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(25)ビジネスチャンス掴み広めた人生ー友との別れから考えること

●「ビジネスファーム」に生涯かける

コロナ禍にあって、長年親しくしてきた河田正興さん(「ビジネスファーム」代表、「AKR共栄会」専務理事)を11月に失いました。新型コロナの感染が原因です。初めて会ってからもう四分の一世紀が経ちます。慶應大学の同じクラスで学んだ、大阪毎日新聞の成相幸良(元社長秘書室長を経て元大阪毎日ビル社長)から紹介されました。河田さんが取り組んだ「AKR共栄会」の仕組みを取材したことからの二人のご縁だったようです。共同でものを仕入れ、共同で搬送し、共同で保険をかけるというアイディアはなかなかのもので、大手スーパーから町の市場などの零細業者を守る秘策に思えました。直ちに共鳴した私はこの団体の顧問になり、以来ずっと親しく付き合ってきました。いつも何かやと議論し、影響をそれなりに受け、与えもしました。映画好きは共通の趣味で、共に情報交換をしたものです。

この組織を日本全体のメジャーなものにしようと、あれこれと動いた中で、様々な仲間たちと知己を得ることができました。私も政治の世界、特に農水省、経産省、厚労省、総務省などの役所に、時やテーマに応じて繋ぐ役割を果たしたものです。この人は本業がビジネスチャンスを見出し、それを形にするという「ビジネスファーム研究所代表」だったこともあり、私も様々な仕事に関与させて貰いました。自転車の駐輪場の新たな仕組み作りや防災のためのシステム対応などいちいち挙げるとキリがありません。一緒によく上京もしました。例えば、石破茂地方創生担当大臣との面談では大いに大臣をして唸らせたりもしたことを思い出します。

私は彼の取り組みを世の中にもっと知らしめたいと、AKRのことを早わかり10問10答方式にして電子書籍で出版(『中小企業はこれで蘇る』)もしました。二人三脚の所産のひとつです。歳が私より二歳ほど上だったこともあり、兄貴のような存在でした。一、二年前から一緒に歩くと、足が突っかかる感じだったので、気になっていましたが、昨今私も同様のザマになってしまい、苦笑することしばしばでした。今年になって、学習院大と同志社大に学ぶ、ご長女の娘さんの子どもさん(二人の孫娘)のことを、とても嬉しそうに話題にされていました。それもそのはず二人ともとてもチャーミングで、どちらかは忘れましたが、学内美人コンテスト風のもので上位を占められたといいます。

●新型コロナに夫婦揃って感染

11月半ばに突然、奥さんの節子さんが体調思わしくなく、新型コロナ感染の疑いから、PCR検査を受けた結果陽性で即入院したと連絡がありました。「できれば妻を家の近くにある尼崎の県立医療センターに転院できないだろうか」との相談でした。これまで一、二度同病院に斡旋したこともあり、気軽に後輩の県議に投げたのですが、同センターは重症者用でもあるし、そもそもコロナ禍中にわがままは通じないと、嗜められたしだい。さもありなんと、彼にそのまま返すと、「では重症になったら、頼みます」と。しかし、その後数日を経て、彼自身も陽性と判明、県内のある病院に入院しましたが、やがてその県医療センターに転院されました。

奥さんの健康のことを常に気にかけて、あれこれと心配りされていたのが印象に残る人でしたが、コロナ禍にあっても同様でした。県立の尼崎医療センターに転院する際にも、電話で必ず元気で戻りますからとの、いつもと変わらぬ声が聞こえてきました。人工呼吸器をつけての集中治療室に入るとの連絡もメールで受けました。ですが、三週間ほど後には帰らぬ人になってしまったのです。奥さんの方は12月初めには無事に完治し退院されました。そのことを彼は知らないまま、別れの言葉も互いに交わすことなく逝ってしまいました。残念という月並みな言葉ではとても言い表せない、無念さが漂うのみです。もっともっとやりたいことがあっただろうに、と。

●あっという間に去りゆく「時」

彼の突然の死に直面して、私はかねて心に残っている小説『新・人間革命』の一節を思い起こしました。文豪トルストイの「永遠に生活する心構えで働け。同時に今すぐ死ぬ心構えで働け。そして今すぐ死ぬ心構えで他人にふるまえ」との一節です。池田先生は、マレーシアSGIの草創のリーダー・柯文隆が、文字通り「『臨終只今にあり』との決意で、力の限り、命の限り、皆を励まし抜いてきた」として、その「(トルストイの)言葉のごとく柯文隆は生きたのだ」と賞賛されています(21巻『SGI』)。

歳を重ねてきた私も、生き抜くことと、今死んでもいいことの両立を胸に刻んでいますが、口先だけとの自覚も否定できません。どうしたら理想的な生き方ができるか、正直思い悩むところです。そんな折に、池田先生が同じ21巻の『人間外交』の章で、中国での中日友好協会の幹部との語らいにおいて、平和に向けて「具体的に中国が何をするかです」と鋭く厳しく迫っている箇所を発見、強く撃たれました。そのくだりでは、「単に状況の分析や批評、あるいは抽象的な結論に終わってしまうならば、問題解決への本当の進展はない」としたうえで、「大切なことは、今日から何をするか、今から何をするかである」と述べているのです。

問題を先送りするだけで、今をやり過ごす生き方をとるのみでは、あっという間に人生は終焉を迎えるということを実感せざるを得ません。見送りばかりで好球必打とは言い難かったこれまでの我が人生。後悔を込めて思いやると共に、これからは違うぞ、新しい年こそは、一日を五年、十年と感じられる過ごし方をしたい、と性懲りも無く決意するのです。一緒にこの20年を歩んだ河田正興さんの旅立ちを見て、自覚を新たにする2020年の年の暮れです。(2020-12-29)

 

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