Monthly Archives: 7月 2021

(398)日本の来し方と未来を抉るー兼原信克『歴史の教訓「失敗の本質」と国家戦略』を読む/7-25

著者の狙いは、近代日本の勃興から敗戦による滅亡までの日本の来し方を、世界史の中で眺めて、そこから教訓を得ること。もう一つは、将来の日本のために、普遍的価値観に基づく誇りある外交戦略を組み立てること。失敗の本質を歴史から汲み取り、これからの国家戦略の構築に活かそうという意欲的な試みだ。興味深い〝歴史の余滴〟やら〝歴史の皮肉〟など、読み応えある面白くてためになる記述が満載。ここでの「歴史の教訓」を多くの青年が拳拳服膺すれば、現代日本の知的レベはぐっとアップすることは間違いないと思われる▲故岡崎久彦氏(外務省出身の外交評論家)を「敬愛する」著者は、その死の直前に「何かを託された」との思いを抱いた逸話を明かす。私は、岡崎氏との私的勉強会(新学而会)の末席を汚し、晩年の同氏の謦咳に接した。一読者として殆どの岡崎作品を読んできた者として、弟子ともいえる兼原氏の、この論考に刮目する。大使在任中に周りの眼を気に留めずひたすら書きまくった師匠に比し、退官後に満を持して筆をとった弟子。師の所産を弟子が血肉化した〝師弟の二重奏〟に惹きこまれる▲元衆議院議員として気になったくだりに触れる。「東西ドイツの分断が、ドイツを空想的な平和主義に籠ることを不可能にした」と論及。あいも変わらぬ55年体制下にあるような議論が繰り返されている日本との比較が厳しい。「拡大核抑止の内容を真剣に議論出来る日本人の数は限られており、日本人一般の軍事リテラシーも著しく低いままだ」と残念がる。「政府による日米同盟強化の動き」が「混乱と政局」を招きかねず、自衛隊の動きを巡って「イデオロギー的な議論がなされている」現状への懸念が強調されている。現場を離れて8年。〝変わらぬ風景〟に溜息を否めない▲ただ、「集団的自衛権」の〝変形導入〟に多大の犠牲を払って貢献した公明党からすれば、「そう急ぎなさんな」との思いも。内政、外交・安保両面で「55年体制打破」に挑戦してきた者として、後輩たちの「あと一歩」にー多少の自嘲を込めつつー期待したい。著者は「価値の日本外交」戦略の構想をめぐる最終章で「日本単独の国力には限界がある。国際協調の中でのリーダーシップだけが、日本が今世紀に世界の中で輝く道なのである」と結論づける。だが、深まる一方の米国の分断化の見通しや、国際秩序変更への中国の露骨な意図についての分析に物足りなさが残る。(2021-7-25)

 

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(397)〝霧にむせぶ城〟に掻き立てられる想像力ー奈波はるか『天空の城 竹田城最後の城主 赤松広英』を読む/7-18

 

