第二の「77年の興亡」の終着まであと一年ー76年目の8-15に思うこと/8-15

 先の中国・アジア太平洋戦争が敗戦で終わったのは昭和20年(1945年)8月15日。明治元年からその時までは77年。明治維新から日清・日露戦争の勝利は、まさに国家が興隆していく時期。そこから亡国の敗戦への流れは、まさに「77年の興亡」と括られる。その区切りから、今日で76年。あと一年経つと、第二の「77年の興亡」の終着点を迎える。占領下の7年から立ち上がり、高度経済成長の末に、見事に復興した戦後日本だが、その後バブル経済の崩壊、「失われた20年」を経て、少子高齢化のピークの只中をコロナ禍という惨状化で迎えようとしている。「今再びの敗戦」と見る向きも少なくない▲一回目の「敗戦」という結果は、文字通り国家が完膚なきまで打ちのめされた。それに比べて、ニ回目の結末は、戦争をしたわけではない分、曖昧さが残る。しかし、あと一年を残した現在、既に敗北感に近い割りきれなさを少なからざる日本人が噛み締めている。それは一体何故なのか。私見では、二重の構造が指摘される。一つは、直接米国の占領下にあったのは7年足らずだが、その後の70年も日本は米国支配下の「半独立国家」であるとの冷厳な認識に立たざるを得ないこと。もう一つは、先の戦争で徹底的に日本始め西欧各国に痛めつけられた中国が、1949年に共産主義国家として建国され、紆余曲折を経た今、日本をGDPで追い抜き、米国と並び立つ経済大国となったことである▲1945年から遡ること77年間、日本は遅れてきた近代国家として米国と競い合った。そして完膚なきまでに敗れ、占領下の屈辱を受けた。その後は軍事力は米国に委ね、自らは経済に専念する道を選択した。その結果、米国と並び立つ経済大国にはなった。だがその内実は「対米追従」国家。煎じ詰めると浮かぶその事実が陰に陽に我が身を苛む。一方、中国は、20世紀初頭には先進諸国家の餌食にあいながら、約100年後の今日は、米国と競い合う軍事経済大国としての地歩を固め、今や米国を脅かすまでになっている。気がついたら、日本は様々の局面でその後塵を拝している。相手方の手法、佇まいはともあれ、当方の敗北感は覆い難い▲もちろん、いわゆる国力の競争は多面的に測られよう。これまで見てきた切り口は一面的に過ぎない。だが、日本が民主主義国家と生まれ変わった存在になりながら、あらゆる面で米国あっての存在、との側面は払拭できない。「日米同盟」の負の側面を意識せざるを得ないのである。中国は艱難辛苦を乗り越えて、「社会主義市場経済」という異名のもとに、今の地位を掴み取った。その自負心は大きいに違いない。彼我の差は歴然としている。新たな時代の幕開けに、日本はどう立ち向かうべきか。少なくとも、国家理念の見えない、これまでのような「経済成長一本槍」の姿勢は変える必要がある。地球は環境面で、資源面で危機的状況に直面していると言われて久しい。国家の枠を乗り越えて、「人間の救済」が今ほど求められているときはない。民主主義国家群の中核である日本は、「人道の競争」の先頭に立つ心意気が求められている。〝人道への国際協調〟に背を向けることはいかなる国家も許されない。(2021-8-15)

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第二の「77年の興亡」ー「東京五輪2020」終えて思うこと/8-9

