2030年まで、あと10年。目指すゴールは、この地球が破滅に向かうのか、それとも持続可能なものとして持ちこたえるのかの分岐点である。そう言われても、もう一つピンとこないという人が多いのかもしれない。それには、私見では二つ理由がある。一つは、10年という時間の呼称のせい。もう一つは、持続可能という言い方が災いしている、と思う▲そこで、考えた。仮にこの2月26日を起点日とすると、例えば、創価学会が創立百年を迎える2030年11月18日までは、3550日。これだと、かなりリアルにならないか。かつて、作家の山田風太郎が『あと千回の晩飯』という連載コラムを書いた。それくらいで死を迎えるとの覚悟を披歴していたのである。一日一日、一回ごとの晩飯が切ないほど大事に見えるというわけだ。同様にあと3550回寝ると、終着点に到着するとなると、すこしは真剣になるに違いない▲また、持続可能の語感は、わかりづらい。それより、破滅回避の方が直裁的で切実感が伴う。このように決めて毎日を過ごすことが、重要ではないか。翌27日は1日が経って、あと3549日に、そして今日28日は2日目で‥‥、といった具合である。こんな日々を意識しながら、地球温暖化回避目指して脱炭素化社会への具体的な努力を一人ひとりが続けたい▲私のような先の大戦直後に生まれた世代は、右肩上がりの高度経済成長下で青年期を過ごし、中年期でバブルを経験、それなりに恩恵に浴し、晩年になってのコロナ禍で初めて苦境に直面している。子どもや孫の世代に比べてなんと恵まれた人生であったことか。このまま、何もせずに逃げ切って、死を迎えることは、孫や子に顔向けできないほど恥ずかしい。(2021-2-28)