Monthly Archives: 11月 2022

【62】5-③「まだ未だ遠いあの旗のところ」──安野光雅『絵のある自伝』

 ◆『即興詩人』を口語で訳す

 絵本作家の安野光雅さんが亡くなって、昨年12月24日で3年になった。先年三回忌を前に、この偉大な芸術家の自伝を読んだ。2011年に日経新聞の『私の履歴書』に掲載された(2月)ものが、加筆され出版の運び(11月)となった。実は今からちょうど40年前の1982年に私は、この人のご自宅を訪れて、お会いした。安野さんが56歳くらい、私は37歳ほどだった。なぜ会ったかは、もう1人の偉大な人物が関わっているのだが、その人のことも含めて後ほど明かす。ともあれ、思い出深い人だ。

 この人の絵にはファンが多い。淡い水彩画というのだろうか、じっと目を凝らして細部を見ると、子どもの描いた絵のようで、うまいようには見えない。だが、全貌はなんともいえぬ味わい深さが漂う。目にするたびに、ほっこりとした気持ちになり、癒される。素晴らしい絵だといつも感心する。絵描きが本業だが、文章も達人の域である。その上、人との交流が広く深く、そして卓越した読書家でもあり、ユーモアに満ち溢れた洒落者でもある。

 安野さんは島根県津和野町の生まれ。実はこの地は森鴎外の生まれたところでもある。2022年は鴎外没後100年(同時に、生誕160年)とあって、様々な企画がメディアで展開されてきた。この本でも随所に鴎外に関することが出てくるが、何と言っても『即興詩人』が極めつけ。北欧デンマークの童話作家アンデルセンの描いた、イタリアを舞台にした小説を文語で訳したのが鴎外で、それを安野さんは口語で訳したのだ。12年前のことである。

 この本は「青年時代からずっと、無人島へ持って行く一冊の書として思ってきた」し、「数えあげればきりがないほど人生について考えさせられる主題がある」と言い切る。80歳まであと2年になろうとする私は今まで読んでこなかった。まったく、笑うしかない。「白髪は死の花にして、その咲くや心の火は消え血は氷とならんとす」「恋せよ汝の血の猶熱き間に」といったセリフは、みなこの本ゆかりの歌にあるというのに。

◆司馬遼太郎『街道を行く』の挿絵を担当

 司馬遼太郎の『街道を行く』には、この人の挿絵が添えられた。こっちの方は、安野さんの絵に引き寄せられてそれなりに読んだ。「司馬史観」なるものにはいささか疑念を持つ私だが、このシリーズは大好きである。一人旅をしたダブリンには『アイルランド紀行』を持って行ったほどだ。「司馬さんと過ごした取材旅行は、近年になく楽しい日々だった」という安野さんだが、奇妙な〝弥次喜多風コンビ〟だったのではないかと、私は睨んでいる。

 司馬さんがいかに心遣い細やかな人だったかに触れているが、安野さんもその人となりの深さが汲み取れる。例えば、バス停でひとりバスを待っていた彼のところに、朝鮮人の老婆がやってきて「バスキタカ」と言った。「モーリーヨ」(知らないとの意味)と安野さんは聞き覚えの言葉を発した。すると、彼女は目を輝かして「ニガチョウセンサリミヤ」(お前は朝鮮人だったのかの意味)というと共に「ヒトリダマリノミチナガイ フタリハナシノミチミジカイ」と言ったことを紹介し、「私はそれまでこのように美しいことばを聞いたことがないし、これからも聞かないだろう」と述べている。

 さて、私がこの本で最も胸うたれたのは、最終コーナーに出てくる「空想犯」。読んで笑い止まらず。絵があれば一目瞭然なのだが、文章のみでは、少々残念である。「旧年中は世間の皆様にいろいろご迷惑をおかけしました 今年は真人間になってまじめに働きますので どうかよろしくおたのみもうします」との年賀文と、小金井刑務所 八一独房3023号の差し出し人住所。謹賀新年の上には、マル検の印と、所長犬井 看守長犬塚 看守犬飼 との印も。手の込んだ冗談であるが、これを真に受けた親戚友人たちの大騒ぎが披露されて、まさに抱腹絶倒ものである。

 「誰もが大志を抱くだろう。少年のころ『あの旗のところまで』と思い描いた大志は今もかわらない。エキマエエカキでもいい、と願っていたら、果たせるかな津和野の駅前に美術館ができた。それなのに、まだおもう。あの旗の立っているところはまだまだ遠いらしいのだ」──このようにあつい志満ちたことばを私は未だ目にしたことがない。

