柳の下に二匹目のどじょうを求めるのは世の常である。原田伊織『官賊と幕臣たちー列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート』が書店に並ぶと同時に読んだ。前作『明治維新という過ちー日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』は多くの読者を惹きつけた。ゆえに二作目にも大いなる期待をした。だがほぼ同様の中身がなぞられており、二番煎じ気味は否めない。とはいうもののやはり面白い。凡庸なあまたの出版物をはるかに凌駕する迫力を感じる。多くの若い読者がこの二冊を読むことを薦めたい▼明治維新の際に「薩長土肥」と一言で括られる官軍という一大勢力は、毀誉褒貶はあれども日本を形成した「正義」とされてきた。私たちは学校でそう教えられ、また小説の世界でも十二分に味わってきた。それが実は「過ち」であり、「明治の元勲」はテロリストの成れの果てで、官軍は賊軍であったと聞かされるとただ事ではない。前作の出版以後、著者に対して称賛とともに様々な批判も寄せられたことは想像に難くない。ただ、私のような「へそ曲がり」には堪えられない面白みを感じさせる▼かの国民的作家・司馬遼太郎が暗殺は嫌いと言いながら「桜田門外の変だけは歴史を躍進させたという点で世界史的にも珍しい例外だ」と評価した。それに対してこの後輩(共に大阪外大出身)は「(司馬氏は)何らかの原因で錯乱していた」と指弾するなど、これまでの常識的な「維新観」に徹底的に疑問符を投げつける。前作では「会津」や「二本松」にものぐるおしいほどの哀感を注ぐ一方で、長州や薩摩などの特定の人物を蔑みこき下ろした。坂本龍馬にいたっては単なる武器あっせん商人の手先ぐらいの位置づけである▼二作目では、幕末日本が欧米列強の侵略を防ぎえたのはひとえに、徳川の幕臣テクノクラートによるところが大きいとする。阿部正弘、堀田正睦、川路聖謨、水野忠徳、岩瀬忠震ら「英傑」が、知力と人間力を武器に欧米列強と正面から渡り合った様を克明に描き、きわめて興味深い。このあたりを読むにつけ、続編を書きたかった理由が痛感させられる。維新から150年を経て、歴史の見直しが求められている。原田氏だけではなく少なからぬ論者が従来の維新観にノーを突き付けてはきている。だが、原田伊織という人物がなんだか幕末のサムライをほうふつとさせるところが他と違う。尤も、すでに作り上げられた偶像を壊すには並大抵の力では足りない。その意味では著者には三匹目、四匹目のどじょうを狙って貰いたいし、小説の分野でも安部龍太郎『維新の肖像』のような新しい維新観に立脚したものが続出してほしい。(2016・3・28)
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【145】割腹前夜に何を彼は考えていたかー三島由紀夫『命売ります』
三島由紀夫の『命売ります』という題名の本が売れているというので、アマゾンで注文して読んだ。書店で購入する場合と違って中身があまりわからないままに購入してしまい、放置してしまうことが多いなかで、これはしっかりと読めた。要するに彼のものとしては気楽に読めるエンタテインメントである。三島本人も「小説の主人公といふものは、ものすごい意思の強烈な人間のはうがいいか、万事スイスイ、成行まかせの任意の人間のはうがいいのか、については、むかしから議論があります。前者にこだはると物語が限定され、後者に失すると骨無し小説になります。しかし、今度私の書かうと思ってゐるのは、後者のはうです。今風の言葉だと、サイケデリック冒険小説とでもいふのでせうか?」と「作者の言葉」を寄せている▼この本は昭和43年5月から10月まで週刊誌「プレイボーイ」に連載されたものが12月に単行本として出版された。あの自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹自殺事件が起こるほぼ2年前。すでに当時、同志の学生たちと血盟状を作成したり、自衛隊への体験入隊をするなど着々とことを起こす準備を進めていた時期にあたる。それゆえ、単なるエンタメというよりも、形は「サイケデリック冒険小説」の装いを取りながら、その実、解説で種村季弘が書いているように「小説家三島由紀夫その人の生身の魂の告白が、あからさまに吐露されている」ものだと思われる▼尤も、主人公の羽仁男が襲われる「荒涼たる孤独感」や「寄る辺のない不安」と、その果てに行きつく、一度捨てたはずの「生」への執着、「凡庸な生に対する餓渇に近いあこがれの感情」などをあの当時の三島が抱いていたと思うことはそれなりの勇気がいる。