Monthly Archives: 9月 2022

【52】4-① ものづくりは何処へいったのか──内橋克人『新版 匠の時代』

◆「市場原理優先」への反抗心

 神戸新聞で先年連載されていた『共生の大地へ 没後一年 内橋克人の歩いた道』で改めて内橋さんの凄さを知った。この人は、同紙記者を7年ほどの間勤めた後にフリーのライター、経済評論家になって、88歳の死の間際まで書き続けた。世に最も知られているのは『匠の時代』全12巻だが、その仕事はひたすら市場原理優先の政治経済への反抗に貫かれ、ものづくりにこだわり、人びとの「共生」への道を探し求めたことに尽きるだろう。

 神戸が生み出したジャーナリストの先達として、かねて畏敬の念を持ち続けてきた私とも交流の接点があり、それを大事にしてきた。今でこそ、政権与党の一翼を担う存在であるが、かつて反自民の中核であった公明党とも内橋さんはそれなりの絆があったのだが、この20年はいささか遠い存在になったのは口惜しい。今に健在ならば、その辺りについて弁明をしつつ、教えを乞いたかった。

 実は『匠の時代』を読むよう私に勧めたのは、市川雄一元公明党書記長だった。市川さんはNHKの人気番組「プロジェクトX  挑戦者たち」の主題歌・中島みゆきの「地上の星」が大好きだった。そのわけはこの歌詞のこの部分だと、しばしば講釈を聞かされたものだ。内橋さんとほぼ同世代の市川さんは、新たなものを生み出す挑戦の姿勢を共有していたように思われた。TV番組は一世風靡したが、この本の刊行はそれより遥か前のことである。

 再読したのは、岩波現代文庫全6巻の新版。「余りに多くのことを語らねばならない」との書き出しで始まる「諸言」が胸を撃つ。記述は、2011年3月20日の夜。あの東日本大震災、福島第一原発事故に直撃された9日後のことだ。ここで、特に印象深いのは、このシリーズに著者が取りかかってから35年を経ており(現実には更にその後の10年がプラスされる)、「(この間に)日本社会と経済・産業・技術のすべてが、姿も本質も、歴史的に入れ替わってしまったように思われる」と書かれていることだ。

◆地から空から「もう待てない」との声

 「失われ続ける」日本の現実を横目で見ながら、この本に出てくる栄光の匠たちの姿を追う。世界初のクオーツ腕時計、電卓の開発。汚水、海水をも真水に変えてしまう「逆浸透膜」を可能にした東レの超極細繊維。世界に誇る新幹線の技術、「人のいのち」を救う人工透析の技術などなど、限りなく眩しい技術発掘の歴史が続く。内橋さんは、「技術と人のどんな〝めぐり合い〟あって誕生したものか」と問いかけ、答えを求めて、この本を書き始めた。それが、今やすべてが変容してしまった。「グローバル化時代の当然の帰結という宿命論が通念となった」という結論で済ませていいのだろうか。

 かつて、かの戦争に負けて欧米の技術との差を思い知らされ、日本は立ち上がった。苦節30数年を経てバブル絶頂期を迎える。そして今、半導体を始めあらゆる分野で、中国の後塵を拝し、台湾、韓国に並ばれた。今再びの技術差に喘ぐ。「『市場主語』ではなくて、『人間主語』の時代へ向けて、『匠たちよ、再び』と呼びかけたい」との内橋さんの声がぐっと胸に迫る。

 私はこの人のNHKラジオ第一での朝のニュース解説にいつも聞き入った。フーズ(食料、農業)、エネルギー、ケア(介護、コミュニティ)の頭文字を取った「FEC(フェック)自給圏構想」を提唱し、この三つは市場原理に委ねてはならない、市民が手放してはならないものだと、力説されたものである。こうした言葉の数々を聞くたびに、政治の現場を預かるものの一人としてその非力が恥ずかしかった。

 公明党が世に出て60年。前半は庶民大衆の声を真正面から体して闘った存在であったことは紛れもない。だが、後半の30年は、格差拡大が止まらない。中流層の下流化が懸念されている。グローバル化の帰結やら、失われた年数の増大を自民党のせいだけにはできない。一緒に政権与党を構成してきた責任も問われよう。保守政治の悪弊を中道化の波で変えていくので、今しばらくの猶予をと言い続けて、久しい時間が経った。もう待てないとの声が地の底から、空の闇から聞こえてくる。

【他生のご縁 「神戸空襲を記録する会」】

 「神戸空襲を記録する会」という団体があります。先の大戦での神戸空襲で犠牲になった人々の慰霊祭を毎年開催する一方、死没者の名簿を収集確定する作業を進めてきました。1971年から始まり、2013年には神戸市大倉山公園に慰霊碑を作りました。その第二代会長になったのが、私の高校同級生の中田 政子(故人=旧姓三木谷政子)さんです。この本の挿絵を描いてくれた冨士繁一君共々高校時代からの仲間です。