 一年延長された東京夏季オリンピック大会が17日間の闘いの幕を閉じた。昭和39年、18歳だった私が見聞した東京で開かれた最初のオリンピックから57年。今大会は全てが異例づくめであった。普通の市民は、テレビを通じて人それぞれの思いに浸ったに違いない。私も開会式での参加各国、地域に初めて知る国名の少なくないのに驚いたり、連日の競技中継で、珍しい種目が多いことにも興味を持った。日本のメダル獲得ラッシュに喜んだものの、終わってみれば、金メダルで米国、中国に続いて3番目であることや、総数では英国、ロシアにも劣ってることに、昭和世代らしく少々がっかりしたりもしている▲今回の大会が始まる前に、賛否両論があったり、観客をどうするのかでも議論があった。テレビでの中継で空席と知りながら、椅子の模様がつい人の姿に見えたりして、瞬時幻想に耽ったりもした。アスリートたちの行き詰まる闘い、演技に魅入るにつけても、やはりここは観客を入れた方が良かったのにと、結果論を承知で悔しい思いに苛まれた。同時に劇的な場面や選手の表情をまざまざと見られるのはテレビなればこそ、との思いもある。この大会を終えて、時代の区切りに思いが及ぶ▲前回の大会のほぼ20年前に、中国・アジア太平洋を戦場に、欧米諸国との戦争をして、日本は負けた。1945年のことだ。その年はまた、明治元年(1868年)から数えると、77年目に当たる。いらい、今年は76年ということで、明年が77年目になる。つまり、日本の敗戦の年を境にして、前後77年の節目の年が来年やってくるわけだ。ちょうどその年に生まれた私にとって、まさに感慨深い。明治維新から「興亡77年」を経た日本が、今まさに「第二の興亡77年」を終えようとしている。近代日本の壮絶な戦いの結果としての勝利と敗戦と、一国滅亡から壮絶な戦いの末の復興と没落と。この「二つの77年」は敗戦とコロナ禍にいきついた。比べるに値する重要なテーマである▲この二つの比較をする際に、半分のほぼ40年ごとに節目があることに留意する必要がある。一つ目の77年では、日清・日露戦争の勝利だ。ここをピークに時代は暗転、下降線を辿る。二つ目の77年では、プラザ合意(1985年)という名の、為替レート安定化の先進各国間の合意がなされた年が起点である。これは日本の高度経済成長後のバブル景気、その崩壊から〝失われた20年〟という長期低迷に続く発端とされる。このように、前者の77年を生きた前後二世代と、後者を生きた前後二世代とは、全く概括的な捉え方だが、類似すると言えよう。後者の後半つまり、1985年以降今日までの期間、時代を担ってきたのは、いわゆる〝団塊の世代〟にほぼあたる。興亡の77年の「亡」をもたらした世代だ。その罪は大きい。明年で区切りをつけ、日本が新しい旅立ちをするにあたり、思うことは限りなく多い。(2021-8-10 一部修正)

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次の総選挙結果は「与野党伯仲」ー〝真夏の白昼夢〟を見た/8-1

東京五輪が開幕して一週間が経ち、8月となった。今の衆議院議員の任期が満了する10月21日まで、あと80日ほど。解散はいつで、投票日はどうなるのか。コロナ禍で何もかもが萎縮しかねない状況下、この選挙で何が起きるか。何が起きて欲しいか。予測してみる。もとより、正確なデータに基づくものでもなく、単なる〝パソ勘〟に過ぎないことは言うまでもない。普通の感性からすると、つまり市民の常識からすると、この選挙、間違いなく政権与党側にとって分が悪い。何一つ好材料がないのである◆悪夢のようだった民主党政権3年のあと、8年近くも続いた安倍政権。それを官房長官として支え続けた菅首相及びその周辺のしでかした悪政のツケ。加えてコロナ禍への対応のチグハグさ。「桜を見る会」の前夜祭を巡る一連の動きも気になる。前者は実況中継が日々展開されていて、子どもでも手詰まり感は分かる。後者は取り置きにしていたテレビドラマを改めてビデオで見るように、リアルに迫ってくる。「秘書のせい」にするだけの前首相の姿勢は、確かに「国民感情として納得できない」(東京第一検査審査会の議決)◆選挙期日はこうなると、任期満了によるしかないのか。最も遅いギリギリのパターンで、「10月21日解散11月28日投票」あたり。総裁選で目も覚めるニューリーダーの誕生が望むべくもない自民党の現状。全てをコロナ禍のせいにして、ダラダラと落ちゆくしかないのか。その結果は、自民・公明の与党側が壊滅的打撃を受け、政権から再び下野するーということか。いや、そうはならないはず。今の野党第一党・立憲民主党に政権を担う意気も覇気も、度胸も愛嬌もない、としか見えない。そこに〝与野党伯仲〟状態が浮かぶ。自民党、公明党の現与党勢力で過半数を少し上回り、野党はそれに肉薄する議席に終わる。こんな見立てだ◆野党政権が間違って誕生したら、今再びの悪夢。もし菅・自公政権の大勝になったら、ぬるま湯政権の継続。どっちに転んでも国民にとっては不幸だ。ここはかつてのような緊張感漲る政治に、と思う向きは少なくないはず。公明党が自民党に気合いをいれるのも限度があるし、今更野党に戻って喝を入れる存在に、というのも絵空事に近い。ならば、公明党が今一度初心に戻ってバランサーの役割を果たせないか。自民党、立憲民主党の抜本的変身を促進させ、国民が本当に待ち望む政治を現実にする。それには、公明党の獅子奮迅、アクロバット的戦いが求められる‥‥。東京五輪のアスリートたちの目覚ましい活躍の姿を見てるうちに、〝真夏の白昼夢〟に陥ってしまった。(2021-8-1)

