Monthly Archives: 3月 2020

(343)どう生きてどう死ぬか、自戒の日々ー佐藤優の『希望の源泉 池田思想❷』を読む

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(342)6-① ユニークな外科医の只ならざる提案━━邉見公雄『令和の改新 日本列島再輝論』

◆再び日本を輝く国にするための数々の提案

   今から25年ほど前だったろうか。赤穂に大変ユニークな病院長(赤穂市民病院)がいると聞いて、会いたくなった。当日その人は下駄の音も高らかにやってきた。背広に下駄。お顔には長い顎髭。いでたち佇まいからして大層変わっていた(当時は白髭でなく赤ひげに、私の目には映った)。以来、様々の場面でご指導、ご鞭撻を頂き、お付き合いを重ねてきた。誰あろう、つい先年まで全国自治体病院協議会会長(現在は名誉会長)を務めていた邉見公雄さんである。

 その彼の『令和の改新』なる本を読んだ。一読、日本を再び輝く国に変えたいとの溢れんばかりの心情が伝わってきた。笑いと涙なしには読めない。面白くてためになる、深〜い本である。改めてこの人の凄さを思い知った。日本の行く末に関心を持つ人びと全てにとって必読の書だと思う。

 邉見さんは、この本の中で多くの貴重な提案をされている。それは第一章と巻末の「平成こぼれ帳」に集中。この中から私が勝手にベスト5を挙げてみよう。第一に、子供が選挙権を得るまで、母親に子供の数だけ投票権を与えること(父親は誰の子かわからないこともあり外すとのこと)。第二に、中央省庁の地方移転。46道府県に少なくとも一つの政府機関を置くことから始めるべし、と。一番急がれるのは、気象庁の沖縄移転。第三に、皇室の分居。高松宮家は高松に、常陸宮家は常陸水戸に、秋篠宮家、三笠宮家は奈良に、秩父宮家は秩父に。こうすることで、首都直下型地震の備えになる。第四に、国民皆保険制度と憲法9条を和食より先に世界文化遺産にすべき、と。どちらも世界に冠たる珍しさが輝く。第五に、“ふるさと医療〟の提案。心ある医師が僻地や離島に行き、一週間でも一ヶ月でも診療に行く仕組みを作りたい。いずれ劣らぬユニークで貴重なアイディアである。

◆無理筋の豪快な提案ベスト3

 一方、これらとは別にかなり無理筋と思われる豪快な提案もされている。ベスト3を挙げよう。第一に、もう終わってしまったが、東京オリンピックの中止をあげていた。東京一極集中を更に強める二度目の開催ではなく、トルコ・イスタンブールに譲ることでの悲願の五大陸開催に繋がる選択をすべきだった、と主張されていた。日本でやるなら、東北合同とか広島、長崎合同開催の方がインパクトが強かった、とも。第二に、リニアモーターカーの中止。〝ゼネコンのゼネコンによるゼネコンのための大工事〟は、発展途上国向けのショーウインドウであり、「21世紀の無用の長物」間違いなし、と。第三に、原発を廃止し、自然エネルギー発電に国民全体で取り組むべきであり、地震や津波に安全なところはどこにもない、と。オリンピックはともかく、リニア、原発も改めて立ち止まって考える必要がある。

 第二章は医師(外科医から病院経営)としての「自伝」の趣き。破天荒な活躍の中に、胸詰まる失敗談も挿入されていて極めて印象深い。人情噺としてこれ以上は望めないほどの〝栄養源〟が詰まっている。第三章は、日本病院団体協議会(日病協)の立ち上げや、中央社会保険医療協議会(中医協)での活動などを巡っての「回顧録」の風がある。総じて、ご本人は、遺言のつもりとして書かれたという。全編に漲る強い信念と大確信の所産であることがビシビシ伝わってくる。医療に従事する人はもちろん、全ての患者さんに読ませたい。日本中の医院の待合せ室に置かれることを望む。

 ただ、読点が極めて少ない分、当初は読みにくさがいささか付き纏う。だが、読み進むにつれて、著者独特のリズミカルな文章展開と分かって、もうクセになりそう。政治家、物書きの端くれとして、邉見さんの提案や生き方に心底から眩しさを感じる。こういう人こそ厚生労働大臣に、いや総理大臣になって貰いたかった。

【他生のご縁 日々交流を深める医の巨人】

 この本の出版の直後にコロナ禍が起こりました。全国自治体病院協議会の会長を辞されたとはいえ、邉見さんは八面六臂の活躍をされました。中でも、『看護師が見た!新型コロナウイルス』の緊急出版は二冊に及んでおり、そのスピード感はただならざるものがありました。ここには、医療関係者のリアルな声が満載されており、貴重な証言集になっていました。

 第一弾のは、病院長ら幹部クラスで現場からの遠さが否めなかったのですが、第二弾は現場の看護師さんが多く登場され読み応え十分でした。中でも、県立尼崎医療センターのO看護師さんの報告は胸打つもので、感動しました。地元兵庫の人なので、探し出して交流ができたのはとっても嬉しいことでした。

 邉見さんは、拙著『77年の興亡』の読書評を『公私病連ニュース』(3-1号)の「一冊の本」なるコラム欄に取り上げてくれました。これはなんと、直木賞作家や著名な文豪のものと3冊併記で、「看板に偽りあり」でしたが、恐らく私のものを単独で取り上げるには憚れるものがあったのでしょう。思わず苦笑。贅沢は言えません、ありがたくおし頂いたしだいです。さらに第二弾の『新たなる77年の興亡』も、引き続き同ニュースに掲載されました。

