【142】立法権と行政権の改革への取り組み━━「民主主義の見直し」議論に向けて(下)/2-2

●直に立法への参加もたらす「くじ引き民主主義」

 抜本的な民主主義の有り様の見直しや刷新を考える上で、必要な角度は2つある。第一に、立法権の改革であり、第二に、行政権の変革である。ここでは今、世界で議論されているテーマについて、概括的に触れた上で、問題提起してみたい。

 まず、立法権について。これまで「政治改革」が叫ばれるたびに、選挙制度の改革が取り沙汰されてきたが、その次元の話だけではすまない。そもそも「代議制民主主義」の基本が問われている状況下にあって、本来的に問題にすべきは、「直接民主主義」の是非であると思われる。

 今、世界各地における地方議会レベルで、「分散型ピア政治」(対等な立場による政治)なるものが展開しているという。ジェレミー・リフキンの『レジリエンスの時代』によると、発端は1989年のブラジルだという。地域内のコミュニティ組織を中心に、新たな予算への提案を募る一方、代表者を選んで「ピア議会」を開催して、合意を得ていったというものである。こうした「参加型予算編成」は、今や教育、公衆衛生、警察活動など全世界の地方自治体において広まっている。

 こうした議会の代表者の選び方は、通常の選挙によるのではなく、いわゆる「くじ引き」に匹敵するものによるというから驚く。市民の中からの無作為抽出で選ばれた人たちが地域の課題解決にむけて、そのためだけの特別な議会を形成し、ことに当たるというものだ。日本的にはイメージとして「裁判官員制度」を想起すれば良い。日本でこの問題に詳しい吉田徹同志社大教授は、「民主主義がそのポテンシャルを発揮し続けるためには、民主主義は常にアップデートされる必要がある」(『くじ引き民主主義──政治にイノベーションを起こす』)と述べたうえで「(このやり方は)みんなが平等な条件でもって、共同体の意思決定に参加することができる民主主義だ」と宣揚している。

 これだと、選挙が終わればあとは知らない、関われないではなく、直接的に立法作業に誰でも関われるという利点が生じる。日本でも導入が期待されよう。

●AI時代に求められる日常的行政のチェック

 ついで、行政権をめぐって。一般的に、民主主義といえば、選挙における投票権を連想するはず。しかし、有権者は一票を投じたら、後は当選した議員を見守るだけ、いや見守りさえしないという人が多い。尤も、政党や政治家に関わりを持つ人々は様々な政治的課題、特に地域内の問題解決に向けて動く。その過程で、行政における執行権を持つ中央官僚や地方自治体の役人に接触する。

 わかりやすい例として、戦後間もない頃に制作され、日本映画史上最高傑作との評価が高い黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』を挙げたい。胃がんに冒されたある市の市民課長が死の直前半年ほどの間に、市民と共に公園建設に尽力することで、生きる価値を実感するとのストーリーである。この映画の最終場面で、この課長が文字通りの命懸けの行政権を、彼を動かした主婦たちと共に動く。このケースが典型的なのだが、同時に極めて稀なものとして、現代の市民たちの間では概ね忘れられてしまっているように思われる。

 さらに、最近話題の宇野重規・東大教授とジャーナリストの若林恵氏による『実験の民主主義』は、AIの時代における新しい政治参加モデルの可能性を模索し、具体策を提案したものとして特筆されている。著者たちは「政府の情報を開示させ、単にそれをチェックするだけでなく、自らの意思や問題意識をより直接的に政策に反映させることが出来る」と、日々の行政権への働きかけを推奨している。AIの登場で、新しい時代は新たな行政のチェックを必要としているというのだが、意外に日常的に行政権への参入の道が開けるかもしれない。

 公明党は、今年結党60周年を迎える。この党の最大の業績は「市民相談」の実践だと、当初から見守ってきた私は、誇りに思っている。市民と議員がタッグマッチを組んで、行政権を突き動かし、民主主義の土台作りに貢献してきた。AI時代にあっても先駆的役割を新たに生み出せるよう、期待したい。(この項終=2024-2-2)

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【141】自民党の「解体的出直し」ではなく、解党=分党を提案する/1-26

