)である。どちらかが倒れるまでの、チキンレースかもしれない。この両国の間に立って仲介すべき役割は、日本と中国にあると、今回の場面を見ていて、私には思われるのだが、事態はそう動いていない◆この両国は現時点で、殺傷能力を有する兵器を表立って供与していない。中国に対するロシアの強い要請はあるものの、同国はそれを踏みとどまっているようだ。日本については、それ以外の人道的支援を惜しまぬことを伝えたが、武器供与はしていない。このことの持つ意味は大きい。NATO諸国が積極的にウクライナに武器供与をしている状況下で、日中両国の姿勢は極めて重要だ◆岸田首相の電撃的訪問が単に現地を見ることで終わってはならない。また習近平主席もロシアの後ろ盾的ムードを奏でるだけではならない。一歩進めて、戦争停止に向けて日本と中国が動くことが出来れば、どんなに人類の未来にとって明るいか。こう書き進めてきて、何を非現実的な絵空事を言ってるのかとの声が聞こえてくる。だが、仮に無駄であっても、例えば、本格的な春の訪れを前に、日中両国の学識者、文化人が総立ちして、その方向性を誘う、「日中仲介競争」の役割を果たすべきではないか。そういうパフォーマンスすらない、「傍観者の葬列」にしか見えない現実を嘆く。(2023-3-26)

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【97】泉明石市長の行き過ぎた政策宣伝に異議あり━━2023明石市長選を前に(下)/3-16

 昨年6月7日の参議院内閣委員会。「子育て政策」の参考人として呼ばれた泉房穂明石市長は、15分ほどの陳述時間を独特の甲高い声で喋りまくった。ユーチューブで見ると驚く。数多の参考人の発言を過去に聞いてきたが、これほどの声量で捲し立てた人の記憶は殆どない。ただし、その中身たるや、「明石でやってる政策は世界のグローバルスタンダード。やってないのは日本だけ」との非難混じりの自慢話に聞こえる。こうした話を見聞きすると、明石への流入人口が増えているというのも分かる。と同時に、周辺の自治体の迷惑は察するに余りある。そう思っていたら、隣接する加古川市の岡田康裕市長がたまりかねたかのように非難の声を上げた。『まちの好循環──泉明石市長の発信の仕方に疑問』と題するインタビュー記事が神戸新聞に掲載(1月27日付け)されたのである◆ここで岡田氏は、「数字のマジック」によって、いかに実態と違う姿を泉氏が見せかけているかのカラクリの一端を暴いていた。一つは、泉氏が2020年度までの8年間に市民所得税、固定資産税、都市計画税の3税が40億円増えたとしているが、実際には17億円の事業所税(20年度)が含まれており、それを差し引くと、全国平均の23億円に過ぎない。二つめは、貯金にあたる基金残高も、この10年間で42億円増えたというが、市有地の売却益(JT工場跡地の31億円)が殆どを占めており、人口増によるものではない。三つ目は、公園や病院の数について、隣接市と人口当たりでなく、面積比で比べているのは、面積で小さな明石にとり優位なのは当たり前だと。こうした誤解を招く数字を表に、他市を傷つけるのは我慢出来ないと、している◆我のみ尊しとする泉市長の論法に辟易するのは隣接市だけではない。膝下の明石市議会も同様である。子育て政策をむしろ牽引してきたと自負する公明党議員団などの反発は当然だろう。自身の傍若無人さを棚上げし、悉く議会に邪魔をされたかのごとき言い振りには大いに異論あり、に違いない。議会を相手にせず、直接市民大衆に語りかけるパターンはいわゆるポピュリズム的行動様式といえよう。コロナ禍、ウクライナ戦争による生活不安に悩む人びとにとって、財政基盤の後先を考えぬ大盤振る舞いであっても良しとする空気は根強い◆泉市長は、市長を辞めた後も自身の進めてきた政策展開を、他の地域に広げたいと意欲を燃やしている。つい先ほど出版された『社会の変え方』の帯には、「日本の政治をあきらめていたすべての人へ」と触れ込む。内容は自伝の趣きもあり、次の段階に向けての宣言書のようにもうかがえる。さらに近く『政治はケンカだ!明石市長の12年』も。こうした動きには、明石に住むものとして、首を傾げざるを得ない。果たしてこの市は泉市長の12年で変わったのか、と。同氏の自己過信に対して、「社会の変え方」を説く前に「自分の変え方」を考えるべしと、いいたい。(終わり 2023-3-16)

 

 

 

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【96】〝有能な市長〟の「パワハラ」は許せるか━2023明石市長選を前に(中)/3-12

