Monthly Archives: 5月 2023

【81】片山杜秀『11人の考える日本人』❹柳田國男、西田幾多郎、丸山眞男編/5-29

 次は柳田國男。この人は民俗学の大家で、「昔話や言い伝えを一生懸命集めているおじいさん」との印象が確かに濃い。ここではそのイメージを180度壊す。貧困と飢えをキーワードに「本当は怖い柳田民俗学」を読み解く。このシリーズ一番の良い方の〝イメチェン〟で、〝金の亡者・福澤諭吉〟の表現より随分得してるように思われる。私を含めて柳田を見間違ってきたのは、農政官僚としての側面を見落としてきたからに違いない。「TPP交渉を主導し、自由化路線をひた走る」農政を「百二十年も先取り」しているというのは当たらずといえど遠からずかも。厳しくも優しい「民俗」への柳田眼差しの背景には、ひたすらに「日本人の諦め方」と「不条理に耐えていく知恵」の採集と分析にあったとの著者の見方は鋭い◆西田幾多郎の思想は、アンチ進歩であり、反進化思想だと位置付ける。それは右肩上がりの考え方の否定でもある。彼の思想の中核をなす「絶対矛盾的自己同一」とは、「絶対に結びつかない物が、現在において同一化する」ことだという。分かりやすくいうと、「悲しみの底には必ず慰め、喜びがあるように、主観と客観、個人と全体、善と悪など、反対だと思っているものは必ずセットになって現れてくるという」。これって、「依正不二」、「煩悩即菩提」といった仏教思想と全く同じと思えばいい。全般に、西田についての著者の解説は他のものに比べてわかりづらく感じるのは否定し難い◆最後に丸山眞男。戦後民主主義の創始者である。「超国家主義」と「八月革命」がその思想の根幹をなす。丸山は、日本には国家統治の責任を持つ主体、存在がどこにもなく、「無責任の体系」という仕掛けこそが「異常な超国家主義の根元」と説き明かす。また、明治憲法から戦後の憲法への転換は、天皇から国民へと主権が「アクロバティックな移行」をしたもので、革命そのものの大変化だというのが丸山の「八月革命」説である。著者は丸山が「関東大震災、特高による検挙、戦争体験、学生運動によって、こうした実感を、政治思想として深化させていった」のだとして、生活の継続性を強調する★柳田國男が生まれたのは兵庫県神崎郡福崎町である。私は今も保存されている生家に行ったことがある。慎ましいというほかない狭い家に驚いた。松岡操の六男(八人兄弟)に生まれ、12歳で茨城にいた長兄の家に移り、15歳で東京にいた三兄宅に同居し、26歳で柳田家の養子になる。柳田の足跡を民俗学の面からだけ追うのでなく、何のためだったのかを追求することの大事さを知って大いに満足した。と共に、海軍大佐から転身して民族学を志した弟松岡静雄の存在を知った。「兄の酷薄なリアリズムと弟の芒洋としたロマンの二面性があってこその一つの日本」との捉え方に驚いたしだい★西田哲学の根幹をなすものは「無」である。「いついかなる場合でも有にならないから絶対的に無なので」あり、「定まったかたちが有るのが有で、定まったかたちの無いのが無」だと。仏教の捉え方では、無に見えていても有になる場合があるという。「空」という概念がそれだ。有るといえば有る、無いといえば無いという状態を説明するのに、うってつけだ。西田哲学は、正解のない、中心のない今の世界を生きる上で、なくてはならぬ思想だと片山はいうが、なぜそうかの補助的説明が足らないように私には思われる★丸山は〈私自身の選択についていうならば、大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける〉と言った。その戦後民主主義も、憲法制定後75年経って、すっかり色褪せ、虚妄ぶりが露わになって久しいというほかない。むしろ「占領民主主義」の実態がいやまして強くなってきた。ほぼ150年前に福澤諭吉の説いた「独立自尊」が今なお燦然と輝くのはなぜか。私には、西部邁の『福澤諭吉──報国心と武士道』が圧倒的に印象深い。これほどまでに丸山「戦後民主主義」が叩かれた書物を私は知らない。(敬称略 2023-5-29  この項終わり)

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【80】片山杜秀『11人の考える日本人』❸和辻哲郎、河上肇、小林秀雄編/5-25

