【108】「自公のパイプ論」の中身について立ち入る/5-29

  このところ、10増10減の小選挙区割りに伴う候補者選びで、自公間で揉めているとのニュースが散見される。またか、の思いは禁じ得ないが、気になるのは、両党間に亀裂が生じているとの解説である。自公間のパイプが細くなっていることが原因の一つというのだが、果たしてどうだろうか。ことの是非はともかく、両党の関係を見る際に、メディアが直ぐ持ち出す「パイプ」なるものの正体を考えてみたい◆ここで持ち出されているのは、以前は誰がいて相手の誰々と親しかったがゆえに関係が強かったという人間関係論である。政策については日常的課題として議論の対象になっているが、もっと大事なのは国のあり方をめぐる議論の深化ではないか。自公両党が連立を組むようになって20年を越えている。この間に、日本をどういう方向に持っていくのかについては、あまり議論されたとは聞かない◆自公両党間で「パイプ」なるものが機能しているとしたら、それは「選挙」に関するものだけかもしれない。それだからこそ、利害得失でグラッとくると、すぐ大騒ぎになる。かつて、自民党の兵庫選出の大物参議院議員の応援演説をした時のことを思い出す。私は、彼とは出身高校、大学、気質、人間性などいかに違っていても、自由と民主主義を守る、共産党や民主党(当時)とは相容れないという一点で共通すると、大見えを切った。ところが、その直後に2人きりになった時に、彼はニヤリとしつつ「あんたはあんな演説したが、あんたとわたしじゃあ憲法観が違うよ」と言われた。もう随分前のことだが、忘れられない◆彼は私の弁説のあと、自身の演説の最後に「創価学会の人、公明党の人おるか」と、声を張り上げて呼びかけ、「あんたらに応援して貰わんでええで、わしひとりで通ったるから」と言ったものだ。彼は憲法観と言ったが、それだけではなかったと思う。彼の議員会館の執務室には、よくわからなかったが、拝むべき対象のようなものが祀ってあり、蝋燭の火も灯っていたからである。自民党にも十人十色で様々な人がいる。当たり前のことだ。私はそれ以来、連立を両党が組み続けるなら、憲法9条をめぐる「戦争と平和」観、宗教観という人間の根幹にまつわるテーマについては、難しいことだろうが機会を見つけて、語り合う大事さを痛感している。(2023-5-29)

 

 

 

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【107】核軍縮どこが前進したかの見極めを❸/5-25

 24日の衆議院予算委員会で、G7広島サミットを巡る問題を中心に内外の諸課題が議論された。冒頭の発言を含めての質疑で、岸田首相は、①各国首脳に被曝の実相に触れてもらい、それを世界の隅々に発信することができた②グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国との関係を深めることに成功した③(ウクライナのゼレンスキー大統領が参加することで)法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を堅持し、力による一方的な現状変更は認められないという点で認識の一致が得られた──などを大きな成果として誇った。これに対して、立憲民主党など野党は、非核化への道筋が見えないとの被爆者団体の反応をもとに、疑問を投げかけた◆与野党の立場からすればこの相違は予め予測されたことであったが、私にとって残念に思えたのは、公明党の質疑だった。G7として初めて核軍縮に焦点を当てた首脳文書「広島ビジョン」が、公明党が事前に示した提言に符号していたと、評価するというのだが、果たしてそうか。大筋の方向性の一致は当たり前で、どう具体化させるのかについては殆ど見るべきものがなかったというのが正直な受け止め方ではないのか。広島サミットを機に「核軍縮への転換」を、と訴えた(5-17付け公明新聞)ことに、「核軍縮 G7で前進」(5-25付け)とあるが、どこがどう符号したというのか◆提言では、今年11月に開かれる核兵器禁止条約の第2回締約国会合に、日本としてオブザーバーで参加し、核保有国と非核保有国との「橋渡し」の役割を果たすよう主張していた。なぜ、それが叶わなかったのかぐらいはこの場で聞いて欲しかった。核の先制不使用や威嚇を禁じることについても、どう議論が進められたのかは確認すべきだった。こういう議論をすることは与党の立場からも当然あって然るべきだと思う。それ以外にも、公明党の提言で重要なものが数多くあったのに、それが殆ど反映されていない。にも関わらず、「符号した」「重なる」内容とのやりとりで済ましてしまうのは、勝手に自ら設定したハードルを下げて満足しているようなものではないか◆グローバルサウスとの関与についても、会議の中身は一般的には伝わってきていない。予算委員会はそれを聞き出す絶好の機会のはず。ロシアとの距離においてG7と異なる位置にあるインド、ブラジルを始めとする各国と、どういう議論をしたのかも聞き出して欲しかった。単にウクライナへの支援だけで事足れりとするのでは停戦どころか、戦争拡大にしかならない。複合的な視点から現状を見つめ、打開への道を求めるべきなのに、一方にのみ目を向ける岸田首相に苦言を呈することさえなかったのは、禍根を残すという他ない。(2023-5-25  この項終わり)