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人類史的課題解決に立ち上がってこそーコロナ禍での東京オリンピックの意義/7-23

昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催から57年。元々2020年の開催予定だったものが、コロナ禍のために一年延期され、今日幕を開けた。前回の開催は第二次世界大戦のために当初開催予定(1940年の12回大会)から辞退を余儀なくされ、24年もの間遅れたのだが、今度は疫病のために遅れた。決まっていたものがずれ、しかも基本的に無観客での開催というのは史上初めてである。開催の是非を巡って論争が今も続く一方、開会ぎりぎりに運営関係者の不祥事から退任者が相次ぐことも珍しい。森喜朗大会実行委員長(元首相)の女性蔑視発言による辞任も記憶に新しい▲一連の出来事から想起されるのは、日本の国力全体の停滞傾向である。高度経済成長のピークともいえた57年前は、全てに右肩上がりの国威揚々たる時期と重なった。一転、今はGDPにおける中国との逆転関係やら、半導体生産から大学の能力を巡る諸ランキングなどの低下傾向の顕在化に象徴される惨めさだ。その極め付けが、コロナ禍にワクチン接種さえままならぬ事態に、右往左往する政治への不信感であろう。何かが狂っていはしないか、との思いが日本中に渦巻いている▲コロナ禍という疫病蔓延のもとでの五輪開催は、どこの国も直面したことのない初めての経験である。開催を返上しても、危機対応から逃げたと言われるし、無観客で開催すれば、何のための開催かと非難される。〝行くも地獄、退くも地獄〟の道は免れない。日本のこの危機的な〝究極の選択〟を、むしろ巡り合わせの妙味と捉え、積極的な意味づけをして、おおらかで明るい発信、振る舞いを望みたいものである。菅義偉首相や橋本聖子五輪組織委員会会長の顔つきや発言にその気配すら伺えないのは残念だ▲かつて「1964年日本社会転換説」なるものを同世代の歴史家が唱えたことを思い出す。戦後社会の復興が「五輪開催」で一段落し、同年から新たな国家建設へ一歩大きく踏み出す転換期になるとの位置付けだった。今の日本も世界初の出来事を後ろ向きに捉えず、むしろそれに日本だけが取り組むチャンスと捉えるべきではないか。「2021年地球社会転換説」とでも銘打って。「成長神話」からの脱却である。具体的には、2030年にも地球が直面する破滅に至る課題ー地球温暖化、食糧危機、プラスチック汚染などといったものーの解決に向かって真正面から立ち向かうことである。これらはいずれも先をいく先進国家グループと、遅れてきたる後進国家群とがせめぎ合うテーマである。これこそ人類史的課題であり、そこに挑戦する使命は限りなく重いと思うのだ。(2021-7-23)

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〝分裂した自民党は強い〟かー異例づくめだった兵庫県知事選/7-18