 和辻哲郎は、姫路出身の倫理学者。私と同郷で、専門の学問とは別に『風土』と『古寺巡礼』を書いたとなると、親しみを感じざるを得ない。ニーチェ、キルケゴール、ショウペンハウエルら〝反正統派〟哲学者に傾倒し、「人間の限界を意識しつつ、それを乗り越えるためにどうすればいいのかを考え続ける思想、ままならない人生の苦悩を苦悩のままに向かい合う哲学に惹かれていた」人物だ。ポスト「坂の上の雲」時代の「教養主義」を代表する思想家である、とされる。夏目漱石門下のひとりとして、戦時下に国民道徳を説き、戦後も思想家として生き残ったことが注目される◆河上肇は「『人間性』にこだわった社会主義者」。私は尊敬する大先輩から河上の『貧乏物語』を読め、と勧められてきた。学者とジャーナリストの両面で河上は活躍したが、農業研究から出発し、マルクス主義へといくも、唯物史観に徹しきれないといった「振幅の大きい思想遍歴」を経ていく。「人間の心根の問題にこだわった経済思想」は、戦後日本社会で「あらためて参照されるようになる」。今の地球環境の危機を問う議論にあって、彼の「人間性に基づく行動変容と重なり合う論点を見出すことは可能」だとの見立ては大いに共感できよう◆私と同い年の政治家の国会執務室の書棚に小林秀雄全集が並んでいた。小林は戦後世代憧れの思想家である。「天才的保守主義」とのネーミングよりも、「何でも科学的に説明できると信じる人間が増えると、世の中はダメになる」──小林はこの考え方で一貫している、との規定の方が分かりやすい。〈僕等の嘗ての経験なり知識なり方法なりが、却って新しい事件に関する僕等の判断を誤らせる〉と、理屈で分かった気になることの危うさを指摘している。志賀直哉の凄さは「清兵衛と瓢箪」「児を盗む話」「和解」などの短編で、行為を説明せず、理屈も能書きも書かず、悔恨も懐疑も書かないで、「常に今現在のみを書く」ことにある──こう著者は宣揚する★3人への私の考察をここで加えたい。『風土』を考える時に、創価学会初代会長・牧口常三郎の『人生地理学』との対比に思いが及ぶ。牧口に遅れること18年でこの世に生を受けた和辻は、牧口より30年余り後に、似て非なる著作を著した。人間が生まれ育った土地の地理的要件や風土に影響を受けるという点で共通する。日露戦争前に出版した牧口と、アジア太平洋戦争の初期に書いた和辻とでは背景が自ずと違う。戦犯に問われ獄死した前者と、「体制に迎合するものではなかった」後者との違いも追うに値する★河上肇への関心を持ち続けていたのは、私の仕事上のボス・市川雄一。公明党は初期の頃「人間性社会主義」を追求した。これは党創立者の池田大作先生の発想に負うところが大であるが、河上の影響と無縁ではなかったはずと勝手に想像する。気鋭の経済学者斎藤幸平がいま『人新世の資本論』などで「新しい社会主義」を提唱している、と私は見ているが、ある意味で河上の主張と類似する★小林は、「ものごとは理屈でなく、直観で判断し間違えたら絶えず修正していけばいい」と言うが、取り上げてきたのは「志賀直哉も、モーツアルトも、本居宣長も、ゴッホも、ドストエフスキーも、普通の人ではたどりつけない、正しい道に直観で着地できてしまう天才たち」ばかりだ。これに幻惑され、しかも語り口調が「上から目線の権化」に見えてしまうから、平凡な人間は読み誤ってしまう。これをどう回避するかは、大いなる問題だ。(5-25  敬称略 つづく)

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【79】片山杜秀『11人の考える日本人』❷岡倉天心、北一輝、美濃部達吉編/5-21

