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【14】権力の魔性との不断の戦いー小説『新・人間革命』第4巻「春嵐」の章から考える/6-25

●大阪事件での伸一の「孤立無援」

大阪事件とは、昭和32年の参議院大阪地方区の補欠選挙で起きた創価学会員による買収事件と、戸別訪問による逮捕から始まり、伸一の逮捕・勾留へと発展していった事件を指します。「権力の魔性との激しい攻防戦」が続いていました。昭和36年3月6日から8日にわたって、大阪地裁で裁判が開かれましたが、その間での弁護士団との打ち合わせ場面は、胸詰まる思いに迫られます。

「無実の人間がどうして断罪されなければならないのでしょうか。真実を明らかにして、無罪を勝ち取るのが、弁護士の使命なのではありませんか」「それはそうなんですが。検察は巧妙に証言を積み上げてきている。それを覆すのは容易ではないのです」ー伸一の問いかけに弁護士のひとりはこう答えます。伸一は「孤立無援を感じていた」とあります。(40頁)

「国家権力の横暴を許せば、正義も人権もなくなってしまうことを恐れた」伸一は、この事件に対して「断固、無罪を勝ち取ってみせ」るとの強い決意で挑みます。壮絶な戦いを経て、やがて「無罪」となりました。この頃から20世紀の終盤までの約40年間。私たち学会員はただひたすら「国家悪」と「権力の横暴」に対して、断じて許さないとの思いで戦ったのです。

21世紀に入って公明党が政権与党になり、一転して内側から国家権力の悪と横暴に戦うように変化しました。ただ、今の立ち位置が永遠に続くものではなく、事態は流転します。変わらないのは「権力の魔性」です。個も全体も、どんな状態になろうとも、「魔との戦い」を忘れない、これが全てだと思われます。

●兵庫県下で起きた村八分事件の背景

昭和36年当時、各地で学会員への不当な村八分が深刻になっていました。兵庫県丹波地域の青垣町では、神社への奉仕や参拝を巡って学会員と地域住民との間で軋轢が深まり、信教の自由まで侵される事態へと発展していきました。更に同様の事件が同じ兵庫県三田市でも。この背景には、「日蓮仏法は個人の精神に深く内在化して」いった結果として、「同志は個の尊厳にめざめ、自己の宗教的信念を表明し、主張してきた」ことがあります。そのために「個」を埋没させてきた「旧習の抑圧」としての「村八分事件」が起こったのだと、位置付けられています。(47頁〜64頁)

こうしたケースはその後も陰に陽に長く続いていきます。勿論当初のように、信教の自由を冒したり人権を損うまでに至ることは、なりを潜めています。私見では、それは学会員の側の賢明な対応が根付いてきたからだといえると思います。私自身もつい先年まで400世帯ほどの地域の自治会長をしていましたが、神社への参拝を求められることが多く、そのたびに衝突事件を思い浮かべました。私自身は信仰と地域の氏神への畏敬の念は別と割り切ってきました。

兵庫県下二つの町と市で起きた事件は遠い昔のことで、今では無縁のように思われがちですが、油断は禁物です。日本人が外国へ行く際に、宗教欄への記入について、無宗教と書いたり、空欄にしたままにしておく傾向が続く限り、いつまた再発するやもしれないと、思わないではいられないのです。(2021-6-25)

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【13】新たな文化創造の原動力ー小説『新・人間革命』第3巻「平和の光」の章から考える/6-21

●混迷する時代を開く「東洋哲学研究所」

 第3巻で描かれるアジアへの旅の間に、伸一は東洋への広宣流布をどう進めるかについて深い考えを巡らせます。その結果として、二つの構想を持つに至ります。

 一つは、「日蓮大聖人の仏法を弘めるうえからも、法華経を中心に研究を重ね、仏法の人間主義、平和主義を世界に展開していける人材を育む必要がある。それらをふまえ、東洋の哲学、文化、民族の研究機関を設立していきたいと思う(中略)名称としては『東洋学術研究所』でもいいし、『アジア文化研究所』でもいい」との構想です。(315頁〜316頁)

 もう一つは、「真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか」と述べています。この二つの構想は、「やがて、東洋学術研究所(後の東洋哲学研究所)や民主音楽協会などの設立となって実現し、新たな文化創造の原動力となっていった」とあります。(316頁〜319頁)

「東洋哲学研究所」が5月29日にオンラインシンポジウム「21世紀における信仰と理性ー創立者の『スコラ哲学と現代文明』の視座から」を開いたことを私は聖教新聞紙上で知りました。その際に山崎達也同所研究員の『信における内在と超越ー中世スコラ哲学から法華思想へ』との講演タイトルに目が止まりました。実は私の高校時代の同期に、中世スコラ哲学や東方教父の分野に造詣の深い哲学者がいます。九州大学名誉教授の谷隆一郎君です。かつて、彼から「君の信奉する法華経と僕の学んでいるスコラ哲学について語り合いたいね」と問いかけられたことがあるのです。

