Monthly Archives: 1月 2023

【71】見えない国家像── 中山太郎『実録 憲法改正国民投票への道』を読む/1-31

 「外交・防衛」と「憲法」は、20年間の衆議院議員生活の中で私が特に関心を持ってきた、2つのテーマである。この分野で多くの先輩、同僚と知己を得てきたが、両方に最も足跡を残された政治家といえば、中山太郎氏であろう。戦後日本が初めて国際貢献を問われた湾岸戦争当時の外相(1989-91)であり、憲法改正国民投票法成立時の衆院憲法調査特別委員長(2007年)であった。憲法調査会の時から所属していた私は、中山会長にはお世話になった。現役時代に関わった法律の中で最も大きいと思えるものが、この憲法改正国民投票法である。成立までの一部始終を「実録」と銘打ったこの本を読むことで、改めて『日本国憲法』のいまを考えるきっかけとしたい。世界の国々の憲法の中で、一度も改正されたことがない日本国憲法。実は、その改正の手続きを定めた法律でさえ60年もの間なかった。この本からは「改正」の前提となるルールをまず作ろうという当時の政治家たちの熱い思いが伝わってくる。

 憲法調査会から特別委員会を経て現在の憲法審査会に至る3つの憲法議論の舞台の裏方が事務局である。その局長を一貫して務めてきているのが橘幸信氏(現在衆院法制局長)だが、第一章で中山会長が橘局長を怒鳴りつけた場面がでてくる。海外出張で会長が留守であった間に、調査会運営に政府関係者を入れることにしたとの「橘報告」に対して怒った。「憲法論議に政府なんかに手を突っ込ま」せてはいけないとの趣旨だった。普段は温厚極まりない会長と憲法と国会の生き字引のような局長のバトル・エピソードを知って、今更ながらに憲法調査会の尋常ならざる佇まいに感心した。国会議員の3分の2の賛成がなければ改正の発議ができない憲法を調査、審議するにあたって中山会長はいつ何時もそれを忘れなかった。それ故に野党議員との関係を痛いほど大事にし続けた。序章に、怒号の中での採決となった日のことが生々しく描かれた「野党による混乱の『演出』」は迫力満点だ。修羅場の直後に、福田康夫理事(元首相)と、中山氏との会話が味わい深い。「あなたは老獪な政治家ですね」「いや真面目過ぎるんです」と。

●この国をどうしたいのか

 改正手続き法の論戦の全てが終わった直後、会長を囲んで私を含む4人の与党理事が委員会場で談笑している写真が最終章のとびらに使われている。そのうちの1人船田元氏が与野党協議を振り返って「三党で話を煮詰めていく作業は非常に面白いものでした。(中略) 『あ、こういうことで政策が決まっていくのか』とか、『政党の壁を越えて妥協するというのはこういうことなのか』と感じる瞬間があって、これは知的刺激でした」と述べている。しかし、安倍首相(当時)の発言などが災いし、枝野民主党筆頭理事がその立場を離れるといった事態が生まれた。その無念さの披歴に私も共感した。この審議の経過の中で、地方公聴会などで国民の声をしっかりと聞くことに私はこだわった。理事懇談会の場での発言がきっかけとなって「『二ヶ所で地方公聴会、中央公聴会を追加で一回』がスムーズに決ま」ったことが明かされている。

 先年、憲法調査会発足後20年を期して各種メディアがその後の憲法改正論議を振り返るインタビューを試みた。その際に、私も取材を受けた。公明党にも「自衛隊明記案」があったが、との問いかけに「党内では少数意見だったが、間隙を縫って滑り込ませたという記憶がある。安倍首相が9条加憲を掲げたのは、公明党に対する変化球だろう。だが、加憲であるはずの公明党が、その球にバットを合わせようともしない。見逃しばかりではなく、ファウルになっても党内や与党間でもっと議論をたたかわすといい」と述べた上で「公明党は合意形成に努力をせず、『安保関連法で事足れり』と護憲に戻ってしまっている」(毎日新聞2020-2-8付け)といささかオーバーラン気味に答えている。