 自民党の政治刷新本部の中間取りまとめを見て、呆れた。こんなことで国民が納得すると思っているのだろうか。自民党支持者はともかく、普通の一般国民はとても理解できない。まず、事態の認識から間違っている。冒頭にある「今般、自民党の政策集団における政治資金パーティーにおいて政治資金規正法違反の不透明、不適切な会計処理が指摘され、特定の政策集団の行為により、自民党全体に国民の厳しい目、強い疑念が向けられている」の一文である。「特定の政策集団の行為により」というのは、安倍派の行為を指すと見るのが常識だろう。だが、他の政策集団(いわゆる派閥)も大同小異。自民党全体が厳しい疑念に晒されているからこそ、「政治刷新」が求められているのに、のっけから間違っている◆冒頭の結論部分にある「決意」もおかしい。国民の信頼を得るために、「わが党は解体的な出直しを図り、全く新しく生まれ変わるとの覚悟で、信頼回復に向けた取り組みを進めなければならない」というくだりだ。「解体的な出直しを図り」というなら、ここは覚悟を述べるだけでなく、ずばり解体=解党するしかない。その場合、今の5つの派閥ごとに、分党するのが最もわかりやすく、手っ取り早い。それは殺生な、無茶な、というのなら、百歩譲って、本来の政策集団の集まりらしく、テーマごとに違いを明らかにして再編成するのがいいかもしれない。この党は昔から今に至るまで、左右雑多な政策を信奉する人たちの集いとされてきた。いい機会だから、政策の差異を明らかにしてさっぱりと腑分けすればいい◆ちょうど時を同じくして、東芝が上場廃止に追い込まれた。経済の世界のことで、政治とは違うという勿れ、東芝のことここに至るまでの状況と、自民党が今直面している事態は極めて類似している。東芝の危機の発端は06年に買収した米原発子会社の不審にあったとされる。その後、リーマンショックやら東電福島第1原発の事故が重なった。自民党の政治差配の歴史も30年前のリクルート事件を持ち出さずとも、近年の首相経験者への疑惑を始め、閣僚級の犯罪に事欠かない。共にする不祥事の根っこには、自らが招いた「経営への不信」と、「政治運営(政営)への不審」があるという他ない。こうした類似性を知ってか知らずか、今回の中間報告では、ことの原因を「現行の法律ですら順守が徹底されていなかったこと、すなわちコンプライアンスの欠如にある」として、「コンプライアンスの強化を図る」一方、「ガバナンスを強化する」という。これらの言葉、元を正せば異国の企業経営に使われてきたもので、コンプライアンスとは、外的法的なルールであり、ガバナンスは自らを律する力といえる。日本の政治の根幹を束ねる集団が自らの不正を改めるにあたって、経済的外来語を用いるのは本気度を疑うだけでなく、いかにも侘しい◆さて、自民党を分党して解党すると、にわかに政治は緊張感を増して面白くなる。何回選挙をやっても、おおむね自民党が勝つという類型パターンは姿を消す。テーマごとに既成政党と旧自民党派閥政党の組合わせで連立すればいい。公明党にとってそれこそ、かつて望んだ「夢」だった。「55年体制」の打破を夢見た私など、自民党との連立は、内側からこの党を糺すため、言い換えれば、壊すためだった。「自民党をぶっ壊す」というセリフを小泉元首相に先に使われてしまったが、ようやく本来の意味でのその機が熟したといえよう。公明党が「政治改革の旗振り役を担う」というのなら、そういう事態を引き起こしてこそ、真実味を増すに違いない。30年前の政治改革の旗振り役を担った者の一人として、あの時の二番煎じであっては断じてならないとの深い反省の思いを込めて、そう思う。(2024-1-26)

※『民主主義の見直し議論に向けて』(下)は、次回にずらして掲載します。

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【140】「政治刷新」は〝急がば回れ〟━━「民主主義の見直し」議論に向けて(上)/1-22

 新年早々にNHKテレビが放映した『AI×専門家による6つの未来』なる番組は中々興味深い内容であった。30年後の日本がどんな風な社会になっているかを念頭に、膨大なデータをAIに取り込ませた上で、6つのシナリオを提示させた。専門家の助言を得ながら、どう我々が選択していけばいいかを政治家、学者、企業家らの代表が考えるというものだった。番組の展開は、「地方分散・マイペース社会」と、「多様性・イノベーション社会」の2つに絞り込ませ、結局はこの2つをうまく融合(共鳴)させようとの結論に落とし込んでいった。その過程で私が注目したのは、政治家と学者の考え方・取り組み方の根本的なズレが改めて浮かび上がったことである。

 登場していた政治家は新藤義孝経済再生担当相。一方、学者は、経済思想家で東大大学院准教授の斎藤幸平氏。共に私が個人的に期待を寄せる気鋭のプロフェッショナルだが、基本的な経済思想的立脚点が相違する。前者は、与党自民党の担当閣僚として当然ながら経済の成長を第一義とする。後者は、そうではなく、人間中心の社会を目指すために、脱成長も辞さないことを徹して訴えている。

●政治家と学者の基本的な考え方の差異

 番組の中で、斎藤氏はこの30年の日本が「ビジョンなきバラマキ」に終始してきたと指摘した上で、現状を企業中心でなく、人間本位の社会に変えていくために、国民的な議論を始めていくべきだと強調していた。一方、新藤氏はこの30年がなぜ停滞したかに全く触れず、今が社会を変えていくタイミングであり、いいチャンスだといった風に、前向きに視聴者を鼓舞することに終始していた。若者の考え方が老人中心の政府に反映されていないとの批判に対して、「一度税調の場に来てくださいよ」と切り返していたが、笑うしかない。

