●「常識を大切に」との社会部での指導
創価学会社会部──職場や職域を同じくするメンバーが、互いに信仰と人格を磨き合い成長することを目的に結成された部のことです。1973年(昭和48年)10月に、団地部、農村部(農漁光部)、専門部と共に、社会本部を形成するものとしてスタートしました。伸一は1977年(昭和52年)2月2日に東京での社会部の勤行集会に出席し、次のような激励をしています。
「非常識な言動で、周囲の顰蹙を買う人を見ていると、そこには共通項があります。一瞬だけ激しく、華々しく信心に励むが、すぐに投げ出してしまう、いわゆる〝火の信心〟をしている人が多い。信仰の要諦は、大聖人が『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(御書1136頁)と仰せのように、持続にあります。職場、地域にあって、忍耐強く、信頼の輪を広げていく漸進的な歩みのなかに、広宣流布はある。いわば、常識ある振る舞いこそが、信心であることを知ってください」(302頁)
この指導の前に、伸一は、日蓮仏法は人間のための宗教であるとした上で、皆を温かく包み込みながら幸せにしていくのが仏法者の生き方であることを力説。従来の日蓮教団が排他的、独善的で過激な集団であるととらえられてきたことの原因は、「仏法即社会」の視座の欠落がある、と述べられています。
「仏法即社会」について、頭ではわかったつもりでも、振る舞いの上でわかったと言えるかどうかは疑問です。勤行、折伏、学会活動などを通じて、世間の人とは違うことをしているとの意識は知らず知らずのうちに芽生えがちです。社会の〝いわゆる常識〟を変えていくとの気構えが時に裏目にでてしまうといえましょう。私自身若かった日に、常識豊かな行動を心がけていましたが、妙なヒロイズムがあったかもしれないのです。
●自身の境涯革命の原理としての「三変土田」
一方、第一回の「農村・団地部勤行集会」が同年2月に東京で開かれ、全国からメンバーが駆けつけます。伸一はそこでも懇談的に話を進めていきました。会長就任時の『水滸会』での語らいに触れられていますが、そこでの『三変土田』の法理が、深く印象に残ります。(354-363頁)
【「三変土田」とは、法華経見宝塔品第十一で説かれた、娑婆世界等を仏国土へと変えていく変革の法理である。「三変」とは、三度にわたって変えたことであり、「土田」とは、土地、場所を意味している。】──このくだりから、4頁にわたって、縷々解説が加えられていきます。その後に【つまり、「三変土田」とは、生命の大変革のドラマであり、自身の境涯革命なのだ。自身の一念の転換が、国土の宿命を転換していく──この大確信を胸に、戸田城聖は、敗戦の焦土に、ただ一人たち、広宣流布の大闘争を展開していったのである。】と結論的に述べられるのです。
かつて初信の頃に法華経全体がおとぎ話的に思え、宗教的限界に翻弄されることがありました。常識的にあり得ないことが書かれている、結局どの宗教も荒唐無稽さにおいて同じじゃないか、との考えに陥ったのです。しかし、幾度も読み、考えていく中で、これは比喩の極致であって、人間の内奥世界を描く一手法であることに気付きました。一念の転換が国土の宿命さえ転換するという原理を確信して突き進むことと、それを信じられずに怠惰なままの日常に甘んじて、なるようにしかならないと諦めることの差を感じ、前者に傾倒していったのです。
●「直達正観」という宇宙根源の法則
さらに、伸一はここで、地域社会のパイオニアである農村部と団地部の友に、日蓮仏法の偉大さと仏道修行の要諦としての『直達正観』という宇宙根源の法則について、語っていきます。(365-366頁)
「大聖人の御生命である御本尊を受持し、題目を唱えることによって、直ちに成仏へと至る、宇宙根源の法則です。深遠な生命哲理を裏付けとして、実践的には、極めて平易ななかに、一生成仏への真髄が示された、合理的な、全人類救済のための、大法なのであります」
こう述べられた後に、テレビに譬えて、法華経以前の釈尊の仏法、法華経、天台の法門、大聖人の仏法を説明されているのです。つまり、ひとつひとつの部品→テレビの組み立て方を示し、全体像を明らかにした→それを理論的に体系づけた→テレビ自体としての御本尊を残された、と。「テレビを見るためには、スイッチをいれ、チャンネルを合わせなければならない。それが御本尊への信心であり、仏道修行です」と。k
この見事な譬えを聞いたとき、確かにそうだと唸りました。途中の段階で迷い逡巡していても埒はあかない。テレビを見ることによる価値を享受した上で、そこに至る理論を学べばいい、と。この順序が逆になると、混乱するのが関の山だと分かったのです。(2022-11-26)