著者のあとがきを真っ先に読んで驚いた。初めて竹田城の存在を偶然とある駅で見た雲海に浮かぶ城跡のポスターで知って興味を持ち、京都から現地へ。不思議な城跡と城主の魅力に惹かれ、数年かけて初めての戦国時代ものを書いたという。そんな簡単に時代小説が書けるものかと半ば疑う気持ちと、我が兵庫の生み出した〝幻の名城〟への興味とが相俟って、読み進めた。この本を読むきっかけは、岡山に住む読書人の先輩・日笠勝之氏(元郵政相)が、ご先祖ゆかりの人の本を読んでみてはと、送ってきてくれたから。かの赤松円心則村から数えて10代ほど後の武将・赤松広英が主人公。龍野城主だった政秀の息子。鳥取城攻めの後、家康によって自刃させられた竹田城主ーそう言われても、播磨守護職だった赤松の系譜では、「嘉吉の乱」の満祐ぐらいしか知らない。私には苗字が同じだけの未知の歴史上の人物。それでもご先祖様の足跡を辿るような錯覚を持ったのだから、名前とは妙なものだ▲「天空の城」とは竹田城の異名。まるで雲海の中を進む飛行機を思わせるように、城跡が霧のなかに浮かぶ。一度はその風景を直接見たいものと思いながら、写真だけで未だその機会はない。幾たびも下から見上げ、往時を偲ばせる小高い山頂にも登ったものだが。「雲海はうねりながらものすごい速さで左から右へと流れていく。頭上の雲が切れて青空が見え始めた。(中略)見ていると、雲海が少しづつ沈んでいくではないか。あそこに竹田城がある、というあたりの雲の塊が下がって、城が姿を現した」ー城主となって初めて国入りした広英が、城を対岸の山の中腹から眺める場面だ。もとをたどると、円山川から発生する霧がみなもと。雲海より霧海と呼びたい▲「天下泰平」を夢見る広英は、城下の農民たちと心の交流を度重ね、名君の名をほしいままにする。この小説は但馬、播磨をベースに、主に秀吉の天下平定への戦の数々を、広英の立場から追っている。戦国ものの体裁をとっていて、初めての気づきも多々あった。加えて、秀吉晩年の朝鮮出兵に伴う葛藤は、時代を超えて改めて無益な殺生だったことを思い知らされる。人間の一生への評価は、棺を覆うてから定まるとの思いを新たにした。更に、婚礼の儀の細やかさや、琴を弾き笛を吹く場面などに、女性作家らしい優雅な視点を感じたことは言うまでもない▲姫路城の城下で育った私には、今住む街にある明石城などは、天守閣がないゆえ、およそまともな城と思えない。どうしても壮大で華麗なそれと比較してしまう。まして竹田城は天守閣はおろか城の痕跡は石垣に残るだけ。しかし、それゆえと言っていいかどうか、観る人間の想像力を掻き立てる。ましてや〝霧にむせぶ城〟とは、まことに泣かせてくれる。この小説の作家・奈波さんは400年あまり前の時代に遡って、平和な楽土を夢見る為政者と一般人の、えもいわれぬ二重奏に誘い込む。「兵庫五国」と言われる中で、丹波・但馬地域は観光で気を吐く地域でもある。竹田城は、城崎温泉や丹波篠山の古民家などと並んで人気の的。コロナ禍前にはうなぎのぼりに観光客が増えていた。竹田城をNHK大河ドラマに、との運動もあると聞くだけに、この小説はもっと活用されていいのではと思うことしきりだ。(2021-7-18)

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(396)棚上げされてきた「平成の国防」ー兼原信克 編『自衛隊最高幹部が語る 令和の国防』を読む/7-13

去る6月5日に配信された、朝日記者サロン『せめぎ合う米中〜日本の針路』なる対談をネットで見た。朝日新聞政治部の倉重奈苗記者の司会で、兼原信克・前国家安全保障局次長と笹川平和財団上席研究員の渡部恒雄氏が解説する試みだった。現役時代の番記者の一人で、中国特派員も経験した旧知の同記者からのお勧めだったが、中々の知的刺激を受けた。その際、兼原氏の発言で二点興味を唆られた。一つは、昨今の中国の台頭の背景には、西側諸国の没落が始まったとの認識があるとの見立て。もう一つは、戦後日本の生き方に外務官僚として責任を自覚していると読み取れたこと。この二つから、彼の著作を読もうと思い立った▲表題の本は、正確には陸海空の3自衛隊元幹部の座談会で、兼原氏は司会役。普段は殆ど聞くことのない自衛隊の本音が伺え、滅法興味深い議論が続く。とりわけ、陸海の元幕僚長が「領土と国民を守る」戦い方の相違を巡って、激しくぶつかるくだりは生々しい。異文化のもとに培われた両組織の差異が、映像で見るようにリアルに迫ってくる。この二人は同期で、空自の元補給本部長は少し後輩。人選の巧みさが光る。ここでは、「平成の国防」を国会議員として論じてきた立場から、正直な受け止め方をほんのさわりだけ披露してみたい▲ここでの議論の前提には、中国は「力による現状変更を躊躇しなくなった」との認識がある。台湾と尖閣の有事は同時に起こるーその時に自衛隊は本当に国土、国民を守れるか。日米同盟は機能するのか。国民に備えはあるのか。兼原氏が「3名将」の奥深い戦略眼を引き出し、自らの歴史観を織り交ぜての展開は微に入り細にわたる。例えば、台湾に対して「日本の防衛装備を売って、同時にメンテナンスやトレーニング、更には空港、滑走路、港湾、道路などの軍事施設の公共事業も一緒にやってあげられるといい」との提案を示す。と同時に、これらのこと(軍民共用施設の建設)でさえ、日本は「平和主義のイデオロギーに縛られて」難しいとの現状を明かしている。このため「いっそ防衛省の能力構築支援の予算の方を拡充して」、防衛省直轄でやるといい、とまでいう▲8年前まで国会の現場にいた私としても全面的に首肯せざるをえない実態であった。だが、昨今の中国・北東アジアの情勢認識は変化を余儀なくされている。国会はコロナ禍対応一色だが、こうしたテーマを含めて関係委員会で、しっかりした議論を着実に深めていくべきではないか。この座談会では「専守防衛の日本は列島に閉じこもっていればいい」との議論が「国防」の妨げとなっていると随所で強調されている。確かに、私は「領域保全能力」のもと「水際防御」をすれば、平和を実現出来るとの考え方を持っていたし、今もこだわりがあることを認めざるをえない。同時に、「平和外交」の展開が欠かせないとして「外交」に責任を転嫁したことも。(2021-7-13)

