Author Archives: ad-akamatsu

【68】ゴルバチョフ元大統領の「警告」に耳を傾ける/10-4

 さる8月30日に91歳で亡くなったゴルバチョフ元ソ連大統領。その彼が2014年にNHK の単独インタビューを受けていました。それをまとめたETV特集『ゴルバチョフの警告──冷戦終結とウクライナ危機』は、極めて重要な内容を含む見応えあるものでした。これは、2015年3月14日に放映された『冷戦終結 首脳たちの交渉〜ゴルバチョフが語る舞台裏』をベースに、インタビューに当たった記者の解説を加えて再構成したものでした。再放送を見た私は、ゴルバチョフの深い人間性、そしてそれに呼応した西側指導者たちとの交渉の妙味──現実は騙し合いの感あるものの──に圧倒される思いでした。見ておられない方に強くお勧めします◆「ウクライナはマッチ一本で大火事になる危険性をはらんでいます。問題が起きた瞬間に止めなければ、誰にも止められなくなってしまう」──あのロシアのクリミア併合(2014年3月)の時に、既にそう「警告」していました。その危機に陥ることを防ぐには、かつて自分が成し遂げた冷戦終結に向けての努力に倣って、首脳相互間の話合いしかないというものでした。ゴルバチョフとドイツのコール、米国のレーガン、父ブッシュらとの真剣な中にも人間性溢れる交流には強い関心を抱きました。ですが、同時に、その行動の結果を苦々しく思い、必ずこの事態を覆さねばとの強い思いを抱いた人物もいたのです。いうまでもなくプーチン現ロシア大統領です◆私たちは、あの東西ドイツの壁が壊されるのを、「ソ連の崩壊」「共産主義の敗北」の象徴と見てしまいました。「西側、資本主義の勝利」と短絡的に捉えた傾向が強かったのです。だが、プーチンからすれば屈辱以外のなにものでもない出来事でした。冷戦終結にあたって、NATOの東側への進出を禁じる約束をしたかどうか。ゴルバチョフと違って、西側は否定しています。その後の歴史は、明らかに西が東へ拡大する一方です。これに怒りに満ちた思いを持ったのがプーチンです。これにはゴルバチョフも米欧を批判しています。2014年と2022年のロシアによるウクライナ侵略は非難に値するものの、その背景には目を向ける必要があると思わざるを得ないのです◆ゴルバチョフという指導者は冷戦後のこの30年。自分がしたことは正しかったと思い続けていたと思いますが、この間ずっとウクライナを中心に、母国の行末が危うい状況にあることを懸念もしたはずです。元を正せば、彼の「改革」に対して国内的反発が強かったのです。今日の事態は当然予測できました。冷戦崩壊で、全て丸く収まり、西側の思いのままに展開すると見た者が浅はかだったということでしょう。ゴルバチョフはウクライナの惨状を目の当たりにして、恐らく深い悲しみを持って死に至ったと思います。この人の登場は世界史で特筆すべきものと私は思ってきました。しかし、プーチンの怨念の爆発で、ゴルバチョフの作り出した、一見〝素晴らしき新世界〟が、〝忌まわしき旧世界〟に逆戻りするのか。それとも、プーチンのあだ花に終わるのか。これはロシアと西側双方にゴルバチョフの警告を真正に受けとめる新たな指導者の台頭を待つしかないと思われます。(2022-10-4)

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【67】ノーベル賞受賞科学者と小中高生たちとの率直な対話から/9-26