 この会に神戸新聞出身の内橋さんは多大な応援をしてくれ、2015年5月17日には神戸で『『戦後70年」を抱きしめて──「再びの暗い時代」を許さない』という印象的な講演もしてくれました。公明新聞時代に僅かなご縁もあった私は会場でお会いし言葉を交わしました。中田さんの業績は甚大なものですが、常々内橋さんに精神的支柱になって貰ったと、口にしていたことを記憶しています。

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【51】全文を英語で読みたくなる──岡田光世『ニューヨークのとけない魔法』を読む/9-23

 この本を読むきっかけは、公明新聞の文化欄だった。そこでは、『ニューヨークがくれた私だけの英語』というタイトルの新刊本を紹介していた。中学英語ですべてオッケーといった言い回しが気に入り、本屋に行って、立ち読みした。なんだ、違うじゃないか、が直感的な印象。当方の勝手な思い込みと違って、日本語ばかりが目立つどこにでもありそうな体験記と思え、読む気は失せた。ただし、著者の人物像に好感を持ち、本屋の上の階にある図書館に行き、『ニューヨークのとけない魔法』を借りることにした。全8巻もあるシリーズの第1冊目である▲読みやすく、とても面白い。いっぱしのニューヨーク通になったような気になる。実は私はアメリカ本土には3-4回行ったが、ワシントンが多くて、ニューヨークは一度だけ。そんな人間でも馴染みのあるセントラルパークと、エンパイアステートビルについての記述が気になった。「セントラルパークの丘にすわっていた数人のために、デービッドはギター片手に歌い始めた」で始まるその一文は、That’s what Central Park is all about.   まさにそのためにセントラルパークはここにあるのだ。で終わるのだが、そこに至るまでの文章展開が切なく、胸に響く▲「エンパステートビルの灯」なる一文も。──時に応じてライトの色具合が変わる。同ビルの管理事務所には、昨日の夜のライトは何を意味してたの?との問い合わせがくる。年老いた未亡人と思しき女性からいつも電話があった。I feel like I’m in touch with the world.   世の中と接触があるように感じるのよ、とそのおばあさんは言っていた。が、ある日からその電話が途絶えてしまった。著者は「夜のエンパイアステートビルを見上げる時、私は会ったこともないそのおばあさんが、ひとり窓辺にたたずみ、カーテンの隙間からそのライトを眺める姿を思い浮かべる」と結ばれる▲「世界一お節介で、おしゃべりで、図々しくて、でも憎めないニューヨーカーたち」の立居振る舞いが、とても変わっていて不思議に思えるということが、「ニューヨークの魔法」だというのだが、これって、人種の坩堝といえる場所柄だからだろう。東京との比較が随所に顔を出すものの、アメリカという国がみなこんな風とは違うはず。要するに、世界中からやってきた寄せ集めの人々に構成されるニューヨークの特殊性だと思われる。ともあれ1巻を読み終えて、続けて読みたくなった。ついでに、一文だけの英語ではなく、丸ごと英語で書いてくれないかなあと、魔法にかかったように、ろくに読めないくせに思ってしまう。(2022-9-23)

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【50】稀代の名文家の足跡を追う金婚旅──志賀直哉『城崎にて』を読む/9-17