3人目は岡倉天心。軍事の松陰、お金の諭吉に続いて、文明論の天心と、著者は位置付ける。天心は、英語エリート官僚として米国の美術史家アーネスト・フェノロサの影響の下、日本、中国、インドの一体化を考えた。東西融和の道を探し求めて、宗教、美術、茶道などを通じて相互理解を進めようとしたのである。「文明開化に成功した日本を模範にしてアジアは一つにまとまるべし」との理想をもとに、仏教における人間観、美意識などを根底においた。これはキリスト教を基盤にした西洋が、人間と絶対神を対立した関係ととらえるが故に、自然破壊をもたらす元凶となってきた歴史的事実からすれば、21世紀の今日を見事に予見した先駆性を持つ思想だったといえよう◆ついで北一輝。「極端な国家主義者」、「近代的な社会主義者」、「政治ゴロ的な貌」などの側面を持つ北について、著者は「進化論」がポイントだと見る。ダーウインの唱えた進化論は生物学の分野だけでなく、人間の歴史、社会、国家のあり方をも説明できる思想として、明治期の日本を席巻した。これを背景に北は、天皇を親とし、国民を子とする、民族が一体となった「純正社会主義」国家を、「進化」のゴールとして目指す。勿論、この「純正社会主義」国家とはいわゆるマルクスやエンゲルスの考えたそれと違って、共同性、社会性を高めた私利私欲を持たない〝無私の精神の極み〟としての国家像だ。しかし、北の『日本改造法案大綱』を〝日本革命〟の実践の書とした陸軍の青年将校たちが立ち上がった「2-26事件」により、全ては「未完」に終わる◆三番めは、美濃部達吉の「天皇機関説」。天皇は憲法によって縛られる存在であるという考え方である。いや縛られない、むしろ超越した存在だとする「天皇主権説」と対立した。天皇の選んだ官僚の方が、国民の選んだ議会よりも偉いとすることに帰着する天皇主権説は、「軍部優先」の温床にならざるを得ない。天皇機関説は当時としては先駆的な発想であった。大正デモクラシーを背景に輝きを持った天皇機関説だったが、軍部の台頭と共に退潮を余儀なくされていく◆以下に3人の思想への私の思いを付け加えたい。岡倉の思想は、今こそ光が当てられるべき先駆性を持ったものだが、理想倒れというべきか、登場が早すぎて残念な結果となった。また、北が法華経三昧の暮らしを行い、皇太子だった後の昭和天皇に自筆の法華経を献上したとのエピソードを筆者は紹介しており、興味深い。「自らの進化を促進するための重要な行為」だった法華経信仰の流れの中で、「日本の社会進化を促進する英雄的君主」への変身を期待した「法華経献上の方が(2-26事件よりも)革命的である」という。「これぞ究極の国家改造運動だったのではないでしょうか」とまで。ここは、法華経信者の私としては、北を「分かった」とは言えないまでも、「共感出来る」ところだと思われる。美濃部の天皇機関説は、戦後の「象徴天皇」制の登場に至る前ぶれともいえる。明治と昭和前期の間に花咲いた〝自由と民主主義的気風〟に溢れた大正という時代の空気が読みとれよう。(2023-5-21 続く)

 

 

 

 

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【78】片山杜秀『11人の考える日本人』から考える❶吉田松陰と福澤諭吉編/5-12

 選挙で忙しく、このところ〝忙中本なし〟状態であったのだが、ようやく刺激的な本に出会った。ちょっと趣向を変えて、この本を4回に分けて解説した上で、私なりに考えを及ぼしてみたい。タイトルにあるように11人の思想家を著者の片山杜秀さんは挙げているので、順次触れてみる。最初は、吉田松陰と福澤諭吉。実はこの本を読むきっかけとなったのは、毎日新聞の今週の本棚4-29付けの佐藤優評である。「時代の危機『知の遺産』に生き残りのかぎ」との見出しで、この人らしい魅惑的な視点で主に柳田國男と西田幾多郎を取り上げ興味深い内容だった◆まず、吉田松陰。この人は1859年に29歳で亡くなっているから、明治維新のほぼ10年前まで生きた。幕末の緊迫した国際情勢のなか、どうすれば日本が生き残れるかを考え抜いた松陰は、天皇中心の中央集権国家を目指す。また、西洋の戦い方をリアルに認識しようとする軍事的リアリストだった。当時の日本人を結集するために、天皇を戴き忠誠を誓う仕掛けを作ろうとした松陰は、その手段として「教育」で人材育成を図ろうとし、「松下村塾」でその理想の具体化に奔走した。この松陰の思想を体現した長州の若者が中核となって明治維新は実現したのだ、と◆ついで、福澤諭吉。松陰より5つ下。江戸末期と明治後期を生きた。著者は「日本という国のありようから個人の権利、女性の権利、そして天皇の独立というものまでを一貫してお金を主眼として考え抜いた人」が諭吉であると位置付ける。その思想は「お金を儲ける経済人をどんどん作って、日本が豊かになることで真の独立、自立を実現できる」というものであった。この「お金の思想」という経済のリアリズムを実践的な生き方の根幹においたがゆえに、今も古びない存在だという◆幕末に生まれ青年期を過ごした2人は、紛れもなき明治維新の礎を作った巨魁だ。松陰は軍事に卓越し、目的完遂志向が強かったが故に、「本質はテロリスト」と見る向きがあるが、それは一面的に過ぎよう。「教育を施していけば人間はどんどん立派になって、日本が発展するような人材がたくさん輩出すると考え」た松陰あればこそ、日本の近代化がアジアで最も早く成し遂げられたといえる。また、諭吉は、これまで「いかにすれば西欧列強に屈せずに一国の独立と国民の福利を確保できるかという問題を、文字通り命をかけて考え抜いた思想家」というのが一般的だ。それを片山氏は、「お金の思想家」として徹して語っており、ユニークではあるが違和感が漂うのは否めない。これは福澤の作った慶應義塾で学び、教えてきた人ならではの一種の〝身内の謙譲さ〟の表れではないか。余談ながら、「慶應といえば看板学部はやはり経済学部」との記述があるが、さて。もうその時代は終わったとの見方も昨今は強い気がする。(2023-5-12  続く)

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