大隅良典さん(77)と初めてお会いました。6年前にオートファジーの研究で、ノーベル生理学・医学賞を受賞した科学者です。オートファジーとは、細胞自身が持つ、細胞内にある不要な物質を分解する役割のこと。人間存在は膨大な細胞から成り立っており、新旧の細胞が一定の時間を経て、全て入れ替わる仕組みを持っていることが知られています。そのメカニズムを解明してみせたのがこの人だと、私は理解しています。大隅さんは、受賞後「大隅基礎科学創成財団」を設立し、基礎科学の振興に尽力する一方、小中高生たちとの対話、懇談を通じ、科学者の育成に全力をあげています。昨25日には、兵庫県姫路市のコンベンション施設・アクリエで開催。私はそこに大勢の未来の科学者のたまごたちに混じって参加してきました▲『未来の科学者たちへ』はこの人と細胞生物学者で歌人の永田和宏さんとの対話本ですが、私は友人(大谷清・同財団常務理事)の勧めで読み、既にこの読書録に紹介しています(No14/2022-1-3)。この本は、「科学者の卵」を揺籃させる働きは勿論のこと、私のような政治家にも科学することへの刺激を与えてくれました。そして、政治の基本である議論の大事さを覚醒させる大事な役割も持っています。そんな風に読んだ私に、ぜひこの機会を逃さず、見て聞きに来るようにと誘ってくれたのが前述の大谷氏です。大隅さんのお話ぶりは、先日のNHKの解説番組で聞いた通り、優しく静かな語り口調で、心の襞に食い入るものでした▲短いお話の後は質疑応答。「ノーベル賞を取るにはどうしたらいいですか?」「難しい壁にぶつかった時に、どんな強い気持ちを保ってこられましたか?」などといった質問に、大隅さんは丁寧に答えていました。「苦手だからやらないとか、役に立つかどうかの観点だけではいけないよ」「私の進んできた道は失敗ばかり。失敗を恐れてはいけない。何をそこから学ぶかが大事」などと大人たちにもグッと迫ってくる回答でした。尤も「ミケランジェロとダビンチとどっちが好きですか?」との女の子の質問には、タジタジとなる(と思えた)場面も。どちらにもいい側面があり、どっちとも言えない、というような言いぶりをモグモグと。ここはズバッと答えたら、と勝手な思いが胸に去来したことは否めず、大隅さんのお人柄が一番出たところかもしれません。面白かった▲最後に高校生と思しき男子が、英国のエリザベス女王と安倍晋三元首相の死を取り上げた質問には、「おっと」と色めきたつ思いが。同じように、元首に国王、天皇を抱き、議会制民主主義の元にある両国で、英国に比べて日本の「国葬」が大変に遅れたのはなぜでしょうか、と訊いてきたのです。賛成の立場からの質問であったからでしょう、大隅さんは「私は個人的には反対です」ときっぱり。議会での議論がもっと必要。手続きに問題があるやり方には反対ですと明快に述べていました。質疑終了後に、直接の対話を求める長い列ができました。その間、私は大谷氏や、姫路商工会議所の斎木俊治郎会頭と雑談していましたが、姫路の淳心学院同窓の2人は参加者が満席だったことにホッとしたようで、「姫路も捨てたものではないね」などと妙な満足感を率直に吐露していました。30分ほど待って、初対面の立ち話。一学年上の同い年。語りたいことは色々ありましたが、未だ実験会場に向かわれる大隅さんには邪魔になります。挨拶の終わりに「安倍国葬には、公明党としては賛成ですが、私も先生と同様に反対です」と伝えて、別れました。(2022-9-26)

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【66】日本の「PKO 30年」とカンボジア、中国との関係について/9-22

