【94】仏法の因果の理法の凄さ──小説『新・人間革命』第24巻「厳護」の章から考える/11-13

●自身の慣れ、惰性を打ち破る大事さ

   この章は、事故をいかにして起こさないかについて、さまざまな角度から述べられています。直接取り上げられているのは、創価学会の会員や建物をどう護るかですが、世の中全般に応用が効くテーマです。1976年(昭和51年)晩秋の夜、本部周辺を歩く伸一と牙城会(会館警備に携わる)メンバーとの語らいから始まります。

 まず山形県酒田市での大火(10月末)から何を学ぶかについて触れらています。危機管理とは、自身の「慣れ」という感覚を打ち破るところから始まる、とあります。更に「注意力というのは、一念によって決まる。〝事故につながりそうなことを、絶対に見落とすものか〟という、責任感に裏打ちされた祈りが大事なんだ。その祈りによって、己心の諸仏諸天が働き、注意力を高め、智慧を沸かせていくからだ」(104頁)と。

 牙城会員に、会館を護るに際しての具体的な注意事項を伸一は伝えていきます。「事故を防ぐには、みんなで、よく検討して、細かい点検の基本事項を決め、それを徹底して行っていくことだ。(中略) 基本を定めたら、いい加減にこなすのではなく、魂を込めて励行することだ。形式的になり、注意力が散漫になるのは、油断なんだ。実は、これが怖いんだ」とも。

 昨今油断からとしか言いようがない、事故、事件が相次いでいます。児童が密閉された送迎バス内に取り残されて死に至る事故から、大臣の失言に至るまで、呆れるばかりの基本を無視し、不用意で無責任な行動や発言が社会全般に目立ちます。法相の「死刑」にまつわる驚くばかりの発言は、人間の生死に関する無頓着さだけでなく、大臣として目立ちたい、お金につながりたいというようなさもしい感情が仄見えるものでした。

 彼とは過去に一緒に仕事をしましたが、なかなか優秀で有能な人材でした。その心の奥底に傲慢さがひそんでいたというしかありません。公明党議員のなかにも昨今政治家として恥ずかしい不祥事が相次いでいます。惰性と油断です。自戒と猛省を促したいものです。

●真剣、誠実、勤勉であることが勝利への道

   ついで女子部の白蓮グループ(会合の運営一切に携わる)についての激励が展開されます。

 【仏法では「因果応報」を説いている。悪因には必ず苦果が、善因には必ず楽果が生じることをいう。しかもその因果律は、過去世、現在世、未来世の三世にわたって貫かれている。過去における自身の、身(身体)、口(言葉)、意(心)の行為が因となって、現在の果があり、現在の行為が因となって、未来の果をつくるのである】(144頁)

    【他人の目は欺くことができても、仏の眼は絶対に欺くことはできない。広宣流布のために祈り、尽くし、苦労した分だけが自身を荘厳するのだ。仏法の因果の理法の眼から見る時、真剣であること、勤勉であること、誠実であることに勝る勝利の道など、断じてないのである】(147頁)

   「冥の照覧」──人間自身に備わった因果律を信じるか信じないか。これが日蓮仏法の究極ですが、それを確信することの重要性が繰り返し語られます。若き日よりこの法理の捉え方をめぐって悩み考え、先輩、同僚、後輩、友人と語り合ってきました。押しては返す海辺の波のように、人生の苦難は襲いきたります。つい弱気が頭をもたげますが、その都度、強気で楽観性を持って、立ち向かおうと我が身を励ましています。

●「諸法実相抄」講義を通じて人間の生き方示す

   1977年(昭和52年)は、「教学の年」。創価学会は新年から山本伸一の聖教新聞紙上での日蓮大聖人の『諸法実相抄』講義でスタートします。

 【人間とは何か。生命とは何か。自己自身とはいかなる存在なのか。なんのための人生なのか。幸福とは何か。生とは何か。死とは何か。──仏法は、そのすべての、根本的な解答を示した生命の哲理である。したがって、仏法を学び、教学の研鑽を重ねることは、人生の意味を掘り下げ、豊饒なる精神の宝庫の扉を開く作業といってよい】(166頁)

【「諸法実相抄」講義で伸一は、大宇宙、社会の一切の現象は、妙法の姿であること、そして、御本尊は、大宇宙の縮図であり、根源であることを述べていった】(170頁)

【題目を唱えれば、もちろん功徳はある。しかし、〝病気を治したい〟という祈りが、深き使命感と一致していく時、自身の根本的な生命の変革、境涯革命、宿命の転換への力強い回転が始まる】(176頁)

 この講義が掲載された年、私は32歳。中野区男子部長となり、同区内を駆け巡る原動力にしていました。そして『新・人間革命』のこのくだりを聖教新聞で拝読した2010年10月頃は65歳。ひとたび落選した後に蘇って当選という史上初の経験をしたあの選挙の翌年でした。生命の底からの感動と共に大衆の中に分け入っていったものでした。(2022-11-13)

Leave a Comment

Filed under 未分類

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です