❻生命の変化を「十界論」で分析

生命って不思議なものです。その捉え方の極致ともいうべきものが「一念三千論」であり、その基礎をなすのが「十界論」です。人の生命状態はたしかに千変万化です。「今泣いたカラスがもう笑ってる」「女心(男心)と秋の空」など、移りやすい心の変化をいい表す表現は色々とあります。仏教でいう「十界論」を初めて知ったときは、なるほど言い得て妙だなあと本当に感心しました。

地獄界から仏界まで、人の一瞬の生命状態が十の範疇に分かれて捉えられます。私はかつてこのことを人に説明するにあたって、通勤ラッシュ時の満員電車の中での心情風景で例えました。朝ご飯もろくに食べず、慌てて通勤電車に押し込まれたと想像してみてください。もみくちゃで自分の身体でありながら全く自由が効かない状態ー地獄界です。そのうち、少し時間が経ち多少自分の身体と人の身体の間隔にゆとりが出来ますと、猛烈に空腹感が襲いますー餓鬼界です。あっと思う間も無く隣の人に靴を踏まれました。痛さで舌打ちしたくなりますー畜生界です。素知らぬ顔の隣の人に猛烈な怒りがこみ上げてきますー修羅界です。揺れる車中。乗降客の連続で、やがてゆとりが生じてきますー人界です。そのうち座席が空きます。良かった、座れたー天界です。新聞を開き見て、あれこれと情報に接するー声聞界です。そのうち、自分の今日の仕事、課題を解決するヒントを思いつきますー縁覚界です。はっと前を見ると、かなりのお年寄りが立っている。あっ、いけない。座席を替わろうー菩薩界です。その人が降りて、再び座席につき、深い眠りにつくー仏界です。最後の仏界については、いささか冗談気味ですが、あとは本質を突いているものと自賛したものですが、いかがでしょうか。

このように僅かな時間とちょっとした空間を想像すだけでも人はクルクルとその命のありようが変わる存在だということがわかります。これはある意味で瞬時の状態を分析したものですが、これを人の一生に拡大してみるとまた面白いことが見えてきます。図式化すると一目瞭然で分かりやすいのですが、ここではそれが出来ないので、文章のみになるのが残念です。縦軸が十界。横軸を時間にしてL字を描いて下さい。

時間が経つに連れて、十界は上下運動を繰り返します。地獄界から人界、天界つまり六道をいつも行ったり来たりの上下する生き方をするのを指して「六道輪廻」というのでしょう。声聞、縁覚という境涯には程遠い、時たまでしかないという人も少なくないと思われます。また逆に、地獄、餓鬼、畜生界とは縁遠い福運に満ちた人もいるでしょう。いや怒ってばかりの修羅界を低迷する人も時に出会います。一生というスパンに押し広げますと、人に応じて、より馴染みの多い境涯というものがあることに気づきます。なかなか人のため、世のために身を粉にして動く菩薩界とは縁遠いというのが実態かもしれません。

こうした人生の低迷状況(六道輪廻)を上向き傾向(声聞、縁覚界から菩薩道の実践)に引き上げるのはどうすればいいか。それを日蓮仏法では南無妙法蓮華経という題目をあげ続けることで可能になると、説いているのです。

 

 

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