 若き日に志賀直哉という作家に取り組んだ時期がある。文章研究の一環として、『城崎にて』とか『小僧の神様』などの短編を読んだものだ。後に、長編『暗夜行路』にも挑戦した。人生最終盤になって再び『城崎にて』を取り出したのは他でもない。私ども夫婦が結婚50年の佳節を迎え、どこかに行こうかとなって、兵庫の名湯・城崎温泉を目指し、ついでにこの著名な作品の再読となった次第である。温泉・酒好きの妻の思いとは別に、私の密かな目的はこの作家の跡追いにもあった★この短編は、著者が交通事故(山手線の電車に跳ね飛ばされた)に遭って傷ついた身体を癒すために、この地に逗留した際の実話に基づく。3週間にも及ぶ長逗留の無聊の気まぐれに目にした、蜂、鼠、いもり、蜥蜴など小さな生き物の生と死の描写に過ぎないのだが、名作の地位を不動にしたのはなぜだろう。それはひとえに、〈死ぬはずのところを助かり、何かが自分を殺さなかった、自分にはしなければならぬ仕事があるのだ〉との思いが支配していた時に、生き物の儚さを見たからに他ならない★生と死は両極でなく、「それほどに差がないような気がした」との表現が終わり近くに出てくるが、それこそ、仏教でいう「生死一如」を悟ったということと思われる。私自身も、幼き日に祖母と一緒に伯母の家に行った際に、祖母が急死したことが強い衝撃になった。また、中学校の理科の時間に、蛙を解剖すべく机の端に蛙を叩きつけて殺したことが妙に後味の悪い印象として胸に残り、いまもある。また、つい先年、地域のお堂の脇に生えていた大きな古木を切り倒した際に、その生木の悲鳴が聞こえた(気がした)。こんなことがらがまざまざと時空を超えて甦ってくる★志賀直哉については、奈良にある彼の住居跡を見学したことや、3週間もの温泉療養を思うにつけ、豊かな生活ぶりが気になる。私たちの金婚旅は、わずかに一泊。彼我の差に考え込んでしまう。僅かな散策先に城崎文学館を選んだところ、この地に彼が来てこの小説を書いたことが、今になお〝地域おこし〟の糧になっていることに複雑な思いを禁じ得ない。私たちが訪れた日から25日までの11日間、『豊岡演劇祭2022』が始まった。偶々城崎温泉駅でもスイッチ総研なる演劇集団の観光列車「うみやまむすび」を使っての劇のリハーサルとぶつかった。直哉に代わって、大成功を祈りつつ、一日一本の「はまかぜ」の人になった。(2022-9-17)

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【49】中秋の名月にふさわしい──『竹取物語』を読む/9-10

 9月10日は中秋の名月にあたる満月でした(わが地域では曇天で見えず)。偶々、月にゆかり深い『竹取物語』を読みましたので、それにまつわるお話を。先月のNHKテレビ「100分de名著」で『竹取物語』を取り上げた木ノ下裕一さん(木ノ下歌舞伎主宰)の解説を聞いたのがきっかけです。この人、実にうまいしゃべり口調でした。テレビの後、テキストを読みそして原作を改めて読む気になりました。読後、ぜひ孫たち始め、まわりの子どもたちに勧めたいと思ったのです★この物語こそ日本の読みものの原点でしょう。成熟した大人たちの原点が『源氏物語』なら、こっちは未来ある子どもたちの究極の古典かもしれません。いわくつきの月からの使者・かぐや姫が竹の中に生まれ落ち、やがて言い寄る5人の男たちを手玉に取るといった経験ののちに月に戻るってお話ですが、まさに宇宙を股にかけた壮大なストーリーに魅惑されます。幸か不幸か私はシャーロック・ホームズ的冒険推理小説の世界に魅了された少年時代で、こんなSF(空想科学小説)もどきのものとは無縁でしたが★木ノ下さんは、この物語から「小さ子物語」「異常出生譚」「長者譚」「婚姻譚」「貴種流離譚」などといったさまざまな物語におけるパターンが織り込まれていることを明かしています。さらに、「かぐや姫、月、神秘、竹」などといった物語の設定にすべて意味があることなど、小説作法の入門書の趣きがあるとも語っていました。そして、生きづらさを感じがちの現代の子どもたちにとって、この物語を辛さから逃げ込むための入り口にして、小説、物語の世界にのめり込むことを勧めているのです。私の身近にも自殺願望の強い少女がいますが、何とかそこから救い出すためにも読ませたいと思います★そんな思いで見えぬ月を見上げている時に、残念ながら胸を去来するのは、老老介護に迫られているわが(正確には妻ですが)現実です。亡くなったエリザベス女王と同年齢の義母と同居しているのですが、いま彼女を責め苛んでいる(であろう)ことは、「被害妄想」です。これって、ある種マイナスの想像力の極致といえようかと思います。そんな身内の惨めな姿を見るにつけ、想像力がなまじっかあるために〝狂う〟のであって、無い方がどんなにいいかと思わずにいられません。健康な状態で歳を重ねることがどんなに貴重で難しいかに悩みつつ、見えぬ満月を想像力で見上げつつ考えてしまいました。これを書き終えた直後に埼玉・行田市に住む友人から見事な満月の映像が届きました。(2022-9-10)

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【48】4- ③ 忘れ難いラストバンカーとの因縁── 西川善文『仕事と人生』

◆衆議院総務委員会での出会い

 ラストバンカーこと西川善文さんが亡くなったのは、2019年の9月11日。生前に同氏が受けておられたインタビュー(2013年11月-2014年2月)をもとに、出版された『仕事と人生』を読んだ。この本を読むきっかけは、大阪のある中小企業(食品スーパー)の従業員の皆さんを前に、同じタイトルでお話をする機会が予定され、参考にしようと思ったことが一つ。もう一つは、この人と私には、一つだけだが忘れ難い接点があったからだ。

