Author Archives: ad-akamatsu

《38》政治的価値観と外交的価値観の違いー宮家邦彦氏の問題提起について(下)/4-10

 私の「アメリカに身を寄せて、中国と張り合う選択が日本の自滅に繋がるように思える」との記述について、前回宮家邦彦氏の否定的見解を紹介した。宮家氏は、その論考のうち、私の著書にまつわる記述の前段で、「中道」をS極とN極という磁場における小さな鉄球に見立てた。その上で、確たる磁力を持たないと、その鉄球はどちらかに引っ張られるから、第三の磁力を持たぬ限り、「中道」の貫徹はおぼつかないとしていた。さらに、「中道」を「中立」に置き換えると、国際政治の流れにも通じるとの興味深い指摘をしていた。つまり、軍事力という磁力を持たない勢力は、所詮自力では立ち行かないということを述べていたのだ。従って、結論部分で、私の「アメリカから離れる選択」に疑問を呈したに違いない◆「中道」政治の困難さは、もとより承知である。国内政治にあっては、磁力に当たるのは、国際政治の軍事力に匹敵するものとしての議席数であろう。かつての自社体制のもとに、遅れて登場した公明党は、第三の勢力構築を試み、自民党に対して、「外からの改革」を「内からの変革」に切り替えて、中道政治を展開してきた。一定の議席力を背景に、時に大きい勢力に身を寄せたり、また、野党から与党へと立場を変えながら。こうした動きの根底には、大衆救済への熱情があった。一方、国際政治においては、国家間力学の基本は軍事力であることは認めるものの、「人間の安全保障」への視点を常に忘れぬ外交力の駆使を求めることが、中道政治の真骨頂だとしてきた◆「ウクライナ戦争」以前の国際政治にあって、中国をいたずらに敵視して、アメリカを中心とする対中包囲網を築く勢力に身を置き続けることは、世界の破滅をもたらす行為だと位置付けた。中道主義の政治は、外交においては中立を志向する、との観点からの選択である。例えていえば、ロシアをして、ウクライナ戦争にかき立てたのは、NATOの東方拡大戦略だったことは、あのゴルバチョフ元大統領でさえ認めている。西側には軍事拡張一辺倒でなく、穏健かつ良識的な近隣外交の継続が求められたのである。つまり、ロシアを中国に置き換え、NATOをQuadに置き換えれば、似て非なるものとはいえ、同じような風景が東アジアにも起こらないという保障はない。それゆえの私の冒頭の見立てでもあった◆しかし、舞台は変わった。「ウクライナ戦争」を経験した世界は、専制主義国家と民主主義国家に明確に二分されようとしている。これまでは、ロシア、中国の民主化に一縷の希望を持っていたが、プーチンのロシアと習近平の中国の緊密化で、限りなくその期待は水泡に帰そうとしているのだ。民主主義に基盤を置く可能性があった時に、わざわざその相手を包囲し敵視する政策は取らないのが中道主義の政治である。しかし、専制主義対民主主義の対立構図では、「中立」はありえない。民主主義陣営に与するのは当然なのである。という意味では、「中道」を「中立」に置き換えて考える宮家氏の論法は、適切でないといえよう。政治姿勢の全体に関わる概念と、外交における手法とでは、自ずと次元を異にするからである。(2022-4-10 この項終わり)

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《37》アメリカか中国かの選択ー宮家邦彦氏の問題提起について(上)/4-5

 さる4-2の毎日新聞の有料サイト版「政治プレミア」での〈宮家邦彦の公開情報深読み〉で、外交評論家の同氏(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)が、私の『77年の興亡ー価値観の対立を追って』を取り上げていた。ウクライナへのロシアの侵略についての英国『エコノミスト』誌の「分析ユニット」と抱き合わせて論じてくれていたのだ。先に私が読書録ブログ「忙中本あり」において彼の『米中戦争』を論評したことへのお返しだと思われる。これまで20年余にわたって、読書録を書いてきたが、友人との間で、お互いの著書をそれぞれ論評するのは初の経験である。ここでは、宮家氏が投げかけていた問題提起について、考えてみたい◆宮家氏は結論部分で、「ウクライナ」後の世界を予測したうえで、「国際・国内政治での二極化が進む中、『中道』『中立』を貫徹することの難しさを暗示している」と述べている。その上で、私が著書において「従来通り、身をアメリカに寄せて、中国と張り合う道を選択することは、結局日本の自滅でしかないように、私には思えてならない」と書いたことについて、「果たしてそうなのか。正直、分からないことが多い」と結んでいる。日頃の彼のテレビの討論番組での言い回し、論考での強気発言からすると、ソフト口調に戸惑うが、恐らくは「老師」への遠慮ゆえかと思われる◆注意を要するのは、引用箇所は「ウクライナ情勢」勃発前の私の見立てであることだ。当時の私の国際情勢認識は、躍進する新興国家中国を、G7と称される資本主義国家群が包囲し、追い込むような事態が続くことは好ましくないとの判断が基底にあった。その訳は、日本が77年前に戦争に敗れ、7年間の占領を経て独立(沖縄は更に20年後)したとはいえ、不完全で歪な内実を持っていることへの抵抗感があるからだ。つまり、擬似被占領国家であるよりも、小さくとも独自の動きが出来る存在でありたいとの「願望」である。そこには、明治維新直後の日本が持っていた国家像への憧れめいたものがある◆ここでいう「小さくとも独自の動き」が、従来的な「対米従属」ではないことは言うまでもない。この選択が今直ちに出来るとは、私としても勿論思わない。せめて日本の敗戦から100年後(2045)辺りには、そうあって欲しいと思い続けてきた。いわゆる「1955年体制」は、国際政治の米ソ対決の構図が国内政治において、自社対決という〝代理戦争〟を意味した。上部構造的枠組みが崩壊した今となっても、一方の側に与し続けるのはおかしいとの判断である。いつまでも米国に付き従うだけでは、「独立日本」の名が廃るとの思いだ。つまり、政治思想における「中道」の外交選択は、基本的には「中立」志向におちつかざるをえないということになる。しかし、それには条件がある。(2022-4-6 一部修正 つづく)