 4年前の明石市長選挙の少し前のこと。泉市長が市の職員に対し、道路拡張に伴う立ち退きに応じない家に火をつけて捕まってこいなどと、暴言を浴びせた。この事実が録音の音声と共に、全国にあまねく報じられ、市長の職を辞するに至った。ひとたびは辞職したものの、市民からの熱い要望を受けて、出直し選挙に出馬して、対抗馬に圧勝し、返り咲いた。当時、私はこの欄で「おかしなおかしな明石市長選挙」と題して、その背景を点描したものである。ひとたびは、反省して、暴言癖を治すべく医療機関のお世話になったことをご本人自らが明らかにした◆しかしその後も、自身に気に入らないことが起こるとたちまち激怒して平常心を失うことは続く。自己自身を統御出来ない危険な傾向はつきまとった。専決処分による事業断行などを巡って市議会との対立が深まり、「市長問責決議案」が提出されようとしていた昨年10月8日のこと。ある小学校の創立150周年の式典の際に「問責なんか出しやがって、ふざけとるんか。お前ら議員なんか(選挙で)落としたるからな」「お前、賛成するなら許さんからな」と恫喝まがいのセリフを市議会議長や女性議員に対して吐いた。世の顰蹙を買うに至るや、発言の責任をとって、次回の市長選挙始めすべての選挙に出ず、政界を引退すると表明した◆それから半年ほどが経った現在は、しかるべき時にしかるべきものを(後継市長候補として)出すと、ツイッターで表明する一方、自分が代表を務める「明石市民の会」の選挙支援に汗を流している。しかし、同市長が自らの発言通りに政界を引退をすると、額面通りに受け止めている市民は少ない。告示日までにまたも復帰宣言をするに違いないと見る向きが専らだという。その背景には、広範囲な市民の間に、子育てをしやすく、住みやすい町だとの評価が高く、「泉市長は辞めないで欲しい」との支持の声が高いことが挙げられる◆だが、泉市長にはパワハラ癖に加えて、虚言癖もある。少し前にもある民間テレビ放送番組で、市長が前回選挙で、どの党にも応援を受けたことがないと発言したインタビューが公開された。その一方で、某保守系議員が泉支援の挨拶をしていた場面が同時に放映された。誰が見ても明らかな事実を平気で否定するのだ。仮にまた前言を翻して市長選挙に出る事態が起きたらどうなるのか。引退宣言をした際に、「(今後暴言はしないとは)私自身も正直自信がない」と述べたように、元の木阿弥になることは必至といえよう。「子育てしやすい町」を作ってきた〝有能な市長〟だから、少々の不都合には目をつぶるという市民の態度がまたしても問われるのかもしれない。(2023-3-12  つづく)

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【95】政策展開の巧みさと相反する振る舞いと━2023明石市長選を前に(上)/3-10

 淡路島が指呼の間に横たわる明石港。直ぐ背後には「魚の棚(うおんたな)」と呼ばれる商店街が賑わう。潮の香漂う港町は、御食国(みけつくに)の玄関先でもある。そんな明石を本拠地にする船会社に私が関わるようになったのは、議員を引退してしばらく経ったころだった。銀行員だった亡父が同地の支店に勤めた後、晩年に小さな洋装店をこの地で営んだご縁もあった。私が生まれ故郷の姫路から西明石に移転してきたのは、コロナ禍が本格化する直前2019年晩秋のこと。一人娘が孫たちと共に住む地に吸い寄せられたことも否定できない◆その年の春に行われた市長選。我が家での会話が忘れ難い。各種選挙において、私の勧める候補者に異論を唱えることがなかった娘夫婦が珍しく反発したのである。「子育て真っ最中の私たちにとって、泉房穂市長を除く選択肢はあり得ません」というものだった。同市長はかつて衆院選に敗者復活から比例区で当選したことがある。公明党の貴重な議席・兵庫2区への挑戦者だったこともあり、その「横顔」には注目した。漁師を父親に、障がい者の弟さんを持ち、東大卒という生い立ちはもとより、ひとたびはNHKで仕事をしたり、衆議院議員秘書の経験や弁護士資格など、多彩な経歴に驚いたものである◆兵庫選出の同僚議員として机を並べたのは一期だけ。その言動はあまり記憶にない。次に出会ったのは彼が2011年の市長選に出馬、当選を果たした頃だったが、当時はその立ち居振る舞いが物議を醸すことはなかった。私が議員を引退(2013年)したのち、明石港でのある式典に出席した際のこと。久闊を叙する言葉をかけたあと、私は「明石も駅周辺は活気があるけど、ちょっと離れると、シャッター街が目立つねぇ」と、正直な物言いをした。瞬時、目が光り、口もとが動きかけた。が、何事も無くその場は終わった◆以来10年足らず。同市長の変身ぶりには良しにつけ悪きにつけ、大いに戸惑う。悪しきケースは後述することにし、まずは良い方から触れてみたい。彼の著書『子どものまちのつくり方──明石市の挑戦』(2019年)には刮目させられた。その本には、著名な経済学者との対談が含まれていた。子どもを中心に据えた町づくりに取り組む同市長を高く評価されていたことが印象深い。私的には子育て政策もさることながら、充実した図書館運営に強い関心を持つ。引退と同時に蔵書を大幅に整理縮小した者にとって、駅前にある市立図書館は、実に利用しやすい。市職員や市議会議員に感情の赴くまま暴言を吐く態度と、市民本位の政策を次々と打ち出す政治姿勢と。ひとりの人間にまったく異質の人格が同居しているかに見えることには困惑するばかりだ。(2023-3-10   つづく)