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【106】G7広島サミット予想通りの失望❷/5-23

 岸田首相にとって今回のサミットは、各国首脳を「広島平和記念資料館」に招き入れて、改めて核の悲惨さに共感を抱いて貰ったことによる手応えは大きいに違いない。とともに、ウクライナからゼレンスキー大統領がやってきて直接G7メンバーと対話出来たことも西側の結束を確認出来たものとして大きな成果とみられよう。ただ、これらは共にパフォーマンスの領域をでないとも言える。核の廃絶、削減に向けて一歩前進をしたとはいえず、ウクライナ戦争も停戦、終結に向かって前進したといえない限り、会議前とその風景は全く変わっていない◆被爆者の代表たちは口を揃えて「失望した」ことを強調していたし、ウクライナ戦争については、具体的には米国によるF16の供与、訓練の機会など戦争拡大に向けての動きしか見られなかったのは、当初から予測されたこととはいえ、残念の極みであった。とくに、創価学会インタナショナル会長の池田先生が4月27日付けで『危機を打開する〝希望への処方箋〟を」とのG7広島サミットへの提言をしていたが、全く反映されていなかったことも◆その中では、❶2月の国連総会での決議に盛り込まれた〝重要インフラや民間施設への攻撃の即時停止〟を実現した上で、戦闘の全面停止に向けた交渉を市民社会の代表がオブザーバー参加する形で行うこと❷G7の主導で「核兵器の先制不使用」の誓約に関する協議を進めること──なども呼びかけていたのであるが、顧みられなかった。「被爆地・広島は貸座席ではない」とのコメントが被曝関係者から発せられていたが、宜なるかなとの感は強い◆今回の会議には、インドをはじめ5カ国のいわゆるグローバルサウスと呼ばれる国々が招待国として参加していた。この中にはロシアへの経済制裁などにおいて、西側とは一線を画し中立的立場をとるインド、ブラジルも含まれ、注目された。特にインドは今年のG20の議長国であり、存在感は大きいのだが、そうした国との詰めた意見交換があったのかどうか。自分達の陣営に引き摺り込もうとするだけでなく、どうしたら、戦争を終結出来るかをめぐっての議論が重要だと見られたが、それがなされた気配は感じられない。(5-23 つづく)