 

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《36》『77年の興亡』の反響から「中道主義」を再考する/3-29

●新聞、雑誌の5メデイアで取り上げられる

 私が昨年末に『77年の興亡ー価値観の対立を追って』(出雲出版)を上梓してから3ヶ月あまり。1-14に「産経」のサイト「ニュースマガジン」で取り上げられていらい、2-3の「読売」、2-23の「日経」(ポリテイカルナンバー)、3-13「道新」の大型コラム「時代は変わる」へと続きました。その間、週刊エコノミスト3月1日号(2-21発売)のコラム『東奔政走』では見開き2頁にわたって大きく論じられもしました。

 同著は、明治維新を起点に、先の大戦における敗戦を挟み、今日までの77年という二つのサイクルを、価値観の対立を基軸に振り返ったものです。特に後半のサイクルにおける中道主義・公明党の政治選択を具体的に追うことに主眼をおいています。『東奔政走』で平田崇浩氏(毎日新聞世論調査室長兼論説委員)は、私の「自民党の公明党化を狙っていながら、気がついたら公明党の自民党化が進んでいたと言われてはいないか」「改革よりも安定を叫ぶ選挙は明らかに目的を取り違えている」との発言を引用しつつ、「13年に政界を退いた後も発信を続け、第2サイクルの終わる節目に、中道主義の原点に戻れと公明党を叱咤する著作の出版に踏み切った」と紹介してくれました。過不足ない最小必要限の発言の引用であり、私の出版の背景も見事に切り取った展開ぶりは、さすがに現役バリバリの論説記者らしく鮮やかなお手並みでした。

●中道主義価値観への疑問を提示したコラムへの「反論」

 その上で、彼は「赤松さんには申し訳ないが、公明党の中道主義が価値観対立のフェーズを変えるとは思えないし、政治の安定を叫ぶ公明党にその気概は感じられない」と、バッサリ切っています。この見方は残念ながら概ね「世の常識」でしょう。ただ、一方で保守主義、革新主義、リベラルの現状が日本の大衆救済の価値観たり得ていないということもまた、「世の流れ」だと思われます。つまり、現状はどっちもどっち、〝いずれも同じ秋の夕暮れ〟ということではないでしょうか。

 だから、今の政治に、政党に、政治家に期待はできないと、いわゆる無党派層に投げやり的共感を抱くのは時期尚早だと思われます。中道主義の政治選択は私が自著で紹介したように、この20年それなりの結果を出してきました。福祉政策における子育て・初等中等教育への経済的支援は目を見張るものがあり、高齢者対策の遅滞を補って余りあるといえます。また、外交・防衛分野では「匍匐前進」ではあるものの、残酷な国際政治のリアルに対応してきました。自民党の暴走を止める一定のブレーキ役をも果たしてきたといえると思います。この辺りについては、2-16毎日新聞サイト『政治プレミア』や、3-20の朝日新聞サイト『論座』で私が述べた通りです。特に『論座』では詳しく触れました。

 作家の佐藤優氏が、公明党は宗教政党としての側面をもっと顕在化させるべきだとのアドバイスを以前にどこかで書いていました。この角度からの指摘に、公明党は真正面から答えずに、保守自民党と一緒に政権与党を組み続けることは、いささか分かりづらいと私には思われます。自公政権20年でうまくやってきたのだから、余計な波風を立てずともいいとの判断があるのかどうか。そのことが結果として「政権の安定」をもたらしてはきていたとしても、国家運営のジリ貧状態を招いているのかもしれないことが懸念されます。