池田先生のかつての講演『中世スコラ哲学と現代文明』を読んではいましたが、同研究所での取り組みなどには考えが及んでいませんでした。そこへ、この企画です。これはこれは、と思い東洋哲学研究所の旧知の蔦木栄一研究員に連絡しました。谷名誉教授の〝値打ち〟を知っている彼は大層驚き、喜んでくれました。さて、「東方教父」の大学者である我が友と「東哲」の縁結びの役割を果たせることになるかどうか。若き俊英の研究員に下駄を預けるだけではならじと、谷の代表作『人間と宇宙的神化』なる専門書と睨めっこする日々になりました。

 ●力尽きる人々を甦らせる「民主音楽協会」

民主音楽協会の代表理事を務めた吉田要さん(故人)とは、一緒に中野区創価学会の幹部をしていました。また、前代表理事の小林啓泰さんとも中野区男子部仲間で、「中野兄弟」の深い契りを交わした同志です。だからどうなんだと言われそうですが、池田先生の構想実現に生命をかけて生き抜いた人たちを身近な友人として、持っていることに心底から誇りを感じるのです。音楽、演劇を始めとする芸術活動の世界との交流に、取り組んできた群像には半端じゃないパワーを見るのです。

音楽が持つ力は、国境を越え、人種や言語の違いをものともしないと、巷間よく言われます。「9-11」や「1-17」「3-11」などの局地的巨大テロ、巨大災害に苦しむ被害者や被災者に生きる希望を与えてくれたのが音楽であり、各種芸術の力です。今また地球全体を差別なく襲うコロナ禍にあって、同じ「地球民族」としての一体感を持とうと共振させてくれるものが、これら芸術にはあります。

世界中に「思想なき、哲学混迷の時代」との幻想が渦巻き、地球を襲う大規模災害やパンデミックに人々が脅威を抱く今こそ、創価学会が生み出した東洋哲学研究所や民主音楽協会の底力を世に問い、更に知らしめる必要性を感じるのです。(2021-6-21)

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【12】釈尊の教えと現代に至る展開ー小説『新・人間革命』第3巻「仏陀」の章から考える/6-17

●時間と人の意識の有無

伸一は埋納の儀式ののちに、釈尊が悟りを得たとされる場所から、修行をした前正覚山といわれる山を望みつつ、その生涯に思いを馳せたのです。165頁から250頁まで、この章全てをあて、その歴史に触れられています。そのうち、悟りを得た時の釈尊の初めて味わう境地について、以下のように説かれています。

ー大宇宙も、時々刻々と、変化と生成のリズムを刻んでいる。人間もまた同じである。幼き人も、いつかは老い、やがて死に、また生まれる。いな社会も、自然も、ひとときとして静止していることはない。(182頁)

このくだりを読み、時々刻々に刻まれる「時」を人が意識しないのは、いつなんだろうかと、考えたくなります。日常的には、①寝ているとき②我を忘れて何かに熱中しているときの二つ。眠りから覚めて時を意識し、熱中していたものから我を取り戻して、時間の経過に気づきます。一方、人生という長いスパンでいえば、③生まれてからしばらくの幼児の頃④死ぬ間際の意識不明の状態の時の二つでしょうか。赤ん坊や幼児の姿を見て、あの頃は何も考えてなかったなあと思い起こし、年老いて意識が混濁している状態の人を見て、人生の終焉に思いが及びます。

以上の場面のうち、①②③では、あたかも時が静止しているように思われます。今私は自身が後期高齢者になって、眠るという行為や、ものごとに熱中することに幸福感を求める自分に改めて気づきます。また、赤ん坊や幼児の姿に限りない希望と人の生命の奥深さを感じます。④のような、死ぬ経験だけは未だしていないために、その意識不明状態のなんたるかを語れませんが、案外大したことはないのかしれないと思うのです。

「ひとときも静止していることはない」時。それに、「時よ止まれ」と詮ない声をかけたくなり、時の「静止」に憧れ続ける人間。「ねむる」「熱中する」という「無意識」「化死状態」が、むしろ生の前進を支え、未来を約束する。その存在のパラドックス(逆説)に、この世とあの世を橋渡しする、悟りに通じる鍵が潜んでいるのだろうと考えるのです。

