●ニューヨークでの先輩幹部とその後の出会い
昭和38年(1963年)が明け、1月8日に山本伸一はアメリカ、ヨーロッパ、中東のレバノン、インド、香港への旅に出発します。この章では、アメリカでの一週間が語られます。2年3ヶ月前にニューヨークの地区結成に伸一と共に出席した清原かつ副理事長が率直な感想を述べる場面が印象的です。(174頁)
「私には、これが同じニューヨークだとは、とても思えない変わり様です。最初のニューヨークの座談会の時なんか、みんな泣いてばかりいて、信心の歓喜なんて、まったくなかったんですから。(中略) 信心に励むというのは、勇気をもって、すべてに挑戦するということです。私は、ニューヨークの皆さんこそ、『信心の勇者』として、アメリカ広布の先駆となっていく方たちであると思います」と。話す合間に横合いから伸一が「そうだ」「その通り」と合いの手を入れて、場内を沸かせ、盛り上げるくだりがグッときます。
実は私が創価学会に入って暫く経った頃、清原婦人部長の指導を聞くのがとても好きでした。開口一番、「皆さーん。(どこどこで)こういう体験があったんですよ」と、具体的な地域の名を挙げながら、身近な信心の体験談を話されました。躍動感溢れる口調で、聴くものを惹きつけずにはおかない魅力がありました。観念的な話よりも具体的な体験が印象に残りました。
この後、ニューヨークのメンバーとの質問のやりとりを通じて、伸一は、信仰を深めていくためには、いかに幹部は質問する人に丁寧に答えることが大事かを語っていきます。かつて私は入会してまもない頃、「なぜ御本尊に向かって唱題することで、人の幸不幸が影響されるのか?」などと出会う先輩幹部にあれこれ片っ端から訊いたものでした。答えは納得できることや、できないことなど、色々でしたが、懐かしい思い出です。
公明新聞の記者になって、柏原ヤス参院議員(清原かつはモデル名)の議員会館の部屋に取材に行っことがあります。部屋の隅に、でっかい仏壇がすっぽりジッパー付きの大きいケースに包まれて置いてあったのにはたまげました。それこそ、色々信心のことを質問すれば良かったのですが、柄にもなく何もきけずに終りました。少々残念なことでした。
●アメリカ広布と「分断」に思うこと
ニューヨーク支部結成を兼ねた東部総会が終わったあと、伸一は参加者から、今後世界各国でも政界に参加していくことになるのかと訊かれますが、その必要はないと否定します。そして政治だけでなく、文化、教育などあらゆる分野で、個人個人の自発的行動による社会的貢献の大事さを訴えていくのです。
「一言に広宣流布といっても、その進め方は、それぞれの国情によって異なってくる。日本でそうしてきたからといって、国情も考えずに、ほかの国でも、同じことをすれば、将来、取り返しのつかない失敗を犯してしまう場合もある」(184頁)との記述が続きます。
アメリカ社会は幅広い多様性を示すなかで、共和、民主の二大政党が交互に政権を交代して、安定した民主主義のもとに自由な国家運営を誇ってきました。しかし、このところ両党間の亀裂が深まり、南北戦争時さながらの「分断」の傾向が顕著になってきました。昨今のコロナ禍では、ワクチン接種を巡って賛否が支持政党間で割れる有様。そんな中だからこそ、いずれにも与せずアメリカ社会全体に貢献する、アメリカSGIの存在が貴重なものになると、私には思われます。
更に、伸一は「体制の溝、国家の溝といっても、結局は人間の心の溝からすべては始まっている。だからその人間の心の溝に、私は橋を架けたいんだ」(193頁)と強調しています。
この当時の課題は東西体制間の核戦争の脅威でした。今は、その問題もさることながら、同国内における民衆の心の溝が一段と深刻になっています。社会の闇が一層深まれば深まるほど、それを押しやり、明るく照らす〝太陽の仏法〟の必要性が強まるものと確信します。米社会の有り様に関心を持ち続け、無事・平穏を見守りたい思いです。(2021-9-8)