●「理想主義の色濃い現実主義」こそ中道の本質

 この国をどういう方向に持っていくのか、との自公両党間の議論を真正面から行うーこのことによって中道主義の効用が自ずと鮮明になるはずと言うのが私の見立てです。中道主義、特に日蓮仏法に淵源を持つ中道主義は誤解を恐れずに言うと、理念的には、リベラルで、政治行動の上では保守に傾きがちです。これは言い換えると、理念は理想主義的で行動は現実主義的ということかもしれません。敢えて言えば、従来の価値観とは次元が違って、旧来の価値観をケースバイケースで使い分け、それぞれを生かす異次元のものだともいえます。例えば、異なった個性を持つ子どもたちの特徴を伸ばし育てる親の知恵のようなものだといえましょうか。

 具体的な政治行動は、時々の課題にイエスかノーで迫られるわけですから、二つの中間と言うものはなく、どちらかの色合いを強く持ったものに帰着していくのです。私はそれを「理想主義の色濃い現実対応」だと表現したいと思います。足して2で割る中間主義ではなく、〝自然と共生する人間観〟に基づく人間主義が私たちのいう中道主義であり、その視点を持った政治の展開こそ今最も求まれれているものだと思います。

 今の世界を見渡したときに、これからの時代を開くに違いないと期待し得る価値観だと私は思います。であるがゆえに、後輩たちに自信を持ち、誇りを持って、中道主義に立ち帰れと叫びました。この点、平田氏のいう「気概が感じられない」かどうか。これからしっかりと見定めていく所存です。

 ロシア・プーチンの対ウクライナ侵略で、「目には目を」のごとく、戦争拡大に一方的に走るのではなく、また「無理が通れば道理が引っ込む」のように、座して傍観するのでもない対応こそ、中道主義の出番だと、私は確信します。自公両党が展望を持った真剣な議論をしたうえで、国際社会に積極果敢な平和に向けての提案をして、ロシアの悪虐非道を押さえ込む外交を展開すべきです。第三次世界大戦に突入する一触即発の環境は残念なことに醸成され続けています。早急な対応、行動が今ほど求められている時はないのです。(2022-3-29)

 

 

 

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《35》自公「相互推薦」をどう考えるかー誤解を防ぐために/3-20

 急転直下で元通りーさる3月10日に首相官邸で開かれた自公党首会談で、山口那津男代表は岸田文雄首相と、両党の結束を更に強化する方針で一致した。これを受けた翌日の幹事長、選挙対策委員長会談で、今夏の参議院選に向けた両党の協力を強化していくことで合意した。具体的には、公明党の5選挙区(埼玉、神奈川、愛知、兵庫、福岡)の予定候補に対して、自民党が推薦するべく、党として正式に決定したいと、茂木幹事長が強調。さらに、公明党が予定候補を擁立していない38選挙区では、両党の地方組織間で、協議をスタートし、合意できた選挙区から順次、自民党の予定候補に公明党が推薦を出すことで合意したというのである。これらを踏まえて13日の自民党大会に出席した山口那津男代表は、コロナ禍やウクライナ情勢といった未曾有の困難に対して自公両党が結束して対応することの必要性を強調。岸田首相も、公明党と共に、参院選に勝利し政治の安定を担うことの大事さを訴えることで、応じた◆この一連の報道に接触するまでは、自公間で不協和音が取り沙汰されてきた。自民党の側からの推薦の対応の遅れに対して、公明党側が業を煮やして、今回は相互推薦はないとの見方が急速に浮上してきていた。私は幾つかの新聞や雑誌での記者からの質問に応えて、党が違うのだから、相互推薦などない方がむしろ自然で、真っ向勝負で勝ちたいと、兵庫選挙区の勝利に向けての決意を語ってきていたものだ。しかし、ここにきて一転、これまで通りのスタイル、構図になるという。これに対して、「やっぱりそういうことか」「当初から疑わしく思っていた」「駆け引きの行き着いた末のことか」などといった憶測を挟むことは避けたい。自公両党にとって双方が選挙に勝つことが大事であり、野党をいたずらに利することはするべきではない。その上で、「相互推薦」の意味するところがなにかを改めて明らかにしてみたい。一般的にみて誤解があるように思われるからだ◆「相互推薦」というと、各選挙区ごとに自公両党が相互に推薦、応援し合うかに思われるが実はそうではない。兵庫県を例に挙げると、ここでの相互推薦とは、まず選挙区選挙で自民党が公明党の伊藤たかえ候補を推薦して、応援をしてくれることを意味する。公明党は自民党の末松信介候補を推薦はしても、応援することはない。公明党の自民党への応援は公明党が候補を出していない38選挙区での自民党候補支援に尽きる。過去2回の選挙で兵庫県自民党の陣営が不満を漏らし、公明党に脅威を感じたのは、この一点であった。つまり、よその県で公明党からいくら応援を貰っても、兵庫県では自民党票が公明党に流れるだけでは不公平だというものである。しかし、兵庫県公明党からすれば、自民党票を具体的に分け与えてくれなければ、単独ではとても野党候補には勝てないという目算であった◆そんなことから、これまでは〝暗闇の中の手探り〟のように、自公両党の保守中道層の票田を奪い合い、競ってきた。しかし、それでは、本当に応援してくれているのかどうか分からず、お互いの疑心暗鬼が募る一方だ。衆議院選挙の場合は、兵庫県下で公明党の小選挙区は2議席。その小選挙区内の自民党票を貰う代わりに、残り10の小選挙区で自民党候補を公明党が応援し、かつ比例区票も貰うという建前である。参議院の場合は兵庫一県が選挙区のために、バーターがうまくいかず、相互推薦は言葉としては存在しても、実質的な中身は「片務支援」で、兵庫県自民党の票の「一部分配」を意味する。このため、県下の団体をどう自公間で分配するか。自民党の末松後援会のどの部分を公明党に分け与えてくれるかーこういった協議が重要になってくる。それをしなければ、ただ単に、自公2人の候補をお互い推薦します、といっても絵に描いた餅の奪い合いに終わるだけなのである。こうした厳密な協議が果たして出来るかどうか。できなければ、相互推薦は名ばかりで〝ガチンコ勝負〟ならぬ、〝泥仕合勝負〟になってしまいかねない。(2022-3-19)

