《33》誰がロシアのウクライナ侵略を止められるのか/3-7

 ロシアのプーチン大統領のウクライナ侵略に至る動き、その後の原発施設への攻撃、核兵器による威嚇など一連の常軌を逸した振る舞いは、彼ひとりによるものではない。彼を含む5人の元KGBらを中心とするシロビキと称されるグループ。彼を支えるオリガルヒというロシアの財閥。こうした存在が大きい。ここが翻意し、動かない限り、大きく変わる期待は持てない。あれよあれよと言う間に事態は深刻の度を増している。プーチンをヒトラーの再来と見ることも今や当然視されている。第二次世界大戦の発端となったポーランド・グダニスク(当時はダンツィッヒ自由都市)への侵攻の戦術との酷似性が取り沙汰されているが、その拡大を許し世界を第三次大戦への恐怖の道に陥らせてはならないと強く思う。だが、予断は許さない◆この場面で誰が仲介役を果たせるか。当初、私は2人いると思った。1人は、ゴルバチョフ元ソ連大統領である。朝日新聞の5日付け報道によると、気になる彼の発言が自叙伝からの引用という形で示されていた。それによると、「西側はソ連崩壊後のロシアの弱体化を利用した」と、東西間の不平等な関係に至った経緯を指摘したうえで、当初の軍事同盟から政治同盟への転換という構想に立ち返れと主張している。さらに、「現状から抜け出るためにはまず、お互いを尊重し、対話を重ねるということだ。それがなければ、何も変えることはできない」という。冷戦後30年が経ってどうしてこのようなことが起こったかを冷静に振り返るべきだというのだ。この指摘は正しい。ただ、今の時点で仲介のヒントにはなっても、事態を打開する決定打足りえない◆もう1人は、習近平・中国国家主席である。この国はウクライナとの関係も密接だし、同時に歴史的に紆余曲折はあれロシアとも関係は深い。仲介出来るうってつけの立場だと思われる。国連における対露制裁については「棄権」という曖昧な態度をとった。一般的に指摘されているように、この秋に向けて国内掌握に最大限の意を注がねばならない時だけに、それだけのゆとりはないということだろう。中国は今世界の動向をつぶさに見ていて、これからの流れしだいで劇的に変わる可能性はゼロではないかもしれない。だが、緊急の仲介役は期待できそうにない◆目を覆うような悲惨なキエフ周辺を始めとするウクライナ各地の破壊や抵抗する人々の犠牲。なんとかならないものかと誰しもが思う。昨夜放映されたNHKスペシャルの『攻撃は止められるのか〜最新報告ロシア軍事侵攻』でも、専門家3人による事態打開への打つ手は聞けなかった。ロシア国内の戦争反対の声の高まりしかないというのが結論と思われた。日本人は私も含め、ウクライナの存在を遠く離れたところだと思いがちだ。確かに遠いが、ロシアという国の東南の隣接国が日本で、西南の隣国がウクライナだという事実を思うと、対岸の火事視はとても出来ない。ロシアの西北の隣国フィンランドは、長きにわたりロシアとの軋轢に苦労してきた。中立国としての賢明な振る舞いで知られるが、ここにきてNATO入りを果たすべきだとの国民世論が急激に台頭してきているという。バルト三国にもロシア侵攻の懸念があるとの空気の中で、極めてリアルな反応なのだろう。日本も今回の事態で、北方四島返還への淡い期待も吹っ飛んだ感が強い。全てを戦時ムードで捉えるしかないと、緊張感を持って目を凝らし、声をからし、祈り続けたい。(2022-3-7)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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《32》ロシアの蛮行に、悪夢ではない現実だとの驚愕/3-1

