Monthly Archives: 8月 2022

【47】②-1 「吉田」ドクトリンは永遠か──永井陽之助『新編 現代と戦略』

 

◆「非核・軽武装・経済大国」路線

 世に「棺を蓋いて事定まる」(人の真価は死後に定まるという意味)というが、事はそう簡単ではない。安倍晋三元首相が狙撃死に遭ってから1年余り、その評価は依然定まりそうにない。彼の死の直後に書いた論考(朝日新聞Webサイト『論座』)において、私は、光と影の両面からその政治的足跡を評価した。光は、混迷する国際政治の中で発揮された外交的手腕。影は内政面での反民主主義的ともとれる強権的手法。このうち、前者について、考えをめぐらす中で、吉田茂元首相との対比に思いが至った。興奮覚めやらぬ中で、岸田首相が「国葬」を決めたことから、1962年当時の吉田のケースと対比されてきたが、私の関心事はそれではない。日本の戦後外交史における吉田、安倍の果たした役割について、である。

 吉田茂といえば、「吉田ドクトリンは永遠なり」との言葉を世に広めた政治学者の永井陽之助『現代と戦略』(1985年3月出版)を思いだす。世に出てから(初出は文藝春秋1984年1-12月号連載)、もう40年近くが経っており、国際政治学における古典といってもいい位置にあるとの評価が一般的だ。再読を思い立ったのは他でもない。この本は、読む角度を変えると、元外務省高官の岡崎久彦批判の書でもある。そして、岡崎といえば、安倍晋三元首相のご意見番ともいうべき親密な関係であったことはよく知られている。2016年発刊の「新編」(第一部)の方には、岡崎による反論と共に、永井との対談「何が戦略的リアリズムか」(1984年中央公論7月号)も併せて巻末に収録されており、極めて興味深い。遠い昔に読んだ記憶を後追いしつつ、「新編」を追った。取り扱われている素材は勿論、古い出来事ばかり。だが底に流れるものの考え方、掴み方は今になお有効であり、大いに参考になる。

 永井はこの書の中で、吉田の「非核・軽武装・経済大国」路線を長く受け継がれるべきものとして位置付けた。確かに、吉田の用いた路線は、ドクトリンと呼ぶかどうかは別にして、この40年というもの、日本の国是とでも言うべき位置を形成してきた。しかし、改めてこの書を追っていくと、岡崎久彦への言及が目立つ。偶々、彼が『戦略的思考とは何か』を発表した直後でもあり、2人の間での積年の議論の焦点が改めて浮上したといえよう。

◆「政治的リアリスト」と「軍事的リアリスト」

 永井は「政治的リアリスト」の自身に対して、岡崎を「軍事的リアリスト」と見立てて、多様な角度から論じている。とりわけ、「日本の防衛論争の配置図」(座標軸)は、論争的興味を惹きつけてやまない。永井からすると、アングロサクソン(米英)絶対視の岡崎への批判の眼差しが伺える。岡崎からすれば、吉田路線への反発があり、2人は食い違う。

 慶大教授の細谷雄一は、安倍がかねて吉田ドクトリンを「安全保障についての思考を後退させた」と、否定的に捉えていた(『新しい国へ』)ことを紹介。その上で、「より厳しい世界の現実に直面する勇気を」持つものとしての「安倍ドクトリン」を推奨している(中央公論2022年9月号「宰相安倍晋三論」)。永井が岡崎を否定的に捉える背景には、軍事的リアリストの立ち位置に、フランスのド・ゴール元大統領風に自国の栄光を追う、日本型ゴーリストの影を見たからではないか、と私は見る。

 40年前と違って、吉田の定めた路線を取り巻く環境は激変した。安倍の捉え方が、より正鵠を射てると思う向きは左右の立場を問わず多いように思われる。先の永井版「座標軸」で、「福祉と自立」重視のグループに組み入れられていた公明党も、その後大きく安保政策を転換した。「同盟・安全」重視の政治的リアリストの仲間入りをして久しい。今、永井ありせば、こうした変化を何というか。それでも「吉田ドクトリンを忘れるな」というに違いない。(敬称略)

【他生のご縁  謦咳に接し得たのは生涯の誇り】

 菅義偉と菅直人──首相経験者の2人が共に、永井陽之助先生に影響を受けたことを国会の場でそれぞれ口にしたことがあります。また、渡辺喜美氏(元みんなの党代表)も菅直人氏への質疑の際にわざわざ取り上げていました。このうち、菅直人氏は東京工大の出身ですが、後の2人は法政と早稲田。どちらも学外から講義を聞きに行ったと思われます。それほど、先生の講義は当時の学生に聞き応えが轟いていたということでしょう。