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《34》ロシアの「原発」攻撃と「日常的思考習慣」からの脱却/3-14

 ロシアがウクライナの原子力発電所を攻撃したーこの事実を前に今に生きる人間としてどう考え、どう対処すればいいか。その悪虐非道ぶりをなじり、喚き立てるだけの我が身無力さを恥入る。呆れてものも言えず、ここまでやるかと思考停止に陥るのも、能がなさ過ぎる。同世代の論客としてかねて注目してきた科学史家の山本義隆氏の警鐘をネットで読んだ。「戦争と原発ーロシアのウクライナ侵攻めぐって」という論考である。ここで同氏は、かつてイラクに攻め込んだ米英と、今回のウクライナに侵攻したロシアとの間に本質的な差異はないことを強調する。にも関わらず、前者に比べて注目のされかたが大きいのは、アジアのイスラム教徒の国と、欧州のキリスト教徒の国という被害国の違いにあることに、穿ち過ぎを恐れつつも、元学生運動家らしく触れていく。その上で、原発を攻撃したロシアの悪虐ぶりを非難しており、私は強く共鳴した◆ウクライナの北部チェルノブイリ原発の事故当時(1986年)は、ソ連邦内国家だった。忘れようにも忘れられない出来事だった。今回、南部にせよザポロジェ原発が砲撃を受けて火災、爆発を起こせば、どうなるかプーチンのロシアわからないとは到底想像し難い。にも関わらず、そこを攻撃する(万が一ピンポイントでなくても)命令をプーチンが下したことは、もはや普通の人間の感覚を失っているとみるほかない。だから、どうするのか。どうしたら、普通の人間でもはやなくなったリーダーの行為を防げるのか。その手だてが見当たらないことに世界中が、苛立っている。これに〝目には目を〟的対応をすれば、第一次大戦や第二次大戦の轍を踏む。それを非ロシア国家群が今は思いとどまっているというのが、現在の状況だと思われる。何もできないはずとプーチンは高を括っていると見るのは、悔しいが当たっていよう◆約5年前に大阪地裁に福井県の関西電力高浜原発3-4号機の運転差し止めを求めて、裁判を起こした人がいる。大阪・高槻市の水戸喜世子さん(86)だが、山本論考では、彼女の「心配していたことが現実になって寒気がする」との嘆きの声を、東京中日新聞3-5付けを引用しながら挙げている。原発の危険性は、侵略する側がことの発端に必ずその制圧を狙ってくることが必至だという点にある。水戸さんは当時からそのことを取り沙汰してきたが、改めてその正しさが証明され、北朝鮮の金総書記が真似をすることが恐ろしいという。14日の参議院予算委でも取り上げられており、かつてのような「具体的な危険があるとは思えない」と、ごまかすことはもはやできなくなった◆チェルノブイリと福島の事故の類似性を思う時に、ザポロジェの事態を見て、日本のどこかの原発が襲われる可能性を想起しない方がどうかしていると言えよう。慌てて警備体制を強化することを笑えない。今そこにある危機を防ぐ努力は当然だ。だが、今回の事態で、日本はもっと根源的な対応を迫られていると見た方がいいのではないか。コロナ禍で、人類は国際社会の相互協力の必要性を学び、経済至上主義から「脱成長」の方向性が仄みえていることを察知した。ウクライナ原発へのロシアの攻撃で、人類は原発の持つ根源的な危うさを再認識し、経済至上主義から「脱原発」の方向性を見るべきかもしれない。つまりは、「日常的思考習慣」からの脱却である。そんなバカなことはできない。とんでもない飛躍だと言われるだろうか。もし、「脱成長」「脱原発」が可能になったら、プーチンの悪虐非道も効用なしとしないのだが。(2022-3-15  一部修正)