 プーチンのロシアがウクライナの首都キエフを侵攻したーこの悪夢が現実になることを大方の専門家は予測していなかった。NHKでソ連時代からロシアの今に至るまで、同国に通暁していたはずの石川一洋解説委員のニュース解説(日曜朝)での微妙に焦った口調がその辺りを裏書きしていた。神戸に住むウクライナ友好協会の会長・岡部芳彦神戸学院大教授も、自身の予測不明を恥じつつ皆横並びであることにいささか安堵していた感(金曜夜)は否定できなかった。なぜ、皆見誤ったか。よもやそこまで、と鷹を括っていたというほかなく、かの人物を我々と同じ合理的思考に立つと見ていたところに元凶があると思われる◆フジテレビ系の人気番組『ザ・プライム』では、安倍元首相の同大統領との過去の親しげな会談映像が何度も繰り返し流された。この2人何しろ27回も会っている。そのことが元首相が何を口にしても無意味に響いた。ロシアはゴルバチョフ元大統領のペレストロイカと呼ばれる大英断で、古く錆びついた共産主義の楔を断ち切り、変身した。と、思っていた。私たちはかの国の大いなる変化を勝手に都合のいいように解釈してきたのである。G7の仲間入りをして、あたかも〝遅れてきた民主主義国家〟になったかのように。錯覚だった。2014年のクリミア併合に今回の兆しが読み取れたのに◆プーチンの思惑とは?かつて自国の勢力圏にあった東欧地域が次々とNATO傘下に走り、取り込まれていき、下腹部にもあたるウクライナさえ自由にならない。ここが西側の橋頭堡になったら‥‥。国際情勢における彼我の関係を勘案し、失うものはあっても、やるなら今だ、と思ったのだろうか。専門家たちがあれこれと解説を披露してくれている。経済制裁が通じるのかどうか。国家も人民も辛抱強い国柄だから、との声も聞こえる。侵攻してきた若いロシア兵士にその非を突きつける、彼の母親のような女性の姿。続々と国外に脱出する子どもを連れた老若男女の映像。胸塞ぐいたたまれない思いになる。「戦争の世紀」といわれた20世紀が幕を閉じて、「9-11」のようなテロによる戦闘行為は「中東」を起因にあり得ても、国家間の戦争はもうない、と楽観的に思い込んでいた。それが見事に壊された。巨大な国家が弱小国家に襲いかかる、「力による現状変更」が目の前に展開されてただただ呆然とする思いだ◆戦争で失ったものは交渉のテーブルでは取り返せないー〝聞き慣れた格言〟だ。だから戦争をするのか。力には力でいくしかないのか。21世紀の今、それはないだろう。ではウクライナは見殺しか。世界中が非難の声をあげ、ロシア人民と相呼応し、内側からプーチンを倒すしかないのか。結局、人の世はいつまで経っても変わらない、という絶望感が鎌首をもたげてくる。この第三次世界大戦の暗雲漂う時に、日本に何が出来るのか。「地球民族主義」を掲げて、「中道主義」の宣揚に一意専心してきた公明党はどう行動を起こすのか。問われる課題は山積している。敗戦の年に生まれ77年。コロナ禍で、今再びの「敗戦」かと、「77年の興亡」を論じてきた私だが、「机上の空論」に陥らぬよう、今こそ立ちあがろう、と意を決している。(2022-3-9一部修正)

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《31》時代の転機に国民的大論争を起こそう(下)ー毎日新聞政治プレミアから/2-23

●「新しい資本主義」の提唱というズレ

これから第三の77年のサイクルが始まるかどうかは別にして、世界も日本もいま岐路に立たされていることは論を待たない。新たに登場した岸田文雄首相が「新しい資本主義」なる考え方を掲げていることは、ことの是非はともあれ、危機的風潮にある時代の空気に敏感になっていることだけは評価できる。「資本主義対社会主義」の価値観競争にひとたびは勝ったかに見えた前者も、その足下、行く末は覚束ない。自国ファーストが呼号されるうちに、専制主義的国家の台頭が顕著になってきた。歴史は繰り返す、か。今再びの「民主国家対専制国家」の様相さえ、地球上では色濃くなってきている。その存続が危ぶまれている「人新世」(ノーベル化学賞受賞のパウル・クルッツエン)の時代において、である。

 昨年ベストセラーになったと騒がれた『人新世の「資本論」』なる著作は、私には「新しい社会主義」の提唱と読めた。その著者は「新しい資本主義」ではなく、「社会主義の復活」を呼びかけている、と。時系列的には岸田氏に後出しの感は免れず、しかも今更資本主義の装いを変えても、との失望感は深く広い。もはや、資本主義でも社会主義でもなかろう、というのが世を覆う空気であると、私は思う。

 代わりうるものは、中道主義ではないのか、ということを念頭に具体的政治選択の場でどのような展開がなされてきたかを、私の著作では追ってみた。本来、これはいわゆる中間主義的なものではなく、仏教に淵源を持つ中道主義であり、再考は不可避であることを強調しておきたい。だが、それにしては、現実は迫力がないではないかとの声はあろう。公明党に覚醒を促す所以である。

●「憲法、財政、エネルギー」で国民的大論争を

   最後に次なる時代の到来を前に、日本政治がどうしても取り組まねばならぬ課題を明記してみたい。それは国家像の明確化に向けての真摯な議論である。当面する日常的な課題に翻弄され続けてきた平成の政治の連続はもういい。コロナ禍にあっても、同時に長期的課題に向けての国民的合意を得る努力が求められる。重要テーマを先送りするだけで、議論する場さえ持たれない現状は嘆かわしい。これを脱却するために、本来的には、国会が日常的には仕事とは別に、遠く未来を見据えた議論を展開する場を設けるべきだろう。