 斎藤氏は自著の中で、「政治家は次の選挙より先の問題を考えられない生き物なのだ」と明言している。この日も恐らく再確認したに違いない。一方、新藤氏は《学者は現実から遊離した空論を弄ぶ生き物なのだ》との考えを再認識したかもしれない。この日の議論で、対立する立場を埋めるきっかけさえ掴めなかったのは、見る側としてとても残念だった。

●民主主義刷新の方向性

 新年元旦に能登半島を襲ったM7の大地震で、石川県を中心に被災者が悲惨な日常に喘いでいる。そうした緊急事態を横目に、自民党の政治資金パーティを巡る裏金事件は、幅広い国民各層に政治への幻滅を与え続け、政治不信の拡散は深刻な状況にある。同党内の「政治刷新本部」の動きを見ていて、まるで30年前の〝政治改革の嵐〟当時にタイムスリップしたような錯覚を持つ。「政治刷新」の方向が政治家、政党のカネの行方ではなく、国民大衆の生活向上のための国民大衆のカネの行方を左右する「政治・刷新」に、どうしてならないのか。庶民大衆の嘆きの声が聞こえて来る。

 この状況下で、「政治刷新」の議論は、政治資金を巡っての法的レベルの分野に留まっている場合ではない。この国のこれからの有り様、国家ビジョンにまで及ぶものでなければならないと、強く確信する。その観点で、より大事なのは「日本の民主主義」についての考察であり、見直しである。それが〝急がば回れ〟ということになると、私は思う。(この項続く 2024-1-22)

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【139】「私の動物観は、猫との出会いから。」━━『熊森協会』の会報に寄稿/1-15

 私は、実践自然保護団体の一般財団法人「日本熊森協会」の顧問をもう20年あまり務めています。このたびその会報誌『くまと森と人』(2023冬号)の「熊森顧問のリレー連載」のトップバッターとして寄稿した文章が掲載されました。ここではその一文を転載しますので、ご覧ください。

 にゃんにゃんじいじ── そのむかし、孫が私につけた愛称である。妻は、にゃんにゃんばあば。というのも、猫がいた我が家から娘が嫁いだ先には、犬がいた。いつの日からか、2組の爺さん、婆さんの区別をつけるため、そう呼ばれることになった。略して、ニャン爺。響きは悪くない。もう呼ばれることもない今となっては、とても懐かしい。

 かつて宍粟市一宮町の山あいの集落で演説をした際に、特設演壇の端っこにちょこんと座って聴衆の方を向いていた一匹の猫。〝票集め猫〟と睨んだわけではないが、この猫を貰って帰った時の家族の喜びといえば尋常じゃなかった。この猫との出会いが私のふつうの動物観を変えた。大袈裟なようだが、人間中心主義(人間が一番大事)から、生物主義(いきもの主義=人間だけでなく生きとし生けるも皆大事)への転換だったのだ。

 私が森山まり子さん(現名誉会長)の情熱的誘いを受けて、日本熊森協会と奥山保全トラストの2つの団体に関わらせて頂いて、はや20数年が経つ。つい先日には第9回トラスト地ツアーで、岐阜県高山市の奥飛騨温泉郷を訪れ、焼岳のふもとに横たわる原生林を、米田真理子奥山保全トラスト理事長始め仲間の皆さん20人ほどと共に登った。急な勾配の山道を行くため、予め入念な準備体操をし、熊との遭遇にも備える対策を学んだ上でのことだった。

 常日頃ウオーキングに励んでいるとはいえ、平らな道ばかり。起伏が激しく、時折り崖っぷちを歩くのとは勝手が違う。往復3時間ほどの登山は、紅葉真っ盛りの展望を楽しむゆとりはあまりなく、あたかも罰ゲームを受けているような難行苦行の連続だった。元気で若いスタッフや女性会員の心温まる支援を受けて、事故なく生還できたことは多少オーバーながら奇跡的ともいえ、感謝しかない。

 こんな私が熊と出逢ったのは一度だけ。4年ほど前、室谷悠子熊森協会会長らと一緒に、写真家で自然ガイドの安藤誠さん(熊森協会顧問)の案内で、釧路湿原から知床半島に行ったときのこと。1頭の大きな熊が川沿いで待ち受ける観光客のカメラの放列の前に悠々と登場したのである。シャケを取ってくわえる立ち居振る舞いの一部始終は、まさに舞台俳優の観客の前での演技を見るようであった。