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2022年3月14日 · 5:14 PM

《33》誰がロシアのウクライナ侵略を止められるのか/3-7

 ロシアのプーチン大統領のウクライナ侵略に至る動き、その後の原発施設への攻撃、核兵器による威嚇など一連の常軌を逸した振る舞いは、彼ひとりによるものではない。彼を含む5人の元KGBらを中心とするシロビキと称されるグループ。彼を支えるオリガルヒというロシアの財閥。こうした存在が大きい。ここが翻意し、動かない限り、大きく変わる期待は持てない。あれよあれよと言う間に事態は深刻の度を増している。プーチンをヒトラーの再来と見ることも今や当然視されている。第二次世界大戦の発端となったポーランド・グダニスク(当時はダンツィッヒ自由都市)への侵攻の戦術との酷似性が取り沙汰されているが、その拡大を許し世界を第三次大戦への恐怖の道に陥らせてはならないと強く思う。だが、予断は許さない◆この場面で誰が仲介役を果たせるか。当初、私は2人いると思った。1人は、ゴルバチョフ元ソ連大統領である。朝日新聞の5日付け報道によると、気になる彼の発言が自叙伝からの引用という形で示されていた。それによると、「西側はソ連崩壊後のロシアの弱体化を利用した」と、東西間の不平等な関係に至った経緯を指摘したうえで、当初の軍事同盟から政治同盟への転換という構想に立ち返れと主張している。さらに、「現状から抜け出るためにはまず、お互いを尊重し、対話を重ねるということだ。それがなければ、何も変えることはできない」という。冷戦後30年が経ってどうしてこのようなことが起こったかを冷静に振り返るべきだというのだ。この指摘は正しい。ただ、今の時点で仲介のヒントにはなっても、事態を打開する決定打足りえない◆もう1人は、習近平・中国国家主席である。この国はウクライナとの関係も密接だし、同時に歴史的に紆余曲折はあれロシアとも関係は深い。仲介出来るうってつけの立場だと思われる。国連における対露制裁については「棄権」という曖昧な態度をとった。一般的に指摘されているように、この秋に向けて国内掌握に最大限の意を注がねばならない時だけに、それだけのゆとりはないということだろう。中国は今世界の動向をつぶさに見ていて、これからの流れしだいで劇的に変わる可能性はゼロではないかもしれない。だが、緊急の仲介役は期待できそうにない◆目を覆うような悲惨なキエフ周辺を始めとするウクライナ各地の破壊や抵抗する人々の犠牲。なんとかならないものかと誰しもが思う。昨夜放映されたNHKスペシャルの『攻撃は止められるのか〜最新報告ロシア軍事侵攻』でも、専門家3人による事態打開への打つ手は聞けなかった。ロシア国内の戦争反対の声の高まりしかないというのが結論と思われた。日本人は私も含め、ウクライナの存在を遠く離れたところだと思いがちだ。確かに遠いが、ロシアという国の東南の隣接国が日本で、西南の隣国がウクライナだという事実を思うと、対岸の火事視はとても出来ない。ロシアの西北の隣国フィンランドは、長きにわたりロシアとの軋轢に苦労してきた。中立国としての賢明な振る舞いで知られるが、ここにきてNATO入りを果たすべきだとの国民世論が急激に台頭してきているという。バルト三国にもロシア侵攻の懸念があるとの空気の中で、極めてリアルな反応なのだろう。日本も今回の事態で、北方四島返還への淡い期待も吹っ飛んだ感が強い。全てを戦時ムードで捉えるしかないと、緊張感を持って目を凝らし、声をからし、祈り続けたい。(2022-3-7)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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《32》ロシアの蛮行に、悪夢ではない現実だとの驚愕/3-1