●厳格な戒律と単純明快な教えと

「当時のインドでは、苦行など禁欲主義を尊ぶ伝統があり、修行者には、厳格な生活の規律が重んじられていた」(228頁)という状況が語られたあと、「釈尊の教えの根本は、何ものにも紛動されない自分をつくることであり、戒律はあくまでそれを助けるものに過ぎない。釈尊には、厳格な戒律で人を縛るという発想はなかった」(229頁)と述べられています。

釈尊の悟りに端を発した仏教は、これより先、「八万法蔵」といわれるようにありとあらゆる教えに、細分化されていきます。「なにものにも紛動されない自分をつくる」ための方策が、当の釈尊の教えの中にそれこそ数多存在しており、後の仏弟子たちの「宗派選択」に、現代人をして「紛動」させるのです。厳格な戒律で人を縛るものから、限りなく自由なものまで、同じ仏教といっても千差万別です。それを見事なまでに整理し、現代人に適合したかたちで、日常生活に取り入れられるように、表現していかれたのが日蓮大聖人なのです。(2021-6-17)

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【11】仏法を根底にした慈悲の政治ー小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章から考える/6-12

●アショーカ大王の石柱の前での語らい

香港からシンガポール、セイロンを経て、1月31日に一行はインドに入ります。2月1日にはデリーのラージ・ガートに。マハトマ・ガンジーの記念碑前で、お題目を三唱した後に、伸一は深い感慨に包まれました。そして112頁から122頁まで10頁にわたって、「ガンジーの休みなき戦い」に触れられています。ガンジーと戸田先生に共通する戦いについて述べたあと、伸一は「歴史上、誰もやったことがない。やろうともしなかった。その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継承することにもなるはず」と強調されているのです。強いインパクトをうけます。

その後のアショーカ大王の法勅を刻んだ石柱の前での語らいは、122頁から20頁に及び、極めて重要な中身を含んでいると思われます。そのテーマは、「仏法を根底にした慈悲の政治とはどういうものか」ということです。

「仏法の慈悲を理念とするなら、多くの新しい着眼点が見出され、新しい政策が創造されるはず」として、伸一は、①社会的に弱い立場の人を守ろうとすること②一人ひとりの生活を豊かにする人間優先の政策③生命の尊厳を守り、確かな平和を実現すること④人類益の探求という発想を確立していくことーなどを目標に挙げています。これらが、その後4年ほど経って公明党の理念と政策の中に取り入れられていったのです。(125頁)

結党(昭和39年、1964年)から30年余。自民党政治の改革を外から試みることの困難さを味わった公明党は、21世紀に入って直ぐ自民党からの要請を受けて、連立政治に参画し、内側からの改革に着手することに方針を転換しました。いらい20年余が経ちます。この間、様々な紆余曲折がありましたが、仏法の慈悲を根底におく政治に執心してきたことはいうまでもありません。ただ、未だ改革の道は終わらず、途上にあるのです。与党にあっても、原点を忘れずに初心貫徹に邁進していくことにどこまでも期待したいと思います。

その際に、連立政治の組合せ相手を、未来永劫変わらず固定して考えてはならないと思います。自民党が公明党の原点に照らして不都合な存在であるなら、変えていくことも辞せず、です。手を替え品を替えてでも、国民大衆のための政治を実現するのが公明党の本旨のはずだからです。民主主義の政治の基本のひとつは、政権交代が可能かどうかにあります。公明党のスタートにはその実現に熱い思いがあったことを私は忘れません。(2021-6-12)

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【10】香港の現在とこれからに注目ー小説『新・人間革命』第3巻「仏法西遷」の章から考える/6-7

●一国二制度の香港の動向を固唾を呑んで見守る

山本伸一は、昭和36年1月28日から2月14日までの18日間、香港(当時イギリス領)、セイロン(現在のスリランカ)、インド、ビルマ(現在のミャンマー)、タイ、カンボジアの五カ国一地域の訪問に出発します。この旅の目的は、「日蓮大聖人の御予言である、〝仏法西還〟の第一歩を印し、東洋の幸福と恒久平和への道を開くことにあった」とされています。

日蓮大聖人は、「月は西より東に向かへり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(御書588頁)と諫暁八幡抄で述べられています。これは、釈尊の仏法がインドから東へ流れ、日蓮大聖人の仏法がインドに還るという兆しだとの趣旨です。「戸田城聖は、その御聖訓の実現を、創価学会の使命として、伸一を始めとする青年たちに託した。もしも、創価学会がなければ、この仏法西還の御本仏の御予言も、虚妄なってしまったにちがいない」と述べられています。(29頁〜30頁)