 太古の昔からこの国の山深くに棲みつき、その生活を営んできた熊たち。昨今、人間とのトラブルが取り沙汰されているが、共存への知恵を出して行かぬ限り、日本の、世界の、地球の未来はない。あいも変わらず人間同士が憎しみあって繰り返すウクライナやパレスチナ、アフガニスタン、ミャンマーなどでの戦争。そのニュースを耳目にするたびに心痛めつつ、今のところ人と人が戦争で殺し合わぬ日本だからこそ、動物との共存、共棲の先進国たりたいと、心底から願ってやまない。(了)/2024-1-15

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【138】賀状は自ら出さず返事だけにした初体験考/1-7

 昨年末は賀状を一枚も書きませんでした。人生初めてのことです。人生の師・池田大作先生のご逝去から、49日も経たぬ間に「新年明けましておめでとうございます」と書くことは気乗りがせず、憚られたというのが正直なところです。新年を迎えても賀状を新たに書くことはせず、頂いた人への返信にのみ絞りました。しかも、常日頃連携をとっている友人にはラインやメールで済ませました。また私が顧問をしている一般財団法人『日本熊森協会』の会報(冬季号)に、私が書いた一文がちょうど掲載されたので、それを大型封筒に新年の挨拶文と共に入れて送ったりもしました。結局お年玉付きの賀状に書いたのは100枚だけでした◆この作業を通じ、日本の文化と伝統に根ざした賀状もそろそろ見直す時期かもしれないと思いました。理由の一つは、頂く賀状の殆どが出来合いの印刷されたものが多く、単に「謹賀新年 旧年中はお世話になりました。今年も宜しくお願いします」という定型パターンばかりだということです。私自身は、これまでも出来るだけ相手を意識した文言を添えるようにしてきましたが、一年を通じて会う機会のない人には書く言葉に苦労します。繋がりを断つことは忍びないとの側面はあるものの、賀状だけではなく、他に違う交流の機会を作ってもいいかもしれないと思うのです◆若い世代は賀状離れが著しく、もっぱらラインにアプリで独自の写真などを貼り付けて出すことが流行しているようです。そんなことに輪をかけて、郵便料金の値上げが追い討ちをかけるに違いありません。SNS全盛のこんな時に値上げしたら、ますます郵便離れになり、葉書や封書に書くことは遠のいてしまうのは必至でしょう。かつて、賀状は筆で書こうとしたこともあったのですが、今ではボールペンや筆ペン、あるいはマジックで書いたりしていますから、何をか言わんやです。もはや、とっくの昔に文化と伝統は変質を余儀なくされていると言えましょう◆そういえば、昔はおせち料理も一家の主婦の一年の集大成とでもいうべき側面があって、我が家でも母親が腕によりを掛けて頑張ってましたし、お餅も臼に入れた餅米を杵でペッタンぺったんと、父の声がけで突いたものです。私の子供の頃はそうやって突いた餅を家族総出で丸め、直ちに小豆やきな粉でまぶして食べるのが楽しみでした。祖母から歳の数だけ食べるんやでと言われ、踏ん張ったものですが、子供心におばあちゃんは60個もよう食べるんかいなあと、真面目に心配したこともありました。いつの間にか、我が家の臼も杵も関連器材全て消えてなくなりました。代わりにスーパーやコンビニで買ってきた味気ないお餅を辛うじて元旦だけ食べています。ここでも、「昭和は遠くなりにけり」を実感するのです。(2024-1-7)

 

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【137】「安定」だけではなく「改革」こそ━━新しい年を迎えて思うこと/1-1

 新年明けましておめでとうございます。国会周辺で次々と議員の逮捕者が出たり、政治資金パーティに関連して、捜査の手が自民党政治家に延びるという異常事態が続いています。これをどう見て、どうすればいいか、夫婦の対話方式で考えました。《公明新聞と同様に、新年号ですが、年末に発信しました。》

妻)  年末のニュースを見聞きしていると、暗いものが多いけど、ったく国会は異常ねぇ。第一義的には自民党のしでかしたことだけど、政権を一緒に組んでる公明党も知らんぷりできないどころか、責任あるわよねぇ〜。

夫)そうだね。残念ながら、ことここに至るまで、気がつかなかったのかというのは酷だけど、共産党の赤旗しんぶんに指摘されて、大騒ぎになるというパターンは本当に悔しいよ。与党も、ほかの野党も、いやメデイアも、みんな責任あり。徹底的にウミを出さないといけない。

妻)それはそうだけど、そうみんなの責任にする前に、まず公明党のことが心配ですよ。友達に会うと、公明党がついていながら、この体たらく、もともと、政界浄化の旗印は公明党の専売特許じゃあなかったの、って皮肉混じりに言われて、とっても辛いわよ。