【他生のご縁 普段から政治を学習する大事さ】

 40年ほど前のこと。参院選に公明党が党外候補として担ぎ出した著名文化人の一人に学術会議議長だった原子核物理学者の伏見康治さんがいました。私が公明新聞記者として推薦原稿を書く担当になった伏見さんを推した人が安野さん。趣味の折り紙と絵の繋がりでした。早速安野宅を訪れました。

 その時の彼の話。ここには公明党の応援をされる学会員さんも見えますが、共産党の支持者も来ます。公明党の人は大概が候補者の名前をだし、いい候補者だから応援してくださいとしか言わない。一方共産党の方は政治に関する様々な主張を毎回述べていく。その都度、成長がある、と。痛烈でした。昔の話ですが、悔しい思いがしたものです。いらい、政治学習の大事さを心に銘記しました。

 

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【61】4-② 人間らしい暮らしへあくなき挑戦──中内㓛『流通革命は終わらない』

 

 ◆経営者に邁進する決意が固まったひとこと

 中内㓛といえば、高度成長期の日本にあって、「主婦の店ダイエー」で「流通革命」を起こした〝偉大な経営者〟である。その彼がもしかすると中途半端な経営者に終わったかもしれないというエピソードが、この本に出てくる。〝経済界ご意見番〟として著名だった三鬼陽之助氏との出会いの場面である。当時、中内さんの『我が安売り哲学』(昭和44年出版)は、「消費者主権」の考え方を初めて打ち出したものとしてベストセラーになっていた。経済学者・伊東光晴氏らの手になる『戦後日本思想大系』の中に取り入れられたほど評価は高かった。

 ところが三鬼氏は「バカヤロー!経営者になるのか、物書きになるのか、どっちだ」と、怒鳴ったというのだ。この言葉で絶版を決断できたと、中内さんは感謝している。経営者に邁進する決意が固まったということに違いない。昭和49年、53歳だった。これ以後一切本は書かなかった。若き日、「新聞記者になりたかった」という中内さんだけに、書くことへの執着は強かったはず。それを断ち切った一言だった。

 『流通革命は終わらない』は、日経新聞の『私の履歴書』が原型である。中内さんは、メーカー、生産者に代わり、スーパー、消費者が主権者になる、それが流通革命だとテープレコーダーのように言い続け、どんな批判にも屈せず行動し抜いた。その信念に貫かれた人生だったことがここには描かれている。

 既成の概念、権威に対抗し続けた顛末の圧巻は「松下幸之助氏との対決」のくだりである。昭和40年代初頭、ナショナルとダイエーの対立は国会も巻き込む話題となった。「水道から出る水のように、豊富に、世の中の人たちに電化製品を供給したい」という「水道哲学」と、「ひとたび市場に出た商品の価格は、需要と供給の関係で決定されるべきである」との「安売り哲学」がぶつかった。「もう覇道はやめて、王道を歩むことを考えたらどうか」──〝流通経路破壊はやめてくれ〟との松下氏の苦言に中内さんは無言で抵抗した後、「そうですか」とだけ答えた。反論を呑み込んだのである。「会談が物別れに終わり、『真々庵』を出ると、雨が降っていた。松下さんが傘を自分で差して、私を送ってくれた。それを最後に、再び会うことはなかった」。

◆戦争一色だった青春

 スーパーの登場に怯えたのは地域の小売店も同様だった。スーパー進出反対のデモが各地で展開された。それには「日用の生活必需品を最低の値段で消費者に提供するために 商人が精魂を傾けて努力し その努力の合理性が商品の売価を最低にできたという事が何で悪いのであろうか?」との張り紙で反論した。「地元商店街とは共存共栄するつもり。反対はないと思う」と、中内さんが語った言葉が第二部の資料集にある。「革命」に犠牲はつきもの。時代の流れにさをさす人と抵抗する動きは避けられない。私は、現役時代から大型スーパーに圧迫される小売市場を救済する試みに、現在に至るまで参画し続けている。政治がなすべきことの大きさを実感してきたものである。

 大正11年生まれの中内さんの青春は戦争一色だった。従軍体験が後々の人生の骨格を形成した。関東軍二等兵として昭和18年1月に入隊。鼻毛も眉毛も凍る零下40度の極寒の地での従軍から、19年夏には炎熱のフィリピンへと軍曹として転戦。6月6日未明に北部山岳地帯での敵塹壕への切り込みで、手榴弾のさく裂に遭う。全身に破片が突き刺さり、大腿部と腕から「ドクドクと血が噴き出し、出血多量で眠くなる」──偶然近くにいた衛生兵や古参の上等兵ら戦友の対応のお陰で、「これで一巻の終わりだ」と覚悟した窮地から救われた。