 遠い昔のことゆえ、慶大での講義の中身は定かではありませんが、私もその謦咳に接したことを生涯の誇りにしています。先生は総合雑誌『潮』にしばしば寄稿されており、公明党についての理解も同誌を通じてのことだったように思われます。私が大学卒業後初めて先生とお会いする機会も同誌関係者による懇談の場でした。先生は後年青山学院大に移られましたが、そこでの門下のひとりに防衛研究所の長尾雄一郎君が加わり(国際政治学博士)ました。彼はかつて私が激励した創価学会高等部員だっただけに、ことのほか嬉しい出来事でした。残念ながら47歳で同研究所第一室長の時に亡くなってしまったのは痛恨事でした。

 

 

 

 

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【46】未だ日本は「米軍の占領下」という現実──山本章子/宮城裕也『日米地位協定の現場を行く』を読む/8-20

 結党当時からの公明党を知っているものにとって、在日米軍基地というとすぐに思い出すことがある。「総点検」である。米国の占領、朝鮮戦争の勃発、自衛隊の発足、日米安保条約の発効から改定と進んだ、戦後20数年の歴史は、思い返すと即米軍との〝内なる戦いの連続〟であった。戦火を交えた国との関係は直ちに収まり変わるものではない。日米軍事協力の基礎である基地の実態を調査点検し、不必要なものは返還してもらおう──これが初期の公明党の発想だった▼1965年(昭和40年)に大学入学と同時に公明党員になった私は、〝調査なくして発言なし〟というこの党の姿勢に痺れる思いで共鳴した。あの頃から60年足らず。米軍基地の現状は残念ながら殆ど変化しているようには見えない。米軍人の犯罪を日本の司法が裁けない。航空機そのものの墜落や落下物も後を絶たない。騒音被害や環境汚染も止められない。これらすべて「日米地位協定」が邪魔をする。私は1993年(平成5年)の初当選いらい、20年間というもの、ほぼ全期間を外交・安保分野で仕事をしてきた。その間、この「協定」の壁に遮られ、幾度となく溜息をついてきた▼要するに日本、公明党、そして我が身の力不足を実感してきたのである。この本のサブタイトルは、「『基地のある街』の現実」。これは、かつて公明党の先輩たちがやった調査をもっと細かくさらに徹底して調べ上げたものだ。著者はふたり。大学准教授と新聞記者。特に前者には沖縄研究奨励賞、石橋湛山賞を受賞した『日米地位協定』なる著作があり、既にこの欄で取り扱っている▼この本を実際に手にするまで、山本さんが沖縄の基地を徹底して歩き書いたものと誤解していた。現実には全国北は三沢から、南は嘉手納基地まで7箇所(首都圏は一括り)が対象になっていて、沖縄はそのうちの一つだけ。その点は失望したが、それは私の勝手な思い込み。改めて、日本全国が米軍のもとで金縛りにあっていることがよくわかった。日本は未だに米軍の支配下にあるのだ。要するに、〝未だ独立ならず〟ということが分かった。「戦場で失ったものは、(話し合いの)テーブルでは取り返せない」という格言が胸に響く。(2022-8-21   一部修正)

 

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【45】気分は「日清、日露に勝った」直後──鈴置高史『韓国民主政治の自壊』を読む/8-12