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【105】G7広島サミットへの目線いろいろ/❶5-22

 G7広島サミットが三日間の日程を終えて終幕した。今回のこの催しをどう見るか。立場によって自ずから違うことは当たり前だが、あえて5つの視点からその成果を問うてみたい。一つは、議長国日本。二つは、NATO傘下の各国。三つは、今回招待されたいわゆるグローバルサウスを代表する国々。四つは、露中といういわゆる敵対国家群。五つは、日本の一般大衆◆まず、本題に入る前に、テレビや新聞メディアを通じて見えてきた会議に臨む各国首脳の思惑を想像してみる。まず岸田から。彼にとっては地元広島で開く、乾坤一擲ともいうべき晴れ舞台。早ければ7月か今秋と言われる解散総選挙を、圧倒的有利に導けるかどうかの試金石ともいうべき重大な機会だった。バイデンは、ギリギリまでリアル参加が疑問視されたほど、「債務上限引き上げ問題」の行方が気になっていた。〝心ここにあらず〟が本音だったはず。後のG5首脳の面々は、大なり小なり、日本・広島の〝異邦性〟に目を奪われたというところに違いない◆人を上辺だけで判断してはいけないが、かつてのヨーロッパ各国の首脳に比べていかにも小粒との感が否めない。首脳たちを、映像を通して、献花場や「平和記念資料館」周辺で見定めることさえ苦労を要したのは私だけではないだろう。英国やイタリアの首脳━━よくいえば生き生きとして、悪く言うとはしゃいでいるように見えた━━に比べて、むしろ、インドや韓国、インドネシア、ベトナムなどの招待国首脳の方が落ち着いて見えた。各国のトップに据わった時期が大いに関わってくるのだが、自ずと備わった風格の是非も気にならないといえば、嘘になる◆そんな場所に飛び込んできたウクライナのゼレンスキーは誤解を恐れずに表現すると、文字通り〝千両役者〟だった。〝危機に瀕する地球〟の今を象徴する〝危機の主人公〟として、当然ながら際立った存在感があった。こう外見を追っただけで、今回の会議の内容が透けて見えてきたのはいかんともし難い。(5-22  敬称略 以下つづく)

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【104】酒よし、城よし、夕陽よし──食と湖と庭園の「松江紀行」/5-18

 京都、金沢、松江の3つの都市に共通するものは何でしょうか?いずれも「茶の文化」が定着しており、それゆえ和菓子の町だということのようです。というものの、それを私が自覚したのはつい最近のことで、高校の後輩で弁護士をするT君から、食文化の奥深さと共に聞かされてきたからです。偶々、先週末13日に私が少し関わるメタバース導入PTを目指す一般社団法人の会合が松江であるため、彼と翌14日に合流して、束の間の「松江紀行」を試みることにしました。この地を今まで訪れたのは僅か2回ほどだけの私と、この地を熟知した案内人との道行きは、格別なものになりました◆まずは昼飯から。客がいつも列をなしているという人気の蕎麦屋「神代」に。この日は20分ほどで入れましたからまずまず幸運。窓越しに増える人列影を見やりながら銘酒「豊の秋」を傾けつつ啜る蕎麦の味は格別でした。ついでに夕飯先も披露しますと、橋のたもとの居酒屋「山一」。カウンターに座って、おでん、しめ鯖と飛び魚のお造り、喉黒をお酒と共にいただき、山盛りのしじみ汁を食しました。さあ帰ろうと、後ろの席を見るとビックリ。4組8人の客がずらりと前の方向に揃って足を投げ出して、皿のものを思い思いにつついておられるではありませんか。狭き場所ゆえの気の毒な姿の〝食卓四重奏〟に笑いを堪えて店を後にしました◆この昼と夕の食事の間に、訪れた先は、明々庵、松江歴史館、松江興雲閣、松江城。なかでも、7代目松江城主・松平治郷(不昧公)が愛用した茶室だという明々庵の落ち着いた佇まいとおうすの味、そして松江城天守閣からの眺めは忘れ難い趣きがありました。お城はついついどこに行っても、我が故郷の姫路城と比較してしまいます。天守閣の豪華さは白鷺城に勝るものは天下にないとはいえ、お堀の立派さと借景としての宍道湖は完全に松江城の方に軍配を上げざるを得ないと言えましょう。夕方6時半からの宍道湖サンセットクルーズでは、見事な夕陽の落ちゆく姿とご対面出来ました。色んな場所で夕陽は見る機会がありますが、格別見事なものに見えたのは、水平線の長さにあるのかと。また途上にある嫁が島の松の木の渋さ加減が抜群でした◆翌朝は、列車で20分ほど東にある安来市の日本一の庭園という「足立庭園」に。かねて名声を聞き及んできたものの、残念ながら失望しました。てっきり庭園内を散策出来るものと思いきや、ほとんど窓ガラス越しで見るだけ。これではいくら日本一と言われても有り難みなし。ぐっと狭いけれども、姫路城脇の考古園の方が未だましと思ったしだい。お昼は、松江に戻り皆美館で。湖畔の料亭旅館で、数多の文人が好んだというだけあって、ミニ庭園も中々の雰囲気でした。勿論料理も◆ついこの間京都で観光学の講義をアレックス・カー先生から受け(前回紹介済み)、オーバーツーリズムのための管理学の必要性を学んだばかりですが、京都、金沢と違って松江は未だゆとりがあるように見受けられました。お土産のお酒と和菓子を前にして、過ぎ去った地を思い起こしつつ、ちょっぴりと幸せを感じています。(2023-5-25   一部修正)