 「傷口にはウジ虫がわき、腐った肉を食う」「アブラ虫、みみず、山ヒル‥‥。食べられそうなものは何でも食う。靴の革に雨水を含ませ、かみしめたこともあった」などの悲惨な体験は、大岡昇平の『野火』の世界そのものだと振り返っている。この辺り、「とても長いあとがき」の「野火は今も燃えている」に詳しい。「人生は、一期一会の出会いの旅。若者との対話を大切にし、逃げて行く今を懸命に生きる。緊張感を持った、今、今、今の連続。刹那生滅、刹那無情」といった心情の発露は、後に続く私たちへの遺言のように響く。

【他生のご縁 母校の80周年での語らいと共演】

 私は長田高校(旧制神戸三中)の中内さんの後輩になります。同校80周年記念式典に、神撫会会長(同窓会長)と、現役衆議院議員として一緒に招かれました。控室で、中内先輩はちょっと精彩がないように見えました。「何もかもうまくいかないよ、最悪だ。福岡ダイエーホークスが優勝したことだけが嬉しいけど」と呟くように口にされました。「大丈夫ですよ、元気出してください」と精一杯私は激励したものです。

 私は高校時代に、母校の先輩であるジャーナリストの大森実さんの講演を聴き、志を立てました。この日の壇上挨拶で、そのことに触れました。大森、中内の御両人はこの本に登場する友人同士。私の後に話された中内さんは本来の元気さをすっかり取り戻されたように思えました。

 

 

 

 

 

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【60】3-① ウクライナ情勢とダブらせて──中村正軌『元首の謀叛』

◆日航社員から転身し直木賞受賞

 東西両ドイツが背後にそれぞれWTO軍とNATO軍を擁してツノ突き合わせる。この本が世に出た当時(1980年)は緊迫した状況が続いていた。著者の中村正軌さんは米、独など海外勤務の長い「日本航空」の社員だった。帰国後、横浜から東京への通勤途上に、満員電車の中で本の構想を練り、自宅に帰ってせっせと原稿を書き続けた。その作品が直木賞を受賞した。「国際情報小説」に当時浸っていた私は、同じ趣味を持つ上司の市川雄一編集主幹からこの本の存在を聞いた。もう40年も前のことである。

 タイトルは印象に残っていたが、内容はほぼ忘却のかなただ。それを再読してみる気にさせたのは、もちろんロシアによる「ウクライナ戦争」である。プーチンとゼレンスキー。2人の大統領の存在と、この本のタイトルにある「謀叛」が気にかかった。「ぼうはん」と読ませるが、裏切りを意味する「むほん」のことである。仮にいまもしかして、と〝想像のつばさ〟も広がる。もちろん舞台は全く違う。当時ソ連圏の一部であったウクライナが、独立したはずなのに、かつての盟主国に攻め込まれ、防戦が続く。現在只今の戦争を横目に、過去のフィクション小説を読んでみた。

 「月の無い真暗な湖面に頭だけを出して周囲を見霽かすと、じっと動かぬ陸上の多数の光と、微かに揺れているヨットやボートの点々とした光が見える西岸の光景とは対照的に、東側には何一つ光るものがなかった」──東ドイツ側から「西」に潜入する若い将校。彼が地下トンネルを這って、森と湖を見やる冒頭のシーンは、幻想的な風景描写で、一気に当時の国際環境を想起させる。東西ドイツを分つ壁を舞台として、のっけから手に汗握るドラマが展開されていく。

 ◆豊富な情報量を基に奇想天外な想像性

 中村さんが書き進めていた頃、現実の国際政治では虚々実々の駆け引きが壁の内と外とで展開されていた。西ドイツに攻め込むことを押し付けられた東ドイツのトップ・ホーネッカー書記長がソ連に叛逆し妥協を選ぶという驚き呆れる筋立て。若い将校が相手方のシュミット首相への密書を隠密裡に運ぶ離れ業を担わされて動く。ヒチコック映画「鳥」のような飛び立つ無数の鳥、敵と見定めたひとに襲いかかる一匹の「犬」のリアルな動き、老夫婦の豊かな人情などを挟み込む見事な活写。東欧の経済的困窮ぶりをめぐる考察とか、血を分けた兄弟、親子の運命的別れと再会、ドイツ・ゲルマン民族の統一への夢が織り込まれて興奮させられずにはおかない。

