厚生労働省の仕事に携わったころから10年近くが経つ。この間実に様々な医療関係者や健康に深い関心を持つ人々との出会いがあった。中でもいわゆる代替医療の分野の方々とのお付き合いが少なくない。鍼灸、カイロプラクティックから始まって坑道ラドン浴、刺絡、漢方薬、笑いの効用に至るまで、実に多彩だ。いずれも人の免疫力を高めるものとして注目されている。そんな私がかねてお世話になった尊敬する知人から、新たに「琉球温熱療法」のことを聞いた。こうした一連のものには西洋医学への物足りなさが共通して存在している▼そんな中で屋比久勝子『温熱生活のすすめ』『体の温め方と栄養力』を読んだ。それぞれ「未病からガン・難病まで癒す」「病気にならない」といった形容詞がついている。屋比久さんは、元をただせばピアノ教師。それが何故に温熱療法の世界に入られたか。両手の親指が原因不明の病に冒されてからあらゆる治療にあけくれるうちに温熱療法に出会ったことが発端。そのうちに急性肺炎から血清肝炎などを併発。医師から脾臓摘出を勧められるに至る。が、それを拒否。むしろそこから自力で従来の温熱療法を改良、発展させ自身の健康を回復。やがて独自の「琉球温熱治療」を確立した。その執念たるや、凄いの一言に尽きる。この20年ほどの間に大きな成果を上げられており、免疫学の権威・安保徹新潟大大学院教授をして「これだけホルミシスを研究している人に出会ったことはない」と言わしめるほどである▼琉球温熱療法は二段階から成り立つ。まず熱を発する温熱治療器(温灸器)を体にあてて注熱し、コリの原因になっている老廃物をほぐし、血流をよく」する。そのあと、「ラドン浴効果のあるベッドに横たわり、ドームに入る」ことで、全身を温めるというもの。そうやって血流を改善したうえで、質量ともにタンパク質を摂ることにこだわれというのが、その主張の基本である。以前にここでも取り上げた伊藤要子愛知医科大教授のHSP(ヒートショックプロテイン)を増やすことの重要性と共通することが興味深い▼さらに屋比久さんは、ひたすら卵の効用を説いてやまない。一般的に卵はコレステロールを高めるからほどほどにというのが”日本の食生活の常識”だが、彼女は「コレステロールの高い人ほど卵を食べてください」と真反対だ。その理由については実際に読んでいただきたいが、実に説得力がある。血液検査の読み取り方も病院で接触する医師の普通の見方とはかなり違う。「数値が正常でも油断は禁物」との指摘は、心と体にグサッと刺さってくる。これ以上の日本の医療費増を防ぐには統合医療に活路を開くしかない、という主張は目にするし、私も大筋賛同する。先日沖縄に足を運んで、屋比久さんと会い様々な教えを頂いたが、琉球温熱治療を実際に体で試してみて、改めてその意を強くした。(2016・4・24)
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(147)7-⑦ なぜ戦争と宗教は深く結びつくのか━━松岡幹夫『日蓮仏教の社会思想的展開』
◆永年の疑問を解いてくれた本との出会い
親しい新聞記者から以前に訊かれたことが長く気になっていた。「日本近代史において日蓮仏教を信奉した人たちの中に、過激なナショナリストが多いのはどうしてでしょうか」との問いかけだ。確かに、田中智学、北一輝、石原莞爾らはその系譜の中に入る。日蓮大聖人の生涯は闘いの連続であり、革命的言辞に充ち溢れたその言動を曲解すると、時代性もあいまって結果として軍部日本との結びつきが強くなったということだろうか。彼らとの会話を適当にやり過ごしたことに割り切れなさを抱いてきた。ともあれここらを鋭く抉る書物を私は不幸にして知らなかったのである。
大分前のことだったと思うが、法華経や創価学会について造詣を深めてこられた佐藤優氏と松岡幹夫さんの対談『創価学会を語る』を読み、すでに読書録に取り上げた。そんな作業をするなか、松岡さんの著作一覧の中に、『日蓮仏教の社会思想的展開──近代日本の宗教的イデオロギー』を発見した。松岡さんという人はかつて日蓮正宗の僧侶で、その後宗門を離脱し、日蓮仏教改革のリーダー的存在となった。創価大学を卒業した後、35歳の時に早大で修士号、東大で博士号を取得。創大時代の学友に公明党の私の後輩が何人かいる。