 

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【103】今再びの〝観光立国〟への挑戦──京都先端科学大セミナーから/5-12

 コロナ禍で閑散としていた観光地が一転、どこもかしこも大賑わい。GWの様子を報じたテレビ番組は判で押したように、旅行関係者の喜びと地元の嘆きのツーセット。8日のNHK「クローズアップ現代」では、オーバーツーリズムの問題点を洗い出していました。沖縄の石垣島や竹富島では、コロナ禍でいなくなった〝従業員探し〟に苦労している場面や、丸ごと出されたゴミを仕分けし直す小売店の皆さんの悲哀がしのばれました◆そんな折、「〝観光〟は〝立国〟か」と、いわくありげなタイトルのセミナーがあると知り、わざわざ京都まで行ってきました。主催は、KUAS(京都先端科学大学)。今年初めて卒業生を出したとのことですから、開学4年目の新しい大学です。5月10日夜のこと。会場が比較的落ち着いて見えた京都駅前だったのでほっとしました。なぜ、このセミナーに参加したかというと、実はかつて公明党の番記者だった山本名美さんがこの大学の教授に就任、このセミナーのモデレーターを務めると聞いたためです。親しく付き合った記者さんが大学教授になるというのはそう珍しくはないのですが、女性では初めてです◆カー教授の講演は実に面白いものでした。とりわけ、観光地における〝艶消し〟そのものの看板のオンパレードをパワーポイントで見せられたのは、こちらが恥ずかしくなるほどでした。彼の講演では、駐車場の場所設定などは便利さを追うことでなく、むしろ不便さが大事だとか、予約制の導入や入島料を取るなど、客を選ぶ方向がトレンドだと知りました。観光客も量より質が求められる時代だと改めて気付いたしだい◆この日一番収穫だったのは、「管理」こそ観光のポイントという一点でした。ただ闇雲に観光客を招き入れていると、立国どころか亡国になるのは目に見えているのです。どこの観光地が飽和状態か、まだゆとりがあるかをキャッチし、観光客に選択させる仕組みの確立──「管理」が最優先だということなのでしょう。こうした話を聴きながら、人口の東京の一極集中と同様に、観光客の京都一極集中をどう分散させるのかなどに思いがおよびました。ただし、これは難題。コロナ禍の3年に国は対応の努力をしたのだろうかと思いつつ、帰路についた次第です。(2023-5-12)

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【102】明石市に見る新型ポピュリズムの台頭──統一地方選挙結果から❹/5-11

●日本の政治を変えたいとする人びととのコラボ

 我のみ尊しとする泉市長の論法に辟易したのは、迷惑を直接蒙った隣接市関係者だけではない。子育て政策をむしろ牽引してきたと自負する公明党議員団などの反発は当然だった。泉氏が自身の傍若無人さを棚上げし、ことごとく議会に邪魔をされたかのごとき言い振りに、彼らは、大いに反論があり、忿懣やる方なかったに違いない。

 議会を相手にせず市民大衆に直接呼びかけるパターンは、〝民主主義の異形〟としてのポピュリズムといえる。コロナ禍、ウクライナ戦争による生活不安に悩む人びとにとって、財政基盤の後先も考えぬ大盤振る舞いであっても、良しとする空気は根強い。