 日本がPKO(国連平和維持活動)に参加して、カンボジアに自衛隊を送ってから、この9月で30年になりました。これは日本にとって「国際社会の中での国家の生き方」をめぐるとても大きな出来事でした。というのも日本は湾岸戦争(1990年)にお金を拠出するだけで、多国籍軍への自衛隊派遣などの人的貢献はしないのかとの批判が国際社会で根強く渦巻いてきたからです。これを機縁に公明党は野党でしたが、自民党を巻き込みPKO5原則を作り、平和憲法の枠内で自衛隊を紛争後の処理に出すことに尽力したのです。法案審議の動きに、当時の野党第一党だった社会党は牛歩戦術で徹底的に抵抗し、メディアも朝日新聞を中心に大反対の論陣をはったことが知られています▲しかしPKOは本来、戦闘への参加ではなく、紛争が終わった状況の中で、平和裡に復興に貢献することを目的とするものです。この活動参画はカンボジアから大層喜ばれ、国際社会でも大好評でした。以来、モザンビーク、東ティモール、ハイチ、南スーダンなどへ、延べ約12000人の自衛隊員がPKOに参加してきたのです。この間、各国のそれに比べて極めて制約の多い中での日本の活動(武器使用など)が、かえって自衛隊員を苦しめることになるなど様々な問題が惹起されてきました。6年前の安保法制の制定に合わせて、やっと「駆けつけ警護」が可能になり、世界標準に近づくようになったのです。これで自衛隊員と離れた場所にいる、国連や NGO関係者が武装勢力に襲われた時に駆けつけて守ることが出来るのです。長い間解決が求められてきました。それが遂に実現したのです。しかし、皮肉なことに、この間、日本の5原則に適合するようなPKOが殆どなく、日本の参加はゼロに近い状態(今は南スーダン司令部要員の4人だけ)が続いています▲他方、中国は21世紀に入ってから着々とPKOに参加する方向性を強め、大きな成果を挙げてきています。いわゆる「一帯一路」戦略は、PKO対応と裏表の関係で、特にアフリカ進出は目覚ましいものがあります。この30年間、日本もPKO協力をしてきたものの、中国に比べて人的規模においても、経済的貢献においてもその差は歴然としています。カンボジアはこれまで9カ国に9000人ほどのPKO 派遣をするようになり、地雷除去に当たるなど、日本の貢献が実を結んだことが明らかです。日本もその成功体験に長く浸ってきていますが、同国は日本ではなく、中国一辺倒の姿勢を強める一方です。中国の国家戦略とカンボジアのフンセン首相の支配構造のマッチングが功を奏し、カンボジアはいわゆる「チャイナ・アセアン」の優等生となっているのです▲国連は今、常任理事国・ロシアのウクライナ侵略という事態になすすべ実らず、瀕死に近い状態に喘いでいます。この時にあたり国連改革をどう進めるかとの問題に焦点が当たりがちで、ロシアの拒否権行使とそれに同調する中国の存在といった側面にのみ目が向いています。しかし、伝統的に国連の活動に非協力的だった米露のニ大国に比べて、中国はせっせとPKOのような基本的活動に取り組み、得点を稼いできたことは見逃せない事実といえましょう。日本は、その辺りを見ずに、自国の過去の成功体験や、中国の身勝手な勢力拡大といった既成イメージだけに捉われてばかりいると、足元を救われると思います。この点は、憲法をめぐる独自の制約をも含めた日本の国家ビジョンとも、深く関わってきます。これらを踏まえてどのように立ち向かうか、30年の節目を境に取り組むべき課題といえましょう。(2022-9-23 一部修正)

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【65】食料品マーケットの店長たちに講演ー吹田市商工会議所で/9-15

 「売上増は自身の人間力アップから」──食料品のマーケットの店長さんたちに、売るのは自分自身だとの思いを込めて、お話しをしました。14日のお昼過ぎ、大阪府下吹田市の商工会議所でのことです。フードネットリテール(FNR)という地域密着型の企業の要請を受けて。日頃いかに肉や野菜などの食料品の売り上げを増やすかに取り組んでる人たちに『仕事と人生』のタイトルで、約一時間話しました。果たして役に立ったかどうか★ほぼ30歳台半ばの男性ばかり20人ほどが対象(女性は管理職の松岡優子さんと経理の新人の2人だけ)。私はAKR(オール小売市場連合)という一般社団法人の顧問をしていますが、この企業とはその繋がりです。私の話は、新聞記者、国会議員秘書、政治家という三つの職業、仕事についた自身の経験から始まり、エピソードを交えつつ、人間力を高めることが大事だとの話に終始しました★昔の食料品の小売店と違って、客との接触は店長の場合、殆どないのかも知れません。が、それでも店長がいかに自身の人間性を磨き、豊かな教養と個性に磨きをかけるかがカギを握ると思っています。その関心から、自分自身の日常において、どのようにして力をつける努力をしてきたか、いまもやり続けているか、を実例として細かに話しました。朝起きてから寝るまでの間に、決めた目標(睡眠時間、散歩時間、笑いと感動の回数など)を達成させたかどうか。出来たら白星、出来なかったら黒星と、8勝7敗の勝ち越しを目指そう、と★同席された酒井修司社長が終了後の挨拶で、私がインプットとアウトプットの大事さを強調されていたと述べた上で、パワーをいただくことができたと喜んでくれたのには、ホッとしました。社長らとの事前の懇談では政界裏話めいたことを話したため、もっとふんだんにその手の話を期待されたのでしょうが、ちょっと足らなかったかも。あれもこれもと、てんこ盛りのお話しで、消化不良になってはいけないと中身を絞ったつもりです。「仕事は楽しめ」との言葉が印象に残ったと、ある店長が口にしてくれたのには、我が意を得たりの思いになりました。実は、この機会を得たのは前述の松岡さんの並々ならぬ熱意のおかげです。さて、これからどう実を結んでいくか、楽しみです。(2022-9-15)