 プーチンのロシアがウクライナの首都キエフを侵攻したーこの悪夢が現実になることを大方の専門家は予測していなかった。NHKでソ連時代からロシアの今に至るまで、同国に通暁していたはずの石川一洋解説委員のニュース解説(日曜朝)での微妙に焦った口調がその辺りを裏書きしていた。神戸に住むウクライナ友好協会の会長・岡部芳彦神戸学院大教授も、自身の予測不明を恥じつつ皆横並びであることにいささか安堵していた感(金曜夜)は否定できなかった。なぜ、皆見誤ったか。よもやそこまで、と鷹を括っていたというほかなく、かの人物を我々と同じ合理的思考に立つと見ていたところに元凶があると思われる◆フジテレビ系の人気番組『ザ・プライム』では、安倍元首相の同大統領との過去の親しげな会談映像が何度も繰り返し流された。この2人何しろ27回も会っている。そのことが元首相が何を口にしても無意味に響いた。ロシアはゴルバチョフ元大統領のペレストロイカと呼ばれる大英断で、古く錆びついた共産主義の楔を断ち切り、変身した。と、思っていた。私たちはかの国の大いなる変化を勝手に都合のいいように解釈してきたのである。G7の仲間入りをして、あたかも〝遅れてきた民主主義国家〟になったかのように。錯覚だった。2014年のクリミア併合に今回の兆しが読み取れたのに◆プーチンの思惑とは?かつて自国の勢力圏にあった東欧地域が次々とNATO傘下に走り、取り込まれていき、下腹部にもあたるウクライナさえ自由にならない。ここが西側の橋頭堡になったら‥‥。国際情勢における彼我の関係を勘案し、失うものはあっても、やるなら今だ、と思ったのだろうか。専門家たちがあれこれと解説を披露してくれている。経済制裁が通じるのかどうか。国家も人民も辛抱強い国柄だから、との声も聞こえる。侵攻してきた若いロシア兵士にその非を突きつける、彼の母親のような女性の姿。続々と国外に脱出する子どもを連れた老若男女の映像。胸塞ぐいたたまれない思いになる。「戦争の世紀」といわれた20世紀が幕を閉じて、「9-11」のようなテロによる戦闘行為は「中東」を起因にあり得ても、国家間の戦争はもうない、と楽観的に思い込んでいた。それが見事に壊された。巨大な国家が弱小国家に襲いかかる、「力による現状変更」が目の前に展開されてただただ呆然とする思いだ◆戦争で失ったものは交渉のテーブルでは取り返せないー〝聞き慣れた格言〟だ。だから戦争をするのか。力には力でいくしかないのか。21世紀の今、それはないだろう。ではウクライナは見殺しか。世界中が非難の声をあげ、ロシア人民と相呼応し、内側からプーチンを倒すしかないのか。結局、人の世はいつまで経っても変わらない、という絶望感が鎌首をもたげてくる。この第三次世界大戦の暗雲漂う時に、日本に何が出来るのか。「地球民族主義」を掲げて、「中道主義」の宣揚に一意専心してきた公明党はどう行動を起こすのか。問われる課題は山積している。敗戦の年に生まれ77年。コロナ禍で、今再びの「敗戦」かと、「77年の興亡」を論じてきた私だが、「机上の空論」に陥らぬよう、今こそ立ちあがろう、と意を決している。(2022-3-9一部修正)

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《31》時代の転機に国民的大論争を起こそう(下)ー毎日新聞政治プレミアから/2-23

●「新しい資本主義」の提唱というズレ

これから第三の77年のサイクルが始まるかどうかは別にして、世界も日本もいま岐路に立たされていることは論を待たない。新たに登場した岸田文雄首相が「新しい資本主義」なる考え方を掲げていることは、ことの是非はともあれ、危機的風潮にある時代の空気に敏感になっていることだけは評価できる。「資本主義対社会主義」の価値観競争にひとたびは勝ったかに見えた前者も、その足下、行く末は覚束ない。自国ファーストが呼号されるうちに、専制主義的国家の台頭が顕著になってきた。歴史は繰り返す、か。今再びの「民主国家対専制国家」の様相さえ、地球上では色濃くなってきている。その存続が危ぶまれている「人新世」(ノーベル化学賞受賞のパウル・クルッツエン)の時代において、である。

 昨年ベストセラーになったと騒がれた『人新世の「資本論」』なる著作は、私には「新しい社会主義」の提唱と読めた。その著者は「新しい資本主義」ではなく、「社会主義の復活」を呼びかけている、と。時系列的には岸田氏に後出しの感は免れず、しかも今更資本主義の装いを変えても、との失望感は深く広い。もはや、資本主義でも社会主義でもなかろう、というのが世を覆う空気であると、私は思う。

 代わりうるものは、中道主義ではないのか、ということを念頭に具体的政治選択の場でどのような展開がなされてきたかを、私の著作では追ってみた。本来、これはいわゆる中間主義的なものではなく、仏教に淵源を持つ中道主義であり、再考は不可避であることを強調しておきたい。だが、それにしては、現実は迫力がないではないかとの声はあろう。公明党に覚醒を促す所以である。

●「憲法、財政、エネルギー」で国民的大論争を

   最後に次なる時代の到来を前に、日本政治がどうしても取り組まねばならぬ課題を明記してみたい。それは国家像の明確化に向けての真摯な議論である。当面する日常的な課題に翻弄され続けてきた平成の政治の連続はもういい。コロナ禍にあっても、同時に長期的課題に向けての国民的合意を得る努力が求められる。重要テーマを先送りするだけで、議論する場さえ持たれない現状は嘆かわしい。これを脱却するために、本来的には、国会が日常的には仕事とは別に、遠く未来を見据えた議論を展開する場を設けるべきだろう。

 主たるテーマは三つ。憲法、財政、エネルギー。いずれもこの国のかたち、ありようと深く関わる。社会保障をいれよ、との声もあろう。しかし、それには財政が深く関わる。まずは論点を絞ることが大事だ。憲法9条の精神をどう現実に活かすか。実態が大事で、明文を変える必要はないのかどうか。医療、介護、年金の膨大な社会保障費拡大を前に、消費税を上げずにこの国の財政は持つのか。ベーシックインカムやベーシックサービスの導入を棚晒しのままでいいのか。地球温暖化、気候変動をどう見るか。原発に頼らないで再生可能エネルギーだけで持つのか。迫り来るEV(電気自動車)の時代に、どこに根源的供給を求めるのか。いずれも百家争鳴の議論が必至である。議論がまとまらぬことを口実に、先送りすることはもはや許されない。