 中山氏はあとがきの文末で、これからは、生命倫理や環境権などの新しい論点が持ち上がってくると述べている。そして「その時には、『護憲派』『改憲派』などという言葉はもうなくなっています。ただ、日本をどういう国にしたいかの理想のぶつけ合いだけがある」と。私もこの中山氏の見通しに共鳴するが、依然議論は停滞しているのは残念だ。この国にいま必要なのは、求められる国家像の提示とその徹底した議論であろう。

【他生の縁 印象深い医師の視点】

 中山太郎氏は、政治家であると共に、医師でした。憲法調査会の様々な場面でも科学についての重要な視点を持っておられたのが印象に残っています。

 私が初めて本を出版した際に、それを記念する会を開いたのですが、壇上には発起人になって貰った学者、文化人ばかり。「政治家のパーティーとは思えなかったねぇ」と後に感想を述べてくれた中山さんにも上がって貰えば良かったと、今頃後悔しています。

 

 

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【70】5-⑥ ネグレクト、虐待を防ぐために── 阿部憲仁『人格形成は3歳まで』

◆「凶悪犯罪多発の時代」をどう見るか

 三つ子の魂百まで──昔からよく聞いてきたし、しばしば口にするフレーズだ。人の性格や気質などのあり様は、ほぼ三歳ぐらいで決まり、幾つになっても変わらんという意味に私は理解してきた。青年期に、気弱な自分を変えたいとの思いもあり、日蓮仏法の門を叩いた。だが、「宿命転換は出来ても、性格は変えられない」と知って失望したものだ。それから60年近く経った。今ではしみじみとその意味が分かる。

 人間形成は、環境で決まるか、それとも、生まれながらのもので決まるのか。こんな議論も繰り返してきた。結論は二者択一ではなく、どっちも影響するということに落ち着いたものだ。そういう過去を思い出す本に出会った。

 『人格形成は3歳まで』の著者・阿部憲仁氏は、国際社会病理学者で桐蔭横浜大の教授だが、実は20年来の私の親しい友人でもある。副題に「最新凶悪犯罪分析に基づく子育ての参考書」とある。28人の凶悪犯を分析し、幼少期の家庭環境に問題ありを実証した上で、最終章に「家庭における親子の在り方──子育てマニュアル12の法則」がまとめられている。「失敗した者たちから学ぶ『こう育ててはいけない』という反面教師的なマニュアル」なのだ。

 1995年の阪神淡路大震災以降、この30年近く〝大災害の時代〟の到来と呼ばれてきたが、同時に〝凶悪犯罪多発の時代〟とも言われる。日本の社会も自然環境も、「安全・安心」はもはや神話の領域とさえ。〝子育てこそ最大のテーマ〟と施政方針演説で述べた岸田首相や政治家に読ませたい。少子化対応で予算分配にしか関心がないようでは、いけないよと。阿部さんはアメリカで、「ギャング、マフィア、白人至上主義者ら数多くの凶悪犯罪者たちと直接やり取りを重ね、彼らの家庭環境と犯罪タイプを含めた人格分析に努めてきた」経歴の持ち主である。かねてその体験を仄聞してきたが、改めてその所産を披歴され、怖い犯罪者の顔に辟易しつつページを繰った。いやはや、よう書くなあと呟きながら。

◆興味深い12のマニュアル

 安倍晋三元首相射殺犯の山上徹也を筆頭に、28の類例が考察される。ここではかねて気がかりだった3つの事件の分析を取り上げたい。一つ目の山上の犯行は、「『母親の愛情のネグレクトによる無差別殺人』と同じ心理メカニズム(常態化した攻撃性)によるもの」だと断定する。「怒りの放出先が、元凶(母親)に向かわず」、旧統一協会から元首相へと移行していった流れの分析は鋭い。3年前のSNSでの「俺は努力した。母のために」との「悲痛な叫び」は、「自分の犯行を『正当化』するための後付けの大義名分である」と。二つ目は、「元厚生労働事務次官連続殺人事件」。愛犬が保健所で殺処分されたことに対して、所管官庁のトップに「復讐」した。父が献身的な交通指導員だった家庭で、顧みられずに息子は育った。「親の偏った生き方によるネグレクトによってポッカリと空いた穴」をどう埋めるか。心の闇は愛犬の死から40年余後に炸裂する。その原因は「子供の感情を完全に無視した父親の非道による」と。三つ目は、「元農水事務次官長男殺人事件」。この事件の元凶は、「『学歴』のような自分の表面的な価値観でしか子供を見ることのできない親の姿勢」。両親に、子供の時から「ネグレクトされ続けた」長男は44歳の時に、元事務次官の父親とぶつかった末に殺害された。

