さて、志村勝之氏が示すもう一つの「聴く技術(スキル)」の要領(中核)は、6つの「言葉返し」技法に宿るという。いわく、➀相槌返し➁オウム返し➂要約返し➃感情返し➄質問返し➅接続詞返しである。とりわけ面白いのは一番目。「ハ・ナ・ソ・ウ」と憶えておくといい、とまことに丁寧だ。ハイハイ、ナルホド、ソウカ、ウンーといった風な相槌をー感情を適宜入れ込み、適当に組み合わせてーうちながら、相手の話を聴くというわけだ。先にも述べたように、相手の話を聴いているのがもどかしくて、何やかやと言葉を挟みがちな私にとってなかなか苦痛を伴う要領ではある▼とかく相手の話が長かったり、それこそ要領を得ない話しぶりだと、どうしても「何が云いたいんだ」「簡単にまとめると」という風に迫ってしまう。現役時代に、官僚や政治家の話を聴いているうちに癖がついてしまったに違いない。「接続詞返し」のくだりでは、相手の話した内容に対して、「WHYとBUTの接続詞は極力控える」、代わりに「主としてWHAT、WHERE、WHEN、HOW、AND」を用いるといいいという。「ナゼ、どうしてなんだ」とか「だけど、ねえ」などを乱発しがちな私にはとても難しく思われる。ここまできて気付くことは、志村氏のようなカウンセリングをする人や、相手の相談や悩みを聴く場合にはこれまで見たような作法が第一に求められるということだ▼それとは違って、相手と論争する際にはそういうことばかりにもいかない。適宜、相手を指導したり、行く道を指し示してあげる場合などは、時間との勝負もあり、悠長に構えていられないこともある。という風に、またもや自己弁護のきざしが頭をもたげて来るのだが、結局はバランスの問題ではないかと今は思うことにしている▼とかく相手を理屈で言い負かすことに執心してきた趣きがあるものにとって、自己主張をすることで自己満足に陥りがちだ。相手が納得していないのに、これでよしとしていたらまるで漫画という他ないのだが。これまでの長い人生をそういう「話し方」「聴き方」をして過ごしてきたとは赤面の至りではある。しかし、この歳になって今更身についてしまった癖は治せない。せいぜい、要らぬことを口走らないように「歯を食いしばって」、「聴き耳を立てる」ことに努力してみたい。(この項終わり=2016・8・29)
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(166)カリスマ臨床心理士が明かす「聴く技術の要領」
志村勝之氏は私の見るところ、とてつもないカリスマ臨床心理士だ。心理学への造詣の深さから始まり、哲学、思想、宗教へのアプローチの用意周到さにはただただ圧倒される。この一年彼が展開してきた『こんな死に方をしてみたい!』なる長編のブログ(このほど完結)は出色の出来栄えで、実に面白く興味深い。私は彼のこれまでの生き方に改めて深い関心を持つと共に、これをどう読み解くかに、少々大袈裟だが今や身も心もとらわれている▼さて、その志村氏の私への忠告たるや、心底から唸らせられた。それは、ひとを前にしてその話を丁寧に聴こうとせず、一方的に話すのみで自己満足してきた私にとって、まさに驚天動地、天と地が逆さまになったほどのショックである。で、それは一枚の紙にまとめられ、私に手渡された。タイトルは「聴く技術(スキル)の要領」とある。中身は二つに分かれる。一つ目は「聴く技術(スキル)」の要領は、相手を「受け止める」ことにある。「受け入れる」こととは違う、というのだ。これは聴き方のスタイルとして重要なポイントに違いない▼➀相手の言動に「肯定的なまなざし」を向け続けること➁「こちらだって言いたい!」の気持ちを抑制し続けること➂相手の言葉に対して「否定・反論・支持・命令・強制・支配」をしないこと➃また、助言さえも控えること➄ひたすら、相手に「ちゃんと聞いてますよ!」を感じさせる「言葉返し」をすること➅相手に「もっともっと、あなたに話したい!と思わせること➆相手の「感情」を、どこまでも「相手にわかるよう」に「受け止めて」いくこと➇そして「ああ、この人は自分の話に興味・関心を持ってくれている!」と相手に思わせることーこの8項目を目にしてもう笑ってしまった。これまでの私の対話の仕方とは基本的には真反対だからだ▼勿論、私だってこれに近い対応をしてきていないことはない。でないと、友人、後輩、先輩たち、なべて私に縁あった人々に顔向けできない。だが、おおむねし損なってきたというほかない。相手の非を見つけると、そこにつけ込み、相手の弱さに気づくと、激励の言葉を挟み、相手の無知には自分の知り得ている知識を披瀝する……。そう、そこで気付いた。志村氏と私の50年余りの交流の実相を。彼と話したあとは、「今日は楽しかった」「また会いたい」との実に爽やかな気分に常に満たされていたのである。ということは、私の場合は……。ああ、嫌だ。恥ずかしい。(この項つづく=2016・8・20)
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(165)相手にお構いなく自分の思いだけぶつけると……