 

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【64】「民主主義を守り抜く」ための『国葬』に疑問──衆参議運委での質疑から/9-10

 安倍晋三元首相の狙撃死から2ヶ月。岸田首相が同元首相の「国葬」を閣議決定で決めて以来、日を追って反対の声が高まっている。さる8日に衆参議院運営委員会で開かれた同首相に対する質疑をテレビ中継で見て、やはり釈然としなかった。岸田首相が「国葬」を実施する理由について「安倍元首相を追悼するとともに、わが国は暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示す」と述べたことに引っ掛かるのだ◆「暴力に屈しない」ことと「民主主義を断固として守り抜く」ことはイコールであり、当然のことである。しかし、今回の事件では、厳密に言うと、安倍氏の言論、民主主義的行為を封じ込めるために、狙撃犯は暴力を行使したのではない。安倍氏と旧統一教会との親密な関係に恨みをぶつけたものと言えることは、報道で知る通りである。となると、岸田首相の言い方はすり替えめいて聞こえる。「〝反暴力〟を断じて守り抜く」と言うならわかる。「民主主義を守り抜く」といわれてもこの場合はふさわしくないと、聞こえたのは私だけだろうか◆民主主義を守ることと同義だからいいではないか、とはならない。まして、安倍元首相は、残念ながら国会で虚偽答弁を繰り返したことで知られる。いかに外交で得点を挙げ、現に諸外国のリーダーから追悼の意が寄せられようとも、次元を異にする。いわゆる「もり、かけ、さくら」の問題で多くの国民から批判の眼差しを向けられてきた人に「国葬」はふさわしくない。「国葬」なら、民主主義の基本に照らし、いささかの疑問をも持たれない人物でないとならないのではないか◆自民党の中から続々と旧統一教会との親密な関係にあった議員があらわになってきている。それこそ生前の安倍氏から弁明が聞きたかった。そんな状況のもとで、強引に「国葬」を推し進めるのは民主主義的ではない。衆議院議運委の質疑で山口議運委員長がしばしば立憲民主党の代表の質問を事前の申し合わせにそぐわないからと、制止していたのはいかにも異様に見えた。ルールだからと言われても、その関係を明らかにせずして何のための対首相質疑かと誰しも訝しく思ったはずである。今からでは遅いかもしれぬが、「国葬」は止めて、「自民党と国民有志葬」とにでもすべきである。と書いた直後に、岸田首相から元議員の私への『国葬招待状』が届いた。(2022-9-10)

 

 

 

 

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【63】今が盛りの神戸と姫路の2人の理系出身小説家/9-5

