衣食住──人間が生きていく上で欠かせぬ三大要件は、どれも大事で、重要度の優劣はつけ難い。ただ高年齢になると、食や衣はそれなりに贅沢やおしゃれに挑戦できるものの、住まいばかりは、新築や改造もままならない。テレビや映画で、素敵な家を見るたびに、思うことは多かったが、もはや諦めた。そんな私だが、かつてこの映画を見たときは、大きな家に住むのも考えものだと思わなくもなかった。その映画とは『ローズ家の戦争』。観たのは随分前だが、シャンデリアを空中ブランコのように使って夫婦が争う場面(どっちが襲うか覚えていない)にはたまげた◆ストーリーは大方忘却の彼方なので、説明は端折る。要するに、夫婦喧嘩が高じてそれぞれに思いのこもる豪邸から離れたくなくなった。心は冷え切ったにもかかわらず、離婚もできず家庭内別居ならぬ〝家庭内戦争〟に陥る。まさに壮絶な乱闘が展開され、やがて遂に死に至るというもの。豪邸に住んだものの離婚する羽目になった有名芸能人カップルというのは時々耳にするが、流石に家が「戦場」となったケースは知らない。観終えて、ああ自分ちは狭くて良かったと、皆妙に胸撫で下ろすかも。私のような40代になる直前に7部屋もある家を借金して東京に建てながら、選挙のために流浪の旅に出たまま帰れない人間も珍しい。引退した後も自宅は人様に借りて貰い、自分たちは70代後半になった今も、狭いマンションに仮住まいをし続けているというのだから、これもまた哀れだ◆年老いてからの住まいが私たち夫婦のように、若き日と逆転してみすぼらしくなってくると、自業自得とはいえ、あれこれ〝心の整理〟が必要である。それこそ書斎にぎっしりと揃えた蔵書はとっくに消えてしまった。本は図書館で借りて読むといった生活に慣れると、何だか20代に戻ったようだ。だから、若さ維持に繋がるとは口にするものの、所詮痩せ我慢にすぎないだろう◆老いをあらゆる面から描いた映画といえば、『8月の鯨』。塩野さんはここでも凄く品のある老姉妹に着眼している。今や品格の良い老人には滅多にお目にかからなくなっただけに、この映画は希少価値がある。住まいのありようと、気品は直結せぬと自らに言い聞かせているものの、自信はない。どんなところに住んでいても心には錦を飾っていたいものではある。この映画も是非、ビデオで観て、〝老いの道連れ〟にしたい。前回に続き、塩野七生さん理解のキーワードは「ディグニティ」だという点に、大いに共感を抱く。(この項了 2023-6-24)
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【84】子熊と山猫からの連想━━塩野七生『人びとのかたち』読む❸/6-18
熊の生息の実態が森の荒廃を占うとの説を掲げる、一般財団法人の顧問になって20年余り。すっかり熊の味方になった、と一般的には思われているに違いない。だが、正直いって熊がそれほど好きだというのではない。私の「熊との共生論」は大いに観念的なものではある。そんな私が、この本の『夢を見ること』に描かれた映画『子熊物語』に嵌ってしまった。未だ映画を観ていないのだが、早急に観て『日本熊森協会』の本当に熊が大好きな仲間たちに知らせ、熊を無用に恐れる人たちへのアプローチを考えたい◆「時に何もかも忘れて夢を見ることは、子供よりも大人に必要だ」との書き出しから、「最後は、互いにくっついて冬眠に入った雄熊とチビを映して終る。外は一面の雪景色」のエンディングまで。夢の世界は現の世界と紙一重。釧路湿原のそばに住む世界的な動物写真家の安藤誠さんが撮った写真や映像は本当に凄い。兄弟グマと思しき2頭が仲睦まじく立ち話をしている場面がいつも甦る。ああいう世界に立ち入れるのは、ひとえに人間の内面に熊と相呼応するものがなければと思う。淡々と描写されていく中で、そっと挿入された若者狩人とチビ熊の交流が熱く胸を打つ◆連想ゲームの様に『パワーと品格と』にある『山猫』が目に飛び込んできた。長きにわたって観たいと思い続けてきた名作映画だが、ついに先日取り溜めたビデオから探し出して観た。