【92】「猶予付き死刑囚」との自覚──小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章から考える/10-31

●臨終の事を習いきったのかとの自問

 1976年(昭和51年)夏、男女青年部の結成25周年を迎え、伸一は中部指導に赴きます。その際に三重県白山町の三重研修道場で開かれた第一回青春会総会(7月23日)で、女子部に対する根源的な指導をしました。ここでは「宿命」について次のように語られています。(289-292頁)

  「人生には生老病死の四苦がつきまとっています。生まれてくること、生きること──そこにも、常に苦しみがあります。生を受けても、経済的に豊かな家に生まれる人もいる。反対に、食べていくことさえ大変な、貧しい家に生まれる人もいる。(中略) そこに宿命という問題がある。これは学問や科学では割り切れない問題です。既成の宗教でも解決できません。日蓮大聖人の大仏法にしか、この問題を解決し、乗り越えていく道はありません」と述べ、女性の一生に即して、結婚による嫁と姑、夫の仕事や病、死別、出産した子どもの先天的な病、自身の難病など細かく例を挙げ、信心が宿命を乗り越えていくためのものであると、力説しています。

 私の身近なケースで言うと、姉の出産した子どもの病が最も難題でした。そこから夫婦間の齟齬が起き、家族生活の破綻の危機に直面しました。ですが、信仰の力で乗り切りました。また、私自身、最初に授かった子どもが重度の障害を持っていました。生まれ落ちると同時に、というか死産の状態でこの世に出てきたのです。入信前後に、こうした「宿命」について常に考えていただけに、見事なまでの一致に驚愕しました。あの子の生命力が強ければ、一緒に悩み暮らしたかもしれません。また、それを契機に力強い人生を歩んだかも分からないのです。妻も私も、重度身体障害の娘を授かると同時に死別したことの意味を深く考えたものです。

 続いて「老」と「死」について伸一が語っているところが注目されます。文豪ユゴーの『人間はみんな、いつ刑が執行されるかわからない、猶予づきの死刑囚なのだ』という言葉や、トインビー博士の「日本の仏法指導者であるあなたと、仏法を語り合いたかった。教えてもらいたかった」との発言が引用されています。

 若き日の私は、日蓮大聖人の「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書1404頁)のくだりを読み、心底同意して、懸命に祈り、考えました。そして、政治、法律、経済、文学などの諸学問を学習しました。様々な信仰上の体験、学問上の経験も一応型通り積ませていただきました。では、今全て盤石かどうか。残念ながらそうは言えない心許なさが76歳の今もつきまといます。今も日々我が生命の弱さと戦い続けているのです。

●長田耕作の話と明石の関わり

 一方、7月26日に同じ研修道場で中部学生部の夏期講習会があり、懇談会の場が持たれました。そこで神戸出身の長田耕作学生部長とのやりとりが注目されます。寿司職人であった彼の父親と母親の苦労が語られ、苦難を乗り越えて蘇生してゆく姿が描かれていきます。そこで、戸田城聖先生の生まれ故郷の「厚田村」とその歌にまつわる思い出が語られ、「学生部厚田会」が結成されていくのです。(312-320頁)

    実は、先年、この長田耕作のモデルとなった中部の幹部に私は直接電話をして、体験談を改めて少し聞き直したり、その背景などを聞きました。なぜかといいますと、長田家に「初信の功徳」が現れたとの記述のあとに「かつて面倒をみた知人が、兵庫県の明石にある店舗を貸すから、もう一度寿司店を開かないか」との連絡をくれたとあるからです。つまり、この一報から長田の家族に幸運がもたらされたのです。私は今、明石に住んでいます。明石の学会員同志は、この小説のこの箇所に出てくる「明石」の文字に伸一とのえにしを感じていると伺いました。この事を伝えて、お互いの信心の激励に供したかったのです。

●幹部の堕ちていくパターン

 8月25日には九州研修道場での「伸一会」の懇談会の模様が描かれています。そこでは幹部が退転していくケースについて、厳しい口調で次のように語られていく場面が印象に強く残ります。(368-371頁)

 「私は戸田先生の時代から、傲慢な幹部たちが堕ちていく姿を、いやというほど見てきました。地道な活動をせず、威張りくさり、仲間同士で集まっては、陰で、学会への批判、文句を言い、うまい儲け話を追い求める。そういう幹部の本質は、私利私欲なんです」とのくだりです。(369頁)

   実は私は伸一会メンバーなのですが、2期生ですので、こ場には臨んではいません。しかし、先輩幹部から口伝えで聞きました。この指導は全ては当たらずとも、部分的一致を感じ、〝当たらずといえども遠からず〟を戒めてきました。長く生きると「進まざるを退転という」事例に数多直面します。これではいけない、と我が身を叱咤激励するのです。(2022-10-31)

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