このところ、10増10減の小選挙区割りに伴う候補者選びで、自公間で揉めているとのニュースが散見される。またか、の思いは禁じ得ないが、気になるのは、両党間に亀裂が生じているとの解説である。自公間のパイプが細くなっていることが原因の一つというのだが、果たしてどうだろうか。ことの是非はともかく、両党の関係を見る際に、メディアが直ぐ持ち出す「パイプ」なるものの正体を考えてみたい◆ここで持ち出されているのは、以前は誰がいて相手の誰々と親しかったがゆえに関係が強かったという人間関係論である。政策については日常的課題として議論の対象になっているが、もっと大事なのは国のあり方をめぐる議論の深化ではないか。自公両党が連立を組むようになって20年を越えている。この間に、日本をどういう方向に持っていくのかについては、あまり議論されたとは聞かない◆自公両党間で「パイプ」なるものが機能しているとしたら、それは「選挙」に関するものだけかもしれない。それだからこそ、利害得失でグラッとくると、すぐ大騒ぎになる。かつて、自民党の兵庫選出の大物参議院議員の応援演説をした時のことを思い出す。私は、彼とは出身高校、大学、気質、人間性などいかに違っていても、自由と民主主義を守る、共産党や民主党(当時)とは相容れないという一点で共通すると、大見えを切った。ところが、その直後に2人きりになった時に、彼はニヤリとしつつ「あんたはあんな演説したが、あんたとわたしじゃあ憲法観が違うよ」と言われた。もう随分前のことだが、忘れられない◆彼は私の弁説のあと、自身の演説の最後に「創価学会の人、公明党の人おるか」と、声を張り上げて呼びかけ、「あんたらに応援して貰わんでええで、わしひとりで通ったるから」と言ったものだ。彼は憲法観と言ったが、それだけではなかったと思う。彼の議員会館の執務室には、よくわからなかったが、拝むべき対象のようなものが祀ってあり、蝋燭の火も灯っていたからである。自民党にも十人十色で様々な人がいる。当たり前のことだ。私はそれ以来、連立を両党が組み続けるなら、憲法9条をめぐる「戦争と平和」観、宗教観という人間の根幹にまつわるテーマについては、難しいことだろうが機会を見つけて、語り合う大事さを痛感している。(2023-5-29)