 主たるテーマは三つ。憲法、財政、エネルギー。いずれもこの国のかたち、ありようと深く関わる。社会保障をいれよ、との声もあろう。しかし、それには財政が深く関わる。まずは論点を絞ることが大事だ。憲法9条の精神をどう現実に活かすか。実態が大事で、明文を変える必要はないのかどうか。医療、介護、年金の膨大な社会保障費拡大を前に、消費税を上げずにこの国の財政は持つのか。ベーシックインカムやベーシックサービスの導入を棚晒しのままでいいのか。地球温暖化、気候変動をどう見るか。原発に頼らないで再生可能エネルギーだけで持つのか。迫り来るEV(電気自動車)の時代に、どこに根源的供給を求めるのか。いずれも百家争鳴の議論が必至である。議論がまとまらぬことを口実に、先送りすることはもはや許されない。

 私は膠着状態が続く憲法改正議論の打開に向けて具体的提案をしてきた。いずれも国会では一顧だにされた形跡はない。この提案のミソは、国会議員にだけ任せていてはらちがあかないということである。国民大衆の間で、つまり井戸端ならぬ、お茶の間で、居酒屋で、床屋の談義で、この3テーマを始め政治課題はすでに話題になっており、「ったく今の政治、政治家は。どうしようもないよ」との嘆きの声で終わるのが常なのである。こうした風潮を放置せず、議論の収束へと絞っていく努力をすべきではないか。

 繰り返す。国会だけに任せられない。目的を明確にしたうえで、メディアなど言論機関が、文化・学術知識人と横の連携を保って、関連機構を立ち上げるべきではないのか。選挙を意識するばかりの国会での議論の先延ばし、政府の重い腰が上がるのを待たずに、国民の間で大論争を起こすことが、今何よりも求められていると、確信する。(2022-2-23)

※この論考は毎日新聞有料サイト『政治プレミア』2-16付けに私が寄稿し掲載された文章を一部加筆修正し、転載したものです。連載はこれで終わります。

 

 

 

 

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《30》時代の転機に国民的大論争を起こそう(中)ー毎日新聞「政治プレミア」から/2-21

●批判精神の劣化を嘆く声の蔓延

 冒頭に挙げた私の本でもこの辺りのことについて、あれこれ論及しているが、その本意は、出自も成り立ちも違う政党が選挙を通じて相互支援すると、独自性が薄れかねないとの懸念である。公明党は立党の原点に、「大衆と共に」を掲げ、脱イデオロギーによる清潔な政治を目指す一方、「平和、福祉」に力を入れてきた。それがこの20有余年の与党政治の流れの中で、弱まってきた印象は拭えない。社会全体が歪な形で豊かになるといった変化の中で、経済格差が拡大してきている。貧しい層が一段と拡大しているにも関わらず、その層は置き去りにされていないか。かつての大衆救済の党はどこに行ったのか、もっと目線を下にとの指弾は広まる一方だ。野党時代と違って批判精神の風化が著しい、と昔を懐かしむ声は団塊世代を中心に、深く広く沈潜してきていることは否めない。

 今回のガチンコ選挙の実施を奇貨として、公明党らしさを取り戻す一大チャンスだとの見方もある。勿論、選挙戦は極めて厳しい。過去2回次点に甘んじた「立憲」の〝三度目の正直〟を狙う構えは脅威である。もし仮に、同党と共産党との間で相互支援の動きが形はどうあれ起これば、公明党の議席は吹っ飛びかねない。〝らしさ〟を強調しているゆとりなどたちどころに消えてしまう。

●「維新」の台頭と今後の動向を占う

 加えて「維新」の動向は事態を一変させかねない。私は著書で、理念は紛れもない保守だが、政治手法は中道風と、この党を見立てた。玉石混交が取り沙汰され、危うさが揶揄される同党の人材難は覆い隠せない。だが、現時点では、議員の文書通信交通滞在費の使途明確化を始め、かつて野党の中核で輝いていた公明党のお株を奪いかねない勢いが目を見張らせる。衆議院予算委での質問バッターが、脇でパネルを持つ新人議員を紹介するといった〝些細な嗜み〟を持ち込んだのは同党である。その後、他の政党が右にならえをした風景は何か暗示的ですらある。

 「維新」は当面は粋のいい野党の位置を確立したうえで、やがて自民党に迫る保守2大政党の座か、あるいは自民党との連立政権化を狙ってくるものと思われる。戦前の日本の「西洋対日本」の価値観対立にあっては、複数の保守政党の存在が常態であった。西洋に淵源を持つ社会主義イデオロギー政党の本格的登場は、戦後からなのである。「維新」に期待する世論は、保守二党による政権交代の復活を望む声と裏腹の関係にあると見られよう。

