●自己の変革、生き方の転換がこれからの時代のテーマ
新たな年1977年(昭和52年)が明けました。この年は座談会運動で魅力ある地区を作ることが目標とされ、伸一も先頭切って東京各区の勤行会などに出席し、仏法への大確信を訴えていきました。1月31日の女子部の会合では、21世紀にはどこに力点をおいて仏法を語っていくかについて、次のように述べています。
まず、前提として、牧口初代会長の時代は、「価値論を立て、『罰』という反価値の現象に苦しまぬよう警鐘を鳴らすことに力点を置いた」し、戸田第二代会長の時代は、「広く庶民に、仏法の偉大さを知らしめるために、経済苦、病苦、家庭不和等の克服の道が仏法にあると訴え、御本尊の功徳を強調した」とあります。
その上で、これからの時代は、【〝心を強くし、困難にも前向きに挑戦していく自分をつくる──つまり、人間革命こそ、人びとが、社会が、世界が求める、日蓮仏法、創価学会への期待ではないか!もちろん、経済苦や病苦などを解決していくためにも、人びとは仏法を求めていくであろうが、若い世代のテーマは、自己の変革、生き方の転換に、重点が置かれていくに違いない。つまり、『人間革命の時代』が来ているのだ〟】と強調しています。(205頁)
1960年代から70年代にかけて、先進国を席巻したのは政治、経済への変革に向けての「社会革命」の嵐でした。ちょうどこの時代に青年期を過ごした私の周りの世代は、外なる世界を変えることに関心が集中していました。その時に、内なる世界の革命に向かって立ちあがろう、「社会革命」ではなく「人間革命」こそ優先されるべきだ、との創価学会の主張は、大いなる議論を巻き起こしていきました。
あれから歳月が経って、人間変革を待望する流れは大きく強まってきました。一方で、旧態依然とした政治、政治家を変えていくこと、強まる経済格差の時代にどう立ち向かうかが問われています。腐敗した政治を変えるべく、創価学会は公明党を立ち上げて大衆の中に入っていきました。今再びそういう時がきていると思います。与党だから自民党を批判しないでいいということにはなりません。与党だからこそ、今の政治、経済に責任を持って大衆の悩みを聞く一方、喜び溢れる「座談会」にせねばと痛切に思います。
●青年教育者運動への思い
ついで、この章では教育部の活動に焦点が移り、青年教育者に対する熱い思いが伝わってきます。第一回の青年教育者大会は、1975年(昭和50年)に開かれていましたが、この大会に伸一が寄せたメッセージには、烈々たる思いがほとばしっています。(244頁)
「教育は、未来創造の、歴史の方向を決める地下水脈のようなものでありましょう。現在、行われている教育の姿に、未来の輪郭はあるといってよい。あえて言えば、深まりゆく危機の時代の突破口は教育にあり、と私は訴えたい。その意味で、皆さんの使命と責任は極めて大きいのであります」と。
本日の創価学会創立記念日の聖教新聞1面に、アメリカの中学校の歴史の教科書に池田先生の言葉と写真が掲載されているとの記事が出ていました。「歴史は人を動かす。しかし、その歴史を動かし変えていくのも、人間なのである」と。2006年5月11日付けの英字紙「ジャパンタイムス」に掲載されたコラム「未来を創る力」から引用されたものです。古今東西の9人と併記されているのですが、あらためて、日本との違いを実感します。と共に、今に生きる門下生も全力で戦おうと決意する次第です。
●世界宗教の条件とは何か
この章最後は、東京教育部第一回の勤行集会での懇談です。伸一はテーブルを前に出し、みんなは周りをぐるっと取り囲みました。宇宙旅行の話からキリスト教をめぐる話まで、話題は多岐にわたりましたが、私はそのうち宗教の世界性についてのくだりに注目します。(276頁)
伸一は、キリスト教が普遍的な世界宗教として発展した理由は、「民族主義的な在り方や、化儀、戒律に縛られるのではなく、ギリシャ文化を吸収しながら、世界性を追求して行ったことにある」とした上で、「日蓮大聖人が『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(御書1467頁)と仰せになっているのも、それぞれの地域の人びとの諸事情や文化を考慮し、仏法を弘むべきであるとのお考えの表明であるといってよい」とあります。
キリスト教の神学者であり、創価学会の良き理解者でもある佐藤優さんは、その著『世界宗教の条件とは何か』の中で❶宗門との決別❷世界伝導化❸与党化──の3つを挙げています。この本は、未来を担う学生部の精鋭たちに語られた素晴らしい内容を持つものです。私も賛同する一人ですが、❸については誤解なきよう心する必要があると思います。与党化を当然とするところから退廃が始まりかねないからです。(2022-11-18)