この旅を第一歩として、香港への伸一の足跡は、4度ほどを数えます。大乗仏教が今の中国から朝鮮半島を経て日本に伝来したのは6世紀半ばのことです。それから西還の動きは、千数百年を経た21世紀の今、創価学会の出現と闘いによって現実のものとなってきています。ただ、厳密に言えば、現代中国と宗教の関係は不確かな側面が強く、日蓮仏法も広く民衆の受け入れるものとはなってはいません。その意味では、歴史的に見て中国から英国領へと支配国家の移転に伴う香港での広布の状況は象徴的意味合いがあるものと思われます。

今、「一国二制度」の地域としての香港は、中国との関係が注目されています。民主化の存続を求める自由香港の動向がどうなっていくのか。「宗教の自由」が損なわれるようなことがないように、ひたすら固唾を呑みつつ見守っています。

●「永遠の生命」をどう捉えるか

この章で私が注目したのは、「生命が永遠であると聞きましたが、人は死んだあと、どうなるのでしょうか」との一婦人の質問に、伸一が8頁にわたってやさしく丁寧に答えているところです。

56年前に入会するに際して持っていた私の問題意識は、「人間はなぜ根本的に不平等なのか」というものでした。社会体制を変えたところで、一人ひとりの人間の持つ宿命的なる要素は変わらないということに尽きます。伸一は、「宿命が、どこから生じたのかを、徹底して突き詰めて行くならば、どうしても、今世だけで解決することはできない。生命が永遠であるという観点に立たざるをえません」ーこう述べています。(63頁)

〝この観点に立つしかない〟ー死後の世界は誰しも経験出来ないものである限り、62頁から70頁までの伸一の説明のエッセンスとしての、この言葉が全てを物語っていると思います。その観点に立って、私自身は生き抜き、根本的なところでの人生の不平等感からの脱却を果たし、宿命は必ず転換出来ると感得することができました。

その上で、75歳になった私が今感じることは、死に別れた父母や弟らから、尊敬する数多の先輩、友人たちまでのあの人、この人との〝再会への渇望〟です。「会いたい」「話したい」との思いが募り、夢で逢うこともしばしば。その都度、「永遠の生命」の観点からの捉え方として、これでいいのだろうか、と自問します。若き日に思い描いた「悟りへの欲求」と食い違っていないか、と。(2021-6-7)

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【9】生命の根本法は全てを包含するー『新・人間革命』第2巻「民衆の旗」の章から考える/6-2

●内なる生命の至極の法とは

昭和35年11月27日に、第2回学生祭が日比谷公会堂で開かれました。学生部の雑誌『第三文明』の発刊が実現した直後、ここでは演劇『三国志』が上演されました。「戸田先生亡きあと世界広布の大業に続こうとする後継の決意みなぎっていた」もので、伸一は「確かな手応えを覚えた」のです。

その際の講演で、山本伸一は「あらゆる思想、哲学も、南無妙法蓮華経という生命の究極の『一法』、すなわち大聖人の仏法に立脚してこそ、真の人間の幸福を実現しゆくものとして開花するのであります」「真実の人間復興、文芸復興を進めていくには、人間を開花させる、内なる生命の至極の法を求めてゆくことが不可欠です」と語る一方「南無妙法蓮華経とは生命の根本法であり(中略)、いっさいの思想家、哲学者の説いた哲理というものは、いわばその一部分を示しているにすぎない」(296~299頁)と、真の宗教と思想、哲学との関係を述べています。

私が座談会で折伏を受けた昭和40年(1965年)頃、世の中は政治的にも思想的にも左右の激突で、「資本主義対社会主義」の二極対立の様相を呈していました。「民衆の旗」に描かれる舞台の5年後になります。私は大学に入ったら、一生持するに足りうる思想、哲学を身につけよう、そのためにあらゆるものを学ぼうと心に決めていました。そこへ、真っ先に生命の根本法を説く日蓮仏法が目の前に現れたのです。以来56年。紆余曲折を経ながら、御本尊を拝み(信)、友人、知人を折伏し(行)、仏法哲学を学ぶ(学)という、創価学会活動に邁進してきました。

●思想、哲学をリードする真の宗教とは

哲学、思想、宗教ーこの関係をどう捉えるか。哲学は、人文科学の中に学問として位置付けられています。一方、思想は「文化」の範疇、宗教は「文明」の次元のものというのが私の把握の仕方です。一般的には宗教=非科学的なものと決めつける傾向が強く、哲学的側面からの分析に不慣れな向きが多いようです。創価学会も数多の誤解を受けてきています。

欧米先進国の間では、昔から今に至るまで良しにつけ悪しきにつけ、キリスト教という宗教を軸に政治も社会も動いています。中近東・アラブ世界からアジアにおけるイスラム教も同様です。そこへ行くと、日本は宗教の位置付けが違っています。冒頭での山本伸一の指摘する宗教と思想・哲学の関係は一般的には理解されにくい環境にあったと思われます。