●忘れられた連立政権の中の公明党の存在

 かつて新進党が結成された当時にも、自民党に代わるもう一つの勢力を待望する意味で今と似た空気があった。ただ、あの集まりは、価値観において同床異夢が否めず、自ずと自壊への道を辿らざるを得なかった。以後連立政権の形態をとって、30年近い歳月が流れた。これは自民党政治を延命させただけの「失われた時代」のなせるわざだったのかどうか。第二の77年のサイクルが終了する本年、多くの人々に関心を持って欲しい一大テーマであると思う。

 実は、平成の時代が終わるにあたって、総括された『平成政権史』(日本経済新聞社)という好著がある。しかし、一点私には致命的と思えるミスがある。政党の分布状態を振り返って見ると、平成の30年が経ってぐるっと一回りし元に戻ったとの認識が示されているくだりだ。かつての社会党が「立憲」に、民社党が「国民」に看板はかわったものの、自民党と野党の対立構造はさながら既視感に満ちてると言いたいと思われる。

 この記述ほど、私は政党人として屈辱を感じることはない。30年ほど前には野党で、この20年は与党であり続けた公明党が、無意識にせよ外されているのだ。維新も言及されていないから、いいではないかとはならない。公明党の入った連立政権の分析を全くせずに、平成の政権史を顧みたということができるのか。それくらい公明党の存在は薄かったということを読者に印象付けてあまりあるのだ。(2022-2-21)

※これは毎日新聞有料サイト『政治プレミア』2-16付を一部加筆修正して転載しました。

 

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《29》時代の転機に国民的大論争を起こそう(上)ー毎日新聞「政治プレミア」から/2-19

 毎日新聞有料サイト版『政治プレミア』欄2-16日号に、『時代の転機に国民的大議論を起こそう』という私の寄稿文が掲載されました。これは、拙著『77年の興亡ー価値観の対立を追って』(出雲出版)の狙いを改めて明らかにしたものです。以下、3回にわたって、一部修正の上、転載します。

 ●二つの「77年の興亡」と価値観の対立をめぐって

 団塊の世代が後期高齢者の仲間入りを始めた本年2022年は、先の大戦で日本が敗戦した1945年から77年目にあたる。その年はまた、明治維新から77年に一致していた。一国滅亡の憂き目にあった日本は、今再びの77年目に世界中を襲う未曾有の新型コロナ禍に喘いでいる。私は、この二つの77年のサイクルにみる「日本の興亡」を、価値観に焦点を合わせて振り返ってみた。昨年末に上梓した『77年の興亡ー価値観の対立を追って』がそれである。

 第一のサイクルでは、天皇支配のもと「西洋対日本」の価値観の対立が中心となって推移した。軍事力の台頭と共に、対清、対露戦争に勝利した日本は、やがて、中国などアジア・太平洋を舞台にした対欧米戦争で完膚なきまでに敗北を喫して、占領されるに至った。分岐点となった1945年から始まる第二のサイクルでは、米国支配のもと、日本は「資本主義対社会主義」(保守対革新)の価値観の対立の中で翻弄されてきたのである。

 1991年のソ連崩壊で、社会主義は退潮傾向を露わにし、日本での米ソ対決の代理戦争的様相を色濃く反映した「自社対決の55年体制」はやがて崩壊し、自民党の一党支配も終わりを告げる。21世紀の幕開けを待たずに、幾つかの組み合わせで連立政治が常態化していく。その間に自民党にとって代わる新進党を始めとする外からの勢力の挑戦が脚光を浴びたものの、やがて終息を余儀なくされる。一方、「保守対革新」の価値観対立の中に割って入った中道主義の公明党の台頭が注目された。同党は、外からの自民党政治の変革が敵わぬと見るや、一転して内からの改革に転じ、自民党の要請を受けて、与党入りを果たす。いらい20年余。途中3年の民主党政権時代を挟み、本格的な自公連立政権が定着していく。

●中道主義公明党はどう見られているか

 価値観の対立の視点で、第二のサイクルの77年を追うと、「革新」価値観が後衛に退く代わりに、リベラリズムが登場し、保守主義、中道主義と三つ巴の鼎立状況を呈してきている、というのが私の見立てである。ただし、政権与党に自民党(保守)と公明党(中道)が共存している現実をどう見るかは、そう容易なことではない。つまり、この両党の関係を、政治行動のみで見ると、ほぼ一体化したかに見える。山口公明党は自民党の一派閥と見られかねない側面は否定できない。政治理念で追うと、リベラルに近く、自民党とは一線を画す存在であることが明確なだけに、現状は一般的には理解され難い存在に映る。

