●西ドイツの炭坑で働きながら広布に活躍する青年たち
1965年(昭和20年)10月19日、伸一はフランス、西ドイツ、イタリア、ポルトガルの4カ国に向かいます。この旅の目的は、文化交流を推進することで、民衆の心と心の結合による平和の礎を築くことでした。その前に、北海道、神奈川から10人の青年が、炭鉱で働きながらドイツ広布に人生をかけて闘うことに至る話が感動的に語られます。(227-272頁)
世界広布に立ち向かう人々の戦いはこの小説の中で数々登場しますが、最も印象に残るのがこの炭坑夫たちのエピソードです。美しい満月の夜に夫が妻に「あのお月様は、日本のお母さんも見ているお月様だ。だから、雪子は、独りぼっちじゃないんだよ」と、炭坑夫として必死に頑張る仲間たちとの絆を語る場面は涙なしに読めないところです。「なかなか会えないが、ぼくの心はわかってくれるね」との夫の言葉に、妻は「黙って頷いた。その目に涙がひかり、やがて声をあげて泣き始めた」。「広布に生きる、温かい、夫の心に包まれている嬉しさに雪子は泣いたのである」と。(254頁)
伸一はこのくだりの後に、「妙法広布のためにはいかなる苦労も引き受けようと決意し、青年たちが西ドイツに渡った瞬間に、既にドイツの広宣流布の大前進は決定づけられた」と述べています。「今の一念に、いっさいの結果が収まっている」との「因果倶時」の原理を知るにつけ、その確信を深めます。日本の私たちも様々な地域の広布を任され、その責任を担っています。一ブロックの担当であろうと、一行政区の議員であろうと、その原理は同じでしょう。愚痴や文句を言わずに頑張ろうと決意を新たにするばかりです。
●スカラ座招聘への民音責任者の懸命の祈り
次に一行はイタリアのミラノに飛び、スカラ座の日本招聘に向けての交渉に当たっていきます。難しい交渉の成功に向けて担当した秋月青年部長の戦いへの伸一のまなざしが注目されます。前進の報告を受けて、伸一は「そうか。それはよかった。秋月君の一念だね」との言葉のあと、「秋月は、音楽・芸術の国際交流という民音の使命を果たすために、スカラ座の招聘が実現することを、ひたすら祈り、唱題し続けてきた」と述べられています。交渉の成就に向けて一念を込めた祈りの重要性がひしひしと伝わってきます。
重要なことは勿論、些細なことであっても自身の責任に関わることには、ひたぶるな祈りを持って、事にあたろう。それを自ら身で示し、いつも教えてくれた尊敬してやまない私の今は亡き大先輩の言葉と姿が、耳と目に甦ってきます。
「音楽・芸術には、国家や民族の違いを超えて、相互理解を深め、民衆と民衆の心を結ぶ力がある。音楽・芸術をもって、世界中の人々の心を結ぶことが、私の願いである」(281頁)ー我らが師匠・池田先生の凄さの一つはこの言葉に表れています。音楽・芸術の持つ力を知っている人は幾らでもいますが、皆観念にとどまっており、現実にそれを可能にすべく尽力してきた人は極めて稀なのです。
●エンリケ航海王子と「新航路」を開く勇気
さらに一行はポルトガル・リスボンへ赴きます。世界史における大航海時代の覇者であるこの国について、戸田先生が「ポルトガル人の勇気は大したものだ」と讃えられたことを紹介した後、エンリケ航海王子の戦いについて具体的に語られていきます。(282-291頁)
「ポルトガルの歴史は、臆病では、前進も勝利もないことを教えている。大聖人が『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(御書1282頁)と仰せのように、広宣流布も臆病では絶対にできない。広布の新航路を開くのは、勇気だ。自身の心の〝臆病の岬〟を越えることだ」(290頁)
「我事において後悔をせず」とは宮本武蔵の残した『独行道』21か条の中に出てくる名言ですが、常々自分に言い聞かせてきました。これについて小林秀雄は名著『人生について』で、「後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである」などと解説しています。
臆病と後悔ーたびたび〝臆病の岬〟を越えられず、後悔したことがありますが、これからはそれを忘れて、ひたすら岬の向こうを見据えて、自分をごまかさず生きようと思っています。(2021-12-12 一部最修正)