身近にいたウクライナ研究第一人者
2022年の2月にロシアの侵攻で始まったウクライナ戦争も、まる3年を超えた。当初、テレビに映し出されたかわいい子供たちの「私、死にたくない」との泣き声が耳にこびりついて離れなかったり、何万人という人々が国境を超えて逃げゆく姿に、動揺を覚えた私たちもしだいに関心が薄れてきたことを認めざるを得ない。平和な市民が空爆で死んだり、生活の拠点が破壊され瓦礫と化することを痛む感性がこの3年で弱くなってきているとしたら、悲しいことだ。ウクライナでもロシアでも兵役を逃れる人が後を立たない現実がある一方で、戦争の終焉の兆しは一向に見えてこない。
当初、ロシアとウクライナの歴史的関係に関心を持つ人たちは少なくなく、ロシアはともかくとして、ウクライナについてはほとんど知らない自分を発見して、急ぎ勉強した人は多かろう。実はウクライナ研究の第一人者と私が交友関係を持つに至ったのは数年前に遡る。公明党のある若手議員から「神戸にパワー溢れる学者がいます。是非一度会ってみてください」と紹介されたのがきっかけである。すぐ様「異業種交流会」にお誘いした。蝶ネクタイのよく似合う口髭の岡部芳彦神戸学院大教授である。姫路在住と聞いて一気に親近感を持った。暫く経って『日本ウクライナ交流史』なる本を頂いた。大学の教材風の赴きもあり、「1915-1937年」との副題の意味も分からず、読まずに放置してきた。
今回の事態に慌てて取り出し急ぎ読むことにした。〝泥縄式読書〟の典型である。恥ずかしい。1915-1937と僅か22年に限定された「交流史」であることの理由は読み進めて直ぐ分かった。現存する資料では日本とウクライナ関係の始まりは、1915年の松井須磨子と島村抱月の芸術座のウラジオストクでの同国のカメンスキー劇団との共演にあり、翌年の同劇団の日本訪問へと繋がることに由来する。
「神戸に始まり神戸に終わる」ウクライナとの関係
終わりの方の1937年は満州の地における両国間の民間交流が、日中関係の悪化と共に途絶えていったことによる。つまり、ウクライナとの関係は日本の大正期における自由な雰囲気を背景にした文化交流に始まり、やがて昭和前期の戦争への機運の高まりと共に終わったといえよう。この辺りの時代の空気を見事に汲み取りながら、歴史的第一次資料をつぶさに追って、岡部さんの筆は進む。元々別立ての論考だったものを出版にあたりまとめたものであるため、5つの章ごとに「はじめに」と「結びに」がついている構成であり、とても読みやすい。これからウクライナを研究しようとする学生や初心者にとって極めて重要な教材だといえよう。
「神戸に始まり、神戸に終わる」と、この本の由来が「あとがき」に述べられている。神戸っ子ゆかりの銘菓「モロゾフ」や、かつての神戸最大のエンタテイメントの拠点「聚楽館」で、二つの国の共演劇が展開された。少年時代をこの地で過ごした私など大いに惹きつけられる。前者には耳にするだけで唾液が、後者は「🎶ええとこ・ええとこ聚楽館」とのあのフレーズが甦ってくる。開戦後直ぐウクライナ情勢が気になるなか、岡部教授を急遽招いて異業種交流会を開き、仲間たちと意見交換をする機会を持った。
冒頭、岡部さんがキエフへのロシア侵攻を多くの専門家同様予測し得なかったことに悔しさを滲ませていたのが印象的だった。彼の地での多くの友人たちの身の安全への強い懸念を漂わせつつ、冷静に的確な見通しを述べる歯切れ良い音声に耳を傾け続けた。この際一気にウクライナに関する著作をものされたらいかがですかとの、ぶしつけな私の注文に、既に2冊の刊行依頼が来ていることを明かされた。ロシアとウクライナ両国の積年に及ぶ関係を解説してくれる本に出会えることに、知的興奮を禁じ得ない。その時にウクライナに平和への兆しが現れているかどうか。今後の展開に我がこととして強い関心を持ち、戦争終結を祈り続けたい。
【他生のご縁 ゼレンスキー大統領『魂の叫び』を解説】
プーチンのロシアによる戦争を仕掛けられ、ウクライナが残酷な被害を受ける中で、一気に注目を浴びている岡部芳彦さん。彼の地の人と風土に最も習熟されているだけに、数多見聞きする解説の中で、わかりやすいことこの上ないと感じます。
このほど第二弾『日本・ウクライナ交流史1937-1953年』を出版されました。さっそく、「個別の話としても読めて3章(クペツィキー話)、4章(ウクライナでドイツ軍捕虜となった日本人)、5章(シベリア抑留)あたりがオススメです」とメールが届きました。母国を除けば最も愛する地が崩れゆき、友人たちが死闘する様子に同苦されている姿に、私も胸かきむしられる思いです。
先般お会いした際に、ゼレンスキー大統領の『魂の叫び』をいただきました。同大統領の100の言葉を集め、岡部さんが解説を加えた本です。とても興味深い内容でした。大統領との関係に思いを巡らせるにつけても、人生の不可思議さに感嘆せざるを得ません。