●「魂の独立」後初の平和旅を終え、沖縄で
伸一は、1992年(平成4年)「創価ルネサンスの年」の1月末に、アジア訪問へと旅立ちます。〝東西冷戦が終結した今こそ、世界に平和の橋を!〟との思いで、タイ、インドを訪れ、香港を経由して2月末には沖縄に向かいました。そこでは、第一回SGI アジア総会が3日間、恩納村の沖縄研修道場で開かれました。その際に、信仰の根本、一念の転換について以下のように語りました。(339-340頁)
「信仰のことで、いたずらに、〝とらわれた心〟になって、窮屈に自分を縛る必要は全くありません。また、気持ちを重くさせ、喜びが失せてしまうような指導をしてもならない。勤行・唱題も、やった分だけ、自分の得になる。かといって、やらなければ〝罰〟が出るなどということはありません。それでは、初めから信仰しない人の方がよいことにさえなってしまう。
妙法への信心の『心』に、一遍の唱題に、無量の功徳があると大聖人は仰せです──そう確信し、自ら勇んで、伸び伸びと、喜びの心をもって仏道修行に励んでいく一念によって、いよいよ境涯は限りなく開け、福運を積んでいくことができるんです。信心は、決して義務ではない。自身の最高の権利です。この微妙な一念の転換に信心の要諦がある」
やがて信仰生活60年を迎えようとする私が、ここで語られた「信心の要諦」ほど大事に思えることはありません。一般的には、信心を──日々の唱題から活動に至るまで──すべて義務的に捉えてしまいがちです。それでは、人間として〝最高の自由を謳歌できる〟はずの信仰生活が、窮屈さに縛られてしまいます。ここに込められた深い意味が分かり、信心とは自分の持つ権利の行使だと皆が捉えることこそが最大に望まれるのです。
●パークス女史やアタイデ氏らとの会談
翌1993年(平成5年)1月下旬から伸一は、北・南米 を訪問し、対話の輪を広げていきます。アメリカカリフォルニア州にあるクレアモント・マッケナ大学で「新しき統合原理を求めて」と題する特別講演を行ったあと、創価大学ロサンゼルス分校では〝人権の母〟ローザ・パークスと会談。また、2月には、コロンビアからブラジルに飛び、ブラジル文学アカデミーのアウストレジェジロ・デ・アタイデ総裁と会談をします。
アフリカ系アメリカ人のパークス女史は、1955年(昭和30年)に、バスの座席まで差別されることに毅然と抗議。後にこれがバス・ボイコット運動の起点となったことで知られています。この時の伸一との会談で、同女史は『写真は語る』に掲載される一葉の写真に、伸一とのツーショットを選びたいと申し出ます。(350-351頁)
後日届けられた本には「この写真は未来について語っています。わが人生において、これ以上、重要な瞬間を考えることはできません」。そして、文化の相違があっても、人間は共に進むことができ、この出会いは、「世界平和のための新たな一歩です」と書かれていました。「人権運動の母」の優しく美しい笑顔と共に。
一方、伸一とアタイデ総裁との出会いでは、同総裁は「私は、94年間も会長を待っていた。待ち続けていたんです」と述べ、「会長は、この世紀を決定づけた人です。力を合わせ、人類の歴史を変えましょう!」と呼びかけました。それに対して、伸一は「総裁は同志です!友人です!総裁こそ、世界の〝宝〟の方です」と。
私たちは世界の知性を代表する著名な人物が伸一を慕う実例をあまた知っています。そのことの凄さ、尊さを自分たち自身の人生の交流の中で、友人たちに語っていかねば、と心底から思うのです。
●2011-11-18の本部幹部会での獅子吼
第30巻下の末尾には、2001年(平成13年)11月12日に開かれた、11-18「創価学会創立記念日」を祝賀する本部幹部会でのスピーチが胸にこだまします。(436頁)
「どうか、青年部の諸君は、峻厳なる『創価三代の師弟の魂』を、断じて受け継いでいってもらいたい。その人こそ、『最終の勝利者』です。また、それこそが、創価学会が21世紀を勝ち抜いていく『根本の道』であり、広宣流布の大誓願を果たす道であり、世界平和創造の大道なんです。 頼んだよ!男子部、女子部、学生部! そして、世界中の青年部の皆さん!」
この時から21年余。池田先生が築かれた壮大な広宣流布の軌跡、世界に構築された人材山脈は燦然と輝いています。20世紀のうちに全てを仕上げておくとの強い信念で、世界を駆けめぐってこられた深い意味が分かります。21世紀の地球は、あの「9-11」の米国の「同時多発テロ」以後、「ウクライナ戦争」に喘ぐ今に至るまで、まさに驚天動地の事件や歴史の逆転現象が相次いでいます。さて「どうする?」という、重要場面です。(完 2023-6-17)
※小説『新・人間革命』30巻全31冊を読み、どう考えるかについて、124回に渡り書いてきましたが、これにて終了します。長い間ご愛読いただき、感謝申し上げます。