 豊富な情報量を基に、奇想天外な想像性、正確無比と思しき事実認識力などが横溢している内容にただ感嘆するほかない。劇画風の小説を読み慣れた向きや、男女の絡み合いがお好きな読者には不向きかも知れないが、正統派には堪らないはずである。

 初めて世に問われてから長い時間が経った。東西の壁が崩壊して、中村さんの描いたようにはならず、ひとたびは平和裡にことが運んだ。〝事実は小説より奇なり〟とのことわざ通り、戦争に発展せずに、ソ連の自滅を招いた。その背景には、伝統的なソ連の政治家とは肌合いを異にする理想主義者ゴルバチョフと、統一ドイツを目指してひたすら現実主義に徹したコールという〝2人の役者〟の存在があった。

 結果から見ると、ゴルバチョフが楽観的に過ぎて、NATOのその後の展開を封じ込めることに失敗した。それが、今のプーチン・ロシアの怨念に繋がり、ウクライナの犠牲をもたらしたとも言えよう。「元首の謀叛」というタイトルを今に当て嵌める誘惑に駆られる。ロシアのウクライナ侵略が始まった当時は、ゼレンスキー大統領が逃げ出すのではないかと見る人がいたり、プーチン大統領暗殺を口にする人々が後をたたなかった。中村さん風に今の状況を見立てると、誰かの謀叛こそ世界を救う一歩足り得るのに、と思うのだが‥。

【他生のご縁 新聞小説執筆を依頼するも‥‥】

 公明新聞紙上に連載小説を中村さんに書いて貰おうと、市川雄一さんが言い出しました。お前も来いと言われて、中村さんとの執筆依頼の場に同席させていただいたのです。だが、新聞連載は荷が重いと固辞され、こちらの企ては沙汰止みになったのですが、その場での語らいは実に愉快なものでした。『元首の謀叛』原稿は書き溜めたものの、ものにならぬと思い込み、押し入れに放りこんでいたそうです。ある編集者との酒席で話題になり、陽の目を見るに至ったと聞きました。

 私が『忙中本あり』の出版記念の集いを開いた際には壇上花を添えていただきました。政治家の皆さんを壇上にあげず、中村さんを始めとする作家や学者、文化人ばかりに並んでいただいたのですが、衆院憲法調査会長の中山太郎さんから、「赤松さんのパーティーは政治家のものというより、文化人の集まりだったね」と感心されたものです。中村さんとはその後会う機会がないまま永遠の別れをしてしまいました。今ありせば欧露関係で蘊蓄を傾けて欲しかったとしきりに思います。

(注)中村正軌の軌は、車へんに几で、まさのりと呼ぶのですが活字が発見できず、簡易的に済ませたことお断りします。

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【59】6-⑦ 地獄の沙汰にも屈しない──村木厚子『日本型組織の病を考える』

◆まるで犯罪推理小説のおもむき

 村木厚子さん──郵便不正事件で不当逮捕(2009)され、454日間勾留され、無罪が証明(2010)されて今度は一転、厚生労働事務次官に就任(2013年)、退官後(2015年〜)は様々な福祉活動を展開する。話題になり続け、最近は忘れられているこの人のことを改めて考えたいと思い、出版から4年経ったこの本を選んだ。まるで犯罪推理小説を読むように吸い込まれながら、胸打たれ涙することもしばしばだった。検察官のデタラメに歯ぎしりする思いに陥りながら、心温まる家族愛や友情溢れる仲間たちの支援に感激する。そして「日本型組織」のもつ病理に思いをいたすことになった。

 これほど起伏に富んだ読み応えのある事実に基づく問題提起をする本はそうザラにない。働く女性たちは、その逞しい〝燃える魂〟に感化され、己が平穏な日々を自省する。働く男たちは、こんな難事が自分の人生に降りかかってきたらどうするかと身構える。私のような後期高齢者は、のほほんとして生きてきた人生との比較に慄然とする。いやはや凄い。あまりのスーパーウーマンぶりに驚くばかりである。これは優等生たちの〝別世界の物語〟だと、凡人が思い込む危険性さえ潜んでいよう。

