ウクライナ戦争の発端から100日。能天気そのものであった日本人の国防意識もようやく目覚めつつあるのだろうか。ロシアの東南に位置する隣国・日本として、かつての大戦終了間際に、ものの見事な〝火事場泥棒的侵略〟で北方領土を掠め取られた悪夢が蘇った。かの4島をいつの日か、交渉の末に取り返せると信じ続けてきた身の甘さを感じた人は少なくない。同時に、自国の都合でいつ何時襲いかかってくるかもしれないことも。一方、中国の台湾への武力侵攻も一気にリアル感が強まってきた。普通の日本人には「まさか」の意識が働く。あの台湾に戦端を開くか、と。それに比べると、尖閣諸島攻略はいとも簡単だ。しかも連日〝空き巣狙い〟のごとく見回りを繰り返す。ここで留意すべきは、露中両国が従来と変わった国になったわけではないことである。海を求めて隙あらば南下を繰り返してきたロシア。中華意識が強く、国境意識が弱い中国。専制主義国家が持つ本質的な国家悪。かつての日本も似たようなものだった。いやもっと酷かったかも。それを戦後180°変えたからといって、隣国も同じに見てしまう身勝手さ。〝我は変われど、人は変わらず〟を噛み締める時だ◆先日、陸海空の3自衛隊元幹部が一同に会してのテレビ番組(フジテレビ系「プライムニュース」)の結論場面で、今後に何を求めるかを司会者から問われて「真に戦える自衛隊」(海自)、「真に戦えるバランスある防衛力」(陸自)、「実効性の追求」(空自)と答えていたのが印象に残る。要するに現状では、「真に戦えない、バランスを欠いた、実効性なき軍隊」であるということを公然と認めたといえよう。以前から指摘され続けてきたように、自衛隊は訓練のための弾薬すら在庫を気にして節約をすることを余儀なくされてきた。さらにまた、防衛産業の暗澹たる前途なども明らかにされていた。日中の圧倒的な兵力の差は如何ともし難い。加えて、近い将来にまともな自衛隊員の確保すら疑問視されるような現実があるようにも思われる。こう見ると、戦後日本は平和を希求する意識は高まったが、周りも同じに見る愚を冒してきたという他ない◆これまで日本の防衛については、米ソ対決の狭間で、長い間非現実的な「一国平和主義」的考え方が邪魔をしてきた。公明党が政権の一翼を担うようになって、ようやく行動する「国際平和主義」の観点から、健全な形での防衛力論議が進むようになってきた。「平和安全法制」という名の、限定付きの集団的自衛権の行使も出来るようになった。だが、これらが現実の場面で、どう抑止力を現実に発揮するかどうかは未知数な点も多い。この辺りを普段から磨き上げていくことが大事だと思われるのだが、国会論議に一向にその気配はない◆法律が出来たあと一気に関心が薄れるのは今に始まったことではない。「安保法制」をより完全なものにするべくあらゆる思考を展開して不備を補う責務が与党にあり、それをチェックする役割が野党にあり、関心を持つのが国民有権者のはず。しかし、いずれも火は消え、6年ほどが経った。そこに起きた新たな事態である。公明党の山口代表が先般、日米同盟の役割分担をめぐっての議論を深めることの重要性や、周辺国家の武力行使に至らない環境醸成に向けての努力の大切さを強調した。また、防衛費の増額についての岸田首相の決意を重く受け止める旨の発言をして、金額の積み重ねを理解する発言も行った。従来のブレーキ役の色のみ濃かった側面からすると画期的なことである。野党時代の公明党ではない。紛争を〝事前に抑え込む〟不断の外交交渉といかなる事態にも耐えられるような国防力の強化。「平和の党」は、危うい隣国を〝事後も抑え込む〟力を持ってこそ存在意義がある。自公間で早急に徹底した議論を重ねた上で、適切な結論が出されることを期待したい。(2022-6-10)
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