 近年、「公明党の自民党化」が進み、自公選挙協力の浸透と相まって、「中道」の埋没が日常的になってきている。ちょうどその時に、その流れを覆す動きが起きてきた。今夏の参議院選をめぐって、公明党が候補を立てる5選挙区(埼玉、神奈川、愛知、兵庫、福岡)での自公相互推薦を見合わせ、それぞれの党が対決する構図となる可能性が浮上してきたのである。これは同時に、公明党が候補を立てない、残る全ての選挙区では従来のように自民党を推薦せず、人物本位でいくとする方向が露わになってきたことでもある。

 私の住む兵庫県では、20年余り定数が2で、公明党は候補を立てられずにきた。6年前に定数が1増になり、近過去2回の選挙では、自前の候補を立てて戦うことが昔のように可能になった。結果的にはいずれも、自民、公明、維新の3党が議席を分け合ってきたのだが、一皮めくると壮絶な戦いであった。つまり自公両党は相互推薦ということで、全国で公明党が自民党候補を応援する代わりに、兵庫では自民党県連が公明党候補を応援してくれてきた。これは、応援を貰う方は誠に有り難いものの、兵庫自民党としては〝泣きの涙〟であったことは容易にうかがえる。3年前には自民党候補が危うく滑り込んだとの印象が濃い。とても公明党を応援するゆとりなどないという声は私としては、痛いほど分かる。(2022-2-19 続く)

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2022年2月19日 · 8:02 AM

《28》沖縄の日本復帰を〝悼む〟ーTV『沖縄〝迷子〟の50年』から/2-12

 2月8日にBS 1スペシャルで放映された『沖縄〝迷子〟の50年』を建国記念日の11日にビデオで観た。〝迷子〟とは言い得て妙であり、深く感じるところがあった。この番組は、沖縄では伝説の有名芸人・照屋林助と、その弟子・津波信一さんの2人の沖縄三味線を抱えた漫談風の歌と、沖縄の経済人のインタビューを交錯させて、復帰後の50年が庶民の暮らしにとっていかに期待外れであったかを描いていた。と、私には思われた。これから、復帰50年を記念する試みが新聞やテレビなどメディアで花盛りとなろうが、これはある意味でかなりの出来栄えに違いない。笑いで押し包んだ「沖縄挽歌」として▲沖縄は、中国、米国、日本と大国の間で次々と翻弄されてきた。復帰後も良くも悪くも米軍基地の存在が沖縄経済を、琉球の暮らしを左右してきた。私がこの番組を見て強く感じたのは、実は庶民の暮らし向きとは別の方向を、復帰後の沖縄経済を動かしてきた人たちが見てきたのではないかとの疑問だった。日本初の外国との地上戦を経験した沖縄は、戦後7年で占領から脱却した日本と違って、さらにその後20年間も米国の施政権下に押し込まれた。そこから解放された時点で、普通の庶民大衆は暮らしの向上を夢みたのだが、実はそうならなかったのである▲軍事支配の米国はそのまま居座り、沖縄経済は本土からの〝風まかせ〟の状態が続いてきた。実はこの番組は、「観光沖縄」に期待を寄せる雰囲気で終わっており、コロナ禍の逆風も、日米間の普天間基地や辺野古移転問題には一切触れられていなかった。その意味では尻切れトンボの謗りを免れない。唯一の希望は番組の後半で元知事の稲嶺恵一さんが、沖縄独自の復活への方途を匂わせていたくだりにあった。「沖縄らしさを追求する」「(日本本土と)同質化をめざすのではなく、異質化を伸ばす」との発言である。これしかないと思われた▲日本が米国の占領から脱して、70年が経つ。では本当に米国から独立して、完全なる自主独立の日本になったのか。見かけは独立したかに見えるがその実、「半独立」ではないのか。在日米軍基地の大半を沖縄に押し付けた現状は重く暗い。その日本に沖縄が復帰したといっても、それは半分の半分。「4分の1の独立」なのかもしれない、と思う。日本政府の庇護のもとに生きるのが当然との姿勢から脱却し、沖縄独自の道を探ることこそ、全ての始まりだろう。迷子からの独り立ち、そこから、保護者ぶっている「日本」を覚醒させるしかない。琉球民族と大和民族とー「建国記念日」に「沖縄」に思いを寄せ、「国家と人間」を考えるに至った。(2022-2-12)

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《27》自公選挙協力問題だけでは不本意ー読売新聞インタビューから/2-3

先月末に読売新聞政治部から私の本と、それにまつわる話題に関して取材依頼がありました。東京からわざわざ取材にきてくれたので、トータル6時間に及ぶ(実質は3時間ぐらい)やりとりの結果、3日付けの紙面に掲載されました。ところが、同紙の編集部の裏事情から、締切が早い版と遅い版とでは中身が結構変更になっています。そこで、ここでは双方を紹介させていただきます。まず、遅い版から。大都市はこの方が届いています。