兵庫県知事選挙は斎藤元彦さんが当選した。43歳という年齢だけでなく、様々な意味で異例づくめの画期的な出来事である。4代続いた副知事からの〝昇格〟ではないこと。県政最大与党の自民党が分裂して戦ったこと。同党を割って出たグループに国会議員団がほぼ全員がついて支援したこと。中央で立ち位置を異にする「維新」が推薦し、力を入れたこと。同じ総務省出身者同士の戦いだったことなど、挙げればキリが無い▲負けに不思議の負けなしーとの「名言」に照らし、金澤和夫さん側の敗因を見てみる。最大のものは、井戸知事を支えて10年余、良いも悪いも影響が強すぎて、後継者自身の個性が埋没したことに尽きよう。4年前の前回の選挙で井戸さんが5選を果たした時点で、今日の事態は見えていたなどと、したり顔で解説する人が多い。勝負は時の運が左右する、選挙でも同様で、様々の条件が複雑に折り重なる。「結果論」に与すべきではなかろう▲菅政権が誕生して以降、自民党中央が肩入れした選挙で、連敗が続いていたとされる。それを覆した。しかも、「自公」の足並みも揃わなかったのに。兵庫県独自の背景があり、国政全体の今に鑑み、これからを占うには無理がある。候補者が春秋に富み、志強く、勢いがあり、話題性に満ちていれば勝利を掴めるということかもしれない。菅自民党は、この勝ちの意味を間違って取らないで欲しい。むしろ〝分裂したら強い〟とのメッセージだと、噛み締めるべきかも▲前回この回想記で、私は「〝赤勝て、白勝て〟官選知事に負けるな」と題した。選挙における遺恨残さず、あるべき兵庫に向かって、赤白渾然一体となって協力しあってほしい。ただならざる〝コロナ禍戦下〟、内輪揉めをいつまでも続けている余裕などないはずだ。まずは、勝った側の斎藤さんが、負けた側に非礼を詫びる挨拶をすることから始めるべきだろう。元の職場の大先輩二人に、突然喧嘩をふっかけたのだから。以上、選挙の帰趨が決まらぬ時点で書いた。もう一つの予定稿は消したことはいうまでもない。(2021-7-18)

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〝赤勝て、白勝て〟官選知事に負けるなー投票日まで一週間の兵庫県知事選/7-11

伊藤博文(初代)、陸奥宗光(4代)、林董(ただす=10代)ーこの3人は、いずれも兵庫県知事の経験者(ただし、選挙を経ずに任命された官選知事)。後に首相、外相として活躍した。官選知事といえば、沖縄戦時の島田叡(あきら)が忘れ難い。誰もが敬遠した地に覚悟のうえで赴いた。彼の地を最後の最後まで守り抜き、県民と共に散った。誇るべき兵庫県人である。同じ呼称ではあれ、今昔の比較に意味はないが、ついついやってしまう誘惑に駆られる▲兵庫県知事選が告示されて10日が経った。一歩リードと伝えられる若い方の候補者の街頭演説を聞きに行った。西明石駅前。懸命の頑張りの一方で失言が懸念される、新型コロナ担当・経済再生大臣のお膝元。この一年半というもの、殆ど地元に顔を見せられず、応援とはいえ蔓延後初の街頭お目見えとなった。この候補者の担ぎ出しに一役買ったとされる。二人に共通するのは、兵庫県で生まれ、東大に学び、共に高級官僚となったこと。総理と知事と、目指した先だけが違った▲この県知事候補の名は、生まれ育った頃の兵庫県知事の名にあやかって付けられたという。珍しい。「昨年6月に知事選出馬を誓い、一人ででも闘うと決意した」とこの日も発言。兵庫県を射程に意識したのは一年前でも、「知事」を目指したのは総務省入省時点だとの風評が専ら。力量は未知数ではあるものの、志の確かさが光り、運の強さが輝く▲前副知事で、もうひとりの有力候補もまた同じ東大出の総務省出身。ほぼ20年の歳の開きがある。こちらは現知事を支えること10年余。兵庫県政を隅々まで知り尽くした練達の士。誰しもが認める圧倒的な人柄の良さ。約20年後輩の思わぬ挑戦に、演説の声を荒げ、闘志を剥き出しにする。官僚人生最後の修羅場に真価が問われる▲旧自治省出身で副知事から知事への流れは過去4代続く。長きがゆえ、古さゆえの長短所がどう影響するか。維新支配下の大阪府の財政課長からの転身をどう見るか。両者いずれ劣らぬ、いわゆるエリート。冒頭に挙げた官選知事に負けぬ、命がけで県民を守る姿勢を期待したい。投票日まであと一週間、今の私は〝赤勝て、白勝て〟の心境である。(2021-7-12 一部修正)

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大衆の期待感を掬う政党に存在感ー都議選結果から何を汲み取るか/7-5