 著者は、凶悪犯罪を単発自爆型=ネグレクト系環境(親から子に関心が向けられない)と、犯行継続型=虐待系環境(子どもに不自然な力がかけられる)とに大別する。幼児期に、ネグレクトや虐待を受けて育ったら、こんな恐ろしい犯罪に関わる人間に育つのかと、改めて思い知らされる。そうならぬために①家庭は、子どもが社会に出る準備の場②親はもう一度自分自身の性格や行動を見つめ直そう③子どもが自立して生きていける力をつけてやる④親が子に愛情を与えなければ「人」として育つことはできない──などの12のマニュアルが興味深い。

 「子育ての主役はあくまで『母親』である」との11番目のマニュアルを発見して、「父親失格」の私など正直ホッとした。読み終えて、人間が本来持って生まれた資質は、主役・母親、脇役・父親の「ネグレクトや虐待」によって、残酷にも捻じ曲げられることは明確になった。私は、「日本の危機は、〝団塊世代の子育ての失敗に起因する〟」との自論を持ってきた。今さら、〝孫育て〟に妙な手や口を出して、事態をさらに悪化させぬよう、じっと見守るしかなさそうだ。

【他生のご縁 「熊森協会」に繋がれた出会い】

 阿部さんとのご縁は、一般財団法人「日本熊森協会」に始まります。2人とも「クマと自然」を愛してやまぬもの同士。両方の連れ合いを交えて4人で幾たびか東京・新大久保でお好焼きの鉄板を囲んだことも懐かしい。

 彼が英語の達人と聞いて、私は恥を忍んで個人塾の生徒になったもの見事に挫折。その師匠が私につけた渾名は「永遠の受験生」──これは〝生涯学習〟の志を捨てぬ私の本質を見事に突いた名ネーミングと密かに満足するしだい。

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【69】4- ⑥ 縁が支えるコミュニティ──岩見良太郎『場のまちづくりの理論』

◆町づくり探訪の本と併せ読む

 東京一極集中を防ぐことを目的に、地方移住を希望するものに対して、国が支援金を補助する試みがある。だが、なかなかうまくはいっていない。人為的に住む場所を誘引されても、そう簡単にことは運ばない。仮に色んな条件が適合したとしても、その「場所」で、自分が好ましい「場」が得られるかどうかは、別問題だ。高齢になってひとり暮らしを余儀なくされても、住み慣れた「場所」を離れがたいのは、楽しい仲間たちとの「場」があるからに違いない。

 一方、地方では商店街に「シャッター通り」が随所に目立ち、少し人里離れたところでは「限界集落」化現象も珍しくない。陸の孤島といっても決して言い過ぎでない「場所」に、孤独を強いられる〝場なし〟の老人も多いのだ。この状況をどうするのか──そんなことを考えている時に、我が友人にその道の専門家がいることを思い出した。灯台下暗しとはこのこと。高校同期で、今は埼玉大名誉教授の岩見良太郎さん。都市計画と地域社会の関わりを研究してきた専門家である。

 実は、学生時代に、彼が「住民運動」に関わっていると、風の噂で聞いていた。その中身が、区画整理、再開発であることを初めて明確に知った。住民主体の、人々が住みやすい本当のまちとは何かとの問題意識を持ち続けて学問的アプローチをしてきたのだ。『場のまちづくりの理論』は、専門書で少々とっつき難い。このため、読みやすそうな『「場所」と「場」のまちづくりを歩く イギリス編・日本編』を先に読み、専門書は後回しにした。この二段構え戦略は成功した。先に読んだ方は、いわば実践書。彼が若き日に1年余り家族と共に滞在した英国と日本の、〝まちづくり探訪〟比較の書である。彼の学問的思索の結実の書と、それに至るヒントを掴み得た本を同時に読み、これまで政治家の端くれとして、「住みやすいまちづくりを目指して」という言葉をいかに軽く、いい加減に使ってきたかを思い知った。以下2冊の読書録を合わせ書く。