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【94】話し合いこそ、戦争の継続を終わらせる道(下)/2-24

 さる1月11日に池田大作創価学会SGI会長がウクライナ戦争に対し、世界に向けて「民衆こそ歴史創造力の主役」と題した「緊急提言」を行った。そこでは「国連が仲介する形で、ロシアとウクライナなど主要な関係国が外務大臣会合を早急に開催し、停戦合意を図る」ことを、提案したのである。外交評論家の佐藤優氏は、西側にありながらも「殺傷能力を持った武器を提供してきていない」日本は、ロシアとウクライナの中に立って停戦をリードする資格を持った唯一の国であることを強調してきている。2月初めには、「池田氏の提言が現実政治に影響を与える要因であるにもかかわらずマスメディアが注目しないのは不思議だ」(毎日新聞Webサイト『政治プレミア』2-8付け)とする一方、「生命尊重、人間主義の基本的価値観を創価学会と共有する公明党には政府内で停戦合意に向け、岸田首相が動くようにぜひ働きかけて欲しい」(琉球新報2-4付け)と訴えてきている◆公明党は、既に1月26日の衆議院本会議の代表質問の際に、石井啓一幹事長が「ハイレベル会合を早急に開催し、停戦合意を図るなど、平和の回復に向けた本格的な協議を進めるべき」で、「日本が国際社会と緊密に連携を図り、主導的な役割を果たすべきだ」と、主張している。しかし、岸田首相は答弁せず、無視する格好になったままである。このあと、参議院での山口那津男代表の質問では二の矢を放たず、予算委員会でも誰も取り上げてはいない。そういうことを知った上で、佐藤氏は要求しているものと見られるが、公明党が動く気配はない。先日の衆院予算委員会での赤羽一嘉質問は、与党として復活したこの10年で、最も激しく自公政権の国民生活への対応の弱さを指摘するものだった。刮目すべき追及だったと高く評価する。あの勢いとトーンでウクライナ戦争の停戦に向けて岸田首相の尻を叩いていたら、と切に思う。西側のG7議長国として、どっぷりウクライナ支援に浸かった日本の首相に対し、与党のパートナーがそういうことを望むのは、〝無理筋ねだり〟なのだろうか◆時あたかもトルコ、シリアを襲った大地震で4万人を超える人々が被災し犠牲となった。それこそ、「戦争をしている場合ではない」「共に支援に当たろう」と、せめて「休戦」を呼びかける一大チヤンスであった。東日本大震災始め世界に冠たる地震大国であり、福島第一原発事故を引き起こした日本こそ、トルコ(地震多発国家)、ウクライナ(チェルノブイリ原発事故国)との悲哀を共有できる立場である。しかし、それももうタイミングを逸してしまった。恐らく公明党の中では、そうした提案をすべきだとの声があったはず。だが、表には聞こえてこない。連立与党として自民党への忖度が過ぎる。これでは不甲斐ないとしか言いようがない◆先日、NHK テレビ『混迷する世界』第9回「ドキュメント国連安保理」で、国連の機能不全ぶりをつぶさに放映していた。懸命に合意を図るべく裏舞台で汗をかく非常任理事国・日本の外交官の戦いぶりが注目された。しかし、「過去にアフリカを支配してきていながら、今は身勝手な行動をとっている」西欧を非難しつつ、ロシアの肩を持つモザンビークの代表の発言が強く印象に残った。その場面を見ながら、ウクライナの出来事には共感しても、シリア、ミャンマー、アフガンなどの苦境には今一歩目が向かない世界、日本の大衆の「想像力」の偏頗と貧困さに思いが及んだ。停戦に向けて国際世論の「創造力」の現状と、「地球と人類の行く末」が大いに気になる。(2023-2-24)

