Monthly Archives: 8月 2023

【92】凄味漂う朝鮮民族との付き合い方━━司馬遼太郎『韓のくに紀行』を読む/8-31

 司馬遼太郎さんは、韓国に行きたいと思ったのは十代の終わり頃だと『韓(から)のくに紀行』を書き出している。その目的を問われて「韓国への想いのたけというのが深すぎてひとことで言いにくかった」から、「(たがいに一つだと思っていた)大昔の韓国の農村などに行って、もし味わえればとおもって」と答えたと、続けている。この時(1971年)に遡ること30年ほど前に、彼は現実のその地に念願叶って行った。だが、その時の記憶は、徴兵で運ばれた列車のレールの上から垣間見た風景の断片でしかない、とさりげない◆朝鮮半島と日本の関係史にあって、大きないくさは3つ。最初は白村江の海戦である。西暦663年8月のこと。唐と新羅の連合軍と百済と組んだ日本のいくさだったが、「日本の水軍は恐れも知らず全軍突入し簡単にやぶれた」。「わが水軍が、それぞれ先を争って猛進すれば唐の水軍はしりぞくだろう」との見立てだった。「日本人のいくさの仕方は、この時代から本質としては変わっていない」と、司馬さんは厳しい。「おろかなことをした」のちの日本の政治的心情は、「国際環境についての恐怖心」であり、唐と新羅が攻めて来はしないか、と怯えたという。いらい1360年ほど、この心情は今も大筋変わっていないと思われる◆その一方で、日本は朝鮮民族を舐めきってきたと言わざるを得ない経緯がある。それは後の秀吉の朝鮮出兵であり、日清戦争での勝利に起因する。司馬さんは、どういう方法で誰が計算したか知らないが、「朝鮮民族が外敵の侵入を受けた回数は有史以来五百数十回だそうである」と驚き、北から南から常に侵入されながら「ほろびることなく、南北とも堂々たる近代国家として国際社会に存在している。こういう例は世界史でもめずらしい」とまで褒め称えて、「凄味がある」としている。南の韓国はともかく、北朝鮮が堂々たる近代国家と言えるかどうか。大いに疑問だが、専制国家としてのマイナスの存在感は確かに大きい◆七十代後半の今の歳になるまで、私が韓国に行かなかったのは、ひとえに「気が重い」ことに尽きる。日韓、日朝の関係史を思いやるにつけ、「創氏改名」を代表とする、彼らの日本人への「怨恨」にまともに付き合いたくないからだ。司馬さんも「朝鮮人と政治問題を語ることを無数の理由から好まない」と明言している。この人は、あたかも美味しい魚を食べる際に、小骨が喉に刺さらぬように、「政治」を選り分けているかに見える。「文化・芸術」的視点から、この民族の持つ素晴らしさを語ってやまないのだ。ただ、選別され取り出された骨のなかに、「中国」という大骨が混じっていることが気にかかる。ここは骨までしゃぶる覚悟で、小骨は噛み砕くしかないのかもしれない。(2023-8-31)

 

 

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【91】「侵略失敗」から「友好展開」への歴史の変遷━司馬遼太郎『モンゴル紀行」から考える/8-20