 

 

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(395)確かにそれは突然やってきたーボーヴォワール『老い』(朝吹三吉訳)を上野千鶴子の解説と共に読む/7-6

秋の日はつるべ落としというが、私の場合、それはついこの夏に突然やってきた。これまでも徐々に歳を意識する場面に事欠かなかったが、今度ばかりは衝撃を受けている。正座が出来ず、あぐらがかけないのだ。昨今、椅子を使うことが常で、滅多に直に畳の上に座ることはなかった。ある日、座ろうとすると、右足が痛くて曲がらない。左足は左外へ回せない。しゃがむことさえままならないのである。先輩たちが会合でも、食事処でも、椅子を常用していたのを他人事と思っていたのだが、ついに自分にお鉢が回ってきた▲ボーヴォワール『老い』をNHKテレビの『100分で名著』で上野千鶴子さんが取り上げた(6月最終月曜日から毎週月曜放映)ので見た。と共に、テキストも読んだ。朝吹三吉さん訳本は上下2巻、しかも二段組の大部とあって敬遠。せめて解説本だけでも、とばかりに。上野さんについては6月16日に放映された『最後の講義』なるBSの番組も見ている。この人はボーヴォワール『第二の性』が刊行される直前に生まれ、それが世界中で話題となる過程で幼女から少女へと育った。ボーヴォワールを強く意識する中で社会学者となり、女性の権利擁護を叫び、高齢者福祉に取り組む。私の認識は「おひとりさま」なる用語を駆使する〝うるさいおばさま〟というものぐらい。背中だけ見ていたが、ようやく三つ歳下のこの人の顔をマジマジと見ることになった▲この本で最も関心を引いたのは、「老いーそれは言語道断なる事実である」との言葉と共に掲げられた6人の知識人たちの老年期の「事実」だ。例えばゲーテの場合。「ある日、講演をしている途中で記憶力が喪失した。20分以上もの間、彼は黙ったまま聴衆を見つめていた」ー彼を尊敬する聴衆は身動き一つしなかったし、やがてゲーテは再び話し始めたという。このことで私が見た二つの事例を思い出す。ある有名な先輩女性議員のケース。講演の中でしばしば沈黙された。明らかに言語障害と思われた。後の機会でも同様な場面が続き、やがて引退へと。もう一つはNHKラジオの解説番組に登場したある学者のケース。いきなり意味不明の発言を連発。司会役が「先生、朝早いからですか?それはどういうことで?」と幾たびも不可解さを指摘したが、事態は変わらずそのまんま。やがて放送時間の10分は終わった。一切説明はなかった。いずれも「老い」がもたらす災いに違いなかろう▲ヴォーボワールは学者、芸術家など知的職業人の「老い」に辛辣な見方をした。例外は画家と音楽家。上野解説では何故かは触れていない。私見では感性中心の、時代を超越した芸術分野と、理性が幅を利かす分野との違いだと思われる。政治家についても厳しい見方を提起している。「時代とより密接な関係にある」ために「(自分自身の)青年期とはあまりにも異なる新時代を理解することに、しばしば失敗する」として、代表例に英国のチャーチルを挙げている。第二次世界大戦の英雄だったが、平和期にはおよそ平凡な宰相として顰蹙を買う存在になり下がった、と。「老い」の視点を導入しないと人の一生の評価は見誤る。秀吉は日本史での最たる例であろう。さて、もはや取り返しのつかない老人になったものはどうするか。私には秘策があるのだが、ここではヒミツにしておき、明かさない。(2021-7-5)

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