Monthly Archives: 5月 2021

(390)底抜けの楽観主義の果てにー半藤一利『戦争というもの』を読む/5-27

本の帯に「最後の原稿」とある。『歴史探偵 忘れ残りの記』が半藤さんの最後の著作かと思っていた。太平洋戦争を通じて記憶して欲しいと彼が願った14に及ぶ名言集である。病床の祖父から編集作業を依頼されたのは孫娘の北村淳子さん。彼女の父親は北村経夫参議院議員である。私が半藤さんと繋がったのは北村さんのお陰。その経緯については幾度も書いた。半藤夫人の末利子さんといえば夏目漱石の孫娘にあたる。エッセイストとして著名だ。そのまた孫にあたる彼女が編んだ祖父の遺言。心に深く染み入る重い本である。コロナ禍という〝異形の戦時〟に読み応え十分だった▲「一に平和を守らんがためである」ー山本五十六の言葉が最初にくる。瞬時、平和を守るために、と称して戦争は始まるものとの謂か、と誤解しかけた。「理想のために国を滅ぼしてはならない」ー若槻礼次郎の言葉も少々引っかかる。裏返して、国を滅ぼしていいのはどんな時なのか、とへそ曲がりな思いがよぎる。この人に遅れること15年。敗戦直後の昭和20年11月に生まれた私は「戦争を知らない」世代の走り。学問に、仕事に、ひたすら「戦争と平和」と格闘してきた▲この世代は「反戦」を青春の象徴として大きくなった。祖父母が生きた明治の約40年が日本が勃興する時代と重なり、父母の育った大正から昭和前期へのほぼ40年間は、この国が滅びゆく期間と重なる。自らは戦後民主主義の只中の70有余年を生きた。老境に達した今、明治の先達にそこはかとない憧憬の念を抱く。それはこの国を守りゆく〝理想の承継〟でもある。戦争の残酷さ、悲惨さは存分に知り尽くしているつもりだ。だが、観念の上での理解は突然の何らかの衝撃に、脆くも壊れ行くことも知らぬわけではない。この辺りは産経政治部長で鳴らした、淳子さんの親父さんと語り合いたいとの衝動を覚える▲この本を読み進めていく中で、妙な疑問が湧いてきた。「特攻の秋(とき)」昭和20年の初めになぜ母は妊娠したのか。お先真っ暗の「戦時」の子育てに自信はあったのか。大きなお腹を抱えて竹槍を突き出し、防空壕に入ったと幾たびも聞かされた。当時35歳を越えて応召された父は、「敗戦」を確信したとも言っていた。肝腎要のことを聞きそびれた。底抜けの楽観主義ゆえとしか思いつかない。編集に携わった淳子さんは、「この本が最後に私に手渡してくれた(祖父の)平和への願いそのもの」だと記す。さて、やがて11歳になる孫娘に、私は何を手渡すか。〝次に来る戦争〟は全くスタイルが異なるーこれしか今のところ思いつかない。(2021-5-27)

 

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(389)中国を舐めていた日本の末路──邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』を読む/5-20

 中国の経済力、科学力、軍事力など近年の国力の進展は凄まじい。実は2年前に出版された遠藤誉『「中国製造2025」の衝撃』によって私は覚醒させられたつもりだった。それでも、香港やウイグルなどでの自由・人権抑圧の報に接する度に、その評価は揺らいできた。いったい、この国はなんなのか、と。中国を分析する際に、どうしても政治の視点が経済を見る眼を曇らせる。やがて中国が世界の覇権を握るとの予測をデータの裏付けと共に示されても、頭か心のどこかで打ち消す響きが遠雷のように聞こえ、響き渡ってくるのだ。

 しかし、政治を一切抜きにした経済の現場からの報告は全く違う印象をもたらす。邉見伸弘『チャイナ・アセアンの衝撃』である。これまでの「中国観」を台風一過の青空のようにクリアにしてくれる。著者はデロイトトーマツコンサルティング合同会社執行役員・パートナー、チーフストラテジスト。豊富な図表、グラフを駆使し、章ごとに分かりやすいポイントをまとめてあり、読みやすい。

