【123】現実空間と言説空間の大いなる落差━━柳澤協二、伊勢﨑賢治、加藤朗、林吉永『戦争はどうすれば終わるか?』を読む②/4-7

 現実空間と言説空間の相互作用──社会における現実の動きに対して、それを解釈する言葉が影響を及ぼし合うことを意味する。ごく卑近な例でいうと、現実が人の噂で左右されて、噂が噂を呼んでやがて現実にまで変化をもたらし、それがまた現実を変えてしまうことだといえようか。この本では、加藤朗氏がウクライナ戦争をめぐってのこの両空間にまつわる問題提起をし、それを受けて4人が戦争解決へのカギを握るものとして議論していく。世界の関係各国を始め、日本でもほとんどの人が現実には行ったことも見たこともないウクライナの現場を、当事国の政治家の発信やら国際政治学者、軍事専門家らの解説、評論をメディアを通じて聞いて、あれこれ論じている。それが開戦以来の現実の事態を変え、停戦を難しくしているというのだ◆加藤氏の「戦争は情報の相互作用である」との発言は実に刺激的なもので、この本の白眉だと思われる。この人は開戦直後の2022年4月1日に「矢も盾もたまらずに、という感じで」ウクライナに向かった。国際政治学者として戦争の現場で「戦時」のありのままを見て、なぜこんなことが起きるのかを考えたかったのだと思われる。しかし、「実際に戦時下にあるウクライナに行ってみても情報がないので戦争がどうなっているかは分かりません」。その上で学者として、考え抜いた所産が、「言説空間の二分化」であり、それが現実の戦争に影響を与えているというものだ。当初は停戦交渉への機運があったのに、「ブチャの虐殺」の情報が拡散して一気に変わった。その後の両国間の応酬や取り巻く国々の動きから、今では、この戦争は「欧米などの民主主義国家集団と露中など専制主義国家集団の対決という言説」を生み出した、というのだ◆これを受けて、柳澤氏は、「今までの地政学的な対立──東西の対立とか、あるいは大陸国家と海洋国家の対立とか、さらには専制主義と自由主義の対立とか」といった観点からの解釈にはまり込むことを否定する。むしろ、国際秩序が大きく変わる節目にあるとの位置づけに留め置いて、そこから先の方向を予め決めてはいけないというのである。さらに具体的に、政府が2022年12月に閣議決定した「『国家安全保障戦略』にあるように、ウクライナ戦争を専制主義に対する戦いであると定義してしまってはいけない」と、手厳しい判断を下している。加えて「そんなことをしたら、この先、戦争の世紀が待っているという結末にしかならない」と。積極的に停戦交渉を進めようとするなら、戦争当事国の枠組みを勝手に決めるなどと言った余計な判断は棚上げにすべきだというわけである◆このテーマでの伊勢﨑氏の発言はまた興味深い。プーチンは開戦前の2021年秋にウクライナの「非ナチ化」──つまり東部ウクライナのロシア系住民が受けている圧政から解放する──を言い出しており、これが日本を含む西側社会の言説空間を支配した、という。これをロシアがするということは、体制転換、レジームチェンジすることであり、広範囲な軍事占領を長期にわたってするしかないことを意味する。果たしてそんなことがロシア一国でできるのか?問題を提起した同氏は、ロシア人専門家の言を引いて、プーチンの真意は、ウクライナの「内陸化」だろうというのだ。黒海に面した地域部分を制圧して、ウクライナが外洋に出られないようにする狙いが本当のところではないのか、と。こうした議論を聞くに付け、戦争の成り行きが極めて困難を極めていることが分かろうというものだ◆この討論を読んでいて、元航空自衛隊の最高幹部であり、戦史研究家の林氏が、日本人はウクライナの戦争を茶の間で食事しながらテレビで見ているが、その戦争観のベースはどこにあるのか気になると、根本的な疑問を投げかけている。第二次世界大戦後78年が経って、いわゆる先進国家群の中で、唯一戦争の当事国になったことがない日本。大震災が起こるたびに、自衛隊の活躍を有り難く思っていても、戦争は海の遥か向こうの遠い国で起こるものと思い込んでいる人々が殆どであろう。かく言う私も、戦争を語り、平和を論じる言説空間ではそれなりの役割を果たしていると自負してはいるものの、現実空間については、殆ど無知であると告白せざるを得ない。そんな身でありながら、ウクライナ戦争を語る時に、単純な二分化の解釈に加担してきた。これについての弁明は稿を改めたい。(2024-4-7  つづく)

 

 

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