    1923年(大正12年)に生まれた作家・司馬遼太郎さんは、21世紀を待たずして1996年に亡くなりました。今年は「生誕100年」というわけです。それを記念して様々の企画が催されているのは周知の通りです。NHK スペシャルで放映された「街道を行く」シリーズを幾つか観てみました。そのうち、「国家と人間」というものを考えさせられる外国編について取り上げてみます。まず、『モンゴル紀行』からです。モンゴルといえば、13世紀における「蒙古襲来」(文永、弘安の役)を思い出さざるを得ず、日本史を振り返る際に「国の防衛」というものを考えさせてくれる存在です◆フビライ・ハーンのモンゴル帝国が日本に攻めてきたという史実を思うにつけ、中国大陸と朝鮮半島を乗り越え、海を挟んで対峙したことの重大さに改めて気づきます。海洋国家の有り難さを痛感せざるを得ません。当時は鎌倉時代北条政権の後期。決して万全の国内政治情勢ではなかった日本だったのに、一致団結して守り切ることに成功しました。その後、600年を経て西欧各国の攻勢を受ける江戸時代末期まで、平穏を保ち得たことは〝海の効用〟という他なく、〝モンゴルの教訓〟とでも言うべきものが歴史に刻印されてきたことを実感します◆『モンゴル紀行』を読み、テレビでの映像を追うと、かの国の兵士たちがユーラシア大陸を駆け巡ったすえに、西はウラル山脈を越え、東は日本海に迫ったことが俄かに信じられない思いになります。境目なき大空と平原、夜明けや夕陽の想像を絶する光の饗宴、あまた降リ注ぐ星の降臨はおよそこの世のものとは思えません。30年余も前に同じ選挙区で戦った文人政治家・後藤茂代議士が、ご自身のモンゴルへの旅でのその辺りの記憶を、巧みな表現で語ってくれたことを昨日のように思い出します◆司馬さんがこの紀行文と共に、『草原の記』でもツェベクマさんという老婦人との交流について種々触れているのが印象的です。馬と共に成長しゆく少年、ひつじに寄生するように生きる大人たち。草原を流れる放牧民族の数奇さを、あたかも国家御用達の語り部のように伝えてくれる彼女。生き生きと語りゆくその姿に司馬さんとの意気投合ぶりが窺えて読む者の心がなごみ、高揚させられます◆現在の日本とモンゴルの関係は、大相撲の力士をめぐる話題に集約されます。NHK解説委員出身で、内閣官房副長官、外務副大臣を務めた浅野勝人元代議士が元横綱白鵬関のこよなき友人で、折に触れて交わしたメールを纏めて本にし、「ほんづくり大賞」特別賞を受賞したことは知る人ぞ知る話です。かくいう私も、一方の雄・鶴竜関の姫路後援会の一員として毎春の大阪場所直前に同じテーブルを囲んだものです。尤も、私の場合はメールを交わすどころか、会話のネタを探すのが精一杯という無様さでしたが。「日本侵略」に失敗したモンゴル民族の末裔たちが今、「日蒙友好」にそれぞれの汗を流していることは「平和」そのもので、微笑ましいことといえましょう。(2023-8-20)

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【90】大衆のための視点が忘れられていないか━中北浩爾『自公政権とは何か』を読む/8-14

 自公政権が誕生して20年余り、かつては次々と組み合わせが変わっていった連立政権だが、今では当たり前のようになっている。それはこの本のサブタイトルにあるように、自公両党の「『連立』にみる強さの正体」を見抜くことがポイントなのだろう。様々な政治学者や評論家がアタックしているテーマであるものの、中北氏のこの本が4年前に出版されて以来、最も核心をついた書籍として定評がある。今取り沙汰されることの多い「揺れる自公関係」を考える上で、大いに参考になる◆著者は、「あとがき」で書いているように、「政治学の連立理論に位置付けることに努め」、「比較可能なものとして捉え」たという。サブタイトルに「正体」なる言葉を使ったのは、「暴露する」のではなく、「色眼鏡で見ない」という意味をも込めている、と。確かに、これまでは、公明党の最大の支持母体である創価学会を「色眼鏡で見」た「暴露本」的傾向を帯びたものが多かった。それに対して、この本は、前世紀末からの連立政権の歴史を丹念に追いながら、最も長期に渡って安定を見せてきている自公政権の奥深くに取材先を求めて、その実態を描き出している◆その意味で、現実に展開する政治に関心を持つ人々にとって興味深いものには違いない。ただ、私のように公明党誕生直後からこの党をウオッチャーとし、またプレイヤーとして見聞きしてきた人間からすると、やはり物足りなさは残る。それは、この本が結局は「連立という視角からみた自民党研究」であることに起因する。要するに公明党研究ではないのだ。自民党との連立政権のパートナーとして定着した公明党として、最も忘れて欲しくないのは、大衆のためになる政治の実現である。政権の「安定」を第一に考えると、「改革」がおざなりになってしまう。庶民を苛めたかつての自民党政治は変わったのか?知らず知らずのうちに、権力の側の片棒を担いでいないかどうかをチェックする必要がある◆中北氏は、この本の結論で、「固定票の分厚さと選挙協力の深さの両面で、自公ブロックの優位が顕著」であり、野党ブロックが政権交代を目指すには、「選挙制度改革を含む政治改革を行う方が近道かもしれない」と述べている。この4年、その兆しはない。立憲民主党の共産党との共闘問題に終始し、行き詰まりを見せているだけで政治改革の動きは弱い。むしろ、国民民主党の「自民党か維新か」の選択や、維新の自民党との距離が取り沙汰されていることに見るように、現実政治は〝与党の肥大化〟の方向に流れがちだ。それでいいのかどうか。大いなる論争が待たれよう。(2023-8-14)

