●自らの器の拡大、未だ継続中
私の信仰生活で最も誇らしく思えることは、両親姉弟の5人を全員折伏したことです。その連れ合い、子どもたちも含めると10人を越えます。母の入会(昭和44年)については、少し後に池田先生にお会いできた際に、直接報告ができました。いらい、52年が経っていますが、その時の光景はありありと覚えています。
「勇舞」の章では、地区幹部との懇談で山本伸一が質問を受けて、答えている場面が印象に強く残ります。一つは、どうすれば大きな器の自分になれるか。もう一つは、母が信心をしていないのだが、というものです。
前者では「自分の器とは境涯ということです。(中略)自分のことしか考えず、〝我〟を張っていたのでは、自分の器を広げることはできないし、成長もない。自分の欠点を見つめ、悩み、一つ一つ乗り越え、向上させながら、長所を伸ばしていくことです。決して、焦る必要はありません」とあります。(209頁)
この問題は、長い私の信仰生活で、最も関心のあるテーマの一つです。自分自身のことでどうこうと言い難いのですが、未だ闘争中ということでしょうか。元々〝我〟を張ることでは人後に落ちないうえに、職業上どうしても自己主張を前面に出さざるを得ない場面が多く、この歳で未成長の自分を実感しています。周りを見て、器が大きくなったなあと思える人は、直面した課題に懸命に取り組む中で、その課題解決の後に、ひとまわり大きくなったことを感じさせられます。
●母の「死に至る病」と引き換えに、父が入会
後者では、「私の母は信心していないので、家に帰り、母と顔を合わせると、歓喜が薄らいでしまいます。どのようにすればいいのでしょうか」との問いに、「お母さんを信心させたいと思うなら、あなた自身が変わっていくことです。(中略)あなたの振る舞い自体が信心なんです」と答えています。(209~210頁)
私は父を除く家族の入会にはあまり苦労しませんでした。それぞれが持つ悩みに対して、強い確信を持って解決を強調して接触したことが原因だったと思います。私の変わる姿を見てくれたのかどうか。自信はありません。父の入会には苦労しました。結局、〝母の死に至る病〟と引き換えになってしまいました。父が66歳の時です。入信してからは素直に信心を続け、12年後に亡くなりましたが、その間の父の行動は、息子として今でも誇りに思えます。
●ケネディ米大統領の誕生をめぐって
ケネディ米大統領の誕生を新聞で知った山本伸一は、立場こそ違えど、二人の苦悩は同じだとして、以下のように深く強い決意を披歴しています。
「ケネディは、西側諸国を代表するアメリカの国家元首として、世界の安全と平和を守るための苦悩であった。一方、伸一は、仏法の指導者として、全世界、全人類の不幸を、精神的次元、つまりいっさいの根源となる人間の生命という次元から解決しゆくための苦悩であった。(中略)伸一は、その〝新しき時代〟の開拓のために、民衆の生命の大地を耕し、新しきヒューマニズムの沃野を開くことを、わが使命としていたのである」(217頁)
ここで示された山本伸一の壮大な使命感に、心底からうたれます。残念なことにケネディはその後志半ばにして凶弾に倒れてしまいますが、伸一はここに示された通り、アメリカを始めとする世界各国における「生命の大地」と「新しきヒューマニズムの沃野」を「耕し」「開く」ことを「使命」として、奔走に注ぐ奔走を展開していきます。
ケネディが米国大統領になると決まったこの頃、15歳だった私は、多くの日本の同世代人と同様に興奮し、自分なりの人生における自己実現を誓ったことを思い起こします。この4年後に入会する巡り合わせとなりましたが、「自ら無名の民衆の中に分け入り、新しき知性を育む」伸一の闘いに、参列させていただくようになるとは、全く知る由もなかったのです。(2021-5-26)