半世紀ほどが経ち、時代は無思想の風潮、支配的哲学なき時代と言われて久しいものがあります。今に生きる人々を惹きつけるに足る思想・哲学が見当たらないというのです。日蓮仏法の哲学性、創価思想の卓抜さに傾倒するに至ったものからすれば、自家に伝わる「伝家の宝刀」の存在を忘れて嘆く人々を見るようで、もどかしい限りです。

今、SGIの飛躍的展開と共に、その哲学性、思想性が注目されるようになりました。「世界宗教」としての存在が脚光を浴び、漸く本来の価値に人々が気づくようになってきたのです。(2021-6-2)

(2021-6-2)

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【8】新しき時代開拓の幕開けー『新・人間革命』第2巻「勇舞」の章から考える/5-26

●自らの器の拡大、未だ継続中

私の信仰生活で最も誇らしく思えることは、両親姉弟の5人を全員折伏したことです。その連れ合い、子どもたちも含めると10人を越えます。母の入会(昭和44年)については、少し後に池田先生にお会いできた際に、直接報告ができました。いらい、52年が経っていますが、その時の光景はありありと覚えています。

「勇舞」の章では、地区幹部との懇談で山本伸一が質問を受けて、答えている場面が印象に強く残ります。一つは、どうすれば大きな器の自分になれるか。もう一つは、母が信心をしていないのだが、というものです。

前者では「自分の器とは境涯ということです。(中略)自分のことしか考えず、〝我〟を張っていたのでは、自分の器を広げることはできないし、成長もない。自分の欠点を見つめ、悩み、一つ一つ乗り越え、向上させながら、長所を伸ばしていくことです。決して、焦る必要はありません」とあります。(209頁)

この問題は、長い私の信仰生活で、最も関心のあるテーマの一つです。自分自身のことでどうこうと言い難いのですが、未だ闘争中ということでしょうか。元々〝我〟を張ることでは人後に落ちないうえに、職業上どうしても自己主張を前面に出さざるを得ない場面が多く、この歳で未成長の自分を実感しています。周りを見て、器が大きくなったなあと思える人は、直面した課題に懸命に取り組む中で、その課題解決の後に、ひとまわり大きくなったことを感じさせられます。

●母の「死に至る病」と引き換えに、父が入会

後者では、「私の母は信心していないので、家に帰り、母と顔を合わせると、歓喜が薄らいでしまいます。どのようにすればいいのでしょうか」との問いに、「お母さんを信心させたいと思うなら、あなた自身が変わっていくことです。(中略)あなたの振る舞い自体が信心なんです」と答えています。(209~210頁)

私は父を除く家族の入会にはあまり苦労しませんでした。それぞれが持つ悩みに対して、強い確信を持って解決を強調して接触したことが原因だったと思います。私の変わる姿を見てくれたのかどうか。自信はありません。父の入会には苦労しました。結局、〝母の死に至る病〟と引き換えになってしまいました。父が66歳の時です。入信してからは素直に信心を続け、12年後に亡くなりましたが、その間の父の行動は、息子として今でも誇りに思えます。

●ケネディ米大統領の誕生をめぐって

ケネディ米大統領の誕生を新聞で知った山本伸一は、立場こそ違えど、二人の苦悩は同じだとして、以下のように深く強い決意を披歴しています。

「ケネディは、西側諸国を代表するアメリカの国家元首として、世界の安全と平和を守るための苦悩であった。一方、伸一は、仏法の指導者として、全世界、全人類の不幸を、精神的次元、つまりいっさいの根源となる人間の生命という次元から解決しゆくための苦悩であった。(中略)伸一は、その〝新しき時代〟の開拓のために、民衆の生命の大地を耕し、新しきヒューマニズムの沃野を開くことを、わが使命としていたのである」(217頁)

ここで示された山本伸一の壮大な使命感に、心底からうたれます。残念なことにケネディはその後志半ばにして凶弾に倒れてしまいますが、伸一はここに示された通り、アメリカを始めとする世界各国における「生命の大地」と「新しきヒューマニズムの沃野」を「耕し」「開く」ことを「使命」として、奔走に注ぐ奔走を展開していきます。

ケネディが米国大統領になると決まったこの頃、15歳だった私は、多くの日本の同世代人と同様に興奮し、自分なりの人生における自己実現を誓ったことを思い起こします。この4年後に入会する巡り合わせとなりましたが、「自ら無名の民衆の中に分け入り、新しき知性を育む」伸一の闘いに、参列させていただくようになるとは、全く知る由もなかったのです。(2021-5-26)

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【7】どんな国にも必要な宗教の存在ー『新・人間革命』第2巻「錬磨」の章から考える/5-19