 韓国は鑑賞する分においては、映画と同じように面白い国だ。尤も、当事者としてこの国と付き合うとなると厄介で、とても面白いなどと言っておれないだろうが。私には韓国ウオッチャーが友人に多い。つい先ほど、新しくその仲間に付け加えたいと思いたくなる人に出会った。といっても、テレビの解説番組を通じて一方的に見染めただけである。失礼ながら、お顔は見れば見るほどユニークである。この人物の書いたものも読もうと言う気になった。それがこの本だ。一読、裏切られなかった。章ごとのポイントを挙げる▼出だしの第1章は、コロナ禍。一度は抑え込んだように見えた。「西洋の没落」到来とばかりに喜んだのも束の間。瞬く間に自らの新規感染者数が世界最高レベルへと逆流。「K防疫こそ韓国人の優秀さを示す」などと呑気なこと言っておれなくなった。次いで、「あっという間にベネズエラ」の第2章。民主主義を掲げて当選しながら、その制度を壊してしまったベネズエラのチャペス大統領と文在寅前大統領は同じ穴のむじな、だと暴く。司法を掌握しようとの試みは、権威主義の国では左派だろうと右派だろうとどこでも起こるから、との指摘は納得がいく▼「そして、友達がいなくなった」との第3章は「反米、従中、親北」路線の当然の帰結だ。米国に歯向かうそぶりを見せつつ、中国に迎合し、北朝鮮と仲良くするとの路線では、誰にも相手にされないのは当たり前だろう。「政治の自壊が止まらない。韓国の知識人は今、激しい内部抗争のあげく滅んだ李氏朝鮮を思い出す」で始まる最終章は、韓国の行方を、縮んだ経済では国民をなだめるだけの分配が難しいと占う▼それでいて、「韓国は経済、外交、内政とあらゆる面で岐路に立っている」と、決定的な断定を避けた口ぶりは、韓国が苦手の日本人には物足りないかも。でも、ご安心を。「おわりに」では、きっちり、落とし前をつけている。まず、「35年間の植民地と独立後の南北分裂、朝鮮戦争による貧困」で、「周辺国から、一人前には扱われず、その劣等感は積もりに積もった」韓国人だが、「今や旧・宗主国の日本を豊かさで超え、誰からも無視されない国になったと自信満々だ」と持ち上げる。その上で、「せっかく描いた『世界に冠たる韓国』という自画像を壊す気にはならない」がゆえに、「韓国の気分は『日清・日露に勝った』直後」だと結ぶ。虚像の上に立った韓国は、波打ち際の砂の城のように、あっという間に流されるとの見立てなのである。(2022-8-12)

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【44】1-⑧ 東西文明の融合を果たすのは日本か?──安田喜憲『水の恵みと生命文明』を読む/8-10

◆人間中心主義と自然との共生主義

 人間による「自然収奪」を中心においた文明は、「自然との共生」を主眼にした文明とは全く違う。この本における著者の主張は、ここが最大のポイントである。前者を〝人間中心主義〟と呼び、畑作牧畜民による「動物文明」と位置付ける。一方、後者は、〝自然との共生主義〟とでも呼ばれるもので、稲作漁撈民による「植物文明」とする。この二分化を基本に、収奪文明と共生文明、物質エネルギー文明と生命文明、男性原理の文明と女性原理の文明などが対比されつつ語られていく。

 実はこの本は、著者が各地で講演された内容をベースに、様々な媒体に発表されたもので、全部で9つのパートにわけて掲載されている。ユーモア巧みな講演上手の著者が年来の持論を展開したもので、冒頭のエッセンスが繰り返し登場する。わかりやすく読みやすい。「国連SDGSの動き」に見るように、2030年が地球にとっての命運を決する分岐点とされ、これからの10年足らずの人類の振る舞いが注目されている。まさにその時に多くの人々に読んで欲しい本である。

 安田喜憲さんは、日本で初めて、文明や歴史と自然環境の関係を解き明かす「環境考古学」を提唱したことで知られる。湖の底に沈んだ堆積物、花粉の分析などに取り組んできたことが機縁となったという。この本の第1章は「『人生地理学』と私」。当初「地理学」を志した安田さんは、その道の先達・創価学会の初代会長牧口常三郎先生との学問上の出会いをされる。伝統的な「地理学」が、中心都市を基点に同心円状に広がって形成される「中心地論」に拘泥したのに対して、牧口先生はそれを日本には合わないと否定された。川の流域に沿って、水との関わりが強い空間認識を持たれていた。加えて「郷土」「文明」に着目されたことも合わせ、安田氏が高く評価されていることは興味深い。

 また、学者として15年ほども不遇をかこっていた同氏は、哲学者・梅原猛氏(国際日本文化センター)と運命的な出会いをし、世に大きく浮かび上がっていく。学問の世界の異端児ぶりは師匠譲りだということも分かった気がして実に面白い。人の世の出会いの摩訶不思議なることを改めて痛感する。

 ◆畑作牧畜民と稲作漁撈民との相剋の行方

 この本において、様々なことを気づかされ、再認識したが、そのうち最大のものが富士山の「世界文化遺産」認定問題だ。これに深く関わってきた同氏は、三保松原を含めるべきだとの議論に固執した。これこそ、森と里と海の生命の水の循環の場であり、生物多様性を守る格好の舞台だったからだ。それを分からず、富士山頂と駿河湾は離れ過ぎている、分けて考えるのが当然としたユネスコのイコモス(国際記念物遺跡会議)。それに同調する日本人。最終的に安田さん達の粘り勝ちで、三保松原が認められたことの意義は極めて大きい。単に距離の問題ではないことが改めて分かった自分が恥ずかしい。