通常イメージされる三島由紀夫とは無縁のものと思われるからだ。それだけに、種村の推測に身をゆだねることは極めて興味深い。確かに「骨無し」ではあるものの、一刀両断には判じがたしたたかさを持った本だともいえようか▼昭和45年11月に彼が自殺をしたときに真っ先に抱いたのは「なんでそんなバカなことをするのか」との憤りに彩られた凡庸な思いだった。あれから45年余の歳月が経った。三島由紀夫ありせば90歳を超えているはず。老いさらばえたすがたを人に見せることをせず、輝いたままの精神と肉体を印象付けたいとの彼の思いはおそらく成功したといえるのだろう。しかしながら、命は「売る」ものでも、「買う」ものでもなく、「使う」ものだとの本来の観点にたてば、迫りくる老いの中でも懸命に「使命を果たす」姿のほうが、凡愚な私には尊いものに思われる。(2016・3・26)
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【144】日本人キリスト者に欠ける視点ー三谷隆正『幸福論』
新しい友との出会いはいつもながら嬉しいものだ。その友から三度目に会った時に本を頂いた。三谷隆正『幸福論』である。同名のタイトルのものはヒルティやアランが書いている。それなりに読んだことがあるが、三谷隆正のそれは初めてだ。秀れた法哲学者で無教会キリスト者でもあった三谷の人生は1889年~1944年というから、明治半ばから先の大戦の敗北寸前まで生きていたことになる。終戦直後に生まれた私にとってちょうど前の時代の人で、リレーでいえばバトンを渡された世代だ。19歳で日蓮仏法の門に入った私はこれまでいろいろな本に出会ってきたが、この種のものはいささか食傷気味であった。それが読む気になったのは巻末に添えてあった座談会「三谷隆正先生の人と思想」であった▼南原繁、丸山真男、前田陽一、武田清子ら碩学による追憶談義は、三谷という人物をくまなく描き出すとともに、明治から大正、昭和にかけての時代の教養主義を生き生きと表現している。とくに大正教養主義といわれるものが宗教的な流れと人道主義的なものとに分かれているとの指摘は興味深い。同時にまた本文中における二つの世界観を対比したくだりにも惹きつけられた。「古代から現代にいたるまでの智者とも賢者ともいわれるような人々の世界観は、大略二つに分けられる」としたうえで、三谷は「一つはギリシア的教養を以て身を鎧うたる人々にして、基督教的信仰を持たない者の世界観」で、「もう一つは活きた基督教的信仰によって支えられたる世界観」だとしているところだ。勿論、キリスト者の彼は後者のみが「強靭なる積極的人生観と不撓の希望とを持っている」と断じ、「前者は例外なしに究極は厭世主義」と切り捨てている▼敬虔な宗教者らしい真摯な生き方が随所に顔を出して好感は持てるものの、東洋の思想への言及が際立って少ないことは気にかかる。尤も、一か所だけだが真正面から触れられている。「汎神論的主知主義が東洋古今の幸福論を顕著に性格づけている」(208頁)との前後の数行である。「果たして見ることは愛することにまさりて祝福の源であろうか」とか、「静に座して栄光の神を観てよろこぶというような味楽の境地でなくて、起って全身全霊を神の聖前に投げることでなければならぬ」との表現に、抑え気味ながらも東洋思想への批判のまなざしが見て取れよう。しかし、日本人の書いた「幸福論」に仏教や東洋思想への思い入れがなく、キリスト教や西洋哲学への憧れや関心しか見てとれないところに、私などは時代と人の限界を感じてしまうのである▼さて、この本を私に薦めた人とは、だれか。須曽淳麿というほぼ私と同世代の人である。同志社大を出て大塚製薬に入社した後に、早稲田大でも学んで修士となり、やがて刻苦勉励を重ね、55歳にして順天堂大学医学部で博士号を取得するという向学の志きわめて熱き人である。三谷隆正とは遠縁にあたられるとのこと。ある友人を介して、つい数週間前に会ったばかり。真っ赤なマフラーを首に巻いたうえに濃紺のハットを被って。約束の場所・新橋駅前のデゴイチの脇から、初めて現れたあのときはおよそ怪人物に見えた。「努力は肥料、苦労は農薬」という言葉を好んで口にされるようなこの御仁はなかなかの懐深き人と思われる。これからの出会いが無性に楽しくまたれる。(2016・3・9)
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