 先日、2人の団塊世代の小説家と会食懇談した。姫路在住の兵庫県民間病院協会元会長の医師・石川誠先生の呼びかけだ。この人はなにしおう文学好き。私はお相伴役。今回の様子は私の写真録ブログ『今ここだけ』にちょっとだけ書いた。ここでは読書録風ではなく、作家の人となりを中心に。一人は、高嶋哲夫氏。彼は慶應大工学部を出て原子力研究のために米国へ。3年ほどいたが挫折する。帰国後に取り組んだ学習塾経営が当たり、40歳過ぎて小説家に転身。70歳を過ぎた今日まで数多の小説を書き、各種の賞をとりまくり、今も意欲作を次々と出している。直近には『落葉』なるいわくありげな題名の作品も書店に並ぶはず。代表作は10年前に、今日のコロナ禍を予言したかと見紛う『首都感染』だが、ご本人はあれは鳥インフルエンザを書いたのだと照れ臭そう。とても謙虚な人だ◆最近作の『EV』では近未来の電気自動車社会に至る流れを鮮やかに照らし出す。この人の作品は、核兵器、原発、首都移転、地震など概ね政治絡みのものが多く、現実政治のいたらなさを暴きだしてやまない。政治家に読んで欲しいなあと、言われるたびにいたたまれなく恥ずかしい思いになる。親しくなって2年ほど。私は大学の先輩ぶって、「高嶋さんの小説は女性が描けていない」とか、「最近パターン化していないか」などと偉そうなことを、口にしてしまう。身の程知らずにも程があるが、彼は巧みに受け流す。その都度、人間的スケールの彼我の差に感じ入る。彼の夢は、自著のハリウッド映画化だそうだが、近い将来にきっと実現するのではないかと私は睨む◆もう一人は、諸井学氏。小説家と家業の電気屋との2足のワラジとのことだが、ヨーロッパモダニズム文学と日本の古典文学の二刀流の使い手と、私は見る。ペンネームの由来がアイルランドのノーベル賞作家サミュエル・ベケットの『モロイ』に魂を奪われたことから、Molloy (諸井)に学ぶとしたという。ポストモダンの先端を行くというこの本、試しに読んだのだが、始めから終わりまでわけわからず、困り果てた。一体全体、どう理解すれば、と恥を忍んで訊いてみた。答えは、「解釈するのでなく、体験するのです」と、きた。ご本人は禅の悟りのようなものと言われるが、これって、我が日蓮仏法を人に勧める際にお馴染みのセリフである◆一方、日本古典の粋・和歌文学をめぐっての彼の歌論『夢の浮橋』(未完)及び「新古今和歌集」のオマージュだとする『神南備山のほととぎす』は、とってもためになり、かつめちゃくちゃ面白い。800年ほど前の和歌文学の本歌取りや掛詞などの作法の数々。これがモダニズム文学の先駆けをなすと聞いて、感動しない日本人がいようか。私は諸井氏の主張は、丸谷才一『後鳥羽院』の〝本説取り〟ではないのかと疑ってみた。だが、ご本人から丸谷説の瑕疵を指摘され、自らも確認して目が覚めた。いらい、彼は直木賞作家たり得るとばかりに本気で励ましている。高嶋と諸井の両氏。この二人は共に理系(諸井は名古屋工大卒)。頭の緻密さが私とは決定的に違う。片や早咲き、一方は遅咲き。どっちも73歳の今、咲き誇る。その姿が私にはとても眩しい。(2022-9-5)

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【62】安倍元首相への評価と公明党の存在感/8-29

 安倍晋三元首相の「49日忌」も過ぎ、様々な媒体でその業績への評価が展開されている。その中で、私が興味深く思うのは、「安倍晋三とは『保守的政治家』であったのか?」との視点で論じられている論考が散見されることである。まず、京都大名誉教授の佐伯啓思氏は『中央公論』9月号の論考で、「安倍氏は、考えられる最大限の仕事をし」、「ゆるぎない決意を持っていた」が、「ただそれを『保守』と呼ぶのは難しい」し、「最上の意味で現実的(リアリスティック)で実践的(プラグマティック)な政治家だった」(「保守の矛盾を体現した政治家」)と述べている▼他方、政治学者の御厨貴氏は、「改憲を巡って発言が紆余曲折した」り、「戦後70年談話のように、イデオロギーより現実を重視する姿勢も明らかだ」ったとして、「本当に保守なのか」と疑問を投げかけている(毎日新聞8-16付夕刊特集ワイド)。これらは、安倍氏の思想そのものは、「保守」だが、行動として現れたものは違うとする点で共通する。そして更に、安倍氏の再登板以降の政権のパートナーであった公明党の役割を、何故か見逃していることでも酷似している。「中道」にこだわる私は、そこに強い不満と疑念を抱く▼この議論を進める上で、極めて示唆に富むのが、太田昭宏公明党前代表の「社会保障大きく前進」との見出しでの『安倍政治を考える」(毎日新聞8-23付)である。太田氏は、政権運営の中で安倍氏が「我々の声を聞いて、社会保障を従来の目線とは違う『全世代型社会保障』にする決断」をしたり、「高齢者中心だった社会保障を、子育てや、学生の支援、認知症やがん対策、さらには就職氷河期世代支援にまで拡大した」と高い評価をくだす。その上で、「(安倍氏は)右寄りと言われたが、実際にやってきたことを見れば、現実を直視して解を見いだすリアリストだった」とする▼公明党の立ち位置に依拠しつつ、抑制を効かせた太田氏の主張は味わい深い。これを私風に言い換えると、保守と中道の連立政権(〝ハイブリッド政権〟)のなせるわざということになる。佐伯、御厨両氏は、この安倍自公政権の本質的な部分を知ってか知らずか見落とした結果が、先に見たような安倍=保守的政治家への疑問につながる見立てなのである。「安倍保守的政治の変質」というように見えるものは、実は「中道的政治の転換」とでもいうべきものと、裏表の関係である。保守とは何か、中道とは何なのかとの「そもそも論」を棚上げすると分かりづらい。〝自公混合政治〟のしわざにまで立ち至って解説する論者は、残念ながらあまり見られない。公明党の存在感が薄いことを私が嘆く由縁でもある。(2022-8-29)