◆都市計画の杜撰さを実証する

 「現代都市計画批判」とサブタイトルにあるように、この本のコアは、日本の都市計画がいかに住民本位でなく、不動産業中心であるかを具体例を挙げつつ実証しているところにある。同時に、英国編でも日本編でも、住民の反対運動がまちづくりの過程で登場する。かつて私が若き日に歩き回った中野区上鷺宮や、国会議員時代に幾たびか訪れた二子玉川など懐かしい事例には目が釘付けになった。

 英国編で、ユニークな公開審問会を傍聴したくだりにも惹きつけられた。公開審問官制度とは、都市計画が実行に移される場合に、関係住民が参加して徹底的に議論する仕組み。審問官というのは中立的な立場で判断を下す公人をさす。岩見さんはたっぷり時間をかけて議論する英国人に感心する一方、諸手を上げて賛同することは出来ないと冷静な分析も加えていて興味深い。討論が苦手な日本人をめぐるエピソードには目や耳が痛いが、同時に民営化は英国社会になじまないなどの視点も盛り込まれ、日英文化比較論も楽しめる。

 彼はこれまでの「都市計画」を批判した上で、代案としての「場のまちづくり」をこの2冊で提示した。従来とは全く異なる「都市計画を暮らしの中に埋め直し、くらしの活動そのものとして、まちづくりをとらえるという発想」によるものだという。この表現では具体的なイメージは湧いてきづらいが、最終章の「参加の場所づくり」における「縁」というキーワードを使った、公園や福祉と防災のまちづくりや、特別養護老人ホームの柔らかな場所づくりなどの事例がわかりやすい。さらに、日本編における足立区の防災果樹園や京都西新道商店街のまちづくりのケースなどを読むと、一段とはっきりしてくる。

 この本を読み私の問題意識と連動して、二つ気にかかることがある。一つは、「阪神淡路」や「東日本」などの大震災後のまちづくりに、住民の意思が殆ど反映されていないという点。元衆院国土交通委員長として、内心忸怩たる思いがある。もう一つは、『人新世の「資本論」』で著者の斎藤康平氏が世界のまちづくりの好例として挙げているスペインのバルセロナなどでのコミュニティづくりだ。岩見さんのまちづくりの理論と、これは明確に繋がっていよう。神戸での高校同期の友の本を読み、失われた歳月と若き日の希望を取り戻し、世界の明日を語りたい思いでいっぱいになっている。

【他生のご縁 ベッカムに出逢い家族連携でサインをゲット】

 岩見さんとは、長田高校16回生の同期。公明新聞時代に、都市計画にまつわる学問が彼の専門と聞いて、寄稿を依頼するため、新宿に呼び出したものです。その顔には、昔かけてたメガネはなく、颯爽と裸眼で現れたのには驚いたことを覚えています。

 『場所と場のまちづくり』では、各章の合間に挟まれたコラムもめっぽう面白いのです。あのイギリスが誇るサッカーのベッカム選手と町中で彼と家族3人が出逢った時の話には笑えました。とっさに奥さんは彼のパーカーを脱がせ、娘さんにサインペンを買いに走らせ、自分は若い女学生たちの列に並んだというのですから。

 

 

 

 

 

 

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【68】4-④ デザインが世界を変えた━━中西元男『コーポレート・アイデンティティ戦略』

◆日本におけるCI戦略の先駆け

 デザインによって企業経営が根本的に変わり得ることを、25の実例で示した本である。読み終えて深い充足感に浸っている。コーポレート・アイデンティティ、略して『CI』の何たるかを、漠然としか長く知らずにきた我が身を恥じると共に、一本の補助線のおかげで幾何の問題が解けたようにストンと腑に落ちた。

