新型コロナの第一波が過ぎたかに思われる今、次第に日常が取り戻されつつある。大きく言えば「経済のV字型回復」への待望論が鎌首をもたげ、身近なテーマで言えば「生活習慣」が棚卸しされかねない状況である。緊急事態宣言直後、文明論が喧しく論じられ、価値観の転換を説く向きも少なくなかった流れが忘れ去られないのかどうか。大いに懸念される。このコロナ自粛の期間、あれこれと軽重問わずつまみ食いならぬチョイ読みをした。そのうち尊敬する大先輩や友人が出版した本3冊を紹介する▲まずは合田周平・電気通信大学名誉教授による『中村天風 快楽に生きる』。合田さんは財団法人天風会の元理事長。「天風哲学」の実践者・中村天風先生の愛弟子である。天風先生の箴言集の後にまとめられた「心身壮健ークンバハカの実践」が興味深い。クンバハカとは、「肛門」を締め、同時に「肩」の力を充分に抜いておろし、さらに「下腹部」に力を充実させる呼吸法。「肛門を締めると気分が全然違ってくる。怒りそうになったらキュッ、悲しくなったらキュッ、これだけで心が傷つかなくなる」と言う。お試しあれ▲次に、浅野勝人・元内閣官房副長官の『孤独なひとり旅 白鵬関とのショートメール』。浅野さんは衆議院議員を辞されたあと、一般社団法人「安保政策研究会」理事長を務める。横綱白鵬の熱烈な支援者で、陰に陽に白鵬を激励(主にショートメールで)し続けてきた。一般的に白鵬は立ち合いのかち上げやら、優勝時の土俵下での万歳の音頭取りとかで評判はよろしくない。しかし、これを読むと目から鱗が落ちるように、真反対の大相撲の守護者としての白鵬が立ち現れてくる。私は高木彬光の名作『成吉思汗の秘密』からくる〝夢に満ちた神話〟をもじって、「義経の末裔・白鵬」と持ち上げたい▲最後に、山本章・元厚労省麻薬課長の『「奇跡の国」と言われているが‥ どうする麻薬問題』を紹介する。クスリを語る際にこの人は外せない。彼が先に世に出した『医師がくすりを売っていた国 日本』は全ての薬剤師、くすり愛好者必読の本だと思う傑作である。今度の麻薬本はまたとんでもなく面白い。幸か不幸か、麻薬の怖さがリアルに伝わってこない分だけ、不謹慎にも試してみたくなるほど。偶々少し前に彼の仲間の厚労省の麻薬取締官・瀬戸晴海さんが書いた『マトリ』が話題を呼んでいるが、併せ読むと立派な麻薬通になること請け合いである。(2020-6-25)
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(353)キリスト者の人生の終焉をめぐってー曽野綾子『死学のすすめ』を読む
キリスト教カトリックを信仰していた人の葬儀に一度だけだが、出たことがある。率直に云って、芝居がかっているというか、大袈裟な印象を受けた。それに比べると仏教の場合は概ね簡単素朴だ。僧侶の読経が中心で、賛美歌に類するようなものもない。作家の曽野綾子さんは著名なキリスト教カトリック信徒だが、かねてあれこれと死の迎え方をめぐる文章を著しており、その集大成とでもいうべきものを出版されたので、読んでみた。幾つか印象に残ったことを紹介したい▲まずは、死に際しての宗教比較から。「カトリックのお葬式が一向に暗くない」ことを曽野さんは挙げているが、それは亡くなった人が「自分に与えられた仕事を果たして死んでいった場合」だとしている。聖パウロも晩年の心境は「走るべき道程を走り終え、信仰を守り抜き」きった状態だった、と。また、「聖パウロのように自分の人生を生き切った人」のお葬式で、「思わず笑顔がでる」とも。お葬式が暗くないのも、笑顔がついでてくるというのも私たち日蓮仏法徒も変わらない。神の存在を強調されている点だけが違う。他人との比較でなく、その人なりに精一杯やったかどうかを測定できるのは神だけで、神は「完璧に正確で繊細な観察者で」、「神の測定はまことに真実で個性的なのです」、と。尤も、これも神を御本尊に置き換えれば同じことかもしれない▲次に、最も私が共感したところを。「ユーモアは人間の最期にもっとも相応しい芸術となりましょう」とのくだり。「残される人々に最後の温かい記憶を残して死にたいと思えば」、それはユーモアであると。全く同感するのだが、さてこれが難しい。私はこれまで知人、友人の死に際して、出来るだけ通夜は楽しく、を心がけてきた。義父の時は自宅でやったのだが、5つの小部屋にそれぞれの縁を持つ人々を集めて、独自の偲び方で盛り上げてもらった。あまりに楽しかったせいか「また、来たい」と云う人もでるほどだった。これは送る側のユーモアだが、送られるとなると、さて。「おれのいないおれの通夜は寂しいだろうね」との思いを馳せ、今から準備するしかない▲最後に、とても真似できそうにないことを。曽野さんは母上の死に際して、ご本人の遺志に従って、献眼をされた顛末を克明にしるされている。東大病院の眼科医が処置をするにあたって、「ここにおられますか。それとも場をはずされますか」との爽やかな質問を彼女にしたという。で、「ここにおります」と答えると、「お医者さまは母の顔の上に緑色の手術用の布をかけられ、約十分ほどで、その処置は終わりました」と。この行為をめぐる種々の思いを述べたあと、「(眼を差し上げたことが)どれほど私たちの心を明るいものにしたか、想像もできないほど」だったと強調。「この行為だけでも、母は決して地獄には行かないだろう、という安堵感に包まれた」と述べている。臓器移植については、他人のものとの結合の是非を始め、ついつい躊躇しがちである。若くていきのいい身体ならともかく、老いさらばえた臓器の使い回しなど、どうしても二の足を踏みがちだ。ともあれ『死学』なる学問もまた奥行きが深い。 (2020-6-12)
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