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(341)3-⑥ 虚実ない混ぜあの手この手の小説作法━━諸井学『神南備山のほととぎすー私の新古今和歌集』

◆ヨーロッパ・モダニズム文学を先取りした「新古今和歌集」

 鎌倉時代の初期に後鳥羽院のもとに6人の選者たちが集められて編纂されたのが新古今和歌集(そのうちの一人藤原定家が百人の和歌を一首づつ集めたのが「百人一首」)というわけだが、これまで殆ど無縁できてしまった。そこへ、姫路の同人誌『播火』の同人・諸井学さんが『神南備山のほととぎすー私の新古今和歌集』なる本を出版したというので、読んで見た。

 彼の作品は『種の記憶』『ガラス玉遊戯』の2冊を読み、既に読書録でも紹介してきた。その後、『夢の浮橋』という題で、和歌文学の真髄に迫る素晴らしい論考を同人誌上で三回に渡り連載され、今も続行中である。私はこれに嵌っており、この度の新刊(過去に同人誌で発表したものを再編成)にも、深い感動を覚えている。毎日新聞の書評欄に推薦をしたことで、私の入れ込みようが分かって頂けよう。

 諸井さんの主張は、新古今和歌集は、ヨーロッパのモダニズム文学の手法を800年前に先取りしていて、「世界に先駆ける前衛文学である」ということに尽きる。この本は年譜を冒頭におく奇策を講じる一方、長め短め取り混ぜ、凝りに凝った手法を講じた12編の小説が並ぶ。どこから読むか迷う。四番目の「六百番歌合」が語り口調もあって読みやすい。そこでは、「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」という定家の傑作を噛み砕いており、そのくだりが圧巻である。

 一見、春の歌に恋の世界を重ねただけの単純な情景を歌ったものと、受け止められる。しかし、その背後には、漢籍における物語詩や故事を踏まえ、源氏物語の最後の巻を連想させるという企みがうかがえる、と。著者は「この連想による複雑化、そして『春の夜』『夢の浮橋』『峰』『横雲の空』と断片をちりばめるフラグメントの技法は、まさしく現代のモダニズム文学の手法」だとすると共に、「たった三十一文字の短詩の中に、定家は詰めるだけ詰め込みました。T・S・エリオットなど足元にも及ばぬといったら言い過ぎでしょうか?」とまで。

◆『後鳥羽院』との時空を超えた対談の妙

 著者のこの文学的スタンスは、丸谷才一のものと共通する。表題にある「神南備山のほととぎす」(第9話)は、この著作のメインストーリーでもあるが、実は〝師を乗り越えた弟子〟の趣きなしとしない秘話となっている。簡単にいえば、第8代の勅撰集となる新古今和歌集が完成の直前になって、過去の7つの中に重複しているものがある(山部赤人作が『後撰和歌集』の中に)と判明。さてこの誤りをどう取り扱うかという話を小説仕立てにしたものである。

 実はこれ、丸谷才一『後鳥羽院』が創作のきっかけとなった。この本は初版と二版で大事なところの記述が違っているという。初版での「詠み人知らず」が二版では「山部赤人」に、更に「古歌集」が『赤人集』にすり変わっているのだ。これに諸井さんは気づいた。彼はそれを後鳥羽院との時空を超えた対談という驚くべき形式で、事細かに明らかにしているのだ。「初版の言説を第二版で翻しておきながら、そのことをどこにも断っていない。極めて不誠実です」と手厳しく後鳥羽院を(勿論、現実的には丸谷才一を)責めているのである。未だ読んでいない人にこのあたりは小むづかしく聞こえよう。著者にとってはここが肝心要。まさに鬼の首を取った感なきにしもあらず。(だから、勘弁してあげてほしい)。

 諸井さんはこの本において、呆れるほど様々な実験的手法を試みている。「六百番歌合」は私も知っている姫路の公民館での見事な迫真に満ちた講義録だ。‥‥と思わせたが、架空のもの(臨場感溢れる絶妙の面白さ)だった。「鴫立つ沢」はラジオ番組のインタビューという形式をとっているがこれも創作。他にも「民部卿、勅勘!?」では、なんと、現代生活の中に「平安日報」なる新聞を登場させ、定家らの動静まで掲載する。また、「草の庵」には実在しない女房を登場させたうえ、「美濃聞書」なる史料を創作し、長い注釈を加えた。

 ありとあらゆる手法を駆使して「新古今和歌集」の実像に迫っている。これでは、紀行文の形を取っている「隠岐への道」(最終話)も、怪しい(と思ったが、これは事実だと後で分かった)。まさに虚実ない混ぜにした、騙しのテクニック満載なのである。国際政治学という学問を愛する私には「殺すより盗むがよく、盗むより、騙すがよい」とのW・チャーチルの国際政治の本質を突いた言葉が印象深い。騙し上手は政治家、嘘つき上手は小説家が通り相場だが、さてさて諸井学という人は?

【他生のご縁 2足のわらじで2種の森林に分け入る】

 諸井学というペンネームは、どこから来ているのでしょう。あのサミュエル・ベケットの『モロイ』に傾倒し、学びたいというのが由来なのです。日本古典文学からポストモダンに至るまで、この人の文学への造詣が広く深いことに驚きます。

 名工大を出て家業の電器店を営みながら小説を書き続けてきました。先年姫路で著名な文学賞を受賞。2足のわらじで、2種の森林に分け入る試み。70代半ば。いよいよこれからの人なのです。

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