 ポピュリズムには「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル」と、「『人民』の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動」との2種類の定義があるとされ、「『解放と抑圧』の二つの顔を同時に持っている」(水島治郎『ポピュリズムとは何か』)と見られる。維新の創始者・橋下徹氏の政治言動にその典型が見られ、今に続く。その政治スタイルの新しいタイプが泉氏の手法だったといえよう。

 市長を辞めた後も、泉氏は自身の進めてきた政策展開を、他の地域に広げたいと意欲を燃やしている。選挙前に出版された彼の著作『社会の変え方』の帯には「日本の政治をあきらめていた全ての人へ」と触れ込む。内容は、自伝の趣きもあり、次の段階に向けての宣言書のようにも伺える。

 同氏の自己過信に対して、「社会の変え方」を説く前に、「自分の変え方」に意を注ぐ方が先だろうとの声は強い。だが、泉氏と違う人物がこれを説いたとしたら、どうだろうか。日本の政治に失望を抱く人びとの呻き声がここでも、またしても響き聴こえてくる。(2023-5-11この項終わり)

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【101】明石市に見る新型ポピュリズムの台頭ー統一地方選挙結果から❸/4-30

●泉市長支持の背景に潜む〝時代の空気〟

 選挙を前に、泉前市長への賞賛側と批判サイドは、くっきり二分化されていた。称賛する人びとは「子育てしやすく、住みやすい町」になったのは市長の力だとの声に代表された。一方、批判する側は、その裏返しとしての、全て自分がやったという身勝手さと、悪辣なまでの自己宣伝に対し、反発を抱いたのだった。

 泉批判の声はこの一年、急速に強まっていた。とくに、専決処分による事業断行について「市長問責決議」が出されたことへの一連の恐喝まがいの発言は決定的で、それゆえにこそ当の泉氏も「引退宣言」をせざるを得なかった(2022-10-12)のである。

 しかし、ことはそれでも収まらなかった。泉氏が「周辺市からの明石市への人口流入について、誤解を招く数字のマジックを使ったこと」や、子育て関連予算で、議会の後押しを受けてきた過去を否定するといった「舌禍」とでも言うべきことに、反発が相次いだ。前者は加古川市の岡田康裕市長(23-1-27)、後者は、前明石市副市長の宮脇俊夫氏(2-15/16 上下2回)によるもので、共に神戸新聞に掲載された。岡田氏は隣接市長としていかに迷惑を被ってきたかをデータを上げて克明に語っていた。宮脇氏は直接泉氏を支えてきたものの、あまりにも無謀な態度に辞表をだすに至った経緯を冷静に書いていた。

 こうした具体的な事実を挙げての批判が続いた。だが、泉氏が政治家を辞めるとの前言をひるがえして、土壇場に出馬するかもしれないとの疑念も消えなかった。それほど泉市長は何をするか分からないとの空気が市中枢部及びその周辺には漂っていたのである。

 しかし、時期が来ればしかるべき人を後継者として選ぶと言っていた泉市長は、その通りの行動に出た。一方、対立する自民党サイドも〝敵の出方〟を見分けかねたかのように、ズルズルと歩調を遅らせ、本格的に候補者を決めて動き出したのは一歩ずれていた。この候補擁立の呼吸━━泉市長サイドが一歩先んじていたこと━━が全てのように外からは見えた。

 選挙に際して、ある子育て世代の女性が「私たちは、市長が市職員にパワハラをしたとか、市議さんたちに暴言を吐いたとかは、殆ど関心がない。それよりも、自分達の生活向上に誰が熱心に取り組んでくれるかが重要だと思う」と述べた言葉が印象に残っている。(2023-4-30  以下つづく)

 

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【100】明石市に見る新型ポピュリズムの台頭──統一地方選結果から❷/4-27

●「全責任は自分にある」と西村経産相

 今回の統一地方選挙結果で全国的に注目されたのは、日本維新の会(以下、維新)の躍進ぶりである。大阪を中心に関西エリアに根強い支持基盤を持つ政党とされてきたが、今回は全国へとウイングを広げた。次期衆院選で野党第一党の座を奪うとの目標も、現実感が増してきたことは否めない。この背景には既成与野党への不満があると見られる。

