Monthly Archives: 10月 2023

【99】境家史郎『戦後日本政治史』を公明党をめぐる「老若対話」で読む/10-22

 この本は、占領期から今に至る戦後日本政治の77年余を振り返ったものである。著者が「コンパクトな通史」と規定しているように、政治についてよく知らない若い人びとむけに書かれたものだ。全体の流れを掴むには重宝だろうが、より玄人的な日本政治論を好む向きには、ふさわしくないかもしれない。憲法9条を変えたがってきた自民党だが、その憲法のお陰で「軍事力強化」の是非をめぐるイデオロギー対決が続き、結果的にその地位が安泰となっているとの逆説の効用を説いている。憲法論争ある限り「日本の戦後」は終わらないというわけだ。この本での公明党に関する記述をめぐって、結党当時を知る古い世代(叔父=70代)と、自公連立政権の有り様に関心を持つ若い世代(甥=40代)との対話を試みてみた。

           ◆                                    ◆                                  ◆

甥】この本は、日本が戦争に負けて米国に占領されてから、今に至る戦後77年余の政治の歴史がよく分かって、随分ためになったよ。ただ、公明党に関する記述がほとんど無くて、ちょっと寂しい気がした。こんなにも戦後政治史において公明党は存在感がないのか、と。

叔父】 確かに著者は殆ど公明党を無視しているように見えるね。党結成、PKO 法制定、新進党結成、自公連立あたりのところでほんのちょっぴり出てくるだけ。君と同じくらいの歳の気鋭の政治学者の本なので、世の中で注目されているだけにとても残念だよ。尤も、自民党以外の政党への眼差しも似たようなもんだけど。

甥】そんなに気にしなくてもいいんじゃないの?政権の中軸の動きから公明党はどうしても傍流に位置してると見られるけど、自公政権が長続きしているのは、「政治の安定」という観点からすると、それなりに評価されていると思うよ。ところで、叔父さんが悔しがるのは、公明党のどういう役割が見えてこないからなの?

叔父】そりゃあ、「55年体制打破」に青春を賭けた身からすると、現実に自民党一党支配にピリオドを打たせた公明党の役割が評価されていないことは悔しいね。その上、40年ほど経って結局は「ネオ55年体制」という形で、「日本政治は『元いた場所』に戻っただけなのか」と、問いかけ、〝元の木阿弥〟だというのはねぇ。

甥】いえ、それって当たってるよ。かつての社会党が様々の紆余曲折を経て、いまの立憲民主党になってるし、旧民社党はまるで現在の国民民主党そっくり。あの頃「維新」はなかったといっても、今はなき日本新党に似てなくもないしね。尤も著者が言いたいのは、憲法をめぐる対立が変わらんということなんだろうけど。

叔父】確かに、昔の55年体制と今の政党分布のありようは違うと言っても、通用しないとは認めるよ。自民党が再び野党を圧倒しまくっている現実が甦ってきていることに疑問はないからね。かつてこの本でいう「改革の時代」に、公明党は野党の中核として頑張ってたのに、今では与党の一角を厳然と形成してるんだからね。いわば菓子箱の包装は同じだけど、中の饅頭の味は違うと言ってるようなもんで、わかりづらいだろうね。

甥】今の例えからいうと、中身の饅頭の味が向上してれば、良いってことじゃあないのかなあ。公明党がかつて外から自民党政治を壊そうとしてあれこれやったけど、うまくいかず、内側から変えようとした努力が認められていないと、叔父さんは言うんだろうけど、僕らから見て結構公明党は、子育て政策や若者政策の分野で、頑張ってきてるよ。携帯電話料金の引き下げ、出産一時金の増額、奨学金制度の拡充など中々いいよ。例えとしての饅頭の味はかなり良くなっている。こんな味じゃあ不満?(笑)。

叔父】君のような若い世代が公明党の現状を肯定的に見るのは意外に思うよ。あまりに野党がだらしないからだろうね。私の世代は、もっと激しく世の中を変えていかないと、日本は益々ダメになってしまう、と自分たち世代の無責任がもたらした現状を棚上げして、焦ってる感なきにしもあらずだけど。