 「日系企業はここ5年で中国からの撤退が続く。大きな理由はコスト増だという。同時に進出先の拠点がほとんど変わっていない」「自動車産業等においては日本企業がタイを中心に圧倒的なシェアを占めていることもあり、中国製品は安かろう。悪かろう、アフターメンテナンスでまだまだといった認識だ(中略)日本企業は簡単に切り崩せないという視点もある」──こうしたくだりには、中国の躍進がいくら著しいといっても、どうせ大したことないはずと、どこか中国を舐めた我が身には合点がいく。人権に無頓着で、お行儀も悪い、そのくせ計算高い。平気で交渉相手を騙す。そんな国民性を持った国の企業と付き合うのはとても無理だ──これが概ね日本人の「対中商売観」だと思ってきた。中国に永住を決めた「和僑」の友人でさえ、ついこの前まで中国企業との商いはよほど習熟した者でないと危険だ、との見方を振りかざして憚らなかった。

●公開情報を丹念に読み込む

 そんな見方で敬遠するうちに彼我の差は益々開いたのかもしれない。中国の都市経済圏の凄まじい発展ぶり。地続きのアセアン都市圏との綿密な繋がり。自分たちが「知らないことを知らない」うちに、怒涛のように様変わりしている「チャイナ・アセアン関係」。その実態が鮮やかに描かれていく。中国で人口が1億~2億人級の都市群が全土で5群もあるという。日本の人口は減りこそすれ増えはしない。この比較ひとつでも打ちのめされるに十分だ。

 著者は、国際会議やビジネスミーティング、会食等の場を通じた情報交換を貴重な情報源に、海外に出れば現地不動産屋の案内で、津々浦々の人々の生活を収集してきた。コロナ禍にあっても、公開情報を丹念に読み込み、筋トレをするように報道との差に繰り返し目をつけていく──この地道な作業の結果が見事なまでに披露されている。

 中国経済の異常なまでの進展ぶりは、私のような昭和戦後世代には理解が中々追いつかない。何かにつけて私の古い頭は「共産中国の見果てぬ野望」の域を出なかった。そんな思いをこの本は、生きた「経済」の観点から、「中国恐るべし」を実に丁寧に裏付け、刮目させてくれる。とりわけ中国の変化の実態を見極めるには、3つの眼が必要だとの指摘はずしりとこたえた。

 人の眼だけではなく、鳥の眼で事業・産業全体を見、魚の眼で時代の流れを読み、虫の眼で現場の動向を見る、というものである。完全に後塵を排した日本に活路はあるのか。「日本企業が知らない日本の強み」と題して、最後に「これからの生きる道」が示されている。ここで「経済」に疎い身は救いの手を得たように、ほっとしてしまう。むしろ、「生きる道はもはやない」と突き放された方が良かったのではないか。暫く経ってからの「続編」で読みたかった、などと余計なお節介気分が頭をよぎる。

【他生のご縁 尊敬する先輩の後継者】

 邉見伸弘さんは、私の尊敬してやまない公明新聞の先輩・邉見弘さんのご長男。随分前から、親父さんから消息は聞いていました。「慶應に入った、君の後輩になった」「卒業して、経済の分析をあれこれやってるみたいだ」と。それがつい先ごろ、「中国関係の本を出した。読んでやってほしい」となったのです。直ちに、注文して読むに至りました。

   弘さんは、私より4年先輩。公明新聞の土着派猛者連中にあって、理論派として光り輝く存在でした。『日本共産党批判』で市川主幹を支え、『公明党50年史』をまとめ上げた人でもあります。生前の市川さんのところに呼ばれたらいつも邉見さんが横に居られたものでした。お二人の会話を眩しく聞いたものです。

 「父から、市川さんと赤松先輩のことは、本の話と共にずっと聞いて育ちました」──頂いたメールのこの一節を読んで、心揺さぶられました。「父子鷹」を見続ける読書人たりたいと、思うばかりです。

 

 

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(388)公平とは何かに迷いーボブ・ウッドワード(伏見威蕃訳)『怒り(RAGE)』を読む/5-11