シチリアが題材といえば、『ゴッドファーザー』シリーズのように、わかりやすいマフィアものが連想されるが、正直、一回観ただけでは、これはそれほど馴染めず、面白くもなかった。が、塩野さんの謎解きのような解説を通し、なんとなく分かった気にはなった◆彼女は、シチリアを良くするためになぜシチリア人は動かないのかという長年の疑問に対する答えが、映画の中にあったとの記憶から改めて観たようだ。それは、「すべてを変えても所詮は何一つ変わらないという状態は、今ではシチリアの現象ではなく、イタリア南半分の現象になっている」し、「一部の人の情熱では、どうにもならない状態にまできている」からだという。『山猫』に登場する公爵のようなシチリア人が積極的に公務を勤めていたら、と仮定を述べた上で、「品格もパワーの一つに成りえることを忘れていると、社会はたちまち、ジャッカルやハイエナであふれかえることになる」と意味深長な結論で終わっている。イタリアに住んでいると、「(この国をマフィアが)脚部から麻痺させている難病である」ことが強く意識されるに違いない◆20年余り前のことだが、衆議院憲法調査会の一員としてローマに行って、塩野さんに会い、あれこれ話したことがある。その際に、私は偉大なローマ帝国の頃と現代のそれほどでも無いイタリアとの比較論に話を向けた。その時の結論は曖昧だったが、今になって、答えは、この「シチリア不変論と品格との関係」にあるのかも、と忽然と私の脳裡に浮かんできた。これはイタリアだけでなく、日本の今にも当てはまるのではないか、と懸念が高まってくるのは禁じえない。(2023-6-18)
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【83】戦争の総括から逃げ続ける日本━━塩野七生『人びとのかたち』を読む❷/6-12
塩野七生の代表作はなんと言っても『ローマ人の物語』全15巻だが、その物語の骨格は「戦争」である。2000年も前のことをよくもまあ、見てきたようにお書きになるものよと、思ってきた。しかし、この私の分類による2章の『戦争』では、昔と今の違いは、「相対的」であり、「(戦争それ自体は)歳月に関係なくヒューマン・ファクターに左右される」というのだ。その上で、❶マスコミの伝える戦力表示のいい加減さ❷湾岸戦争はヴェトナム化しない❸シビリアンコントロールは金科玉条ではない──との3つを考えたといい、興味深い。時代が変わろうが、人間のやることだから、人間観察さえしっかりしておれば、どんな「戦争」でも、本質は変わらず、その推移は見抜けるということだ、と。分かりやすい◆「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀で、第二次世界大戦の後も、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争とアメリカ主導の大型の戦争が続いてきた。塩野は、映画『ダイ・ハード』を観て、「アメリカ人とは、自分たちの考える正義のためならば、(中略) 文字通り、ダイ・ハード(絶対にくたばらない)で突き進みたいと願っている民族である」と、「アメリカ人と正義の関係」を理解する。しかし、その「正義」には、人種、民族、宗教という厄介な〝落し穴〟がつきまとう。結局、前述の戦争ではアメリカは全てこの穴にはまり続けてきた。「アクション活劇」なら、殺されそうになった妻を救うという「正しい義」を描いて爽快感を感じさせてくれて済む◆90年代半ばに出版されたこの本では、ウクライナ戦争のようなロシアの悪行は出てこない。せいぜいグルジア内戦やチェチェン紛争のような周辺国家の内紛絡みのものぐらいである。ロシア民族が戦争を起こすのは何に起因するのか。私の理解では「海を求めての南進」であるが、この辺りについての、映画に事寄せての議論は別の機会にしたい。一方、塩野は、イギリスとアメリカとの違いについて、前者は正義のためでなく、名誉のためにするのか、と問いかけている。私にとっては、アングロサクソン民族として共通する英米を分けて考えることにはあまり意味を見出せないのだが。