 ●公明の「中道」回帰求める 赤松元議員が著書 党内に緩み警鐘

 元公明党衆院議員の赤松正雄氏(76)は、自公連立政権などに関する著書「77年の興亡 価値観の対立を追って」(出雲出版)を出版した。公明党が掲げる「中道主義」の理念に立ち戻って、埋没しないよう注文をつけている。

 自公連立が 20年以上続いてきたことから、赤松氏は、自民党の保守政治の中で自公の差がなくなり、中道主義が失われていると指摘。遠山清彦・元衆議院議員が貸金業法違反で在宅起訴された問題も念頭に、公明党内に緩みも出てきていると警鐘を鳴らしている。一方、赤松氏は読売新聞の取材に対し、公明が今夏の参院選で、自民との「相互推薦」による選挙協力を実施しない方針を打ち出したことについては、「本来は違う政党だ。あるべき姿に戻った」と評価した。

赤松氏は1993年衆院選で初当選し、6期務めた。党政調副会長や厚生労働副大臣などを歴任した。

   一方、早い版は次の通りです。地方都市や、大都市周辺でも交通事情の悪い地域はこちらが届いています。

●公明「中道主義もう一度」 赤松元議員 連立政権で緩み指摘

 公明党元衆議院議員の赤松正雄氏(76)は、読売新聞のインタビューに応じ、自公連立政権の現状について、「公明党が、もう一度、『中道主義』の旗を掲げ直さなければ、埋没してしまう」と注文をつけた。

 公明について、自公連立が始まった1999年から20年超が経過したことで、「自民党との差がなくなり、人間を中心に据えた価値観である中道主義が、自民党の保守政治の中で失われている」と指摘した。遠山清彦・元衆院議員が貸金業法違反で在宅起訴された問題などを踏まえ、「自公連立政権という安定の下、目に見えない部分で緩みが出てきている」と警鐘を鳴らした。

 赤松氏はこうした主張を昨年12月に出版した「77年の興亡 価値観の対立を追って」(出雲出版)で訴えた。自民との違いを明確にするため、改革姿勢を前面に打ち出すべきだと提案している。憲法改正や、財政構造、格差の解消など国家像に関わる問題にも積極的に取り組み、「小さな声を聞き、大きな声をあげる党であってほしい」とも述べた。

 一方、インタビューでは、公明が今夏の参院選で、自民との「相互推薦」による選挙協力を実施しない方針を打ち出したのは、「本来は違う政党だ。あるべき姿に戻った」と評価した。 (以下略)

●問われるべきはこの国のかたちと人類の未来

 この両記事読み比べて見ると、しみじみ、後者の方を全国に配布して欲しかったなあと思います。しかし、それこそ「後の祭り」。一部地域だけでも長い記事の方が出回っているのは、有難いと担当記者の取材と原稿に感謝の思いです。デスクから他の記事との関係から削れと厳命があって、それに対して、大分それはできないと食い下がったようですが、無理だったみたいです。そのあたり、午前4時を過ぎて私にくれたメールに「私の力不足で」と、謝ってくれていましたが、彼の人柄に打たれる思いでした。私は、むしろ、赤松正雄のネームバリューが弱いのが原因で、君のせいじゃないと言った次第です。

 そういう裏話はともあれ、私としては、この本が自公の選挙協力絡みだけで捉えられるのは不本意です。もちろん、今回の取材では自公の「相互推薦」問題の推移のタイミングからして、これしか書けなかったのは分かりますが。もっと大きな視野で本は書いたつもりです。例えば、今「新しい資本主義」をめぐる議論が岸田首相の問題提起にはじまって、国会で取り沙汰されています。これは、私からすると、今問われているのは、資本主義の行方だけではなく、消えたかに見える社会主義にも及ぶということです。資本主義も社会主義も共に、装いを新たにすべきという時代の潮流には、中道主義の再発見という問題が潜んでいます。それこそ「三たびの77年サイクル」の課題だと睨んでいます。そのあたりに着目するメディアよ出てこい、という私は気概でいるのですが。

 それとは別に、私の著作を読んで、公明党の外交安全保障政策における中道主義の具体的展開に、非常に新鮮な発見をしたと言っていただく学者がいます。近く、その視点で、ある媒体に論考を公表されるやも知れないとのこと。極めて嬉しく、待望しています。ともあれ、私はこの著作を通じて、今の日本と世界に大きな問題提起をしたつもりです。一歩も引かず次々と発信をして参る所存です。(2022-2-3)

 

 

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《26》増刷に入った我が著作『77年の興亡』をめぐる反響/1-28