 それは衆議院総務委員会の場でのこと。日本郵政公社社長としての西川さんに同委員会への出席を願ったのだが、その時の委員長が私だった。三井住友銀行の頭取を終え、郵政民営化直後の中枢として活躍をしておられた同氏。そして、私たちにはそれなりの因縁があった。

 それは、私が銀行マンの倅であったということである。親父の背中を尊敬の眼差しで見ながらも、到底乗り越えられないがゆえに、私は銀行を就職先に選ばなかった。親父が私に銀行員になって欲しかったことは折りに触れ、陰に陽に聞かさていた。だが、その道に入ることの厳しさ、辛さをそこはかとなく知っていた私は、断じて避けたかった。親不孝者である。そんな私は、あろうことか親父が最も気に入らなかった「新聞記者の道」を選んだ。しかも、宗教団体が作った政党の機関紙という、およそ銀行とは縁遠い位置にある「仕事」をすることにしたのである。それには〝巡り合わせの妙〟があるのだが、ここでは触れない。2008年秋のこと、私の高校の同期A君と後輩S君が住友銀行出身で、入社当時に西川さんの厳しい訓練を受けた身であったことも手伝い、ひと夜、4人で「仕事と人生」を語り合いもしたのである。

 ◆失敗したら責任は自分が負う気構え

 この本は、「評価される人」「成長する人」「部下がついてくる人」「仕事ができる人」「成果を出す人」「危機に強い人」の6つの章からできている。亡くなられてから、急遽遺稿を、ということで、慌てて用意されたことが見え見えではある。生前に出された、バンカーとしての回顧録と、日本郵政との取り組みへの意欲を示されたものとの別の二冊の方が重い価値を持つ、とは思う。しかし、より率直に西川さんのお人柄が滲み出ているのはこの本だろうと睨んだ。

 例えば、「わかしお銀行との逆さ合併」についてのくだりが興味深い。ご本人も正直に「私自身、『奇策』と言われるような『逆さ合併』などやりたくなかったが、生き残るためにはしようがない」と、述べている。「感傷的な思いを押し切り、私は住友銀行の法人格を消滅させた」と、小さい下位の企業を残し、大きい上位の方を切った経緯を明かす。ここにこの人の真骨頂がうかがえよう。「失敗したら責任は自分が負う」との強い気構えである。

 この本をつぶさに読んで、私には到底真似が出来ないことばかりだと、早々に白旗を掲げた。と同時に、私の仕事上のボスであり、上司であった市川雄一公明党書記長(元公明新聞編集主幹)を思い出す。このふたり、眼の鋭さが酷似していた。私とは正反対に6つのことがすべてできる人だったことは多くの人が認めよう。

 その市川さんが常日頃口にしていた言葉で忘れ難いのは、「百人ほどを超える部下を持ったことのない人間に、真の意味での政治家は務まらない」というものがある。家族を含め生身の人々の生活をどう守るかということが寝ても覚めても気になる──こういった経験を持たない人間の責任感はたかが知れている、と。

 それを聞くたびに、百人はおろか、まともな数の部下を持ったことのない私は恐れを抱いた。尤も、会社社長経験者なら政治家は務まるのか、と内心呟いたのだが。市川さんは、親父やじいさんから地盤、看板、鞄を継いだに過ぎない2世、3世議員を批判したかったのだろう。西川さんも政治家になっていれば、いい仕事をされたに違いない。

【他生のご縁 「西川学校」で鍛えられた友人たち】

 私の高校同期のA君と一年後輩のS君は共に京大卒で、住友銀行に勤めていました。A君とは中学から一緒。S 君は熊谷組に出向して再建に尽力した強者。どっちもとても優秀な男たちでしたから、西川さんが二人を知らないはずはないと思って、国会の委員会の場でお会いした時に、聞いてみました。ドンピシャでした。入行した時の幹部候補生を鍛える担当が西川さんで、飛び切り念入りに指導訓育されたようです。ぜひ4人でお会いしましょうということになり、A、S両君とも実に久しぶりに会うことが出来たのです。

 この時の話題は野球のことを始め多岐にわたり、まことに楽しいひと夜になりました。西川さんが猛烈な阪神ファンだったことに、南海贔屓だった私が〝セパの違いの講釈〟をたれました。この出会いを通じて私は親父を思い起こさざるをえませんでした。父は旧神戸銀行に一生を捧げたのですが、当時ひたすら仕えた〝岡崎忠頭取いのち〟の人でした。生きていれば西川さんとの出会いを喜んでくれたはずです。銀行員になることを嫌った私が、岡崎さんのずっと後の三井住友銀行頭取と一献傾けるに至ったことに。

 

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