甥】ん?我々世代も、改革志向はあるよ。与党公明党の現状に100%は満足していないけど、必ず、今の政治を一歩ずつでも変えてくれるものと、信じてるよ。もし、公明党が与党から外れてしまうと、自民党政治のチェックをどの党がするのか?昔のような政治腐敗が一段と強まってしまうのはごめんだね。

叔父】  ウーン。その辺の現状認識がかなり違うね。我々世代の友だち連中は、公明党って、自民党との間で、選挙協力とか政策の合意などにとどまらず、もっとこの国をどういう方向に持って行くのかについて、与党内議論をやって、国家ビジョンを明確にすべしという意見が多いね。現状では、自公政権の方向性が見えないとの声が強い。東京から東北か信越北陸方面に行くのか、はたまた飛行機に乗って、九州、北海道に連れて行かれるのか分からん。まるで行き先の定まらぬまま旅行会社でああだこうだと言ってるだけみたいだ、と(笑)。

甥】「政治はよりマシ選択だ」って、叔父さんはいつも言ってるよね。理想には遠くても、現実政治を見た時に、野党は勿論、自民党に比べても公明党がよりマシだと思うよ。その辺を選挙戦では訴えていきたいね。(2023-10-21)

 

 

 

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【98】「脱成長コミュニズム」の由来を探る━━大澤真幸/斎藤幸平『未来のための終末論』を読む/10-17

 斎藤幸平の『人新世の「資本論」』を読んでから、世界を見る目が変わったという人が多い。私も様々の気づきを得た。とりわけ、資本主義の後に来るものとしての「コミュニズム」の存在、捉え方に新鮮なものを感じてきた。冷戦の終了と共に、社会主義が後衛に退き、資本主義の栄華が続くと見たことが、いかに単純で脆いものであったかを痛切に自覚する。そんな折に、大澤真幸との対談をベースにした『未来のための終末論』はとても読みやすくて、刺激に溢れた本だった◆若き俊英・斎藤に比べ、ほぼ30歳年上の大澤の礼を尽くした大人の姿勢は、実に好感がもてる。大澤自身の学問上の師である見田宗介の思想との類似点と相違点を持ち出しての議論は中々わかりやすい。前述の斎藤の本には幾つもの論点があるが、最大のものは「脱成長はいかにして可能か」であろう。斎藤は資本主義に代わるシステムとしての「コミュニズム」を提唱しており、見田は「資本主義の内的な転回によって脱成長は可能」との立場である。両者は似て非なるものだが、大きな違いはない◆「成長至上主義」とでも言うべきものが横行する現状の日本社会にあって、「脱成長コミュニズム」を導入するしか、気候変動、自然環境破壊に対応するすべはないとの主張は明快そのものである。斎藤は、人類はいまウクライナ戦争の泥沼化と共に、❶経済成長を優先させるために2050年までの脱炭素化を諦める❷原発を再稼働させようとしている━━がそれは誤りで、「脱成長」しか本当に進むべき方向はないとしている。だが現状はどうか。「世界を見ていると希望を感じることはあります。それに対して、日本の現状は少し寂しい」(大澤)し、「海外のような発火点になる運動には(日本は)なかなか発展しません。悲観主義に陥らず、新しい運動に繋がるような言説をどうつくっていけばいいのか、考えどころです」(斎藤)というあたりが残念ながら実態であろう◆ここでカギを握るのは公明党だと私は思っている。「人間主義」を掲げ、〝自然との共生〟を基本に据える政党が、旧態依然とした「経済成長一辺倒」的態度に凝り固まっているのは時代錯誤ではないか。例えば、神宮の森を伐採する動きなどに真っ先に反対する動きをなぜ見せないのだろうか。自民党を始めとする既成の勢力に与党として、気兼ねしている場合ではないと思うのは私だけではないはず。かつて、党創立者が提唱した「人間性社会主義」(「新社会主義」)なる言葉の実体こそ、斎藤のいう「脱成長コミュニズム」を先取りしたものだったに違いない。その理論構築を怠ってきた党人としての怠慢を心底から後悔しつつ、そう思う。(敬称略 2023-10-17)