夫) 男の場合というか、僕の友達なんかは、まあ、政治はカネがかかるから仕方ない面もあるよなぁと、物分かりのいい面を見せているけど、突っ込んで話すと、それにしてもひどすぎるって言うよね。特に安倍派については、腐り切っているとの見方をされても仕方がないかもしれないなぁ。

妻) そうよね。とくにうちの明石は、西村やすとし前経産大臣の選挙区で、公明党との関係も深い人物だけに、ショックだっていう人も多いわよ。あの人は側近No. 1を誇りにしてたもんね。新聞報道では自民党県本部の集めたお金よりも、あの人ひとりの方がパーティ収入を沢山集めているって言うから、呆れるわ。

夫)安倍派の5人組といわれる幹部たちへの検察の追及を、故安倍晋三首相への怨念だとする見方もあるけど、事の真偽はさることながら、一般的に彼の内政面、とりわけ第二次政権での強引極まりない姿勢は問題視する向きが強かったよね。

妻)例のモリ、カケ、サクラって言われる一連の疑惑でしょ。あれは元総理自身の犯罪でないかとさえ、見られていたからね。公明党との関係も強いから、心配したけど、こういう形で噴出するっていうのは驚いたわ。当時、サクラの現場で、山口代表や太田さんが安倍さんと一緒に壇上に上がって祝杯あげてたのを見て、危ういなあって思ったんだけど。

夫) まあ、あれは政権を一緒に組んでる限りはお付き合いの側面もあるからね。それより、山口代表が政権の「安定」の大事さを強調し過ぎることに違和感を感じてきたね。「安定」は自民党のセリフで、公明党はもっともっと「改革」を言わねばって思ったよ。公明党は野党の時から「改革の政治」を掲げてきた中道政治の党だからね。与党になったのは、改革をするためで、それを犠牲にして安定を目指すのは本末転倒だと思うよ。

妻)そうよね。「大衆と共に」という結党以来の創立者から示された旗印も、「改革」あってこそっていうか、それを無視したら、大衆からそっぽ向かれてしまうわよね。

夫) その通り。公明党の立ち位置は本当に大事だよ。ここは自民党に寄り添いすぎてしまわないで、政治とカネに関してはどこまでも厳しく差配していってほしいね。それに加えて、政治資金の使い方に関する改革案を出して、よしとするんではなくて、もう一歩進めて、この国をどこへ持っていくのかという国家ビジョンなどをもっと自民党との間で議論していってほしいね。

妻)そうそう。今年は公明党にとって「結党60年」の節目の年よ、思いっきり頑張って欲しいわね。

 

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【136】老いて妻と死別することの切なさ辛さ━━4人の友人の場合/12-25

 年老いて連れ合いと死に別れるというのは辛い(と思います)。この歳になると、身の回りにそうした人たちが増えてきていることを実感します。先日来、豊岡、尼崎、西宮、神戸の仲間たちとの懇談を続けてきましたが、それぞれの地でその寂しさを聞かされてきました。彼らをどう励ましていけばいいか。今のところ私がやってるのは、そういう未亡人ならぬ、老いたる独身との話し相手になったりすることぐらいに過ぎません。ですが、逆にこちらが励まされる場合もあります◆西宮の元公明党市議のKさんは少し私より歳下ですが、妻君に先立たれる前の1年間に、炊事洗濯家事万般の手ほどきを受けたといいます。この話を聞いていて深い感動を覚えました。私も、作ることから皿洗いまでの料理作法は言わずもがな、シャツの折りたたみから、服の手入れや収納、果てはトイレやお風呂の浴槽の洗い方まで、何一つしたこともなく、妻に任せっきりで50年間生きてきました。Kさん夫婦の伝授のあり様は、今も想像するだけでジーンときます。彼がさる12日に明石に来てくれ、一緒に食事をして、明石城公園を散歩して喫茶店でお茶を飲んで、〝これまでとこれからの人生〟を話し込んだ合計3時間ほどは互いに珠玉の時間でした(と思います)。別れ際に「魚の棚」の魚屋で二切れの焼き魚を買って帰った後姿も忘れられぬ一コマでした◆一方、神戸市に住むもうすぐ90歳に手が届くT元市議のケース。20日に三宮で懇談しました。様々な外部の友人たちとのグループを幾つも作って、食事を共にしながらお酒を飲み、親睦を深める中で、信仰、政治を語るといいます。時に聖教新聞であったり、公明新聞だったりするのでしょう。気に入った一節、一文を持っていって読み聞かせることもある、と。楽しそうでした。この人はとてもオシャレ。帽子ひとつにも、ステッキ一本にもそれを選んだお人柄が滲み出ているかのようです。この日、懇談の場に赴く途上歩いていて、突然通りすがりの中年の男性が、「いい帽子だねぇ」とTさんに声をかけてきたのには驚きました。こっちが「でしょう」と応じていると、そのあと数秒、当のご自分の身だしなみについてのこだわりをひとくさり。この披露には笑えました。さすが、神戸・三宮です。みんなお友だち。気安く声を掛け合うのは私も好みですから◆一方、高校時代の友人F君は奥さんをなくしてもう7-8年。当初の寂しさを紛らわせるためもあってか、〝昔とった杵柄〟のごとく絵筆を取り出し、色んなところに行って風景をスマホに撮し、それを持ち帰って傍らに置き、油絵、水彩画と描いているといいます。同じ趣味を持つ人たちのグループに入って年に2回ほどの展覧会に出品するのを生き甲斐にしているようですが、なかなかの腕前で私はとても彼の画風が好きです。近く出版予定の拙著の挿絵に使わせて貰う予定です◆また、中学校いらい60数年にわたる親友Sのケースは、胸締めつけられる思いになります。亡妻の在りし日の佇まいを思い出させる大阪のマンションには住めないと、数ヶ月後にまかない付きの池田市の老人ホームに移り住みました。4年ほど前のことです。当初は、自転車を漕いで公園に行き、青空を見上げ亡き妻の名を呼び叫んだと聞きました。その後コロナ禍に巡り合わせ、監禁状態に。今は、図書館通いの読書三昧と想像しますが、若き日に生と死について考え抜き、10年ほど前のブログに『こんな死に方がしてみたい!』という長期大型連載を書いていた男だけに、いつまでも元気でいて欲しいと思うことしきりです。4人4様です。つくづく考えます。逝くのはこっちが先、と勝手に思い込んできましたが、さて、さて。(2023-12-25)