 私は膠着状態が続く憲法改正議論の打開に向けて具体的提案をしてきた。いずれも国会では一顧だにされた形跡はない。この提案のミソは、国会議員にだけ任せていてはらちがあかないということである。国民大衆の間で、つまり井戸端ならぬ、お茶の間で、居酒屋で、床屋の談義で、この3テーマを始め政治課題はすでに話題になっており、「ったく今の政治、政治家は。どうしようもないよ」との嘆きの声で終わるのが常なのである。こうした風潮を放置せず、議論の収束へと絞っていく努力をすべきではないか。

 繰り返す。国会だけに任せられない。目的を明確にしたうえで、メディアなど言論機関が、文化・学術知識人と横の連携を保って、関連機構を立ち上げるべきではないのか。選挙を意識するばかりの国会での議論の先延ばし、政府の重い腰が上がるのを待たずに、国民の間で大論争を起こすことが、今何よりも求められていると、確信する。(2022-2-23)

※この論考は毎日新聞有料サイト『政治プレミア』2-16付けに私が寄稿し掲載された文章を一部加筆修正し、転載したものです。連載はこれで終わります。

 

 

 

 

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《30》時代の転機に国民的大論争を起こそう(中)ー毎日新聞「政治プレミア」から/2-21

●批判精神の劣化を嘆く声の蔓延

 冒頭に挙げた私の本でもこの辺りのことについて、あれこれ論及しているが、その本意は、出自も成り立ちも違う政党が選挙を通じて相互支援すると、独自性が薄れかねないとの懸念である。公明党は立党の原点に、「大衆と共に」を掲げ、脱イデオロギーによる清潔な政治を目指す一方、「平和、福祉」に力を入れてきた。それがこの20有余年の与党政治の流れの中で、弱まってきた印象は拭えない。社会全体が歪な形で豊かになるといった変化の中で、経済格差が拡大してきている。貧しい層が一段と拡大しているにも関わらず、その層は置き去りにされていないか。かつての大衆救済の党はどこに行ったのか、もっと目線を下にとの指弾は広まる一方だ。野党時代と違って批判精神の風化が著しい、と昔を懐かしむ声は団塊世代を中心に、深く広く沈潜してきていることは否めない。

 今回のガチンコ選挙の実施を奇貨として、公明党らしさを取り戻す一大チャンスだとの見方もある。勿論、選挙戦は極めて厳しい。過去2回次点に甘んじた「立憲」の〝三度目の正直〟を狙う構えは脅威である。もし仮に、同党と共産党との間で相互支援の動きが形はどうあれ起これば、公明党の議席は吹っ飛びかねない。〝らしさ〟を強調しているゆとりなどたちどころに消えてしまう。

●「維新」の台頭と今後の動向を占う

 加えて「維新」の動向は事態を一変させかねない。私は著書で、理念は紛れもない保守だが、政治手法は中道風と、この党を見立てた。玉石混交が取り沙汰され、危うさが揶揄される同党の人材難は覆い隠せない。だが、現時点では、議員の文書通信交通滞在費の使途明確化を始め、かつて野党の中核で輝いていた公明党のお株を奪いかねない勢いが目を見張らせる。衆議院予算委での質問バッターが、脇でパネルを持つ新人議員を紹介するといった〝些細な嗜み〟を持ち込んだのは同党である。その後、他の政党が右にならえをした風景は何か暗示的ですらある。

 「維新」は当面は粋のいい野党の位置を確立したうえで、やがて自民党に迫る保守2大政党の座か、あるいは自民党との連立政権化を狙ってくるものと思われる。戦前の日本の「西洋対日本」の価値観対立にあっては、複数の保守政党の存在が常態であった。西洋に淵源を持つ社会主義イデオロギー政党の本格的登場は、戦後からなのである。「維新」に期待する世論は、保守二党による政権交代の復活を望む声と裏腹の関係にあると見られよう。

●忘れられた連立政権の中の公明党の存在

 かつて新進党が結成された当時にも、自民党に代わるもう一つの勢力を待望する意味で今と似た空気があった。ただ、あの集まりは、価値観において同床異夢が否めず、自ずと自壊への道を辿らざるを得なかった。以後連立政権の形態をとって、30年近い歳月が流れた。これは自民党政治を延命させただけの「失われた時代」のなせるわざだったのかどうか。第二の77年のサイクルが終了する本年、多くの人々に関心を持って欲しい一大テーマであると思う。

 実は、平成の時代が終わるにあたって、総括された『平成政権史』(日本経済新聞社)という好著がある。しかし、一点私には致命的と思えるミスがある。政党の分布状態を振り返って見ると、平成の30年が経ってぐるっと一回りし元に戻ったとの認識が示されているくだりだ。かつての社会党が「立憲」に、民社党が「国民」に看板はかわったものの、自民党と野党の対立構造はさながら既視感に満ちてると言いたいと思われる。