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【97】冷戦期から冷戦後への橋渡し━━『大統領から読むアメリカ史』から考える③/10-10

 ニクソンの失敗のリリーフ役だったフォードの後に登場したカーターは、本格的な政治信頼構築への立て直しを期待された。しかし、この人は国内的な問題処理というよりも、国際政治での活躍が記憶に残る。「人権外交」の展開で知られるが、補佐役として歴史学者のブレジンスキーの活躍があった。最も著名なのは、エジプトとイスラエルの和平合意への尽力であり、米中国交正常化やソ連との戦略兵器削減交渉の前進に寄与したことだ。のちに、ノーベル平和賞を受賞するものの、対イランでは、アメリカ大使館を占拠される「人質事件」を起こし、救出作戦でも失敗してしまい、大統領の権威は完全に失墜した。こうした過程を通じ、著者はこの人物には「世論を妄信し、支持率の上下に右往左往する傾向」があったと指摘している◆ついで、登場したレーガンは、俳優出身であり、テレビ番組の司会をも務めた。大統領になって、「小さな政府を核とする『新自由主義』のもと、『サプライサイド経済学』を実践」し、投資や雇用を活性化することに努めた。と共に、「悪の帝国」とのレッテルを貼ったソ連に勝利すべく「SDI(戦略防衛構想)」を推進し、ソ連の国防予算を拡大させ、最終的に〝軍拡戦争〟に巻き込むことに成功、財政破綻に導いたとされる。彼は、「俳優に大統領は務まるか」との批判に「俳優でない人に大統領が務まるのか」と反論した。「自らの政策をわかりやすい言葉で伝えて世論を形成し、市民の力を結集しながら国家の威信と繁栄を担保」して、「強いアメリカを復活させ、冷戦の終焉に道筋をつけた、傑出した指導者であった」と筆者は讃える。これについて、私はそうならしめた参謀役は誰だったのか。また後のトランプはレーガンを真似ようとしたはずと見てしまう◆ブッシュ(父)は、歴史上2組目の親子大統領だが、筆者は、彼をして「東西冷戦後の激動期に、民主・共和両党の利害関係に配慮し、中道政治を追求した保守政治家」で、「伝統的な〝共和党らしさ〟を体現した最後の指導者である」と高く評価する。既に見たように、後に続く息子も、トランプも惨憺たる存在ぶりが明確なだけに自然に首肯できよう。この人の実績は国内的には、ADA(障害を持つアメリカ人法)の制定で、従来の公民権法に含まれていなかった「障害」について、雇用差別を禁じ、あらゆる施設の利便性を法によって保障したことだ。外交では、「湾岸戦争」で優れた指導力を発揮し、クウエート解放を実現した。こうしたこともさることながら、私は前任者のレーガン大統領が道筋をつけた「米ソ冷戦の終焉」を、彼がゴルバチョフソ連大統領とのマルタ首脳会談で実現させた功績も大きいと思う◆次のクリントンは、「内政にあっては、制度改革や規制緩和で経済を立て直し、外交にあってはポスト冷戦後期における国際秩序の安定に寄与したリーダーだと位置付けられる。具体的には、ゴア副大統領の提唱した「情報スーパーハイウエイ構想」を後押しし、IT産業の勃興に寄与し、重化学工業重視からの転換を可能にした。また外交面では、中東での「パレスチナ暫定自治協定」の成立を主導したり、NAFTA(北米自由協定)の締結や、IAEA(国際原子力機関)の査察を拒否する北朝鮮に、カーター前大統領を派遣して、重油の提供と引き換えに核開発を凍結させるなど一連の実績をあげた。しかし、再選後に、前代未聞のスキャンダルが発覚した。ホワイトハウス内で女性インターンと性的行為に及んでいたというのだ。これによって、米史上2回目の大統領弾劾裁判にかけられることになった。辛くも罷免は逃れたものの、拭い難い政治的汚点を残した。これには、ケネディを深く尊敬していた彼が、著名な女優と浮名を流した先輩の負の側面を見倣ったのかと思わざるを得ない。また、彼が罷免されて、ゴア副大統領が後を継いでいた方が面白かったのではないか、との「歴史のイフ」に思いを馳せてしまうのだ。(2023-10-10)