 著者の中西元男さんは、Progressive Artist Open System (PAOS)の代表として、50年余も活躍してきた。日本におけるCI戦略コンサルタントの第一人者である。実は我が母校・長田高校の誇るべき先輩でもあり、知己を得てから四分の一世紀ほどが経つ。PAOSは「デザインでここまで出来るのだというケーススタディを個別企業のコンサルティングにおいて数多く築きあげてきた」が、これはその「網羅的概括的紹介版」である。そこには、企業経営というものが、知的かつ美的に展開することがどんなに大事かということが事細かに分かりやすく描かれている。コンサルティングにあたっての戦略の形成過程が文章や図式などで惜しみなく披露されている。完成を見たロゴやその展開ぶりを前にして、誰しも納得するほかない。

 CIの具体的表れとしてのロゴマークやロゴデザインで、経営戦略を表示出来得る。もっと言えば、商売そのものがうまく運ぶとは信じられないという向きは少なくなかろう。結果としてのロゴを皆甘く見ていて、それが生み出されていく過程と一体でセットになっていることに思いが及ばない。かくいう私も大事だとは分かっていても、それとこれとは煎じ詰めれば別だと見ていた。

 それを①企業経営を変える②製品のブランド力を高める③企業フィロソフィを形にする④大企業の体質を変える⑤ビジュアルで価値向上をはかる⑥中小企業を活性化する──など全部で6つの角度から、成功例を解き明かしている。ベネッセコーポレーション、ケンウッド、INAX、NTTドコモ、松屋、東レ、NTTなどといったおなじみの企業が次々と登場する。まるで、病院の待合室で偶然、知人友人に会ったときのように、私には新鮮な驚きだった。そういえば、この本、患者のカルテとも読めるから面白い。

◆数多い成功例とともに失敗例も

 ここで今私が挙げた企業7つは、いずれもPAOSが挑戦した仕事の中でも、とりわけ成功例だったと思われる。というのも、同社が「経営にイノベーションを起こすPAOSの歩みは、世界でも稀な戦略的デザインの成果の歴史」とのタイトルのもとに発行した、色鮮やかなペーパーには、冒頭にこの7社が取り上げられている──*地方の中小企業に飛躍的な発展の道を拓いた〈ベネッセ〉*経営不振企業を見事に蘇らせた〈KENWOOD〉*新事業開発で確固たる将来基盤を築いた〈INAX〉*歴史に残る名ブランドを生み出した〈NTT  DoCoMo〉*百貨店業界の通念を覆し目を見張る企業再生〈松屋銀座〉*企業内価値体系の変革で先進先端企業へ蘇業〈TORAY〉*115年の官営通信業にサービス業化への道を開いた〈NTT〉──といった具合に。企業名が違っているのは、CI戦略の使用前と使用後の相違による。これらの企業を筆頭に、成功例は殆どと言っていいほど、経営トップ周辺と中西さんとの呼吸が最初からピタッとあっていたというのは興味深い。この辺り経営もCIもいかにも人間的だと思われる。

 尤も、そうとばかり言えないケースも幾つか出てくる。そのうち偶々私と関係の深い業界である「毎日新聞」については考えさせられる。新聞メディアはこの当時(本は2010年発刊)以上に、もっと存在危機に直面している。その原因は、ネットの普及もさることながら、「新聞社が経営体としては極めて古い体質である」ことだという点だ。『毎日』は、世界初の戸別配達を始めた日本最古の新聞社だが、随分前から退潮傾向にあり、私の友人(同大阪本社元最高幹部)は、「もはや『毎日』は不動産業で、新聞社ではない」と自嘲げに言う。その都度、「いや『毎日』こそ最後の『ぶんや』と言える記者魂を持った侍が多く、読ませる記事が多いよ」と、私は肩を持って励ましてきた。

 なぜこの新聞社が低迷を続けてきたかについて中西さんは具体的に触れた上で、それを打開する手立てを提案した。だが、『毎日』は受け入れなかった。「せっかく必要な種蒔きはしてきたのに」と、中西さんの悔しさが伝わってくる。この10数年の間、日本には構造不況業種が続々と増えている。既成の企業全体の地盤沈下が厳しい状況下で、CIはどう力を発揮しているのか。私はこの本を読んで、急に気になり出した。戦後日本の右肩上がりの時代の水先案内人の真骨頂がいま問われているのでは、と。