 コロナウイルスの変異株「オミクロン」が異常なスピードで拡散する中、国会での予算案審議が始まっている。その中で、気になることは数多あるものの、ここではまず、発刊後1ヶ月余りが経った私の著作『77年の興亡ー価値観の対立を追って』をめぐる話題や反響を紹介させていただきたい。お読みいただいた多くのみなさんから、「これはわかりやすい。今まで自分の頭の中で未整理だったものや、漠然としか捉えられていなかったものがはっきりした。大いに勉強になった」という声を頂いたり、「参議院選挙に向けて、ぜひ友人に読んで貰いたい」と言って複数冊を購入してくださる人までが次々とおられ、感謝感激の年末年始を過ごすことが出来た◆中でも、私が現役時代にお世話になった国会付属機関のある最高幹部から昨日、長文のお手紙を頂き、身に余る称賛の感想を頂いたことは、忘れられないインパクトを受ける出来事だった。さわりの部分だけをご披露させて頂く。総論として❶実にスケールの大きな評論❷背後に膨大な読書量が随所に見られる❸公明党への忌憚のない批判と激励ーの3点を挙げ、「『赤松節』全開の快著」と持ち上げていただいた。各論として①2009年政権交代時の衆院選敗北の検証の必要性②「庶民大衆のための政治」の姿勢の堅持③沖縄に対する思いの深さ④憲法論議への提言の意味⑤「仏教の平和主義」への誤解の指摘ーに感じ入られたことが読み取れた。中道主義の視点の重要性への気付きは勿論のこと、宗教への考察の必要性や、いわゆる「中道」を巡っての維新と公明党との違いへの言及など、私自身大いに参考になる記述を頂いた◆この本は、日本近代史における二つの「77年サイクル」のうち後半における、価値観の対立を追う試みで、公明党の中道主義の登場から今に至る政治選択を具体的に検証したものである。掲げた看板は正直言って大袈裟で、中身は二つ目の「77年の興亡」についてだけ。とはいうものの、この切り口に皆さん驚かれたようだ。新年幕開けいらい、私と同じ観点から2022年の持つ意味を探った論考は二つ。一つは日経新聞の原田亮介論説主幹による「核心」欄の「成熟国家154年目の岐路」(1-10付け)。もう一つは毎日新聞のサイト・「政治プレミア」の白井聡京都精華大学専任講師の「特別な年としての2022年」(1-20号)。それぞれに興味深い中身だが、分量は短い。私のものは、一冊の本だから長い。長けりゃいいとは言わぬが、来るべき「第三の77年」における中道主義の本格的展開を待望したもので、新鮮な内容と自負している。が、その先行きは予断を許さない。これからも引き続きしっかりウオッチしていきたい◆処女作『忙中本あり』の出版(2001年)いらい、この20年余り「読書録」を書き続けた身からすると、つい自分の著作を俎上に乗せて、あれこれ料理してみたい誘惑に駆られる。色々〝著者〟の足らざるところを指摘したいのだが、それをやってしまうと、売れ行きに差し障るゆえ、控えるしかない。ビッグボスと呼んで欲しいと会見で叫び、話題を集めた日本ハムの新庄剛志新監督の「優勝なんか考えていない」とのセリフにあやかって「売れることなんか考えていない」と見栄を張りたいところだが、ここは凡人らしく多くの皆さんに買って読んで貰いたいと本音を明かす。この本、この一年、いや参院選までが勝負と決めて、大いに売り込みたい。増刷が決まって、本気でそう考えている。(2022-1-28 一部修正)

 

 

 

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《25》日本人と台湾人の「国家と個人」対談ー2022年に臨む論点を考える(下)/1-23