 維新は、有権者に直接呼びかける手法を多用することからポピュリズムと位置付けられてきた。その点、泉氏が市長時代に議会での合意形成に汗をかかず、むしろ直接有権者の支持を求める動きを強めてきたことはよく似ているといえよう。維新と「明石・泉党」の勝利から、「議会政治のもどかしさ」という〝時代の空気〟が読み取れるのかもしれない。

 泉氏への批判は、度重なったパワハラ・暴言に対するものだけにとどまらず、虚言癖にも及び、その人格、識見を疑う向きは広範囲に広がっていた。「怒りをコントロール出来ない病」であることを自ら認め、「(今後暴言をしないとは)正直自信がない」とまで、告白していた人物の推す候補者が、県議選でトップ当選し、市長候補と5人の市議が上位当選したのはなぜか。〝泉房穂対西村康稔の代理戦争〟で、なぜ泉氏が勝ったのか。

 このエリアの自民党支部長である西村代議士(経産相)が、市長選敗北後のコメントで、「全責任は自分にある」と述べていたが、〝候補選び〟から疑問がつきまとった。連立与党の公明党に、市長候補についてなぜこの人物なのかの丁寧な説明があったのかどうか。泉氏が擁立した対立候補がツーショットのポスターを公営掲示板にまで貼るほどの徹底ぶりだったのに、自民党側は戦略から戦術に至るまでの〝ハズレ感〟は覆いようもなかった。

 では、敗北の責めは、西村氏ひとりに被せれば済むのか。30年もの長きに及ぶ長期経済停滞、向上感なき社会実感──多くは現政権の中核であり続けてきた同氏に帰するところがあろうが、それだけではない。自民党という政権政党の、庶民大衆の苦しい生活の実態を汲み取れない政治感覚━━そこはかとなく漂う〝時代とのズレ〟とでもいうものではないのかと私には思われてならない。

 偶々、この原稿を書いている最中に、古き友から、かの名歌謡曲『高校三年生』の替え歌ユーチューブが送られてきた。その名も『年金生活生』。次から次へと昭和のスターたちの映像があの懐かしい昭和のメロディと共に登場する。込み上げてくるものを抑えられない。こんなはずじゃあなかった、との世の中の中高年の呻き声がダブって聞こえてくるのだ。(4-28 一部修正 以下つづく)

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【99】明石市に見る新型ポピュリズムの台頭──統一地方選挙結果から❶/4-26

●パワフル市長とパワハラ市長のはざま

子午線上にあり、『源氏物語』ゆかりの明石市は、御食国(みけつくに)の名を持つ淡路島が指呼の間に横たわる風光明媚な地域である。明石港のすぐそばには「魚の棚」(うおんたな)と呼ばれる商店街があり、地元の人びとはもとより、内外の観光客を惹きつけてやまない。明石駅の真北には、剣豪・宮本武蔵が携わったという庭園を持つ明石城が聳える。

この地域で12年間市長を務めた泉房穂氏がこのほどの選挙で引退をした。同氏は、「子育てしやすい町づくり」の政策を積極的に進めたことで、注目される一方、市の職員や市議に対して幾たびか暴言を吐き、パワハラ市長としても全国的に有名になった。子どもや高齢者向けの福祉助成策をめぐって、市民に根強い人気を誇る一方で、財源調達の方途、議会での合意形成を軽視する手法は、深い不信感と分断をもたらした。

政治家を引退するとは言ったものの、選挙で全面的に支援した後継市長、市議グループに対して、いわゆる「院政」をしき、市政への影響力を強める意向である。しかも、今後自らのその手法を他の地域に広めていきたいとしている。泉氏的なるものと12年戦ってきた西村康稔氏は、自民党元首相の故安倍晋三氏の側近だったことで知られる。まともに戦えば、負けるわけがないと思われた。それが負けた。なぜか。その理由を探ってみたい。(4-27  一部修正 以下つづく)

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