この本では「日蓮仏教とナショナリズム」の章で田中智学と北一輝、「日蓮仏教と戦争論」で石原莞爾と妹尾義郎、「日蓮仏教と共生思想」で牧口常三郎と宮沢賢治というように6人の思想家、軍人、教育者、作家らを取り上げて詳しく分析を試みている。永年の疑問を解く機会がやってきたとひそかにほくそ笑んだものである。博士論文がベースになったものだが、それでも各章ごとに末尾に「小結」なる”まとめ”が付加されており、その論述は理解しにくくはない。
◆偉大な思想を表層だけしか捉えられない悲・喜劇
私がこの本を通じて刺激を受けたことは数多い。北一輝については、歴史家で古い友人の故松本健一氏から得たものが多いが、宗教者としての松岡さんの「北一輝論」の方が焦点をつかみやすい。また、浄土真宗、親鸞との戦争との深い関わりも新たに知りえたところが少なくない。この書物が世に出てもう20年余りが経つだけに、もっと早く手にしたかったと、悔やまれる。冒頭に掲げた問いかけの答えは、やはり日蓮大聖人の偉大な思想を表層だけしかとらえられなかった人たちの悲・喜劇ということだろうと思われる。大筋で私の見立ては当たっていた。予想通りである。そんな中で牧口先生のみが「日蓮理解」に正鵠を得たのだと確信する。
尤も、松岡氏は冷静に「日蓮を相対化」している。その取り上げ方は、牧口先生を深く尊敬している身からすると、正直に云って胸が痛み戸惑いもする。創価学会との深い関係から、我田引水になることを極力避けているのだろう。気になるところは多々ある。とりわけ「日蓮仏教の戦争イデオロギーは、日蓮信奉者たちの思想傾向の多様性と日蓮仏教の思想的多面性とによって聖戦論から反戦論まで幅広く展開された」のだが、「いずれの場合においても、宗教的信念からの人間の生存を第一に尊重するという思想性は見いだせなかった」というくだりなど、その最たるものだ。
時代性や個人性に起因するのか、日蓮仏教の思想性によるのか。答えをだすには「平和主義やヒューマニズムを標榜する戦後の日蓮仏教についても考察する必要が出てくる」として「今後の課題に」しているが、この本以後、興味深い「戦後編の考察」を次々繰り出しているのは周知の通りである。
【他生のご縁 『信仰学とは何か』に強い衝撃】
ここで取り上げた表題の本の出版からは20年以上の時が経っています。ところがつい先年、松岡さんが中心になってまとめた『創学研究Ⅰ──信仰学とは何か』は、この人のその後の知的格闘、宗教的深化が窺えるとても興味深く面白い本です。直ちに、読書録に取り上げる一方、ご本人に私の出したばかりの本『77年の興亡』と共に、素直な読後感を込めて、喜びの手紙を書き送ったものです。
この本の第4章第2部「信仰と学問の間で━━それぞれの人生体験から」には強く惹きつけられました。「仏教では、イエスの復活のような非現実的なことは説かない。こういう人もいるでしょう。しかし、そんなことはありません」とあって、次のように続く。
「仏教教典を読むと、非現実的な出来事は随所で説かれています。原始仏典に出てくるブッダと神々や悪魔との対話、法華経に説かれる虚空会の儀式などは、およそ非現実的な出来事というしかありません。その点ではイエスの復活と変わりないのです」と。ブログに引用した私は、「いやはやよくぞ言ってくれたと多くの人は思うに違いない。この当たり前のことが長く私たちの周りから聞かれることはなかった」と書いたのです。
松岡さんは、師の示された宗教的原理を掘り下げ、分かりやすく解き、現代社会に展開することに腐心しています。つい先頃出された第二弾の『『日蓮大聖人論』も読み応え十分でした。私は公明党の人間として、政治の分野でも、こうした試みがなされるべきだと強く感じています。
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