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『135』この政治の惨状をどうする──架空の対話方式で考えてみる/12-18

 自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金疑惑が燃え上っています。ここでは、この政治不信の元凶をどう見たらいいか、これからどうすればいいかを、架空の対話形式で考えてみました。

A   政治家が人様からお金を貰ってパーティをやって、そこで得たお金の収支報告がズサンだったなんて、まったく政治家も政党も信用できないね。

O  「政治とカネ」をめぐってはむかし昔から問題になりながら、結局は解決出来ない。これでは政治不信が高まるばかりで、お先真っ暗だね。

A  首相は、党全体として強い危機感を持って一致結束した対応をはかる、国民の信頼回復のために火の玉となって自民党の先頭に立つ、と記者会見で言ったようだけど、自民党はもう「火の車」じゃないのかなぁ(笑)

O 一致結束して、国民の信頼回復を図るためには、まず再発防止策を、ということになっているようだけど、犯罪に手を染めた当の連中がこれからはやりませんのでって、自分たちで法律作るって何かおかしくない?

A  それはちょっと言い過ぎかも。でもこれまで何度も政治改革、政治家改革が叫ばれ、その都度それなりの対応策や法律が作られてきたけど、結局法律の隙間をかいくぐるというか、裏をかいてきた歴史があるからね。

O 30年ほど前のいわゆるリクルート事件に端を発して起きた「政治改革」論争は、結果として選挙制度改革をやった。当時の中選挙区がカネのかかる元凶だとして、小選挙区比例代表並立制に収まったんだったよね。今度はまた中選挙区制度に戻せって声が起きてくるかもしれないね。

A  選挙制度を変えて30年。結局今の制度は自民党一強を作り出しただけで、巨大勢力の驕りを産むことになった。かつての田中派は、今の安倍派で、自民党は性懲りもない連中の集まりだねぇ、としか言いようがない。選挙制度をいじっても変わらないだろうね。

O 今回のことは罪は全て安倍派ってことになりそうな感がするけど、どの派閥も似たりよったりかもしれないよ。自民党はある意味で「日本党」といえるから、いわゆる日本人らしい特質を全部持っているんだろうね。

A  ここで日本人論をやっても拉致があかないよ。それに現状を嘆いてばかりいても仕方ないし。これから、どうすれば日本の政治が、政党が、政治家が変わるって思う?

O そうだね。世界を見回しても、どこも大変というか、民主主義の危機やら専制主義の横行が目立ってるね。アメリカは前大統領自らが民衆を焚き付けて暴動を先導したし、ロシアや中国も言わずもがなの実態だね。

A  危機的状況にある民主主義をよりまともなものにしようっていう動きがヨーロッパや南アメリカなど世界各地に起こりつつあるって聞いたけど、どういうことなのかなあ?