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【93】ロシア通の識者たちはこの現実をどうみてきたのか(中)/2-21

 ロシア文学者の亀山郁夫氏は、「芸術というものは国民性を反映しているとはいえ、一人の人間、個人が作り出したもの」で、「あくまで美的な表現として」のものであり、「個人と全体は分けて考えねばいけない」と強調している(NHK名古屋 2022-3-17放映)。確かに、文学、音楽などに長じた人を輩出する国が同時に戦争国家でもあることは、米国始めいかなる国も五十歩百歩だろう。国家悪をどうにもできない人間の性とでも言うべきなのかもしれない◆この辺りは、ロシアから国際政治を見てきた政治学者の弁が興味深い。慶應大の廣瀬陽子教授は「研究成果に基づけば、ロシアがウクライナに侵攻するはずはなかった」とした上で、「自分の長年の研究は何だったのか。そして人間は戦争を防げないのかという絶望的な気持ちに苛まれた」という。戦争防止に役に立たなかった学問は、これからも同様だろうと、正直に本心を吐露(慶大公式サイト「おかしら日記」2022-4-5)しているのは痛ましいほど。これは、『シベリア抑留──米ソ関係の中での変容』という著書を持ち、かの国の暗部を知り尽くした小林昭菜・多摩大准教授も同様だ。「戦後史を扱ってきた者として、この戦争を止める何の役にも立っていないという反省から」、『ロシアから見たウクライナ問題』という論稿を発表した。その誠実さ溢れる筆致に感心する◆尤も、「戦争防止」に学者の役割は一般的には期待されていず、むしろ戦争発生後の予測を大衆は求めがちである。しかしこれも心もとない。例えば、筑波大の中村逸郎名誉教授が去年6月に、プーチンは月末までに99%退任すると大チョンボな予測をしたのは別格として、名だたる専門家も〝誤診的予見〟が散見される。下斗米伸夫法政大学名誉教授は、去年6月の講演で、「停戦が成立するか、戦争を続けるのか。夏までに一つの結論が出る」(茨城新聞2022年6月17日付け)としたが、希望的観測に終わった。また、青山学院大の袴田茂樹名誉教授も、「金融制裁が強化されれば、ロシアの対外貿易は極めて困難になる」(電気新聞2022年3月11日付け)としたが、ロシア経済はしぶとく持っている◆NATO傘下の欧米各国は、直接的関与は避けているがゆえに第三次世界大戦は防げているといえるが、震源地の泥沼化は続く。このままでは明年のロシアの大統領選挙まで、戦争は続くだろうとの根拠なき見立てが専らだ。(つづく 2023-2-24修正)

 

 

 

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【92】もうすぐ一年が経つ「ウクライナ戦争」とロシア(上)/2-19

 ウクライナ戦争からほぼ一年が経とうという時に、トルコとシリア両国を大地震が襲った。黒海を挟みクリミア半島から距離にして1000キロ余り。隣接する国と地域を襲う人災と天災。天の配剤というにはあまりに無惨なできごとに声もない。とりわけ、罪なき子どもたちが直面する問題に心騒ぐ。報道では、方や赤ん坊をはじめ救い出された子どもたちのすがた。もう片方では、囚われていたロシアから連れ戻すことが出来て喜ぶ母と娘の映像。ウクライナの戦場から連れ去られたままの子どもたちの運命が気になる。米イェール大の報告書にまつわる報道では、この1年で6000人もの子供たちがロシアの各地の48施設で、心凍る「再教育」の下にあるという◆俄には信じられない。当初聞いた時には、戦災孤児に対する善意の救済かと思った。しかし、そうではない。「楽しいサマーキャンプ」などと銘打って、厳しい生活環境に喘ぐ親の元から旅費や滞在費はいらないとの触れ込みで、誘い出す。その後は連絡が途絶えたまま。「親ロシア化」のための教育を施す。21世紀の民主主義国家に生きる者にとって、どうにも理解に苦しむ状況が生まれているのだ◆今から80年近く前のこと。敗戦後の戦場から連れ去られた日本人捕虜たちの悲惨な生活があった。毎日新聞オピニオン欄『現代をみる』での、「未完の戦争 シベリア抑留」(栗原俊雄  2月4日付け)は、広い意味での戦争は「終戦」で終わらなかったことを改めて明かす。旧満州(現中国東北部)などにいた日本人約60万人が、ソ連領内やモンゴルに連行され、6万人が命を失った。抑留体験者たちは、同地での苦難の連続に加えて、帰国後もソ連式共産主義の教育に染まったものとしての差別も受けた。いわゆる「シベリア特措法」が議員立法で成立し、幾ばくかの特別給付金が支払われて、形式的な戦後にピリオドがついたのは2010年。既に「シベリア抑留」が終わって、半世紀を超えていた。こうした歴史を思い起こせば、今に展開するウクライナの子どもたちの「ロシア抑留」も現実味を帯びてこよう◆それにつけても、豊かな文学、音楽やバレエなど肥沃な芸術的土壌を持つこの国とこれらの出来事をどう関係づければいいのか。そこに生まれ育った人々は一体どのような感性と理性で今の事態を見ているのか。とめどなく愚考が渦巻く。(2023-2-23修正 以下続く)