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【61】「山の日(8-11)」に寄せて、を書いた波紋/8-21

 さる8月11日は「山の日」。その日に、私は朝日新聞Webサイト『論座』欄に寄稿した。過去2回、同欄には、自公連立政権への注文などを書いてきた。一転、日本の森林行政について、あれこれと論及した。私自身、この20年余り、一般財団法人『日本熊森協会』と公益財団法人『奥山保全トラスト』に関わってきた経緯もあり、仲間達の顔を思い浮かべながら書いた。とりわけ9日には岡山県と兵庫、鳥取県の県境にある若林原生林(天然林)を視察してきた。多くの友人たちも読んでくれてコメントをくれた。ここではそれに触れてみたい◆日本の森林については、建設資材としての木材が商業ベースに見合うかどうかが最大のポイントであった。戦後の自民党政治がそこを見誤ったがゆえに、放置人工林の山を生み出すに至った。こう確信して疑わない私は、この論考でも殆ど木材資源の活用に意を注がなかった。しかし、赤穂に住むO氏はウクライナ、円安による経済情勢の変化で、林業活性化が仄見えているという。放置された針葉樹林のエネルギー源への転用と合わせ、知恵を出すべきだ、と。環境譲与税の活用に腐心する地方自治体もそこが関心事。肝心要が手薄だったこと自省する◆この論考では、熊を代表とする大型野生動物が、森林が荒廃するのと比例して、人里に出没して市民生活をも脅かしていることにも、あまり触れなかった。いい過ぎることはかえってことの本質を見間違わせると思ったからだが、もっと触れるべきとの声があった。実は、先日、NHK総合テレビで、野生動物と人間の共存について示唆に富んだ特集をしていた。山あいの現場では、人間の無知ゆえの、もぐらたたき的対処で、被害が防げていない。これについては、書きそびれた。残念だった◆野生動物と森の問題を持ち出すたびに、「人間と動物のどっちが大事なのか」と、反論されてきた。公明党の人間でさえ、人間が大事だと言って憚らない人が多い。私はその都度、どっちも大事だといい、過ちの根源は、「人間主義」と「人間中心主義」の混同だと思ってきた。真の「人間主義」とは、生きとし生けるもの全てを慈しむものだ。それに比し、「人間中心主義」は、動物や生物といった自然を人間と対置させ、自然の搾取はやむを得ないとする。ここが最大の問題であろう。いっそ、「人間主義」といわずに、「生物主義」とした方がいいかもしれないと、今は考えている。(2022-8-21)

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【60】日本の真の独立と世界の平和を熱望する─77年目の「敗戦の日」に/8-15