O ああ、住民が政治家に任せるだけでなく、自分たちで自らの地域の政治選択に関わろうという試みだね。「分散型ピア」とか言われてるっていうけど、簡単にいうと、選挙じゃなくて、くじ引きで民衆の中から、その任にあたる人を選ぶっていうんだよね。つまり、裁判員制度のようなものといえばいいか。

A  それって面白いかもね。実際にやるには色々問題あるだろうけど、やらないよりましかも(笑)。少なくとも、今のように、国民の税金を沢山使って、政治家を選び出したところで、ロクなことはない、となると、ね。

O  勿論、国会レベルでなく、地方議会に限定されてるし、くじ引きで選ばれた民衆が方針を決めても、実行にうつすのは、現行の仕組みを活用するしかないんだよね。そうだけど、基本的な方向を決める段階で無名の住民が関われるのはすごくいいことだってわけだろうね。

A  大昔のギリシャの頃の「直接民主主義」を連想させてちょっぴりわくわくしてくるよ。この面でも日本は遅れてるねぇ。ともかく、従来通りのパターンでなくて、全く違う角度からのアプローチをしないと。

O  ともあれ、今回の騒ぎを、適当な再発防止策でお茶を濁したりするだけで終わらせず、大所高所から多面的な議論をして、国民が希望を持てるような方向を見出してもらいたいね。(了)

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【134】但馬から尼崎へ━━歴戦の同志たちと語らう/12-11

 先週木曜日の7日に兵庫県北部の和田山から豊岡へと、但馬方面に行ってきました。播但線で姫路から往復6時間ほどかかりましたから、ほぼ東京に行くのと同じです。同じ県内でも兵庫は広いと改めて実感したしだいです。目的は公明党のOB議員と懇談するためです。実は、これを皮切りに、県下に住む150人ほどの仲間たちと順次会って行こうと心に期しており、その第一弾です。翌々日の10日には兵庫東部の尼崎に行き、同じように、懇談会をやってきました。ここでは、この二つの語らいの中身をかいつまんで報告します◆まず、和田山から。ここには但馬、丹波領域に住む21人中16人が集まってくれました。病気療養中のメンバーを除きほぼ全員です。一年に一回この時期に集まり、それぞれ近況報告をしたり、翌年に向けての決意を披歴しあってきました。元気な報告が相次いだ中で、香美町というこの地域でも、とりわけ山あいにある過疎地域の男女2人の話が気になりました。Tさん(女性)は、地域住民から相談をうけるものの自分の手に負えないテーマが舞い込み処理に困っているとの悩み。もう一方、Nさん(男性)は、中山間地域の抱える問題の根本的課題対応にもっと党中央は発信をすべきだが、一向にそれが届いてこないとの苦情でした。前者には同席していた現役のT市議に対応を頼み、後者には私が手を打つことを約束しました◆終了後、T市議の車で、この方面の責任者であるM元市議と一緒に、日高町を経て、豊岡市に走り、半年前に病死(享年77歳)したHさん宅を弔問しました。仏間に入るなり、「もっとあの人の世話をしてあげたかった。悔しい。寂しい」と泣きじゃくる未亡人を懸命に励ましました。既に落ち着いておられるはずと正直思い込んでいましたが、想定外の事態に驚く一方、夫婦の絆の深さを改めて実感したものです。生前の彼が書道の達人とは知っていましたが、仏間の四方の壁を飾る掛け軸の書体の見事さに改めて感じ入りました。聞けば奥さんが、掛け軸作りの技術を身につけてきたとのこと。幾たびか、ふたり展もしたというのです。ふと見ると、書棚の上には「良き友が使命を果たし先に逝き」とのMさんの五七五の句が色紙に飾られていました。豊岡市議として共戦してきたMさんとHさん2人の篤い友情に、涙ぐむことを禁じ得ませんでした◆ついで、9日の土曜日は、尼崎へ。ここは結党以来兵庫県公明党を牽引してきた模範の地域です。岡本富夫、冬柴鐵三の大先輩、その後を今に継ぐ中野洋昌衆議院議員を支えてきた数多の歴戦の闘士たちがいます。この日は代表9人が中野事務所に集まって語らい合いました。私は冒頭、これまでの激闘に感謝すると共に、「30年前の尼崎市議会の不祥事」に対して十分な対応措置を県本部が取りきれてこなかったことへの、〝赤松個人のお詫び〟を率直に表明しました。「今ごろなぜ」「遅すぎる」との声は十二分に解りながら、自身のけじめをつけておきたいとの一心でした。〝風雪の30年〟の中で、既に故人となってしまわれた同志も少なくありません。もっと早くにこういう機会を持つべきだったとの深い悔恨の思いを抱く一方で、これからの戦いで、悔しさを払拭しようと決意を新たにしたしだいです。もちろん、反省ばかりでなく、これからの闘いに向けての私自身の深い思いをも述べ、皆さんの手応えも感じることができました。但馬、丹波、摂津の一部と、兵庫五国のうち三国での懇談をとりあえず済ませて、それなりの充足感にひたれて今、心底満足しています。(2023-12-11)

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【133】前衆議院議員会、観光庁への要請、姫人会の開催──終盤国会・師走の永田町周辺を行く/12-4