 毎日新聞の新年からの企画『論点「2022年にのぞんで」』の3回目(12日付け)「個人として国家と向き合う」を読んだ。東京大教授の加藤陽子さんと、台湾人作家の温又柔(おん・ゆうじゅう)さんとの対談を構成担当の鈴木英生記者がまとめたものだ。前文に、「大国化する中国との関係を考えながら私たちは歴史や国家とどう向き合うべきか。どう個人として生きるか」との触れ込みに、胸弾ませて目を滑らせていった。面白く読めたが、些か期待外れでもあった。大きいテーマに対して、記者が2人の意見を十分に引き出していず、意図する方向に議論を収束し得てなかったと思われる◆この対談に読み手が期待したのは2つ。一つは軍事、経済両面で台頭を続ける中国に、「戦争論」の泰斗・日本人学者がどうこれを捉えるかとの視点。もう一つは、その中国との間で軍事的緊張を持ち続ける台湾の立場を、日本語育ちの台湾人がどう表すかとの観点であった。ここでは前者に絞って追ってみる。冒頭で加藤さんは、戦争研究の理由を問われて、「なぜ戦前の日本人は中国人を徹底して敵だと思うようになったのかを考えてきました」と述べたもののそれをフォローする発言が出てこない。友好ムードに包まれた戦後の日中関係が、今敵対関係に変わってしまったかに見えることへの分析が聞きたかった◆しかも、次に質問は「中国との関係で、今の台湾をどう見ていますか」と続く。ここは、逆に「台湾との関係でいまの中国をどう見ているか」と訊いて欲しかった。尤も、ここで加藤さんが「日本人は、台湾と中国に対して過去の日本の保守政権がとってきた重層的な外交をもっと思い出すべき」だとして、1952年のサンフランシスコ平和条約締結時と1972年の日中国交回復時におけるバランスの取れた姿勢を挙げていることは注目される。今、公明党の山口那津男代表が中国の対外姿勢について、あえて非難を避けているかに見える。これは自民党内にあっても外に出てこない主張を代弁し、バランスを取ろうとしていると思われる。この辺に言及して欲しい◆最後、今年の仕事は?と訊かれて、加藤さんは、「東京裁判と日本国憲法の関係をつなぐ論理を分析する」としたうえで、「日本の学術会議の新会員任命を菅義偉前首相が拒否した理由も(歴史学的手法で)読み解きたい」として終わっている。現時点での加藤さんの〝読み解き〟をひきださないと、尻切れトンボの印象は拭えない。学問の分野への政治の介入と捉えられかねない前首相の行為には、公明党はもっと異議を唱えるべきだったと私は思うが、あまり聴こえてこなかった。安保法制への批判をした学者といっても、千差万別だと思う。それを十把一絡げにしてノーとしたかに見えるーという見立てでいいのかどうか、もっと加藤さんの意見を聞きたかった。新聞紙面の制約もあり、ないものねだりをしたとの自省もあるが、引き続きこのテーマでの議論は読んでみたい思いに駆られる。(2022-1-23)

 

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《24》「団塊世代の老後」「死生観」ー2022年に臨む論点を考える(上)/1-18

新年も3週目を目前にして、様々な2022年に向けての論考が飛び交っており、種々考えるきっかけをいただく。ここでは、毎日新聞の『論点ー2022年にのぞんで』3回分を取り上げたい。一つ目は、上野千鶴子『「後期高齢」を迎える団塊世代』(1-5付け)。上野はここで❶ジュニア世代との間の世代間ギャップ❷男女間格差による女性へのしわ寄せ❸福祉分野での共助の実績ーの団塊世代のもたらしたものについて、3つ挙げている。❶では「上り坂」続きの団塊世代と、「下り坂」ばかりのジュニア世代のギャップ❷では、労働のジェンダー格差が共に広がる一方の実態を描く。それに比して、❸では、介護保険を代表例として団塊世代の業績を称える。中々興味深い◆この団塊世代をめぐる考察にあって、いささか私には手前味噌に見えるのが、政治と団塊世代の関係だ。上野さんは、菅直人と菅義偉の2人の首相が団塊世代から誕生したことを挙げた上で、「生活に直結する小文字の政治を草の根でやってきた」し、「大文字の政治に救われない人たちに目を向けてきた」のが団塊世代だという。先に挙げた首相のうち、前者は政治家になる過程で確かに草の根の活動に従事したが、東日本大震災で大失敗をした。後者はコロナ禍という未曾有の混乱期に必死に立ち向かったが、大文字の政治に救われない人に目を向けきれなかった。共に、後世にいい意味で名を残すとは言い難いが、その辺りに全く触れられていない◆二つ目は、山折哲雄『昭和一桁世代の弔い合戦』(1-7付け)。山折はこの論考で①複眼的価値観が消えて社会を二元論が覆っている②コロナ禍は死を考える絶好の機会だが、命の議論は広がっていない③日本人の死生観に「点の死」はなじまないーと三つのポイントを強調している。①では、被害者か加害者かの、二元論の横行を嘆く。菊池寛の『恩讐の彼方に』と『ある抗議書』を対比して、「寛容」の過去から、「怨嗟」の現在へといった価値観の転換を挙げる。②は相変わらずの生命絶対主義に疑問を投げかけ、③では「生と死は線でつながっている」との伝統的死生観を力説する◆ここで最後に山折さんは「無」について論及し、「無の宗教」と「無党派層」の類似性に触れる。「宗教心を大事にする人ほど特定の宗教を信用しないようなところが日本人にはある」し、「党派的なものを信用しない国民性」であるがゆえに、「『無党派層』が増大する現実を嘆く必要はない」と断定する。私はこの山折説については、部分的にしか納得できない。私は日本人にとって大事な言葉は「無」よりも「空」だと思う。目に見えないのが前者だが、後者は目に見えずとも〝冥伏〟している状態を指す。「無」は禅宗的で、「空」は法華経的である。更に、浄土宗的な「線」より、法華経的な「面」の死生観の方が奥深く見えるのだが、どうだろうか。(2022-1-19 一部修正)

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