 

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【96】占領期から冷戦の同盟者として━━『大統領から読むアメリカ史』から考える②/10-3

 2回目は、第二次世界大戦後の冷戦期の前半。日本がアメリカとの戦争に敗北した時の大統領はハリー・S・トルーマン。実は、戦争の間中は、4期にもわたってずっとフランクリン・D・ルーズベルトが第32代大統領だったが、1945年4月に急逝し、副大統領だったトルーマンが昇格した。彼は苦労人で大学も卒業していない、庶民出身の大統領であった。私のこれまでの印象は、彼が原爆投下を決断した点と、日本人に人気のあった連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーを更迭したことの2点で、あまり芳しいものではなかった。だが、著者は、原爆投下でソ連の侵攻に伴う日本の分断国家化を防ぐに至ったこと、大戦の早期終結で、日米間に抜きがたい怨恨が残らなかったことなどをプラス材料にして、高い評価を与えている◆日本は1952年(昭和27年)まで米国占領下におかれるが、この占領政策の直接の最高責任者はマッカーサーであった。トルーマンと次の大統領のドワイト・D・アイゼンハワーとの間に、筆者は戦後の日本社会に民主主義を確立したリーダーとしてマッカーサーを挙げ、それを番外のコラムに詳しく書いている。そこでは「後期の占領政策には、戦争の勝者が敗者に強いるような一方的な押し付けは見られなかった」などと、持ち上げていることは特筆に値しよう。「敗戦を奇貨として変革に取り組み、アメリカと手を携え、時には対立しつつも、したたかに戦後復興に注力した」日本だったからこそ、との側面はあるものの、日米両者による共同作業によって、奇跡が起こったと見ても言い過ぎでないかもしれない◆一方、トルーマンに代わって大統領になったのは、軍人として欧州戦線で大きな功績のあったアイゼンハワーだった。彼が1953年から8年間大統領を務め、現代アメリカを完成させたと言われるが、マッカーサーといい、アイゼンハワーといい、軍人出身の人材に恵まれたことが日本との違いだったと言えるかもしれない。その後がジョン・F・ケネディである。「キューバ危機の13日間」や、黒人の政治的権利を大幅に拡大する「公民権法案」の提出など光の面と、ベトナム戦争への介入など影の面が交錯するものの、「アメリカをよりよい方向へと前進させた類まれな指導者」だったと見るのが素直なところだろう。狙撃死したケネディに代わって副大統領から昇格したリンドン・B・ジョンソンは、前任者から受け継いだ「偉大な社会の建設」にはいい結果を出したものの、戦争継続という負の遺産に押し潰されてしまう◆この後、リチャード・ニクソンは、ウオーターゲート事件で辞職に追い込まれる(1974年)までは、国際政治学者のヘンリー・キッシンジャーを大統領補佐官に抜擢し、電撃的訪中で米中接近を図ったり、米ソデタント(緊張緩和)に貢献するなど幾多の実績を上げた。だが、最終的には政治不信の元凶として最悪の烙印を押されることになった。日本ではドル価値下落に伴う衝撃などと併せて「ニクソンショック」の名で呼ばれることになった。途中で大統領職を受け継いだのが、ジェラルド・フォード。この人は前任者の汚辱という「前代未聞の状況からアメリカを救った」大統領として、筆者は高く評価している。トルーマンといい、ジョンソンといい、フォードといい、副大統領からのリリーフ役に恵まれるアメリカは凄いと言うほかない。(2023-10-3)

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