【3】今に続く「人種差別」とどう向き合うかー『新人間革命』第1巻「錦秋」から考える/4-24

●アメリカ訪問旅での最初の「出会い」

1960年10月9日ミシガン湖のほとりにあるリンカーン・パークでのこと。広場で数人の子どもたちがボール蹴りをしていた。そこへ一人の黒人(アフリカ系アメリカ人)の少年がやってきた。その少年に対する、白人の子どもたちや大人の振る舞いを見て、山本伸一は「強い憤りを覚えた」ー第一巻「錦秋」の章(172頁〜185頁)では、「リンカーン大統領による奴隷解放宣言から、間もなく百年を迎えようとしている時に、その名を冠した公園で起きた出来事」をきっかけに、「人種差別」をめぐる問題が語られていきます。

山本伸一は、この問題についての「根本的要因は、人間の心に根差した偏見や蔑視にこそある」ため、「差別意識の鉄鎖からの解放がない限り、差別は形を変え、より陰湿な方法で繰り返されるに違いない」としている。その上で「人間の心をいかに変えていくか」が大事で、そのためには「万人の尊厳と平等を説く、日蓮大聖人の仏法の人間観を、一人ひとりの胸中に打ち立てること」であり、「他者の支配を正当化するエゴイズムを、人類共存のヒューマニズムへと転じゆく生命の変革、すなわち人間革命による以外に解決はない」と断じています。

具体的にこの闘いをどう進めるかについては、質問会の場でのやりとりで、山本伸一は人間のルーツについてあえて触れて、「地涌の菩薩」こそ、「私たちの究極のルーツ」だとしています。その使命の自覚に立って、皆が行動していくなら、「世界の平和と人間の共和」が実現するといわれるのです。「地涌の菩薩」とは、「久遠の昔からの仏の弟子で、末法のすべての民衆を救うために、広宣流布の使命を担って、生命の大地から自らの願望で出現した、最高の菩薩のこと」を意味します。法華経涌出品に説かれる概念で、日蓮仏法の根幹をなすものです。50年を越える私の信仰生活は、これとの知的格闘と実体験のおりなすドラマの連続でした。

●あれから60年、表層では「分断」進む

この山本伸一の深い自覚に基づく広宣流布への決意のもと、今アメリカを始め世界中でSGI(創価学会インターナショナル)の闘いが進められています。ただ、アメリカの現状は、この時から更に一段と厳しくなっているとも見えます。先の大統領選挙を巡る共和党と民主党の二大政党の争いは、かつての南北戦争さながらの分断状況を再現しているのです。「錦秋」の章の場面から60年。改めて、事態の深刻さに深い憂いを抱かざるを得ません。

アメリカにおける「人種差別」は、国の起源と深く関わりを持ちます。トランプ大統領の前任・オバマ大統領の誕生した12年前。その就任式の感動はなかなかのものでした。黒人の流れを汲む大統領の誕生で、この国の分断は大きく改善するかと思いきや、却って今に見る厳しい事態への跳躍台になってしまったと言わざるを得ないのです。

●全米各地の座談会こそ「人間共和の縮図」

この問題を今の時点で考えると、「地球民族主義」の実現という理想に向かって弛まざる前進をするしかない、との結論に尽きます。言い換えれば、アメリカ創価学会が全米各地で展開する座談会の現実に、理想の原型があるということです。参加者の和気藹々とした姿こそ、人種問題の克服の生きた実例だといえましょう。表層的には分断が進んでいるように見えますが、全米各地では次のような場面(180-181頁)が、コロナ禍までは展開されてきました。これが、未来への大きな潮流となるに違いないことを私は確信しています。

「会場には、さまざまな人種や民族の人たちがいる。そうしたメンバーが嬉しそうに握手し、互いの決意を語り合っていた。少なくとも、その姿からは、偏見や差別を感じ取ることはできなかった。肌の色の違いなど、意識さえしていない様子だった。公園で肩を震わせて去っていった少年の姿が、人種差別を物語る一光景であるとすれば、この座談会は、人間共和の縮図といえる。」

アメリカ社会において「大聖人の仏法は、その分断された、人間と人間の心を結ぶ統合の原理」であることを、深く覚知した人々が台頭することを願ってやみません。(2021-4-24)

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