●前車の轍を踏んだことの苦い思い出

この章では、「水滸会」における山本伸一の男子部代表への訓練の厳しさと、質問会でのやりとりが強く印象に残ります。まず、前者から。

「広宣流布を双肩に担った若きリーダーの旅立ちと訓練の集いにしては、いかにも雑然とした雰囲気だった。そこには『水滸会』としての誇りを感じ取ることはできなかった」ー食事の準備に手間取る食事係の青年に対して、怒るばかりの最高幹部の姿に「なぜ、先輩は同志の苦境を考えようとしないのか。助けようとしないのか。広宣流布の途上には常に予期せぬ事態が待ち受けている。その時こそ、本当の団結が問われる。ささいな事のようだが、この姿は一つの縮図といえよう」「彼は食事が遅れたことに憤ったのではない。戸田の遺志を受け継ぎ、広布の中核として立たねばならぬ『水滸会』の自覚を忘れていることが無念でならなかった」(111頁〜121頁)

ここを読んで、遠い過去の出来事と二重になって、映画の一シーンのように思い出されます。舞台はこの時より20年ほど後のこと。九州の地に池田先生と共に、時の男子部の訓練グループメンバーが集う機会がありました。残念ながらこの「水滸会」の体たらくと同じような、弛緩した空気に引きずられるものを感じました。面白い仲間たちとの楽しい語らいだったとの記憶は残るものの、何かが欠けていたとの思いがあります。私の男子部時代の苦い思い出ですが、その都度、頭を左右に振り、背骨を正す仕草をして、体勢を立て直すことにしています。

●人間という原点に立ち戻る大事さ

この後、質問会へ。二つの質問がでます。一つは、世界における東西対立が深刻化しているが、これは日蓮大聖人の言われる『自界叛逆難』の姿ととらえることができるのかというもの。もう一つは、共産主義国家では宗教を否定的にとらえているが、これは広宣流布の障害にならないか、という疑問でした。

伸一は、前者の質問に同意したのち、「仏法を持った私たちが、世界の平和のために、民衆の幸福のために立ち上がらねばならない時が来ている」「イデオロギーによる対立の壁を超えて、人間という原点に返るヒューマニズムの哲学がこれからの平和の鍵になります。それが仏法です」と答え、「信仰者として、世界のために何をなすか。それが重要なテーマです」と強調しています。(126頁)

池田先生は、会長就任以来、世界のあらゆる分野の指導者と対話を重ね、仏法の偉大さを訴えてこられました。と同時に世界中の悩める民衆に激励の手を差し伸べてきています。前回の章で、私はあたかも最近になって「立正安国」から「立正安世界」「立正安球」の必要性が増してきたかのように書きましたが、それは正確さを欠きます。既に先生は60年前に、その見方を提示され、しかも具体的な手を次々と打ってこられたのです。

 かつてのイデオロギー対立は姿形を変貌させ、各国に分断の要因が猛威を奮っています。いやまして、後継の闘いが求められています。

●気になる中国、ロシアの動向

もう一つの質問には、「大丈夫。長い目で見ていけば、いつか必ず、宗教を認めることになります。どんな国でも、真の社会の発展を考えていくならば、人間の心という問題に突き当たる。国家の発展といっても、最後は人間一人ひとりの心の在り方、精神性にかかってくるからです」「いかなる国も真実の宗教の必要性を痛感せざるをえない」「そのためにも、大事なことは各国の指導者との対話だと私は思っている」(127頁)

先生はその後、中国の周恩来総理との深い対話と交流の中から、不滅の関係を築かれました。しかも数多い文化人との精神の繋がりを編んできておられます。また、ソ連、ロシアとも同様です。特にゴルバチョフ元大統領とは『二十世紀の精神の教訓』の対談集を読むとわかるように、深い信頼に基づく人間関係を培ってきておられます。かつて欧州でメディア関係者が、同大統領との懇談の中で、創価学会SGIへの無理解に基づく視点からの心ない発言をしたことがあります。それに対して、あなた方は全く実情をわかっていないと、厳しく嗜められたことは有名な逸話です。

現在の指導者である習近平主席やプーチン大統領の国際政治での振る舞いや対日姿勢から、両国の現指導部の対創価学会観に変化はないのかどうか気になるところです。歴史のうねりの変化の中で、不動の関係が続くと見ることは楽観的に過ぎるかもしれません。しかし、もはや無関係と見るのは表層的な捉え方です。中国、ロシアの大地に、多くの民衆の心の中に、植えられた種はすでに芽生えており、いつの時代にか、大輪の花を咲かせるに違いありません。私は自身の環境の中で、水を注ぐ役目を果たしたいと期しています。(2021-5-19)

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【6】「立正安球」へ、気になる中国の動向ー『新・人間革命』第2巻「先駆」の章から考える/5-12

