●「一家和楽の信心」の重要性
1964年(昭和39年)10月2日、伸一は東南アジア、中東、欧州への訪問に出発します。タイのバンコクの空港で、王大成地区部長夫妻と7人の子どもたちが出迎えました。その姿を見て、伸一は「一家和楽の信心」の大事さを強調します。
「『一家和楽の信心』であれば、家族が共通の根本目的をもつことができる。それによって、家族が団結することができる。だから、一家が栄えていくんです。(中略) どんなに広宣流布が進んだように見えても、一代限りで終わってしまえば、未来への流れは途絶えてしまう。信心の継承こそが、広宣流布を永遠ならしめる道であり、一家、一族の永遠の繁栄の根本です。」(236頁)
「 一家和楽の信心」はなかなか難しい課題です。私の家では、1965年(昭和40年)に私が入信していらい、二人の姉と弟が相次いで入会。4年の間に母親も。最後に残った父親も、母の死に至る病を治したい一心で、遂に入会。私が入ってからほぼ12年後のことでした。母の死と引き換えのように、一家和楽の信心の入口に到達しました。その後、今日までの40年余で、それぞれの家族も紆余曲折の末、我が家の一人娘夫婦を除いて、皆入信したのです。正確には、娘の夫が未入信の故、娘は信仰を続けられない、と言うのが実態です。
今、「一代限り」で終わるかどうかの瀬戸際にあり、思いは複雑です。浄土真宗の信徒の立場を投げ捨てた父は、墓も「妙法蓮華経」のものに替えたというのに。「このままでは、わしがやらねば、死んでも皆拝んでくれない」と言った父に、会わす顔がないと言うのが私の本心です。あと10年のうちに、何としても娘夫婦に継承を、と考えています。
●ハンガリー・ブタペストでの深い洞察
伸一一行は、この時の旅で東欧二カ国(チェコとハンガリー)を訪れます。10月11日に着いたブタペストは、8年前にハンガリー事件(ソ連軍の侵入)が起こった地です。市内視察で当時の弾痕の残る建物を見つめながら、社会主義について考えを巡らせます。(275-285頁)
伸一は、共産主義を生み出すに至ったマルクスの理論構築の動機には、ヒューマニズムはあったものの、人間とは何かの正しい認識がなかったことを指摘します。「完全無欠な社会を想定し、そこに強引に、人間を当てはめようとしたこと」など、「イデオロギーの論理が優先し、権力で社会体制を抑え、維持することが第一の目的となってしま」ったと捉えます。そして「問われるべきは、社会主義の政治的、社会的側面というよりも、それが歴史を動かすすべてであるという錯覚ーつまり、『人間』という視点の欠落である」と結論づけています。このほか、この10頁には深い社会主義についての洞察が伺えるのです。
とりわけ、「人間の真実を知る生命の哲学なきゆえの、根本的な人間不信が、次々と人間を分断していくことになる。私は、この分断こそが、最大の悪の要因であると断定したい。広宣流布は、一人ひとりの人間に『仏』を見て、人間と人間を、信頼で結び合う尊き運動」であり、「未聞の実験である」とのくだりは圧巻です。世界中に「分断」が広く民主主義国家群を襲う一方、国家の強権力で「分断」を押し潰そうとする動き。現代の混迷はまさに、ここで伸一が「最大の悪の要因」と断定した「分断」状況の蔓延にあると言わざるをえません。
世界の混迷が続く中、「未聞の実験」は失敗の淵にあるとの見方もあるほど前途は多難です。しかし、断じてそれは許されないのです。どう乗り越えるか。その鍵は、皆が当事者意識を持続させ、〝連続革命〟への闘魂を燃やすしかない、そう私は思っています。
●ノルウエー・オスロでの人間の一生を描く彫刻像の前で
伸一一行は、次にノルウエーのオスロを訪れます。そこで、フログネル公園を見学しました。そこは、ノルウエーが生んだ大彫刻家グスタフ・ビーゲランの「人間の一生」をテーマに、生々流転の様子を描いた彫刻群が見られる場所です。
伸一は、「ビーゲランの作り上げた像は、特別な人間ではない。民衆であり、権威も権力もまとわぬ、裸の人間である」とし、彼は「民衆のなかに、人間の尊貴なる〝光彩〟を見いだしていた」と感慨を抱くのです。(310頁)
実は私も現役当時にこの場に立ち寄ったことがあります。伸一はビーゲランの「真実を見抜く」眼に感嘆したとしています。私は、その時、生から死に至る人間存在の冷厳な事実を改めて認識しました。オスロでの奇妙で不思議な実感を抱いたことが今鮮やかに蘇ってくるのです。彫刻芸術の持つ不可思議な力に打ちのめされたことを。(2021-11-5)