 というのは全部読み終えての読後感。前半1-2章はひたすら検察の無謀な悪だくみに呆れ果て、半年近くに及んだ彼女の拘置所生活に怒り天を突く思いになる。後半の3-4章からは視点が背景に広がる。決済文書の改竄という〝前代未聞〟の出来事が繰り返されるのは一体何故だろうか。村木さんは、それは建前と本音の乖離にあり、間違いを軌道修正出来ない組織の病弊に起因するという。権力、権限、プライドがあって外からのチェックが入りにくい「財務省、防衛省、検察、警察などが典型」で、「マスコミや、教師や医者など『先生』と呼ばれる職種も危ない」と、具体性を持たせた記述は興味深い。実は、この本の発行元はKADOKAWA(角川書店)。「東京五輪汚職」を連想し、ブラックユーモアを感じてしまうのはご愛嬌と言えようか。

◆退官後も世直しに取り組み続ける

 様々に思いを広げさせてくれる好著だが、家族愛については超弩級に抜きん出ている。地検から呼び出しを受ける前に、郷里高知に住む父親に村木さんは心配しているだろうと、電話を入れる。──父「やったのか」私「やってない」父「それなら徹底的に戦え」私「徹底的に戦う」──ここは、グッときた。地方公務員だった父とのこのやりとりで、娘の腹は決まった。厚労省同期の夫は、もとより動じるはずがない。共戦の同志として一体だ。「相談しやすく、信用できる、一番の親友が彼」とくると、読者は「もうご馳走様」というしかない。「イクメン」で2人の娘さんを徹して可愛がり大事に育ててくれたとのくだりに接すると、非のつけどころなしの百点満点のパートナーであり、共稼ぎ夫婦の鑑である。厳しい検事たちとの壮絶な戦いから、感動的な勝利を経て、日常の生活ぶりに至る村木さんの生き様を見ると、ほんのりした人間性が一貫していて気持ちいい。「いい人っていいなあ」というどこかで聞いたセリフが浮かんでくる。

 事務次官を終えて退官をした後も村木さんは、「若草プロジェクト」という、貧困、虐待、ネグレクトなど厳しい環境に置かれた少女たちを救い、支援する運動に関わってきた。また、「共生社会を創る愛の基金」なる累犯障害者への支援にも取り組む。福祉と結びついていないため困窮した挙句罪を犯してしまう人に手を差し伸べている。共に、彼女の拘置所での体験がきっかけだ。「退官後も『世直し』を続ける」との第6章にこうした活動の全貌が明らかにされていく。強い刺激を与えずにはおかない。

 この本は、無実の罪に突然はめられた「女性巌窟王」のようなドラマであると共に、働く女性にとっての参考書でもある。極上のカタルシスを味わえるうえ、いかに生きるかのとっておきの指南も受けられる。ついでに日本の行く末に思いを凝らす老政治家はこの上ない気づきを貰えた。

【他生のご縁 無罪後に直接会って体験を聞く】

 この事件を知った時は私は厚労省をとっくのむかしに去っていました。直接のご縁はなかったものの、落ち着かれたら是非会って話が聞きたいと思いました。30年ほど長田高校の後輩Kさん(厚労省勤務)に仲立ちを頼みました。彼女は日頃から尊敬してやまない村木先輩のことゆえ、直ちに連絡を取ってくれました。10年ほど前のことです。女性官僚2人との有意義な語らいでした。

 村木さんのお話で印象深かったのは、既に書いたように、夫・太郎さんや2人の娘さんら家族と多くの友人らの支えで、周りがあったればこそと言っていたことです。父上の話はこの本を読んで初めて知りました。加えて、拘置所内で、本を沢山読まれたとのことなので、どんなものを?と聞いてみました。塩野七生さんの『ローマ人の物語』全15巻です、と真っ先に挙げられました。自分も既に読んでて良かったと、ほっとした気分になったものです。全部で150冊読まれたとのことですが、逞しい精神力に感銘します。

 

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【58】世界の名画を陶板で再現、一堂に──玉岡かおる『われ去りゆくとも美は朽ちず』を読む/11-4

 四国は徳島県鳴門市の小高い丘の麓にある大塚国際美術館。そこに私は過去2度行ったことがある。最初はただただそのスケールに驚き、2回目は専ら感心するだけ。3度目の正直よろしく今度こそじっくり鑑賞してみたいと思っていた。その矢先に、兵庫は東播磨・加古川市在住の作家玉岡かおるさんが同美術館完成への一部始終を題材にした小説を書いた。この9月に出版されたばかり。直ちに飛びつき一気に読んだ。かねて人生最大の事業は、後世に不朽のものを残すことにまさるものはない、と思ってきた男の話だ。世に巨万の富を築くも、単に私腹を肥やすだけではむなしい。古今東西の一千点もの名芸術作品を、未来永劫にわたって朽ちないであろう陶板で作り直し、一箇所に集めるという離れ業をやってのけた。その人こそ「大塚製薬」の創業者大塚正士氏だ。彼をモデルに、そのもとでのプロジェクトチームの労作業を克明に描いた中編小説である。