 この本を読んで考えることは多いが、最大のものは、冒頭に挙げたように、畑作牧畜民と総称されるヨーロッパ系の文明と共に生きてきた人々と、稲作漁撈民と呼ばれるアジア系住民の相剋の行方である。ここで注意すべきは中国はアジアに位置するが、この両文明の対決では、欧米の側に括られる(ただし、安田さんがいう長江文明は例外として)。この帰趨については、「『植物文明』は『動物文明』にやられっぱなし。(中略) 勝たなければ、稲作漁撈民、『植物文明』としての日本民族は自滅するしかない」と、ある。

 そう危機感を述べる一方、安田さんは、東洋と西洋のバランスをとっていくことができるのは、「明治以降、欧米の文明原理を真摯に導入したにもかかわらず、江戸時代以降の歴史と伝統文化をも失わなかった日本人をおいてほかにない」と述べる。尤も、長江文明の遺産に中国が気づけば、この国もまた東西融合の鍵を握りうると思うのだが、さてどうだろうか。

【他生のご縁 劇的な出会いと次々続くハプニング】

   公明党総務部会に当時NHK経営委員だった安田さんが来られて、NHK会長人事をめぐる経緯を釈明されるというので、待ってましたとばかりに〝おっとり刀〟で出向きました。偶々慶應大の同期で塾長だった安西祐一郎氏がトラブルに巻き込まれ会長になり損なったと聞き、同社に一泡吹かせようと思ったからです。その場では、言いたいことを言って溜飲を下げたつもりでした。

 ところが、終了後、後輩の稲津久代議士から安田さんが環境考古学なる学問の権威だと聞かされると共に、畏友・浜名正勝(創価学会元北海道総道長)と懇意にされていると紹介を受けたのです。いらい、長く熱い付き合いが始まり、今に至っています。思い出深いのは、理論誌『公明』主催の対談「大災害の時代」を京都・伏見で行ったことで、実に楽しい語らいでした。

 また、来神した浜名氏と共に会う約束の場所に、安田さんが青い顔をして来られ、「金を貸してくれ」と言われるのです。聞いてみると、京都駅で財布を落としたみたい、だと。必ず出てくると励ましたら、案の定出てきました。とても感謝されたことが忘れられません。

 

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【43】「国際法など偽善に過ぎない」が‥‥──創価大学平和問題研究所『「人新世」時代をどう生きるか』を読む/8-3

 「大沼保昭文庫」が創価大学に出来た。それを記念するシンポジウムがさる3月6日に行われた。これはその記録である。サブタイトルに、大沼保昭先生の人間観、歴史観、学問観に学ぶ、とある。心打たれ、読むものを感動させずにはおかない。凄い小冊子である。ロシアのウクライナ侵攻から始まった戦争から、〝この世というもの〟を考える上で大いに参考になる★1990年代半ばに、中嶋嶺雄先生の主催される会で初めてお会いした。仰ぎ見る存在だったが、私とは同い年。その誼みで親しくさせていただいた。4年前に逝去され、その葬儀にも参列した。行動する学者として、いまわの際まで壮絶な仕事をされたことは知ってはいた。だが、遺作『国際法』の秘書役・蔦木文湖さんの語りを読み、仰天した。山田風太郎の『人間臨終図巻』の特別版と私には思われる★新聞記者として、また政治家として私は、人生の大半を、国際政治の現実を追うことに費やし てきた。やくざのいざこざと全く同じ。そんなものを追って何になる──時に、国際法学者を哀れみの眼差しで見たことも。そんな私が、大沼さんの「国際法など偽善に過ぎない」と言いつつ、同時に「意味がないわけではない」との発言をこの書で発見した。あまりにも謙虚で素直なことに、愕然とした★この書は人間・大沼保昭を、学問を通じ晩年近くに繋がった人たちが紡いでいてまことに興味深い。その中で愛娘・みずほさんの父親像が目を惹く。「皆さんが抱いている『好きだが嫌い。嫌いだが好き』とのもやもやした感情は私も共有できます」と、率直だ。「国際法に対するメッセージを」と父に迫った。大沼さんは、第二次世界大戦で日本がその活用を怠ったが故に国家滅亡の危機に瀕したとし、「国際法は日本国民が身につけ、活用すべきものだということにほかならない」と述べた。当たり前のことに聞こえる。だが、同時にたとえようもなく重く響く。(2022-8-3)

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