【58】教訓に満ちた大先輩の失敗ー小説『新・人間革命』第14巻「烈風」の章から考える/3-1

●忘れられない高熱の中での和歌山指導

 関西にとって忘れられない出来事の一つが1969年(昭和44年)12月の伸一の和歌山指導です。この年7度めの関西訪問でしたが、最悪の体調の中での敢然とした振る舞いは、その後今に至るまで語り継がれています。休んで欲しいとする周りの危惧にも断固として引かず、待ち望む会員たちとの約束を果たそうとする姿が描かれていきます。(189-230頁)

   40度を越す発熱による寒気、止まらぬ咳。医師の聴診器に聞こえるバリバリという異常な呼吸音。急性気管支肺炎との診断に、抗生物質の注射と投薬。こうした症状の描写に読むものは、ただハラハラどきどきするだけです。東大阪から和歌山へ。会場では咳をこらえながら、聴衆の歓声に応えていく。24分に及ぶ指導の後、学会歌の指揮を所望する会員に応じ、武田節を舞う姿は限界を超えて見え、ただ涙するしかないのです。

 後年この情景を映像で見るに及び、その堂々たる姿とのアンバランスに、伸一の強固な意思、精神力を感じ、ただ頭が下がり、胸迫る思いで一杯になりました。実はこの時は公明党にとって2度目の衆議院選挙の投票日直前でした。弟子たちの苦闘に少しでも報い、皆が立ち上がる力たらんとする師の深い思いに、心底感動せざるを得ません。そうしたことは小説には一切触れられていませんが、想像を超えて迫ってくるのです。

●政治評論家の悪辣で卑劣な〝選挙妨害〟の動き

 発熱をおしての、和歌山から奈良、三重の激烈な指導旅が描かれたあと、この2度目の総選挙の数ヶ月前から起きてきていた、創価学会批判書をめぐる動きが詳細に語られていきます。これは政治評論家・藤沢達造の書いたものを学会と公明党が妨害したという非難が発端でした。この書は、事実無根の話をもとに、学会と公明党は「民主主義の敵」であると勝手に断定し、公明党の解散を叫んだものでした。(230-293頁)

   この時の外からの学会、公明党への攻撃は、国会の場を主たる舞台として発展していったこともあり、「伸一の会長就任以来、初めての大試練となった」(293頁)と総括されています。これは、翌1970年(昭和45年)の通常国会で、いわゆる「言論・出版妨害問題」として扱われ、野党各党を中心に「伸一を証人喚問せよなどと、狂ったように集中攻撃が行われて」いったのです。

 当時私は入社1年に満たない新米記者でしたが、この時期の国会の議論を見聞きして、野党議員の極めて低級な質問姿勢に強い憤りを感じる一方、時の首相・佐藤栄作氏の真摯な態度に感銘を受けました。なんとか学会・公明党非難に同調する答弁を引き出そうと躍起になる共産党、民社党などの議員。それに対して毅然とした言い回しで拒否する同首相。細部は忘却の彼方ですが、実に頼もしく聞こえたものです。

 野党議員による質問が行われる予定の国会の委員会室に予め早くに赴き、お題目を密かに胸中で唱えつつ、ことが穏便に収まるよう祈ったこともありました。こんな理不尽なことが罷り通ってなるものか、と。

●大先輩の「舌禍」から得た教訓

 この無謀な一連の動きの中で、私が印象深く覚えているのは、1月の学生部幹部会に特別参加した渡吾郎国対委員長の挨拶でした。それは「〝言論・出版妨害〟が、いかに誇張された出来事であるかを、個人的な所感を語るつもりで、面白おかしく語った」のですが、場内は爆笑に次ぐ爆笑。皆腹を抱え笑いまくったほど面白い内容でした。「学会、公明党を袋叩きにするようなやり方が、腹にすえかねていたと見え、批判本の筆者や他党を揶揄し、笑いのめした。時に他党を罵倒するような、激しい言葉も飛び出した」ーものでした。

 これが何者かによって密かに録音されていました。それを「言論・出版の自由に関する懇談会」なるグループが数日後に記者会見を開き、テープを公開したのです。やがて渡国対委員長はその立場を辞任せざるを得なくなりましたが、あの時の衝撃は今も鮮やかです。彼のモデルは渡部一郎さん。兵庫県選出(神戸市)の衆議院議員で、初代公明新聞編集長だったこともあり、私は、格別に親しみを持っていました。

「もともと渡は弁舌にたけた男であった。そのうえ、仲間うちという安心感もあり、ますます冗舌になり、口が滑った。人は、ともすれば、自ら得意とするものによってつまずくものである。ついつい調子づいてしまい、緊張感を失ってしまうからだ」(255頁)と、書かれています。このことは当時の創価学会の青年たちにとって深い教訓になりました。

 「言論問題」は、最終的に5月3日の本部総会で伸一が謝罪することで決着がつきました。と同時に、その場で、壮大な広宣流布への展望が披歴されたのです。それを聞き、一抹の悔しさと割きれなさを感じていた私たちは、勇躍新たな舞台の幕開けを感じたものでした。(2022-3-2)

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