【106】世界の危機を救う仏法哲理──小説『新・人間革命』第27巻「正義」の章から考える/2-7

 

 

●人類を襲う4つの危機と仏法による解決の原理

 この章は冒頭で広布第2章の歴史がまとめて述べられています。そして、世界がかかえる諸問題を根本的に解決するための、原理と方途が示されていきます。ここでは、4つに分けられた仏法の根本原理について整理してみます。(112頁)

 1つは、他者の幸せを願う「慈悲」という生き方。2つは、自分と環境が不可分の関係にあるという「依正不ニ」の哲理。3つは、肉体と精神とは密接不可分の関係にあると説く「色心不ニ」の道標。4つは、人間は互いに深い因縁で結ばれているという「縁起」の思想です。

 仏法が持つこの4つの特質は、それぞれ、①生命軽視の風潮を転換し、戦争の惨禍にピリオドを打つ②環境破壊をもたらした文明の在り方を問い直す③人間の全体像を見失いがちな現代医学の進むべき道を示す④分断した人間と人間を結合させる──といった効力を持つとして、改めて強調されています。

 伸一は、これらを人類の共有財産として、平和と繁栄を築き上げることこそが広宣流布だと銘記し、世界各国・地域を巡り、人々の心田に、幸福と平和の種子を撒き続けてきたのです。

 たとえば、今世界を震撼させているウクライナ戦争について、池田先生は1月16日の緊急提言で、直ちに関係各国の外相が集まって停戦に向けての話し合いの場を持つべきだと呼びかけています。上記①から導き出された提言です。②は、地球環境破壊への、③ は人間の健康衰退への、④は進む国際社会の分断への、根源的な解決の道が示されていると、理解すべきだと思います。これを真剣に受け止めていかないと、人類はもう滅亡の道しかないと思われます。

●国家権力の弾圧で獄死した牧口会長

   この章では、このあと、先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の精神について、歴史的経緯に基づいて触れられていきます。それは、「宗教のための人間」から、「人間のための宗教」の時代の幕を開く、宗教革命の歴史でありました。【精神の継承なき宗教は、儀式化、形骸化、権威化して、魂を失い、衰退、滅亡していく】との観点から見て、日蓮正宗が既成仏教化していく姿が描かれていくくだりは極めて重要です。(115頁)

 宗門が大聖人の魂を捨て去ることを物語る驚くべき出来事が起こった──国家神道を精神の支柱にして、戦争を遂行しようとする軍部政府は、思想統制のため、天照大神の神札を祭るよう、総本山に強要してきました。これを宗門が受け入れると共に、学会にもそうするよう求めたのです。

 【牧口は、決然と答えた。「承服いたしかねます。神札は絶対に受けません」彼は、「時の貫首為りといえども仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書1618㌻)との、日興上人の御遺誡のうえから、神札を拒否したのである。牧口のこの一言が、正法正義の正道へ、大聖人門下の誉れある死身弘法の大道へと、学会を導いたのだ】(122頁)

 その結果、牧口先生は戸田先生と共に、軍部政府の力で獄に繋がれることになり、殉教されるに至ります。まさに死身弘法のお姿そのものでした。そして、戸田先生の獄中での壮絶な唱題と思索の末による悟達で、その後の学会創建へと繋がっていくのです。牧口先生のこの時の決断は、今に至る学会精神の根幹をなしてきました。国家権力による創始者の獄死があることは、永遠に忘れられない創価学会の原点なのです。

●師弟の誇りの歌をなぜ歌ってはいけないのか

 1978年(昭和53年)の春から各地で、文化合唱祭が企画されていました。埼玉から静岡を経て、三重へと伸一は移動して、合唱祭に向かいます。三重では、婦人部の愛唱歌『今日も元気で』が当初歌われる予定であったのに、急遽中止されることになり、それに対して、なぜ歌ってはいけないのかとの声が高まったことが描かれています。(187-190頁)

 この当時、学会員が会長の山本伸一に全幅の信頼を寄せ、師と仰ぐことに対して、批判の矛先を向ける僧侶たちがいました。日蓮正宗には、僧侶と在家は上下関係にあることを信じて疑わない頑迷な存在もあったのです。彼らには、信徒の分際で師として崇められる存在がいることを許してはならないとの思いがありました。

そうした動きがあるのを察知して、この愛唱歌──師匠を求めて止まない心情が込められています──を歌うことで、合唱祭に出席していた僧侶たちを刺激しないようにと、歌わない方向に県の幹部が決めたのです。〝どうして師匠を敬愛する心を隠さねばいけないのか〟との抗議の声が強く、結局歌うことになりました。

 宗門と学会側の軋轢に対して、伸一は〝学会はどこまでも広宣流布のために、死身弘法の誠を尽くしながら、宗門を守り抜く決意であり、さらに連携を取り合い、前進していきたい〟との思いを僧侶たちとの懇談の機会に、いつも語っていました。(2023-2-7)

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