【他生の縁 高校の先輩で、親友の妻の仕事仲間】

長田高校の大先輩である中西さんは「東京神撫会」の支部長をされていたのですが、私とのご縁はそれだけでは留まりません。私の親友の嫁さんが、かつて中西さんと同じ職場にいたというから驚きました。初めての出版パーティーにも世話人に名を連ねていただきました。

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【67】「頼朝」と「家康」の違い─呉座勇一『武士とは何か』を読む/1-4

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が年末に終わって、脚本家の三谷幸喜を改めて見直してみたり、あれこれの俳優の出来栄えを、ひとしきり友人たちと論じたりもした。一番の効用は「鎌倉」という時代や武士の捉え方について関心を深めたことであろう。偶々、図書館で呉座勇一の『武士とは何か』の存在を知って読むに至り、大いに刺激を受けた。この人については新進気鋭の歴史家としてかねて注目してきたが、我が見立てに狂いなきことを実感した。この本は源義家から、伊達政宗までの33人の「中世武士たち」の言葉──名言、暴言、失言──を抽出した上で、その特徴を描きだしている。対比されるのは江戸時代に生きた「近世武士たち」の『葉隠』『武士道』といった書物で確立されたいわゆる〝武士的なるもの〟とは全く違う武士像が展開されて、まことに興味深い。『鎌倉殿』の時代を生きた武士たちがほぼ半分ほど登場して来ることから、映像を後追いする感もあり、懐かしさの中で、日本史の学び直しにもなる◆「武士とは何か」と、あらためて問われると、天皇=朝廷を武力で守ることを職業にした人たちというところだろうか。私は、平家と源氏の抗争の中で確立していった集団という風に、漠然と考えてきた。学問的には、「荘園の中で成長した上層農民が自衛のために武装して武士になった」との説が定着していたが、今は完全に否定され、発生を京都の武官に求める新説が唱えられたものの、論証は十分でなく、「武士発生論は手詰まりの状況にある」という。そこで、呉座は、歴史学会の伝統的なアプローチではなく、「武士の気風、メンタリティーを考える」ことにしたというのである。学者の世界の面倒でうるさい議論をとりあえず棚上げして、下世話な角度から考えようという姿勢は大いに賛成である◆中世と近世の武士──大河ドラマで比較すると、鎌倉殿の時代の武士たちと、家康が作った徳川の時代の武士とでは、気風が全く違うというわけだ。頼朝は御家人に所領を与え、御家人は頼朝のために戦う。この基本が崩れると、さっさと離れて違う主人を求める。「つまり、中世の主従関係は互いに義務を負う双務的関係である」。一方、江戸時代に出来上がった武士の世界は主君への忠義が絶対視された片務的関係である。現代日本では、ややもすると今に近い江戸時代の武士に親しみを感じる傾向があり、その眼で鎌倉殿・北条執権の時代を見てしまう。すると、簡単に主従関係が壊れることに違和感を抱く。身内でも次々と殺し殺される残虐性に少々辟易する一方、ドライな主従関係に新鮮さを持った向きもあろうか。江戸期に比べて、鎌倉期では独立心が旺盛だったといえるのだ。その辺りを比較して描いていく手法は小気味いい◆著者は、33人の武士たちの様々な発言を手際よく料理しながら、様々な歴史学者たちの旧説や新説を紹介していく。例えば、有名な藤原定家の「紅旗征戎、我が事にあらず」について、戦や政治にまつわる出世に関心を向けず、詩歌の世界に没頭した定家のこころぶりといったこれまでの定説を破って、彼がその道についていくだけの力がなかったからだとする説を紹介している。天の邪鬼な私など大いに共鳴する。また小説家の井沢元彦との論争をめぐっても触れられており、面白い。歴史学者をいいように叩いてきた井沢と、呉座の間では週刊誌上での公開質問状などのやりとりがあるが、私は井沢ファンとして、歴史学会を向こうに回して、喧嘩をふっかけた意気や壮なりと評価してきた。呉座がこの本で学者の様々な新旧の学説をわかりやすく紹介しているのは、この論争の影響もあるに違いない。(敬称略 2023-1-4)

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