 衆議院議長公邸。12月4日午後──約半年ぶりに、前衆議院議員の会が開かれました。開催者は、時の衆議院の議長。今回は額賀福志郎氏。前回は細田博之氏だったものの、去る11月10日に亡くなったために、今回は交代した新議長による招集でした。メインテーブルには前議員会の会長始め、元首相や元議長、元副議長が座ります。型通りの挨拶があり、「旧交を温める」場面が続きます。私も毎回懐かしいメンバーとの新たな出会い(例えば前回は福田康夫元首相や、明石の泉房穂前市長)があり、それなりに「面白い」集いなのですが、今回は元民主党政権の閣僚だった海江田万里、城島光力氏らとの会話を楽しみました◆話題は当然ながら、「政権交代の可能性」。岸田内閣の「支持率低下」が続く中で、一向に立憲民主党への期待感が起きてこないことへの不満を私は彼らにぶつけました。日本の政治の発展のためには「政権交代」が必要だからです。安倍晋三元首相が最初の政権での失敗から立ち直って、カムバック後に成功したことを見倣って、「立憲」も再挑戦すべし、と〝善意の焚き付け〟に精を出しました。かつて「反自民の社公民路線」を記者として取材し、のちの〝幻の政権政党・新進党〟の中核だった公明党議員のひとりとして行動した立場からすると、歯痒い思いを持つ、と。「迷走する自公政権」をしっかりさせるためにも〝野党第一党の健全化〟が不可欠です。彼らからは、後輩たちにその旨伝えているのだが、今一反応が弱いとの嘆きと、政策的側面では公明党と一致することが多かったと昔を懐かしむ言葉が相次ぎました◆これより先、午前11時からは総務省の中にある国交省・観光庁に、加藤進次長を訪ねて、「観光教育の普及」に向けての取り組み加速化を要請しました。この課題は、コロナ禍前の2019年頃までに、全国の幾つかの商業高校の現場で自発的に挑戦されてきた試みがベースになって、仕組みとして国が取り入れるべしとの機運醸成に繋がっていったものです。徳島商業高校の鈴鹿剛氏(現四国大教員)や岩倉高校の大日方樹氏ら担当教諭が軸になっての懸命の努力が実を結んでいきました。この日は、両氏に加えてアドバイザーの勝瀬典雄氏(関学大)と、私も一緒に訪問しました。2020年度には、ひとたびは、初等中等教育における観光教育の推進に関する協議会の開催にこぎつけたのですが、迫り来るコロナ禍のために後退を余儀なくされてしまっていました。それをなんとか元に戻して再出発させたいとの思いで、この日の要請になったものです。コロナ禍前の事情を知悉する同次長は、問題意識を共有し課題解決に向けて努力するとの積極的な発言がありました。鈴鹿氏らはこの日の観光庁の対応姿勢に一定の安堵感を持つ一方、今後に向けて更なる尽力を確認し合っていました。私もかねてから関わってきたテーマだけに、しっかり連携をとって支援していきたいと自覚を改めました◆夕刻5時からは西麻布の霞会館で開かれた、姫人会(東京在住の姫路出身の有志の会で、私の上京に合わせて開催)に出席しました。この日は10年ぶりぐらいに参加した平島博行・元(株)ライオン副社長と初参加の元外務省OECD大使の登誠一郎氏の挨拶を皮切りに参加者8人全員の近況報告で盛り上がりました。平島氏は、1941年生まれの82歳。定年直後の2011年にCAMINO DE SANTIAGO (スペイン巡礼の路)800キロに一人で挑戦し踏破されました。仕事一筋の47年間の人生を終え、若き日からの念願だった「誰の手も借りず、自分ひとりで何が出来るか」に69歳で挑んだお話は実に聞いていてワクワクするものでした。その旅は2011年のことで、コロナ禍の巣ごもり生活の中で9年後の2020年に『スペイン巡礼の路ひとり歩き』を上梓、出版されています。ついで偶々同い年の登氏は外務省生活で仕事として60数カ国を訪れた経験に加え、父祖の出身地姫路への思いを込めて定年後に取り組んできた観光大使を始め、姫路発展への数々の試みを話してくれました。実は登さんは、一般社団法人『安保政策研究会』の理事でもあり、私の先輩にあたる仲間です。最近は私は遠方ゆえ定例会は欠席続きですが、出席した時は舌鋒鋭い登さんの議論に感動を覚えたり、隔月発刊の「安保研リポート」で寄稿を競い合ったりしています。この2人の報告にリードされ、残るみなさんも次々とこの一年の動きを熱っぽく語ってくれました。通常、70歳過ぎの〝リタイア組〟の集いは、〝病患い談義〟に終始しがちになるのでしょうが、この日は全く違った生き生きした第二第三の人生の競い合いになりました。(2023-12-6)

 

 

 

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