 きょう、77回目の敗戰の日(終戦記念日)を迎えた。今年冒頭に(厳密にいうと昨年末)、私が『77年の興亡➖価値観の対立を追って』を出版してから、7ヶ月余りが経つ。なぜ「77年の興亡」にこだわるか。その理由は2つ。日本近代化の始まり、明治維新から数えて77年目に、アジア太平洋を舞台にした「15年戦争」を戦って日本が敗れたことがひとつ。もう一つは、そこを起点にさらに77年、経済の復興を経たものの、今や〝失われた30年〟と称される停滞期に陥いり、まさに〝今再びの敗戰〟気分にならざるを得ないからである。前の77年は近代化を目指し「西欧対日本」の戦いの末。後の77年は民主化のもとでの「保革(リベラル)」の争いと見立てた。77年のサイクルで、〝二度目の敗戦。〟を迎えている原因を探り、これからを展望した★その際に、後半に登場した中道主義の党・公明党の闘いに焦点を絞った点が、特徴的である。「大衆福祉」と「世界平和」を二枚看板にした党が、結党60年を迎える今年、どういう立ち位置にいるのかを私なりに描いてみた。ひとことずつ、要約すると、「『格差拡大』に喘ぐ大衆の救済未だならず」と、「国際社会は第三次世界大戦への風雲止まず」であろう。内外の事態は共に急激に悪化している。「自公連立20年」に、時代が直面する大状況は、かつて公明党が船出した時に比べて良くなっているとは言い難いのだ★この現状をどう見るか。いや、どうするのか。政権に公明党が加わっているからには、自民党のなすがままであってはいいはずがない。ここは、政権の改革に向けて、自公協議を推し進め、大いなる政権ビジョンを打ち出せというのが、私の主張である。既に朝日新聞Webサイト『論座』と、毎日新聞Webサイト『政治プレミア』に書いた(共に、この欄に転載済み)通りである。安倍晋三元首相の狙撃死いらい、「旧統一教会」と政治家の関係が取り沙汰されているが、与野党共に早急に自浄作用を示す必要がある。内外の重要政治課題解決がこれによって、先送りや棚上げにされては断じてならない★77年目の敗戦の日に、私たち日本人は改めて大いなる岐路に立っていると、自覚する。それは、「世界平和」確立に向けて強い意志を示すか、状況に追従してズルズルと戦争への道にのめり込むかの分かれ道である。ロシアとウクライナの戦争長期化が確実視される一方で、北東アジアでの〝新たな戦火〟が強く懸念されている。こういう時にこそ、仏教に淵源を持つ「中道主義」の真価が発揮されるべきである。それは対立する両勢力の狭間にあって、平和確立への話し合いの交渉に徹して動くことではないか。そう自民党を、外交当局を督促すべきだ。それが出来ず、米国陣営の中で切歯扼腕するだけの日本なら、結局は米国占領下7年プラス70年の継続であったという他ない。最初の77年サイクルの始まりの頃、慶應義塾の創始者・福澤諭吉先生は日本の独立の行く末を憂えた。2度目のサイクルが始まった頃、創価大創立者・池田大作先生は「世界平和」に向けての強い意志と行動を示された。次なる77年、三たびめのサイクルに向かって、この2人の先達の思いに強い共鳴を抱く。(2022-8-15)

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【59】野党を巻き込む「部分連合」も──毎日新聞Web『政治プレミア』への寄稿から❹/8-10

 

 さて、これからの3年で、これらのビジョン策定を進めることが出来れば、自公政権の質的安定感は飛躍的に高まります。テーマによっては、最終合意は棚上げにして、目指す理想の形と当面の現実対応とに分けることでもでもいいかもしれません。同時に、この作業は密室でなく、少なくとも協議後は議論の中身は公開すべきです。そうすることで、野党の中から「是」とする動きが健在化して、新たな展開を生み出すやもしれません(希望的観測ですが)。そこは硬直化した姿勢ではなく、柔軟な対応が求められると思われます。

 大胆に言えば、テーマによっては、2党間合意でなく、野党も入れて、3党、4党間の一致を見ることがあってもいいし、さらには組む相手を変えての2党でもいいかもしれません(これまた希望的観測ですが)。パーシャル(部分)連合による連立政権も、日本の前進のためなら厭わないといった新しい時代の連立政権のあり方も期待されると思うのです。

 連立のパートナーとしての公明党は、自民党との協議を進める一方、党内での活発な議論が当然ながら必要です。できれば、当選回数別の議論や、年代別、男女別の議論も面白いと思います。あるいは現役とOBとの新旧論戦もあっていいかもしれません(現役側に嫌がられるでしょうが)。自民党もこれまで公明党との連立のあり方を問う動きは全く見えてきませんでした。公明党も表にはそういう議論は聞こえてきません。両党共に、「自公連立は当たり前」という態度では、量的安定は望めても質的安定は難しいと思われます。

 さらにその党内議論をオープンにして欲しいものです。日本で、日刊の機関紙を持っているのは、公明党ともう一党だけです。民主主義を掲げる政党なら、日常的に党内で対立するテーマの論争を紙上で掲載すれば、世の注目を浴びるのは必至と思います。そんな百花繚乱(りょうらん)ぶりに議論が公開されたら、日本中で話題になること請け合いです。そういう展開があれば、「比例票増」に悩むことなどない、と私は思うのですが、これまた楽観的に過ぎましょうか。

 本サイト「政治プレミア」で、「時代の転機に国民的大論争を起こそう」と、呼びかけさせていただいたのは、今年2月でした。真夏の参院選に「勝利」した自公政権が「黄金の3年」に挑む今がその時。これを「真夏の夜の夢」には終わらせたくないのです。(2022-8-10  この項終わり)

※これは、毎日新聞Webサイト『政治プレミア』欄8-1付けに掲載されたものを4回に分けて、転載しました。

 

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