この辺りについても稿を改めて考えたい◆この章でのハイライトは、『反省という行為』に登場する映画『八月の狂詩曲』である。主題は「原爆」。ここで塩野が問題にしているのは、「四十代五十代の日本人が戦中戦後の日本に面と向かわない」ことである。原爆はその象徴であろう。「経済以外のことから、逃げに逃げてきた50年だった」という。塩野は「もうそろそろ、第二次世界大戦の総括という形で、顔を見せてはどうであろうか」と問題提起し、「厳密な客観性で、あらゆる資料を集めて、整理し、まとめること」を主張する。黒澤明監督ただひとりだけが原爆について発言したと、この映画を高く評価してやまない。私も塩野と同様に、これまでの日本を恥ずかしいと思うひとりである。残念ながら、この本が世に出てより、30年が経とうとしているが、未だ逃げ続けている。G7の首脳たちに『平和記念資料館』を見てもらったと喜んで済ませている場合ではない。(敬称略=2023-6-12)
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【82】「コッポラのメッセージ」異聞──塩野七生『人びとのかたち』を読む❶/6-4
今回から塩野七生のエッセイ集『人びとのかたち』を取り上げる。この本の扉には、「映画鑑賞を読書と同列において 私を育ててくれた 今は亡き父と母に捧げる」とある。また帯には「両親がすすめてくれた読書、そして連れていってくれた映画館から、私の人生は始まった」ともあるように、これは映画にまつわるエッセイ集である。かねて私は、この本を〝映画のおたから〟のひとつとみなしてきた。この7月から、私のブログに新たに、『懐かしのシネマ』というコーナーを設けて、これまで観てきた「映画」の中から印象深いものを取り上げる予定だが、読書録ブログでは映画もさることながら、それを通しての彼女の言葉を追って〝予行演習〟にしてみたい。なお、このエッセイ集は、全部で48本のエッセイから成り立っており、これを便宜上10本づつ5章に分けて論じることをご了解いただきたい◆さて、第一回目。ここで取り上げられた映画で、私自身の興味の赴くところと完全に一致したのが『地獄の黙示録』。この映画については、つい少し前に亡くなった立花隆の有名な評論がある。『誰もコッポラのメッセージがわかっていない』である。かつて愛読した『諸君!』に登場した。さて、塩野七生がどう〝分かり具合〟を示してくれているか、固唾を飲む思いで目を凝らした。見事に外された。立花がこだわったカーツ大佐(マーロン・ブランド)についてはその解釈で充分とだけ。ただし、戦時のリーダーとしては「失格にする」と。そして、あのロバート・デュバル演じる指揮官には好意的な眼差しを向ける。「負傷した部下たちの救出に配慮を忘れないこの男」は、戦の最中のサーフィンまでやらせる「パフォーマンスの名手」だと。「リーダー論」に持ち込む手際は、さすがという他ない◆塩野は、彼女らしく、メリハリの利いた人物評を繰り出し、まさに小気味いい。グレタ・ガルボについての「スター」の一文が目を惹く。ここでは「実像と虚像」を巧みに論じる。〝スターは虚像〟だとして、〝実像〟を暴き出さんと熱意を燃やす一般人の努力は無駄だという。創り出す側に、「虚像と実像の区別など存在しない」と断じつつ。で、実像は「その人が生まれつきもっていたものにすぎない」が、虚像は「才能と、努力と運の結晶」という。ここまで読み、私がある芥川作家に投げた言葉を思い出す。「作家って嘘つきでないと務まらないですよね」と。あれから今まで、ずっと壮大な「結晶」をして〝嘘つきの所産〟としたことを後悔してきたが、「実を越えうるのは、虚しかない。偉大な虚のみが、現実を越えて生きつづけることができる」との塩野の結語で納得した。あの作家の、しばし呼吸をおいてからの「そうですねぇ」の返事は、「虚の効用」を知らない凡愚な私の身を慮ってのものだった、と。(2023-6-4)
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