4日に投開票が行われた東京都議選。公明党は23人全員が当選することができた。山口那津男代表が言うように「奇跡的な結果」であり、勝って兜の緒を締めることが求められよう。全体状況で注目されるのは、一つは、都民ファーストが一部で予測されたほど後退せず、第一党の座を自民に譲ったものの31議席を獲得し、第二党に踏みとどまったことである。二つは、自民党の復活が思うに任せず、過去2番めに少ない33議席に留まり、公明と合わせても過半数に届かず56議席に終わったことだ。三つは、立憲民主が倍増したというものの、都民ファには遠く及ばず、共産党も1増に過ぎなかったということである▲この結果から何を汲み取るか。都議選だけを見れば、都民ファという政党が一過性の存在でなく、一定の大衆基盤を持つ政党だとの冷静な見立てを持つべきだろう。4年前の結党時の小池ブームの再来には遠く及ばなかったが、〝小池抜きでの選挙戦〟で、それなりの存在感を示した。民主党から民進党を経て立憲民主に至った「イデオロギー優先」の残滓を持つ政党とは異なる、といえよう。自民党の伸び悩みをどう見るか。中央のコロナ禍への対応の遅れ、東京五輪パラリンピックへの右往左往などの、国政の不始末の影響をもろに受けたと見るのが自然だと思われる▲国政で自公政権を組む公明も、同じ批判の対象であったはず。それが辛うじて直撃を免れたのは、日頃からの区議と連携した地域活動の細やかさが実ったと言う他ない。昭和40年の都議会の「黒い霧解散選挙」以来56年。公明党の原点とも言うべき「大衆に依拠した政治」がそれなりに根づいてきている証左と言っていいと思う。中央における与野党対決の政治に飽きたらない無党派層の希望をどこの政党グループが掬いあげてきたかは、今後の詳細な検討が求められる。だが、身は政権与党におけども、精神的支柱は改革志向を崩さぬ大衆政党への期待感は揺るがないと思われる▲ただし、公明の立ち居振る舞いを真っ当に評価せず、時々の風に敏感なだけと見る向きもある。4年前にそれまでの自民党と関係を改めて、小池・都民ファと選挙協力をしたかと思うと、今回は自民党と組んだことについて、である。庶民大衆の求める政治的志向を疎かにしない伝統の所産だと思われる。今秋に予定される衆議院選挙に、今回の選挙結果がどう影響するか。既に共産党と立憲民主党の選挙協力が一部で功を奏した(中野区や豊島区など)ことから、これを全国的に広げようとの気運が窺える。どんな事態になろうと、「中道改革政党」の本質は、大衆との一体感にあると確信を深めて、地道な日常的市民相談に邁進していきたい。(2021-7-5)

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自国ファーストと真逆の道こそー日本のこれからの生き方について(番外編)/7-3

●中国の国家目標の歴史的背景

 前々回に述べた、中国の近年における目覚ましい経済的発展の要因三つのうちの三番目は、「中華民族の偉大なる復興」を実現する「中国の夢」を政権のスローガンに掲げたことであった。これは、前二者の実現を促す原動力だったと言える。つまり、これあったればこその「半導体生産」であり、「地域圏構想」なのである。トランプが掲げた「アメリカファースト」も、アメリカの復活を意味するものとして、中国の旗印と〝非で似たるもの〟だが、中国は没落期にあった清王朝の時代だけが例外で、それ以前は世界の中心であったとの認識を有しており、背景の歴史が違う。なによりも国民に訴える情念の重みが違うかに見える。

社会主義的独裁専制国家であるがゆえに、少々の異論もなんのその、掲げた国家目標の実現に向けて、全てを飲み込み、疾駆する。自由な民主主義国家群が悠長に構えているうちに、中国の復活、復興は現実味を増してきた。その基底部にあるものには、民衆を掻き立てる情念が裏打ちされているといえよう。

日本の立ち位置はどうか。明治期の近代化から150年が経ち、ポストモダンの時代に入ったとの悠長な認識のうちに、遅れてきたる中国を高みの見物していたら、いつのまにか先を越されていた。これはひとえに「半導体」がカギを握っている。時あたかも、行く末に立ち塞がったコロナ禍。これは日本の先を行く米中両国をも同時に襲っている。どうこれに対応するか。重大な岐路である。

●SDGsに真面目に立ち向かう価値の大きさ

今まで通りの道を、V字回復を信じて行くのか。それとも全く違う道に方向転換するのか。今、この選択が迫られているのではないか。情報誌『選択』の最新号の巻頭インタビューが示唆に富む。歴史家の色川大吉氏は「コロナ禍という『公害』の教訓」と題して、「人間の飽くなき欲望が、新たなウイルスを生む土壌なのかもしれない」と述べる。その上で、「この機に我々は生きることの意味や何が正義か、何が豊かさかを考え直さねばならない」として、「新しい価値観や思想」を待望している。そこで求められる新しい価値観、思想とは何か。

