夏目漱石の小説『虞美人草』の末尾に有名な一節があります。約二頁ほどにわたって書かれた内容は、生か死かという問題が最も人生で大事なテーマだが、皆日常の忙しさのゆえに忘れてしまってる、と述べているところです。日常の雑務に紛れることを喜劇、死と立ち向かうことを悲劇との表現で表したうえ、最末尾にロンドンにいる友から「此所では喜劇ばかりが流行る」との印象的な一文で締めくくっているのです。
漱石自身が、小宮豊隆宛の書簡で「最後に哲学をつける。此哲学は一つのセオリーである。僕は此セオリーを説明する為に全篇を書いているのである」と述べているように、洋の東西を問わず人間というものの在りようを示しているものとして、私は興味深く読みました。
19歳の春に日蓮仏法を学ぼうと、創価学会に入会した頃の私は、ひたすらに「生と死」を考えたものです。とりわけ、大学の4年間は、御本尊に唱題をし、折伏をすることを生活の基本に置いて、日蓮仏法のなんたるかを習得するべく、日夜ものの本を読み、考え、動き、喋るということを繰り返しました。その間に自身が肺結核を患い、闘病生活をするという事態に直面。まさにその悩みの最中の大学4年の春に人生の師・池田大作先生との運命的な出会いをすることが出来ました。
それから50年余の歳月が流れました。身近な人間における、58歳での母の死と78歳での父の死。幼子の死産。岳父の61歳の死を看取りました。また、仕事上の上司としてお世話になった大先輩とも82歳で別れました。気がつけば、自身がいつ亡くなっても、「惜しいね」と人様からは言って貰えぬほど十分に生きた年齢に達してしまっています。日蓮仏法で説く「生命の永遠」についての私の理解は、人は死んだら終わりではなく、その生命体の核心は、また新たな生命の中に宿り、蘇るというものです。
10代半ばの頃の私は浄土真宗の仏壇の前で、父の背後に座って、お盆やお正月などにご先祖を弔うお経を読んだものです。その頃は漠然とながら、死んだら西方極楽浄土に生まれ変わるものと思っておりました。つまり、今生きているこちらの世界から、あちらの死後の世界への転出です。その捉え方は、日蓮仏法を生活の中に取り入れるようになってから変化しました。こちらから、あちらではなく、こちらしか、人間の生きてる場はない、と。人はひとたび死んでも、またいつの日か新たに生まれ変わる、と。その人間の持つ条件というか、付加価値に差異はあっても、その基底部に流れる生命の傾向は、過去・現在・未来と三世変わらぬものであるというものです。
そのことを理論の上で知ろうとする際には「過去の因を知らんと欲せば、現在の果をみよ、未来の果を知らんと欲せば、現在の因を見よ」との仏説を熟慮せよ、と。また、そのことを直感で理解しようとする際には、創価学会の戸田第2代会長ご自身の戦時における獄中での永遠の生命の悟達に思いを馳せよ、と学んできました。さらに、戸田先生がご自分の亡くなられたお子様と、その後会っていると述べられた境涯に自分も到達したいものと、思い続けてきました。
未だ、そうした先に逝った人々との邂逅という覚知を自覚するには至っていません。ですが、これまでの人生を元気に生き抜いてこられたことそのものの中に「永遠の生命」を実感することが出来ているとの確信があります。とりわけ、最近は亡父との再会を意識の上で強く感じるようになっています。また仕事上の大先輩との邂逅も。今の姿形の連続ではなくても、新たな生命の体現者としての出会いを楽しみにすることが可能ではないかと思うに至っています。
漱石は『虞美人草』で展開した哲学にあって、流行ってるのは「喜劇」だと否定的に結論づけています。ですが、実際のところは、「悲劇」を十二分に意識した「喜劇」というものが、実は、望むべきものではないのか、と今の私には思えます。(2019-4-30)
❾「永遠の生命」についての一考察
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