 この記述ほど、私は政党人として屈辱を感じることはない。30年ほど前には野党で、この20年は与党であり続けた公明党が、無意識にせよ外されているのだ。維新も言及されていないから、いいではないかとはならない。公明党の入った連立政権の分析を全くせずに、平成の政権史を顧みたということができるのか。それくらい公明党の存在は薄かったということを読者に印象付けてあまりあるのだ。(2022-2-21)

※これは毎日新聞有料サイト『政治プレミア』2-16付を一部加筆修正して転載しました。

 

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《29》時代の転機に国民的大論争を起こそう(上)ー毎日新聞「政治プレミア」から/2-19

 毎日新聞有料サイト版『政治プレミア』欄2-16日号に、『時代の転機に国民的大議論を起こそう』という私の寄稿文が掲載されました。これは、拙著『77年の興亡ー価値観の対立を追って』(出雲出版)の狙いを改めて明らかにしたものです。以下、3回にわたって、一部修正の上、転載します。

 ●二つの「77年の興亡」と価値観の対立をめぐって

 団塊の世代が後期高齢者の仲間入りを始めた本年2022年は、先の大戦で日本が敗戦した1945年から77年目にあたる。その年はまた、明治維新から77年に一致していた。一国滅亡の憂き目にあった日本は、今再びの77年目に世界中を襲う未曾有の新型コロナ禍に喘いでいる。私は、この二つの77年のサイクルにみる「日本の興亡」を、価値観に焦点を合わせて振り返ってみた。昨年末に上梓した『77年の興亡ー価値観の対立を追って』がそれである。

 第一のサイクルでは、天皇支配のもと「西洋対日本」の価値観の対立が中心となって推移した。軍事力の台頭と共に、対清、対露戦争に勝利した日本は、やがて、中国などアジア・太平洋を舞台にした対欧米戦争で完膚なきまでに敗北を喫して、占領されるに至った。分岐点となった1945年から始まる第二のサイクルでは、米国支配のもと、日本は「資本主義対社会主義」(保守対革新)の価値観の対立の中で翻弄されてきたのである。

 1991年のソ連崩壊で、社会主義は退潮傾向を露わにし、日本での米ソ対決の代理戦争的様相を色濃く反映した「自社対決の55年体制」はやがて崩壊し、自民党の一党支配も終わりを告げる。21世紀の幕開けを待たずに、幾つかの組み合わせで連立政治が常態化していく。その間に自民党にとって代わる新進党を始めとする外からの勢力の挑戦が脚光を浴びたものの、やがて終息を余儀なくされる。一方、「保守対革新」の価値観対立の中に割って入った中道主義の公明党の台頭が注目された。同党は、外からの自民党政治の変革が敵わぬと見るや、一転して内からの改革に転じ、自民党の要請を受けて、与党入りを果たす。いらい20年余。途中3年の民主党政権時代を挟み、本格的な自公連立政権が定着していく。

●中道主義公明党はどう見られているか

 価値観の対立の視点で、第二のサイクルの77年を追うと、「革新」価値観が後衛に退く代わりに、リベラリズムが登場し、保守主義、中道主義と三つ巴の鼎立状況を呈してきている、というのが私の見立てである。ただし、政権与党に自民党(保守)と公明党(中道)が共存している現実をどう見るかは、そう容易なことではない。つまり、この両党の関係を、政治行動のみで見ると、ほぼ一体化したかに見える。山口公明党は自民党の一派閥と見られかねない側面は否定できない。政治理念で追うと、リベラルに近く、自民党とは一線を画す存在であることが明確なだけに、現状は一般的には理解され難い存在に映る。

 近年、「公明党の自民党化」が進み、自公選挙協力の浸透と相まって、「中道」の埋没が日常的になってきている。ちょうどその時に、その流れを覆す動きが起きてきた。今夏の参議院選をめぐって、公明党が候補を立てる5選挙区(埼玉、神奈川、愛知、兵庫、福岡)での自公相互推薦を見合わせ、それぞれの党が対決する構図となる可能性が浮上してきたのである。これは同時に、公明党が候補を立てない、残る全ての選挙区では従来のように自民党を推薦せず、人物本位でいくとする方向が露わになってきたことでもある。

 私の住む兵庫県では、20年余り定数が2で、公明党は候補を立てられずにきた。6年前に定数が1増になり、近過去2回の選挙では、自前の候補を立てて戦うことが昔のように可能になった。結果的にはいずれも、自民、公明、維新の3党が議席を分け合ってきたのだが、一皮めくると壮絶な戦いであった。つまり自公両党は相互推薦ということで、全国で公明党が自民党候補を応援する代わりに、兵庫では自民党県連が公明党候補を応援してくれてきた。これは、応援を貰う方は誠に有り難いものの、兵庫自民党としては〝泣きの涙〟であったことは容易にうかがえる。3年前には自民党候補が危うく滑り込んだとの印象が濃い。とても公明党を応援するゆとりなどないという声は私としては、痛いほど分かる。(2022-2-19 続く)

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2022年2月19日 · 8:02 AM