長い間、私は第三の文明の招来を叫び、資本主義と社会主義を乗り越える三つ目の座標を、新しい価値観、思想として志向してきた。ある時はそれを「新社会主義」と呼び、またある時は「人間性社会主義」と銘打って。しかし、それらは旧弊を脱すること叶わず、伝統的価値観の延長線上にあって、迷走していただけなのかもしれない。今、それを点検し、装いを新たにして提起し直す必要がある。それができないなら新しいものに、乗り換える道を選ぶしか無い。

中国やアメリカが共に〝自国ファースト〟の道を邁進して、米中対決の競争を突き進もうとしている最中に、日本は真逆の方向を目指すのがいいのかもしれない。それこそ前述の新しい価値観の一類型であり、SDGS(国連の掲げる持続可能な開発目標)実現に向けて真面目に徹することに通じる。究極のところ、自国ファーストの道と、SDGs実現という相互扶助の道は相容れないと見られるからだ。身を従来通り米国に寄せて、中国と張り合う道を選択することは、結局日本の自滅への道に通じるように私には思われる。(2021-7-3)

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緊急事態が解除された東京を行くー行事の合間に支援活動/6-26

首都圏も我が兵庫も20日に、緊急事態が解除されました。待ってましたとばかりに二泊三日で上京してきました。今回もまた、古くからの積み重ねに加え、新たな出会いがあり、有意義なひとときを幾つも持てました。

●国会で国交省に小型無人機振興で要望

まず、第一日目の23日は、栃木県の小型無人機振興会の代表5人と一緒に、衆議院第二議員会館で、国交省の担当課長らと面談しました。小型無人機とは、いわゆるドローンのこと。今全国各地で導入を巡っての取り扱いが注目されており、このグループが先陣を切ろうとしています。地域振興のエクスパートである勝瀬典雄氏からの要請で、私も協力をすることにし、このセットをしました。

このあと、衆議院調査室に赴き、旧知のメンバーのうち栄転したり、定年退職する人と出会い、労をねぎらいました。私の現役の頃の20年間にお世話になった人たちの出処進退には感慨深いものを感じます。都議選に支援を求めることも忘れずに。夜は、元ジャーナリストから参議院議員になっているK氏と、現役新聞記者のN氏の3人で卓を囲み談論風発のひとときを過ごしました。かつて同じ道を歩んだもの同士で、対中国観や自民党内事情、公明党のあり方など多岐にわたるテーマを、完全酒抜きで3時間ほど喋ったのですが、実に興味深い経験でした。

●新社会人の激励、リモート会議にも

第二日目の24日は、宿泊先のホテルに、新しく社会人になった22歳の青年H君を呼び、お祝い朝食会を2人でやりました。その昔私の事務所を手伝ってくれた女性事務員の長男です。偶々ホテル近くにある大学に通い、下宿もそばということからこれまでも時々会っていました。若い世代の感性から惜しみなく気概を吸収し、激励もしようとの私独自の着想です。広告会社に就職するも、大学時代と変わらぬリモート講義や会議の連続。それに戸惑いつつ、頑張っている姿に感銘を受けました。今話題の半藤一利さんの遺作『戦争というもの』を贈呈したところ、大層喜んでくれました。次の機会に、読後感を聞くのが楽しみです。

昼前にAKR共栄会のHACCP適合認定委員会のリモート会議に出席しました。東京に来ていても、大阪界隈の委員の皆さんと会議が出来るのは有り難いことです。新時代の安全、安心の清潔な食生活を守るためのHACCP導入。これに模範的な対応をする試みだけに、私としてはやりがいがあります。

昼からは、新橋の日本カイロプラクターズ協会に赴き、村上佳弘顧問から約1時間施術を受けると共に、あれこれと懇談をしました。この人からカイロの治療を受けるのは珠玉の時間で、まさに〝蘇る生命〟を実感します。更に、夕刻までの時間は目黒区へ。かつて厚生労働省時代に付き合った人たちと連携をとって旧交を温めつつ、都議選支援を訴えました。

●高倉事務所の第一声から「安保研」の定例会へも

最終日の25日は、朝早々に中野区の高倉良生事務所へ。新井二丁目にある事務所は私にとって忘れられぬ場所。20代から30代にかけて、都議選で駆け巡った頃の中心拠点でした。近くに住む友人夫婦を呼び出し、候補者に会わせることが出来ました。コロナ禍下の選挙とあって第一声にも殆ど聴衆はなし。私とその友人夫婦の3人は貴重でした。お昼までの時間は中野区大和町方面に友人を求めて足を運んでみました。