 

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【89】特筆すべき民衆からの反撃━━ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』の解説(堤未果)を読む(下)/8-2

 

 最終章で、あの「3-11 東日本大震災」ショックに際して、宮城県の村井嘉浩知事が「民間活力」こそが「創造的復興」の実現にとって最も大事だと主張したことを否定的に取り上げています。また、仙台空港が国の管理空港の民営化第一号となったのに続き、関西国際空港、大阪国際空港(伊丹空港)が民営化を実現したり、宮城県の上下水道と工業用水の運営権の民間売却や大阪府の医療特区化したことを取り上げ、「この二府県は、いわば、日本におけるショック・ドクトリンのトップランナーと」位置付けています。さらに、急速なデジタル化の先に管理社会の危険性が見えてくること、また自民党が目指す「憲法改正」のプロセスに、「緊急事態の宣言」項目の対象として、「自然災害」や「感染症」が加わる公算が高い危うさを指摘しています。いずれも本格的なショック・ドクトリンが仕掛けられてくる環境が刻々と整備されようとしていると、警鐘を鳴らしているのです◆このように、日本におけるショック・ドクトリンが跋扈している実態に触れて、冒頭での「今こそ日本人が知るべき、『衝撃と恐怖』のメカニズム」との触れ込みに応えた形になっているのです。「惨事」を狙う主体としての、新自由主義経済学者ミルトン・フリードマン率いるシカゴ学派の悪どい手口を次々と暴いてみせているといえましょう。ところが、最後のところで、「一番悪い敵は、誰なのか?」という思考に陥らないように、と忠告し、21世紀のショック・ドクトリンの「最大の特徴は、敵の顔が見えないこと」だと強調しているのです。20世紀後半の時点で、姿を現した時の主犯格は紛れもなくシカゴ学派だったのですが、21世紀になって、そのドクトリン展開の主役は、変化の様相を示しているというのでしょう。それを著者は、「相手は人間でなく、果てなき欲望を現実化するための『方法論』」だといいます。恐らく悪いのは誰彼というのでなく、「惨事便乗型資本主義」だというのでしょう◆ところで、私は、この本を読み、自然界における「大災害」と、人間世界における「ショック」がないまぜになって襲ってきている時代が今だ、というように理解しました。つまり、庶民大衆が犠牲になるドクトリンが仕掛けられている悲劇の時代の到来だ、と。しかし、著者も解説者も、「民衆のショック・ドクトリン」という表現で、最終章において、各国地域で民衆の側が自立して主権を取り戻す実例を挙げているのです。これでは読み手はいささか混乱してしまいます。災害や惨事に便乗する国家悪、企業悪を指して「ショック・ドクトリン」だと思わせられたのに、民衆の側にも火事場泥棒的手合いがいるのか、との誤解を招くのではないでしょうか◆ここでは、「ショック・ドクトリン」なる言葉を使いたいのなら、せめて「アンチ(反)」の文字を付けて欲しいと思います。確かに、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ、エクアドル、レバノン、南アフリカ、スペイン、中国、ロシア、ボリビア、ポーランドなどで、また、日本でも、ショック・ドクトリンの「恐怖戦術」から抜け出して、新たな道を歩き始めているような、〝特筆すべき反撃〟とでも言うべき動きが見えます。これは民衆の側からの対抗措置であり、ショック・ドクトリンに打ち勝つのは、「人間の知性」だといいます。さて、この戦い、断じて負けるわけにいきません。与党になって20年を超えた公明党の真価が問われます。(一部修正 2023-8-3)

 

 

 

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