「組織」とは難しいものです。なければそれが目指す目的が叶わないし、あればあったで、個人の自由を束縛しかねない。創価学会をめぐる様々な問題も「組織」というものがもたらす様々な弊害と無縁ではありません。
創価学会に入る前。私はその組織形態に漠然とした怖さを感じていました。戦闘的、堅苦しさ、厳しい上下関係などといったイメージ、印象がぬぐえなかったからです。
しかし、実際に組織の中で活動をするうちに、当初抱いていたイメージとはかなり乖離があることがわかってきました。なぜだろう。どうして創価学会の外からの印象は実際のそれと違うんだろう、と考えました。その結果、私がたどり着いた結論は、世の中にある組織というものが持つイメージが、自ずと決まった型を持ってることに気づいたのです。
つまり、私たちは組織と聞くと、直ちに図式イメージとして三角形を連想するのです。いやそんなことない、と仰る向きには、「組織の頂点」「組織の底辺」という言葉があることを指摘すれば十分でしょう。皆さん無意識のうちに、組織と聞くと、頭の中で三角形を描いてると言っても過言ではありません。立体的にはピラミッドであり、歴史的事象としては、インドでのカースト制度、日本での士農工商を思い浮かべることが出来ます。三角形、ピラミッド型は、図式の持つ性格として、固定的な厳しい上下関係が奴隷的な服役の辛さとともに連想されます。
私はこういう連想を惹起させる図式イメージを後退させ、それに代わりうる新たなイメージとは何かと考えました。その時に、はたと思いついたのが、平面的には円形、立体的には球のイメージでした。円形を導入すると、次々と解決します。組織の頂点ではなく、組織の中心。組織の底辺ではなく、円周上。働く力は、求心力と遠心力。たしかに、創価学会のリーダーは組織の頂点であぐらをかいてるのではなく、組織の中心で頑張っています。固定した上下関係ではなく、皆平等な平面上にあって、内外関係が発動し、柔軟です。
信仰をしたからには中心を求めようとする力(求心力)が働くし、信仰をしたけれど、嫌だからやめたいとの外を求める力(遠心力)も働きます。この二つの力のバランスが取れている状態が普通で、円周上にある人々というのが組織の最前線のイメージでしょう。せっかく始めたのだからもっと頑張ろうというのが、成長でしょうし、いやもう嫌だと外向きの力が勝ると、組織外に飛び出る退転状態というように説明できます。
かつてある新聞のインタビューに答えて池田先生は創価学会の組織について、車軸のようなものですと述べておられたとの記憶があります。また、スピーチで「皆で円陣を組むようにすれば、あらゆる角度を向き、しかもあらゆる人が第一線である」(平1-12-28)とも。
三角形の図式イメージなく、円の大事さを感じます。