●「立正安国」の具体的展開

昭和35年5月24日未明、南米・チリ地震による大津波が東北、北海道など太平洋岸を襲いました。第二巻冒頭の「先駆」の章では、この時の対応が簡潔に記されています。新日米安保条約を強行単独採決した政府と、それに審議拒否で対抗した野党の衝突で、国会は空白状態。そのために対策の手が打たれるのは遅れ  に遅れました。山本伸一は、そういう状況の中で、「立正安国」の実現の必要性を改めて痛感します。

「日蓮仏法の本義は、『立正安国』にある。大聖人は民衆の苦悩を我が苦とされ、幸福と平和の実現のために、正法の旗を掲げ、広宣流布に立たれた。つまり、眼前に展開される現実の不幸をなくすことが、大聖人の目的であられた。それは、「立正」という宗教的使命は、「安国」という人間的社会的使命の成就をもって完結することを示していた。そこに仏法者と、政治を含む、教育、文化、経済など、現実社会の営みとの避けがたい接点がある」(42頁)

宗教的使命が、人間的社会的使命の成就で完結するとは如何なることでしょうか。また、仏法者と現実社会の営みとの避け難い接点とは。この世に生きる全ての人々の幸せを願う仏法者の使命感が、現実の営みという行動の中で、一つひとつプラスの結果を出していくことだと、私は理解しています。

「宗教は、人間の意識を変え、精神を変え、生命を変える。宗教のいかんで、人は強くもなるし、弱くもなる。愚かにもなれば、賢明にもなる。建設にも向かえば、破壊にも向かう。創造の主体である、その人間の一念が変化すれば、環境、社会も、大きな転換を遂げていく。それが立正安国の原理である」(54頁)

正しい宗教を持った人間が、強い心と、賢明な姿勢で、建設に向かう一念を持ち、環境変革、社会変革に立ち向かえば、自ずといい結果が出てくるーこれが立正安国の原理だということでしょう。正しい宗教とは何を指すのかとの論争は長い歴史を引きずってきており、今も続いています。しかし、日本国内での宗教間競争については、ほぼ決着がついたと見ても間違いはないと思われます。

●具体的な「立正安国」の場としての沖縄

昭和35年7月16日に山本伸一一行は沖縄を初めて訪問します。この頃、核ミサイルが沖縄に次々と配備されようとしていました。

「山本伸一は、〝戦争に苦しみ、不幸の歴史を刻んできた、この沖縄の人びとが真正の仏法によって救われることは、日本国中の民衆が幸福になっていく証明となろう〟」との思いを持ち、「この地に平和の楽土の建設を誓いながら那覇国際空港に降り立った」(55頁)

この時の訪問を第一歩として、伸一は以後8回に及ぶ沖縄旅の展開が描かれますが、その根底には、平和の楽土を築かずにはおくものかとの圧倒的に強い信念がうかがえます。戦後日本は安全保障の分野で見れば、沖縄の犠牲の上に平和が成り立っていることは紛れもない事実です。であるからこそ、この地を「立正安国」の戦いの最先端にするとの決意を伸一は抱き、それに合わせた行動をとってきたといえましょう。第一歩から60年余。平和の楽土への道のりは表面上は遠く、〝戦い未だ終わらず〟を実感せざるを得ません。

●「安国」から「安世界」「安球」へ

21世紀に入って20年。交通機関の発達、グローバル化の進展のなかで、地球は一段と狭くなってきました。一方で「一国平和主義」「自国ファースト」が叫ばれる中で、共存共栄の世界構築の大事さが迫ってきます。新型コロナ禍の蔓延によって、否が応でも地球は運命共同体であるとの思いに立たざるをえません。ウイルスの前に国境はないという当たり前のことに、人々は漸く気付き始めたのです。

日蓮仏法の広宣流布の戦いは、「立正安国」の原理の敷衍化でした。今や舞台は大きく地球全体に、世界中に広がっており、創価学会インターナショナル(SGI )の動きに目を見張らざるを得ないのです。それゆえ、世界の現状は、安国を「安世界」「安地球」に読み替えることを必要としているといえましょう。

今、世界の「覇権」は、米中間で争われていますが、今世紀半ばを待たずに、主役交代かとの声も聞かれます。その中国は、「人類運命共同体」の理念のもとに「一帯一路」構想を掲げて、中東からヨーロッパ、アフリカ大陸各国への影響を強めようとしているのです。その行程の中で、中国各地の数多い大学に附設されているという「池田思想研究所」がどういう役割を果たすのか。私の中国人の友人がそこで教員をしていることもあり、大いなる注視をしています。(2021-5-12 一部修正=5-13)