 

 

 

 

 

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【91】建国記念の日に考えた「戦後のかたち」/2-11

 

 日本の国の成り立ち、つまり建国の由来については曖昧模糊としている。『古事記』『日本書紀』といった奈良時代に作られた最古の歴史書によると、神の子孫としての天皇がその始まりで、神武天皇を持って初代とすることが書かれている。明治維新と共に、近代化の流れに入り、諸外国との交流が本格化するに伴い、国の基本としての国旗、国歌などが整えられていった。そんな中で、神武天皇が即位した紀元前660年1月1日を建国の日として、新暦の2月11日を「紀元節」として祝うことにした。だが、日本史の上で、実在したかどうか判明しない天皇も10数代いるとされるなど、今年は「紀元2683年」といわれてもいささか困惑する。私のように1945年(昭和20年)生まれには、遡ること5年前の1940年(昭和15年)に歌われた、🎵紀元は2600年、ああ一億の胸はなる〜、との歌詞が口をついてでてくる。恐らく親から聞いたか、1950年(昭和25年)ごろにラジオを通して聞いて覚えたに違いない◆以上に見たような、神代の昔の起源よりも、現代日本にふさわしいと私が思うのは、「2月11日」よりも、むしろ「4月28日」である。なぜか。1945年8月15日の天皇の「玉音放送」で戦闘停止となったあとも、ソ連の北方領土侵攻があり、最終的に戦いが終わったといえるのは9月2日。ミズーリ号上での降伏文書調印の場面があり、日本は1952年(昭和27年)まで米軍の占領下におかれる。そして、苦節7年。サンフランシスコ講和条約と、日米安全保障条約が4月28日に発効する。この日から晴れて日本は独立を果たすのである。いらい70年が経つ。文字通り日本の「独立記念日」なのだ。しかし、真の意味で、この70年が「独立」していたと言えるかどうか。今の日本は、〝国家のかたち〟をなしていないとの厳しい見方もある。それは〝戦後の姿〟が阻んできたのだ、と◆戦前の日本は、明治維新いらい77年の『天皇統治』の下にあった。それが敗戦の後、米軍の占領下を経て、独立した。だが、それは見かけであって、その実は、『米国支配』に他ならなかった。「菊の支配から、星条旗の支配へ」と言ったのは『国体論』の白井聡氏だが、戦後77年は米国に従属する日本であった。在沖縄基地に始まり、全国各地に点在する米軍の基地、「横田空域」のように日本の空であっても自由に使えない領空まで、その証拠を挙げるに事欠かない。普段は目立たずとも一朝事あればミエミエとなる。ヴェトナム戦争からイラク戦争を経てウクライナ戦争に至るまで、日米関係と「戦争史」を紐解けば、「自主独立」とは名ばかりの〝不自由従属〟の姿が浮かぶ◆米国の軍事支配だけが戦後のかたちではない。教育における「戦後民主主義」、暮らしにおける「経済至上主義」など社会の隅々まで米国の影響は決定的に色濃い。明治の文明開花に、福澤諭吉の叫んだ『独立自尊』の空気は澱みきっている。何をするにも米国の顔色を窺い、首根っこを抑えられた日本人の姿は情けないばかりだ。戦後の日本という国のかたちを決めたのは「平和憲法」だが、それを変えることにばかり熱をあげ、失敗してきた戦後政治を今こそ見直す必要がないか。むしろ、あるべき「国のかたち」を阻んできた「戦後のかたち」というべきものを見直すことから始めることが大事だと思う。(2023-2-11)

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