【23】中東へのアプローチの奥深さー小説『新・人間革命』第6巻「宝土」の章から考える/8-15

◆自己の一念で、いかなる地も宝土に

 1962年(昭和37年)1月29日に山本伸一一行は、イラン、イラクなど中東方面の訪問に出発します。イスラム教の視察が主たる目的です。テヘランに到着する際に、伸一は1943年11月28日から、同地で行われた第二次世界大戦後の世界の流れを決めた、米、英、ソ三国首脳によるテヘラン会議に思いをこらします。その時に彼の胸中をよぎった思いが読むものの胸をうちます。

 「三国の首脳が武力によって、世界史の流れを変えようとしたのに対して、今伸一は人間の精神の力によって、人類の融合と永遠の平和を開こうと、このテヘランに、人知れず中東訪問の第一歩を印したのである。それは、遠く、はるかな道程ではあるが、断じて進まねばならぬ、彼の使命の道であった」ーこんな壮大な展望を抱いた指導者が他にいるでしょうか。このくだりを読むにつけ、私は胸が熱くなり、居住まいをたださざるをえないのです。

 この第一歩は決して遠くを見るだけの夢想ではなく、身近な人への激励から始まります。この地に馴染めず、日本に帰りたいとの思いを持つ女性への激励は、全ての人に通じる大事なものと思えます。「仏法というのは、最高の楽観主義なんです。苦しみのなかに、寂光土があると教え、どんな悪人や、不幸に泣く人でも、仏になると教えています。そこには、絶望はありません。あるのは、無限の幸福への可能性を開く、無限の希望です」「信仰とは無限の希望であり、無限の活力です。自己の一念によって、どんな環境も最高の宝土となる」ーこの激励を受けた女性は一転、覚悟を決めて、この地で頑張り抜く決意を固めます。(29頁〜40頁)

 どんな人でも自身の思いと相違した土地で生きていかざるを得ない場面に遭遇します。こんなはずではなかった、もっと自分に合う場所があるはず、と思い悩むことが少なくないのです。その都度、このテヘランの女性のケースを思い浮かべることが大切であるように思われます。

◆高度なイスラム文明の淵源を探る

 テヘランに到着した日の夜、ホテルの一室での3人の青年と伸一とのイスラム教をめぐる語らいは、極めて興味深い内容と思われます。キリスト教、仏教と並び世界三大宗教の一つに位置付けられていながら、日本人に馴染みが薄いイスラム教を考える上での大事な水先案内だといえます。(40頁~60頁)

 ここで、伸一は❶イスラムが古代ギリシャの知的遺産を継承、発展させ、ヨーロッパに伝えたこと❷イスラム教は、生活全般にわたる宗教上の規範が人びとの向上的な生き方に結びつき、優れた文明をつくり出す大きな力になっていたこと❸イスラムの思想には、この世は本来いいものだとの肯定があり、それが人間の知識や文化を肯定し、イスラムの威光が及ぶ世界を荘厳する生き方を促したことーなどの点を強調しています。こうした捉え方は、日常的にあまりお目にかかりません。どちらかといえば、暴力的な、反社会的イメージが一般的です。

 その理由について、伸一は①キリスト教世界がイスラムの急速な拡大を恐れた②両文明間に対話がなく、対立の溝を深めた③キリスト教の側に、恐れと誤解と嫉妬があり、それが憎悪と偏見を作り出したーことにあると指摘しています。加えて、創価学会への非難、中傷も同じで、世界に共通した事実だということを述べています。

 イスラム教については、慶大名誉教授の井筒俊彦氏の研究を私は注目しています。この人の『イスラーム』を読んで、仏教との類似性、共通性に着眼した捉え方に刮目させられたからです。イスラム教においても、仏教における「阿頼耶識」と同一の概念があることなど、驚く思いで読んだことを思い起こします。(2021-8-15)

 

 

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