●頭のなかにきざみつけること
佐賀から、舞台は熊本へ。1977年(昭和52年)5月末のこと。伸一は、青年部の代表に対して、勉強すること、学ぶ姿勢について厳しい指摘をしたあと、学会の人材の要件とは何かについて、語っていきます。きっかけは、会館の由来が書かれた石碑文を、県青年部長が幾度かつまり、読み間違えたことでした。
「碑文は事前に、よく読んで、しっかり、頭のなかにきざみつけておくんです。急に言われて、上がってしまったのかもしれないが、そういう努力、勉強が大事なんです。戸田先生の、青年に対する訓練は、本当に厳しかった。『勉強しない者は私の弟子ではない。私と話す資格もない』とさえ言われていた」(309頁)と。
戸田先生の厳しい訓練は、池田先生が時に応じて、会長を含めてそばにいる幹部にされている様子を通じて、教えていただきました。また、最高幹部を経験した大先輩や聖教新聞社で池田先生から直接訓練を受けた同僚、仲間からも聞いてきました。その都度、そばにいて薫陶を受ける人は大変だなあ、と思ったものです。私は、先生の指導を聞き、勉強すること、本を読むことだけはせっせと積み重ねてきました。しかし、それがどれだけ身についているかと自問すると、疑問です。頭の中にきざみつけ、身体に覚えこませることは並大抵ではないと思います。生涯学習を続けていくしかないなと思うだけです。
テレビでドラマを見るたびに、俳優が長いセリフを覚えていることに、感嘆します。また、スポーツの実況中継を見るにつけ、彼ら彼女らの身体に染み込んだ咄嗟の動きにも驚嘆します。いったい普通の人とどこが違うのか。弛まぬ練習、訓練の繰り返し、連続しかないと思い、老いの身は天を仰ぐのです。
●広宣流布の師弟の道に生き抜く人
ついで、幹部との懇談会での様子が語られていきます。学会の人材の要件とは何かがテーマですが、根本的な要件として、〝労を惜しまず、広宣流布の師弟の道に生き抜く人〟とする一方、若い女性のあり方について、極めて大事なとらえ方が次のように示されていきます。
【かつて、女性は、幼い時は父母に従い、結婚してからは夫に従い、老いてからは子に従うべきであるとされていた。近代の女性たちは、そうした服従の綱を断ち、自立の道を歩もうとしてきた。(中略) 本当に一つ一つの物事を自分で考え、判断しているだろうか。周囲の意見や、流行、大勢などに従っていないか。それが、何をめざし、どこに向かっていくかを深く考えることもなく、ただ、みんなから遅れないように、外れないようにと、必死になって追いかけて、生きてはいないだろうか。】(316頁〜317頁)
ここは、若い女性への指摘なのですが、年老いた世代が読むと違ったとらえ方をしてしまいます。前半については、近代以前は女性の立場は服従の側面が強かったといえましょう。私のような戦後第一世代は、しばしば民主主義の時代に、強くなったのは「女性と靴下」だと聞かされたものです。半ば揶揄ですが、今やすっかり遠い昔のことで、女性は強くなりました。しかし、まだ道半ばで「男女雇用機会均等」といっても、現実はまだ遠く、理想とは違います。
後半部分は、女性というよりも、人間全体に言えると思われます。男も基本的には同じだと思えてなりません。自立していない男性も多いのです。私のような世代の男が集まると、結婚した時は嫁は妻だが、やがて妹から姉になり、さらに母親になり、そして看護師や介護師になるという風な言い方がしばしば聞かれます。半ば自嘲ですが、当たっているようにも思われます。高齢を迎えると、男女の関係が逆転するケースも多いようです。
●「裏込」こそ城の基盤
熊本の代表幹部との懇談で、伸一は、多彩な人材の必要性を強調します。「人材とは、表に立って指揮をとる人のように考えてしまいがちだが、裏で黙々と頑張る人を見つけ、育てなければ、難攻不落の創価城は築けません」と、述べたあと、こう続けています。
「堅牢な城の石垣は、表の大きな石の裏側に『裏込』といって、砕いた小石が、たくさん組み込まれているんです。この『裏込』が、石垣内部の排水を円滑にし、大雨から石垣を守る。表から見えないが、その役割は重要なんです。学会の組織にあっても、陰で頑張ってくださっている方々は、城でいえば『裏込』にあたります」(389頁)
リーダーが、陰で頑張ってくれている人を心から尊敬して、大切にしてくれているか。それを〝自分のことを分かってもらえてる。有難いな〟と思って下さってこそ、力が発揮される──「人を見つけ、育てる」ことの大事さ。先輩に、見つけられ、讃えられ、励まされる。そしてまた、自分が後輩に同じことをする──この繰り返しから、揺るぎない堅固な組織が構築されていくことを改めて、学びました。(2022-12-25)