ニクソンからトランプまで、歴代米大統領9人の立居振る舞いを9冊の本として出してきた米国人ジャーナリスト、ボブ・ウッドワード。その分野の最高峰に紛れもなく位置する人物である。このうちトランプについてだけ2冊(これで合計10冊になる)も書いた。一期4年の間に『FEAR 恐怖の男』と『RAGE 怒り』の2冊である。なぜか。1冊目は歴代大統領のうち極めて特異な人物の出現に対して警鐘を乱打する思いで就任間もない頃に出版した。その中身について「不公平だ」との批判が強烈な形でトランプ周辺から発せられ、2冊目が三年後の2020年に出された▲この2冊を読む直接のきっかけになったのは雑誌『選択』4月号の河谷史夫の連載「本に遇う 事実を見ない大統領」である。とりわけ同誌の編集後記に「彼の筆による大統領列伝は、米国現代史の最良の読み物だ(中略)私たちの時代の唯一無二のライターである」とあり、「緊急事態宣言が出た時の、一気読み候補になった」との記述に、私も倣った。『大統領の陰謀』(ニクソンのウオーターゲート事件)以外は読んでいなかった。それを読む気にさせられたのは、常軌を逸しているとしか思えないトランプを、このライターがどう料理したかに興味が募ったのだ。しかも、一作目にケチがついて、いわば仕切り直しの二作目がどうなったかに▲一作目では、トランプが会見を一切受けつけなかった。一転、二作目では17回ものインタビューやら電話のやりとりもあった。どちらの側も気を遣った結果だろう。ことはトランプだけに終わらない。国防長官のマティスや国務長官のティラーソンらが辞任に至る経緯も丁寧に書かれている。一作目ではマティス始め周辺からも著者に反発があったことへの配慮だろう。そのゆえか、私が二作目で最も心撃たれたのは、マティスが中国の魏鳳和国防部長をジョージ・ワシントン邸マウントバーノンに案内した場面である▲【マティスはいった。「しかし、戦うのはもうこりごりです。戦死した兵士の母親に書いた手紙は数え切れません。もう書きたくない。あなたも書く必要はないんです」魏のような中国の軍人の大部分が、武器を持って戦う戦闘を経験していないことをマティスは知っていたー1979年の短期間のベトナム侵攻以来、大規模な紛争は一度も経験していないはずだ。戦争はとてつもなく過酷なものになるはずだということを魏に知ってもらいたいとマティスは思った】ーこの前後の描写はマティスへの配慮が目立ち、胸を撃つ。二作目は全編にわたり、著者のトランプへの気遣いが過剰なまでに溢れているが、「結論はたったひとつしかない。トランプはこの重職には不適格だ」で、終わっている。著者ウッドワードは、この作品の出来栄えには極めて不本意だと思っているに違いない。それは「不公平だ」とのトランプの攻撃に、著者の迷いがそこはかとなく窺えるからである。(敬称略 2021-5-11)

 

 

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(387)不確かだった知的遺産がくっきりとー宮城谷昌光『三国志入門』を読む/5-4

今更、『三国志入門』でもでもないだろう、との声が聞こえてきそうだ。正直言って、その通りだと思う。じゃあ、どうしてここで取り上げるのか。実は、この欄に登場させる本がなく、書店に行って書棚を探すうちに適当なものが見つからず、苦し紛れで買ったのである。これならすぐ読めて、書くのも簡単だと。すみません、安易な姿勢で。反省します。が、読んでみて、やはりそれなりに新たな気づきがあったし、得たものは少なくなかった▲実は私がこれまで読んだ『三国志』は、遠い昔に読んだ吉川英治のもの。本場中国の原典『三国志演義』ではない。細部は忘却の彼方であった全貌を、ぐっと身近にさせてくれたのが実は映画だった。中国版DVD45分もので全部で50枚100話ほどであったろうか。10年ほど前に一気に観たものだが、これはまさに血沸き肉踊る面白さだった。曹操役の俳優が田中角栄元首相によく似ていたと記憶する。それを改めて想起させてくれた▲この『入門』で、気づかされたのは、劉備玄徳の「真実」である。「すべてを棄ててゆくことによって、いのちを拾う。生きかたとしては放れ業」と、「逃げの劉備」の実像を描いた後、配下の人間の心中を探る。「明確な思想をもたず、配下を思いやる心も持たない劉備に」なぜ付き随ったのか、と。答えは、彼らがそれぞれの理想を描くために、劉備はどんな絵も描ける白いキャンバスだったからだとする。配下にとって利用価値があったということなのだろうが、「思いやりの心がない」人柄との言及に、現代日本人としては疑念が残る▲「手に汗握る名勝負」の章では「赤壁の戦い」が読ませる。尤も「官渡」「夷陵」「五丈原」といった他の戦いも含めて、活劇場面のダイナミックさはやはり映画には叶わない。ただし、細かな背景、心理描写の巧みさは活字の世界である。『三国志』が生み出した言葉が10個紹介されているが、改めて「正解」を知って唸ったものもある。私としては、「出師表」「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」に感じ入った。映画では、司馬懿仲達の人物像に惹かれた。読後、これを手引きにもう一度映画を観たいとの思いが募ってきた。(2021-5-4)

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