お昼からは、内幸町の日本記者クラブ9階で、一般社団法人「安保政策研究会」の例会へ。浅野理事長始め10人で昼食をしながらの、いつもながらの懇談会。話題は専ら都議選に始まり政局の行方、自民党の動向を巡っての内政でした。外政については、私から邉見伸弘さんの著作『チャイナ・アセアンの衝撃』を取り上げてみました。日本の対中観の歪みについて、経済の視点に絞って、地域経済圏の単位で見ることの大事さを強調しました。その上で、中国人の若手研究者の意見を求めたところ、ほほ同意を得ることが出来たのは、確かなる収穫でした。

以上のように、各種行事に顔を出しながら、選挙支援を訴えてみたのです。例えば、冒頭の栃木県のメンバーには要望の会が終わったあと、東京都における友人夫婦、知人の存在を聞いたところ、1人だけ北区に親族がいることが分かったのです。このように、慌ただしいスケジュールでしたが、多くの成果を出せたことに満足でき、夕刻には兵庫に向かって帰路につきました。(2021-6-26)

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中国の半導体生産力、都市経済圏の凄さー日本人が知らない現実(下)/6-21

●トランプ去って、様変わりの風景

英国南西部コーンウオールで開かれていたG7をテレビや新聞で見た限り、トランプの姿が消えて、ジョンソン英国首相のはしゃいでるかの風景が目立った。「ミニ・トランプ」と言われたほど、何かと物議を醸すパフォーマンスの多い人物がホスト役だったのだから、表面的には当然かもしれない。逆に、トランプの後釜であるバイデンの影は薄かったかに見える。現場から遠く離れた日本で見る映像や報道は、意外と、事の本質を垣間見せてくれたのかもしれない、と思ってみたりもする。

何より象徴的なことに思えるのは、アメリカが中国に対抗するために、皆で立ち向かう必要があると、いわば仲間に助けを求めたからだ。この会議で採択された首脳宣言では、中国の人権問題や覇権主義的な動きを牽制し、民主主義の優位性の揺らぎに懸念を表明したとの見方が一般的である。「アメリカ・ファースト」のトランプ去って、ついでに台頭する中国の巨像を覆うベールも剥がされた感がする。米英日の協調姿勢が目立つ一方で、独仏両国の異論も仄見える。問題は政治よりも経済にあろうと思われる。

●中国経済大進撃の背後に三つの要因

中国・習近平政権の誕生いらい8年。経済的側面におけるこの国の進展ぶりは著しい。前回に触れたように、一つ目は、既に随所で語られている「半導体生産」に見る実績である。半導体市場調査会社が発表した統計(2018-2-25)によると、中国の企業は10年前までは、世界のトップ50に入っていたのは一社だけ。それが、2016年には11社にまで増え、更に2017年にはトップ10に2社も入った。そして、2018年には華為(ホァーウェイ)傘下のハイシリコン社が米のアップル社と並ぶまでになったという。その上、世界で最も速い通信用チップを最初に創り出したことで、関連業界に衝撃を与えた。3年前の話である。

二つ目は、中国の巨大経済圏の群雄割拠の実態である。普通の日本人の感覚では、中国に1億人前後の人口を持つ都市の固まりが5つもある、との認識は遠い。ところが、北京、天津の北部に1.1億、上海、南京、杭州など東部に2.2億、重慶、四川、成都など西部に1.2億、湖北、湖南など長江中流の中部に1.3億、そして広東、深圳、香港などに7千万といったように、見事に勢揃いしている。それぞれがありとあらゆる産業を主導する都市群を形成しているというのだ。

しかもこの経済圏がアセアン各国としっかり繋がっているという。私はこれらのことを邉見伸弘の『チャイナ・アセアンの衝撃』を読んで知り、心底たまげた。中国経済力を半ば舐めているうちに、アセアン各国と経済の論理でしっかり繋がっている都市群の存在を突きつけられたのである。「赤い中国」は政治の論理からすると馴染まないはず、は誤認識の要因だった。まさに「日本人だけが知らない巨大経済圏の真実」を知らされ、既成の観念が音を立てて崩れていったのだ。(この項、3回で終わる予定でしたが、もう一回延ばします。 2021-6-21)

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