 陶板による名画再現と聞いてまず思うのが、本当に長く持つのかとの疑問であり、持ったところで、所詮コピー、複製ではないかとの本質的疑念である。この小説でもその辺りについて、登場人物相互間で賛否が戦わされる。陶板の持つ寿命の長さは、既に発掘されたイタリアのポンペイや中国、エジプトの遺跡で証明されており、数千年の歴史を経て、今我々は見ることが出来る。

 一方オリジナルはせいぜい数百年しかもたない。このように、陶板によって長く保存が可能なことは実証済みなのだから、世界に現に存在する原画を20世紀の時点で陶板化すれば、半永久的に持たせられるというわけである。陶板の技術で本物と寸分違わぬものを作ることが出来、それを日本の徳島・鳴門に集めることで、大勢の日本人に見せたい──それこそ地域観光、郷土起こしの究極に繋がるとの発想だ。この世に今ある芸術作品を一生のうちに見られるか、見られないか。当初抱いた私の〝真贋の疑念〟は次元が異なる比較として吹っ飛んだ。

●美へのあくなき執念

 この本の読みどころは、一つは主人公の〝陶板国際美術館〟実現へのあくなき信念。次に関係者、とりわけ美術の専門家たちそれぞれの執念であろう。1000点の作品をどの分野からどう割り振って集めるかをめぐる会議の場面は特に面白い。古代ローマ、スペイン宗教画、ルネサンスなどを専門とする個性豊かな登場人物の丁々発止のやりとりに引き込まれる。また、著作権利所有者にどう許可を得るのか。これも興味深い展開がなされているが、現実にはこちらが想像する以上に、うまく運んだようで、ほっとさせられた。この小説を生み出すに当たって、著者の取材と構成への苦労がしのばれる。尤も、「存外に楽しかったわ」って、玉岡さんのことゆえ、いわれるかも。

 人間は長く生きても100年前後。それに比して美は永遠である。いかにして美しい芸術作品を生きながらえさせるかは、人類の課題だろう。だが、我々個人にとって、それらを生きてるうちにどれだけ見ることが出来るか?美術全集で見るのがせいぜいで、ヨーロッパの美術館で直接見ることができる人はそう滅多にはいない。この本の主人公はそれを陶板で蘇らせるという画期的な方法を踏襲することで可能にし、しかも1箇所に結集させた。この辺りを考えると、この本はやや淡白な印象を抱く。もう少し背景を深掘りして長編にしても良かったのではないか、と。また、美術館に展示されている作品の一部でも写真で掲載されていたら‥‥(おっと、それでは小説ではなくなってしまうか)。絵画芸術、美術作品の奥深さをペンで描くことの難しさを感じつつ、あれこれ想像の翼が羽ばたく。2年前の夏、大塚美術館と目と鼻の先にある南淡路市に家族で行きながらリゾートホテルにいただけ。徳島・鳴門に一歩も踏み込まなかった。孫や子を連れて行っておけば?来年の楽しみに取っておこう。

【他生の縁 作家デビュー直後の自宅へ】

 玉岡さんのご自宅に随分前に実は行ったことがあります。初当選以来、色々な面で親しく付き合っていただいた、播磨地域を拠点にする建設業界の雄・S社のW元社長と一緒に。彼が偶々地域のお茶会の場で玉岡さんにお会いして意気投合、お誘いいただいたのでとのことでした。

 いらい、彼女の小説はデビュー作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(1989年)から、織田作之助賞に輝いた『お家さん』(2007年)など、それなりに読んできました。つい先年には、北前船に取り組んだ男を描き、新田次郎文学賞を受賞し、一段と円熟味を増しています。

 一方、この地域特有の「溜池問題」にも取り組んできています。環境保護団体と共に企画したフォーラムに対し、泉房穂明石市長から「税金の無駄遣い」だとの暴言を浴びたことが話題になりました。よりによって、播磨生え抜きの著名な女流作家に噛み付くとは無謀なことよと、皆彼を憐れんだものですが‥‥。

 

 

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