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【5】日蓮仏法の真髄としての「誓願」ー『新・人間革命』第1巻「開拓者」から考える/5-6

●初のブラジル訪問での質問会

ニューヨークから空路13時間。山本伸一たち一行はブラジル・サンパウロに到着します。昭和35年10月11日深夜のこと。体調を崩し疲労の極みにあった伸一ですが、機内でブラジルに海外初の支部を結成しようとの構想を、随行の十条潔に語ります。最悪の体調であり、激しく揺れ動く機中にも拘らず、ブラジル広布への強い思いをめぐらす、伸一の執念に、十条は驚くのです。

ブラジルについては、この後、6年後に再訪問された様子が第11巻に描かれていきます。また、14年後の昭和49年には、訪問が途中で叶わず、急遽行先が変更されるという劇的な出来事が起きますが、それは第19巻に登場します。そして最後の第30巻下「誓願」の章にも。数多い伸一の海外広布旅でも強く深く印象に残る国の一つです。

それは、明治から昭和への日本の歴史の流れ中で、この地が海外移住の主流の位置を占めてきて、数多い日本人が住んでいたことと無縁ではないと思われます。「開拓者」の章では、ブラジル移民の経験した「流浪の民」の由縁が簡潔に語られ、胸疼く想いに誘われます。その中で日蓮仏法に目覚め、立ち上がったばかりの人たちへの伸一の激励行が、読むものの心を激しく揺さぶるのです。

●「誓願」と本来の祈りについて

伸一はこの地での座談会で多くの時間を質問会に当てていきます。それは「農業移住者としてブラジルに渡り、柱と頼む幹部も、相談相手もなく、必死で活路を見出そうとしている友に、適切な指導と励ましの手を差し伸べたかった」からだと述べられています。292頁から300頁にわたる、この質問会でのやりとりは圧巻ですが、とりわけ、「誓願」について語られたくだりが強く心に残ります。

「仏法というのは、最高の道理なんです。ゆえに、信心の強盛さは、人一倍、研究し、工夫し、努力する姿となって表れなければなりません。そして、その挑戦のエネルギーを沸き出させる源泉が真剣な唱題です。それも〝誓願〟の唱題でなければならない」

「〝誓願〟というのは、自ら誓いを立てて、願っていくことです。祈りといっても、自らの努力を怠り、ただ、棚からボタモチが落ちてくることを願うような祈りもあります。それで良しとする宗教なら、人間をだめにしてしまう宗教です。日蓮仏法の祈りは、本来、〝誓願〟の唱題なんです。その〝誓願〟の根本は広宣流布です。つまり、〝私はこのブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください〟という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです」

法華経の如来神力品第21では、地涌の菩薩が滅後の弘通を勧める釈尊に応えて、成仏の肝要の法を人々に教え広めていくことを誓願し、釈尊から滅後悪世の弘通を託されています。日蓮大聖人は、この誓願を自らのものとして、命懸けで貫くとの決意で、地涌の菩薩の上首(中心的リーダー)である上行菩薩の御自覚に立たれたのです。また、創価学会の三代の会長は、この大聖人の直弟子との自覚のもと、広宣流布という地涌の菩薩の誓願を自らの使命として闘ってこられたのです。

このサンパウロでの質問会における山本伸一の説明に、唱題、祈りという言葉の上に「本来の」と冠せられていることに注目せざるを得ません。つまり、本来のものではない、似て非なる祈りや唱題が横行しているということでしょう。尤も、それであっても、祈りは叶う、それくらい唱題そのものの持つ力は凄いということでもあります。この辺り、私は杓子定規にではなく、柔軟かつ身勝手に解釈することにしています。このいい加減さが私自身の根本的な欠陥だろうと分かりつつ。

●未だ見ぬ国・ブラジルへの熱い思い

私はブラジルには行ったことはありませんが、一昨年の参議院選挙の際に、思わぬ関係が出来ました。公明党の候補(兵庫県選挙区)としてブラジル駐在日本大使館の一等書記官だった高橋光男君が立候補したからです。小学校時代の私の友人・三野哲治君(元住友ゴム会長)が日伯協会の理事長(当時)をしていたことを思い出し、二人を繋ぐ役割を果たしました。

明治41年4月28日に、初めて日本からブラジルに向かった笠戸丸が神戸港から旅立ったことは、「開拓者」の281頁にも書かれています。私は、神戸市中央区の高台にある「海外移住と文化の交流センター」を訪問した際に、事務方のご案内のもと、上階から窓越しに海原を見やりながら、この神戸の地から移民に旅立った人々の心中に遠く思いを馳せました。明治150年の歴史の流れの中で、ブラジル広布を夢見た人々の苦闘に、頭(こうべ)をたれざるを得ません。(2021-5-6)

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