阿川佐和子さんの本は、➀聞き上手とは➁聞く醍醐味➂話しやすい聞き方ーの三章に分けられ、「心をひらく35のヒント」とのサブタイトルにあるように、彼女自身の経験が楽しく語られている。だが、読者は別にインタビュアーになるわけではないので、彼女の失敗やら成功例を聞かされても直接的には参考にならない。つまり、彼女の話術の巧みさにはまって面白おかしく読んだ末に、あとで全て忘れてしまうという陥穽に陥るのが関の山である。せいぜい、「面白そうに聞く」「話が脱線したときの戻し方」「オウム返し質問活用法」「知ったかぶりをしない」「喋り過ぎは禁物」の5つぐらいが実用的にはヒントになった程度であった▼要するにこんな本をいくら読んでも私の会話の癖は治らない。現実に偶々先日、小学校の教頭をしている後輩との会話の際にこんなことがあった。彼が「心理学者のアドラーについて岸見一郎さんの『嫌われる勇気』という本を読もうと思います」と言う。既に読んだ本が出てきたからもういけない。よせばいいのに、またしてもあれこれと一方的に喋ってしまった。ここは、「どうしてアドラーに興味持ったの?」と返したうえで、『嫌われる勇気』の人気の秘密をさりげなく語る程度にとどめるべきであった▼心理学の周辺を語ると留まることを知らぬ私は、自分が同書の読後録をブログに書いていることやら、友人の志村勝之との電子対談本『この世は全て心理戦』にまで及んでしまった。聞いてる方は恐らくわけが分からなかったに違いない。話の合間に自分のブログの宣伝やら、電子書籍の効能など織り交ぜるのだから。おまけに、最後には「君が読んだらいいのは『仏教、本当の教え』ではないのかと思うよ」などと、余計な本の紹介までしてしまう始末。これでは、要するに自慢話だ▼長い間政治家をやっていると、何か意味のある話をせねば相手に申し訳ないという勝手な思い込みがあり、ついつい余計なサービスをしてしまう。「話題が豊富な人で、話が面白い」などというお世辞が強迫観念となって、いつの日か「聞く力」が退化し、「話す力」のみが過剰に育っている(これとて、たいしたことはないのだが)のが私の現状だろう。そういう私の在り様を、志村勝之は「アイ中心で、ユウがない」という。つまり、相手の立場を思いやらない「自己中」なんだというわけだ。(この項続く=2016・8・18)
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(164)「話す力」を重視して「聞くこと」を疎かにするとー阿川佐和子『聞く力』
政治家は様々な場面で時々の政策課題について、自身がどういう考えを持つかが問われる。大学の後輩で時に親しく言葉を交わした石破茂前地方創生相がかつて「朝起きて新聞を読んだ後、その日自分が何についてどう発言するかを頭の中で整理するのが自分の日課だ」と言っていたことを思い起こす。政治家たるもの「喋ってこそなんぼのもの」で、黙ってることは悪に等しいということが現役の頃に強迫観念のようになっていたものだ▼しかし、これも一対一の相対関係の中に持ち込むと、時に喋り過ぎは人間関係を損ないがちだ。人はどうしても得意な分野や熟知していると思い込んでいることについては喋りすぎてしまう。相手の話を聞かずに、自分の意見を語ってしまうだけで、自己満足に陥りがちだ。私の場合それに加えて、対話をしている際に、相手の話に口を挟み、しかもその話の筋から逸れて持論を展開しがちになることが多い。数年前のこと、某市の副市長をした大学の先輩が私のために本を買ってきてくれたのに、私は「それならもう読んでます。その人の作品にはもっと面白いのがありますよ」と言いかけた。その先輩は「そうか。なら、もう俺は帰る。お前とはもう会わない」と中座されてしまった。同席していたもう一人の先輩があれこれとりなしてくれようとしたが、最早相手は聞く耳を持たなかった。大失敗だ。ここまではいかずとも、これに類する話は、私の場合恥ずかしながら少々あるのだから始末が悪い▼中学時代から50年余の長きにわたる親友・志村勝之君は、今は大阪で臨床心理士を営むが、こういう私の悪い癖を知り抜いていて、様々な機会にやんわりとアドバイスをしてくれ続けている。先に、二人で出した対談電子本『この世は全て心理戦』にあっても随所で「聞くこと」の大事さを彼は語ったもので、かくいう私も当然のことながらそれを認めている。その彼が先日の語らいの中で、キャスターの阿川佐和子のTBS系TV番組『サワコの朝』を観るように勧めてくれた。彼女の「聞く力」は大変なもので、参考になると思うよ、と▼チャーミングで限りなく爽やかなアガワさんにはかねて私は好意を抱いてきた。だが、私は彼女の書いた累計200万部に迫る国民的ベストセラー『聞く力』は、読む気がなぜかしなかった。どうせ中身は読まずとも、という感じだったのだと思われる。そのくせ、彼女の兄である阿川尚之慶大名誉教授にかつてある会合の場で会った際に、「ぜひ妹さんに会わせて欲しい」とダメ元で頼み込んだことがある(残念ながら未だに実現していない)。偶々観たその朝の番組ではイラストレーターの水森亜土さんが相手だった、確かに見事なやりとりだった。ということで、ようやく重い腰を上げて、そむけていた耳を傾けて、阿川佐和子『聞く力』のページをめくるにいたったのである。(この項続く=20016・8・13)
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