自前の歴史観を持ちたいとの渇望ー佐伯啓思『「保守」のゆくえ』

 朝日新聞を自宅で購読することをを来月からやめるつもりだ。長い間まさに愛読してきたのになぜなのかはここでは触れない。それよりも今やめると読めなくなるのが惜しいコラムがある。佐伯啓思(京都大名誉教授)さんの『異論のススメ』だ。この新聞が今辛うじて存在感があるのは、自社の主張とほぼ真反対の考えの持ち主を「異論」として登場させることだろう。この6日付けの「重要政策論の不在 残念ー森友問題一色の国会」がその典型だ。朝日新聞こそこの国会における野党の戦いぶりのこよない応援団であり、主導的役割を果たしている。その新聞が、佐伯さんの批判的意見をオピニオン欄の最下段とはいえ掲載し続けているのは面白い。この問題については与野党とメディアの双方に責任があると思うがこれもここでは触れない。佐伯啓思さんの近作『「保守」のゆくえ』を読んだ。先に西部邁さんが亡くなった時に、その志向するところの類似性に思いを馳せ、よりマイルドなのが佐伯さんだと書いた。かつて若い頃に嵌りかけた評論家・福田恒存氏の延長線上にも位置しよう。この本はまさに現在展開する諸事象の根源的な問題の所在に迫っており、「保守」の真髄とでもいうべきものを明らかにしている■我々が物心ついた頃から一貫してあった「保守対革新」の対立の枠組みが潰えてほぼ30年。いわゆる冷戦が幕を降ろしてからの時期と重なり、日本にあっては平成の30年とダブル。ソ連の崩壊とともに内外における「革新」の退潮があり、世界は混とんとしたカオスの状態に陥っている。佐伯さんは、冷戦とは「ソ連社会主義や共産主義という理想へ向けたそれこそ究極の『進歩主義』と、それを押しとどめようとするアメリカ中心の『保守』との対立」と見なされていたが、実はそうではなく、「計画的・平等主義的な進歩主義」と「競争的・自由主義的な進歩主義」の対立であったという。そして、「保守」を定義し論じることの難しさを正直に告白している。巻頭に掲げられた「無秩序化する世界の中で『保守思想』とは何か」で8つの基本的論点をあげてはいるが、何れも真正面からの定義づけではない。すべて「まともに論じるのにはかなり骨の折れる」ことで、「多くの場合、保守思想は、何らかの具体的な問題状況のなかで、それに即して論じるほかない」としている。まさに、これは私たちが中道主義とは何かを論じる場合と同じだということは興味深いものがある■この本はある意味で解のない論考といえ、矛盾の只中にある課題を考える解決への糸口を示しているに過ぎないものかもしれない。しかし、それゆえにこそ著者の苦労がしのばれ、その思考の所産を頂く喜びも大きい。様々な果実の中でわたし的には、「近代日本とは何であったか」とのテーマに関するものが参考になる。最も読み応えのあるのは第三章「歴史について」で、「「アメリカはその普遍的理念が挑発されていると感じ、中国は『中国』という国家そのものが挑発されていると感じ、イスラムはイスラムの宗教原理が侵食されていると感じて」、悪循環の回路にはまり込んでいる、と。で、最大の問題は「諸国家の利益の対立」ではなく、「西洋啓蒙主義が生み出した歴史観によって作り出された『近代』をめぐる価値の対立」にあると「見ておくべき」だという■西洋の歴史観に翻弄されてきたのが明治維新から150年の日本近代史であり、そこからの脱却こそ日本の大いなる希望であると私は思う。神道日本に仏教、儒教、キリスト教などの外来宗教、思想が入ってきたが、江戸期まではなんとか凌いで、自前の思想的なるものを持してきた。だが、明治に入って科学技術の鎧を纏った西洋啓蒙主義の怒涛のような侵入の前に、日本はなすすべもなく降参してきた。そこから何とか超えるための思想、歴史観の確立を急ごうと私など考えてきた。佐伯さんは「現実的な選択肢として、ポツダム宣言の背後にある歴史観を俎上に挙げ、アメリカの政治信条というべき『近代主義』の普遍的歴史に対して、われわれの歴史観を打ち出すなどということが容易にできるとは思えない」というのだが、そうだろうか。いかに困難であっても、自前の歴史観を持ちたいと渇望する。この本を読んで改めて一層その思いを強めた。(2018・4・10)

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