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【120】技術革新の進む時代だからこそ━━島内景二『源氏物語に学ぶ十三の知恵』を読む(下)/3-18

 次に、著者の島内さんは「自分が自分であるために」(第9回)のなかで、源氏物語が「自分さがしの物語」であることを再確認する。そして、3回続けて「宝物はどこにあるのか」(第10回)、「宝物に学ぶ人生」(11回)、「宝物を問い直す」(第12回)と、源氏物語が「宝物さがしの物語」でもあることを強調。最後に、「源氏物語と共に未来へ」(第13回)で、この物語が日本文化の至宝であることを力説する。その上で、それが受けいれられていない日本の現状をどう打開するかに論及している。ここで著者は、源氏物語が人生を生きる上で、いかに貴重な教訓を提示しているかについて、繰り返す。例えば、「2つで1セットの宝物は1つも失うな」とか、「宝物は正しく扱わないと失われる」やら「大きな宝物は小さな宝物を引き寄せる」など、キーワードとしての「宝物」に注目しているのである。結論的に、幸福は良好な人間関係の継続にあり、それをもたらすことが出来るものこそ「宝物」だとしているのだ◆源氏物語は54帖にも及ぶ大河小説だが、中心人物は光源氏であり、藤壺である。この物語は光源氏が出家し表舞台から消えるまでを正編に、その後の子や孫のことを描く42帖から最後までを続編とする。(他に、正編を光源氏が40歳になった「若菜」巻で区切って1部と2部に分け、続編と合わせ3部構成とする捉え方もある)。正編の1部では通常の人間では手にできない栄華を極めた時期を経て、2部でやがて零落していく光源氏の物語を追い、紫式部は読者にさまざまな人生の教訓を提示していく。江戸時代中期まではその教訓を金科玉条のように大事にし、多くの人びとは生きる上での糧にしてきた。だがそれを覆し、日本古来からの生き方(もののあはれ=大和魂の強調)に立ち戻れと言ったのが本居宣長であり、それをも伝統的な「教訓読み」は包含したと見る立場に島内さんは依拠する。光源氏が退場したあと、続編の「宇治十帖」では柏木から薫、浮舟といった後継の登場の場面へと移り、その顛末は未消化のまま幕を閉じる。この結末については、中途半端だと見る向きもあるが、自分さがし、宝物さがしは読者にゆだねるべく、紫式部はわざと突き放しているとの見方がなされる◆最終の第13回で、島内さんは大学時代に源氏物語研究の権威である秋山虔氏から「源氏物語を原文で読みたければ北村季吟の『湖月抄』を買いなさい。できれば本居宣長の説を追加した『増註・湖月抄』があればベストですね」と言われたエピソードを紹介。その通りに実行して原文を読んだ結果、「私の人生は大きく変わった。源氏物語を読むことで生まれ変わった」という。そして「ここには人生と文化、文明を導く知恵がぎっしりと詰まっていて、何でも創造できる。源氏物語こそ、最大の力である。まさに日本文化の至宝である」とまで絶賛する。さらにその宝物を、AIが発達した、「技術革新が起きている今こそ原文で理解できる好機である」とする一方、「千年間の豊饒な読みを未来に伝える『提供の方法』を、これからも模索したい」と決意を披瀝する◆私自身は、源氏物語の原文に幾たびか挑戦しようとはしたものの、途中で投げ出してしまい、何人かの現代語訳を齧っただけ。「教訓読み」にはもとより食指が動かない。むしろ本居宣長の「もののあはれ」論に興味を持つ。しかし、明治維新から今日までの、二度の「77年の興亡」における、キリスト教・西洋思想との相剋のなかで、「大和魂=大和心」は誤解、曲解されてきた。明治維新における「リセット」の役割はひとまず成功したが、先の大戦にいたるまでの流れでは見事に失敗。そして戦後も未だ正しい位置を得ていないように思われる。それゆえ、「第三の77年の興亡」の始まりにあたって、もう一度、〝源氏物語の復興〟を考えるのは面白いと思われる。かつて藤原俊成が「源氏見ざる歌詠みは、遺恨のことなり」と言ったが、現代日本では、「源氏読まざる小説家は遺恨のことなり」の段階にとどまっており、幅広い大衆のものとなるにはまだほど遠い。島内さんが問いかけた、今の日本にとって必要なものは、「和の思想なのか、リセットの思想なのか、それとも第三の思想なのか」については、私は第三の思想であると確信している。その中身については、また別の機会に述べたい。(2024-3-18)

 

 

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【119】「もののあはれ」と大和心の思想性━━島内景ニ『源氏物語に学ぶ十三の知恵』を読む(中)/3-12

 それにしても島内さんの源氏物語への入れ込み様は凄まじい。「人生の知恵」と「今を生きる知恵」がたっぷり詰まっているうえ、光源氏は「人類の象徴であり、人間の生き方の象徴」だとまでいう。前回は、基本的な読み方を誤ると、紫式部が意図したことと正反対の方向に堕しかねないとされていることに触れた。その視点から歴代の注釈書に迫ることで、源氏物語がいかに「教訓」を示しているものかをみたのである。今回は、⑤から⑧までの4つの章を取り上げるが、それぞれの標題とポイントを挙げてみよう。⑤は「和」の精神で楽しく生きることが、標題で、そのポイントは、象徴天皇制にみる「和」のシステムだという。以下、⑥正しい生き方とは、平和につながる生き方のこと⑦心をえぐる笑いとは、気持ちよく笑うこと⑧リセットの荒技あってこそとは、新しい文化を生み出すDNAを意味する──ということになろうか。その中で、一条兼良の『花鳥余情』、宗祇による「古今伝授」、北村季吟の『増註・湖月抄』などの注釈書や教えに触れている。そして、その挙句にリセッター(壊し屋)としての本居宣長が登場するのだ◆宣長は1730年から1801年まで生きた人である。まさに江戸時代中期。源氏物語が誕生した頃から続いた激動の時代とは対照的な「平和」を謳歌した時代だった。宣長は、平和に安住する同時代人の安逸を覆そうと、その著作『玉の小櫛』で、源氏物語の読み方を根底から見直した。700年ほど続いた「教訓読み」の時代は、⑤⑥⑦で示されたように、「和」「平和」「笑い」を中心に据えた「和学」の時代であり、その本質は、神道と仏教の神仏習合に、儒教や道教が加わって出来た「異文化和合」であるとされた。宣長はその捉え方は誤りだとして、異文化を排除した純粋な「国学」への回帰を主張したのである。◆その考え方の中核は「もののあはれ」であった。島内さんはこれこそ「大和魂=大和心」と同義であるとし、その精神を代表する和歌こそ「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」に尽きる、という。「山桜花のように美しいものを守るためには、自分の命さえ捨てても後悔はしない、そういう激しく純粋な心を意味する」のだ、と。源氏物語にその核心が込められているとみる、宣長の「もののあはれ」論は、従来からの「和学」と対立するものではあったが、最終的に『増註・湖月抄』のなかに取り込まれていく。これがまた、徳川300年の眠りを覚まし、結果として「『倒幕』と『攘夷』の大変動──瓦解──を呼び込んだ」明治維新に繋がっていく◆こうした日本における思想対立の淵源が源氏物語にあるとの見方は、一般的にはあまり定着していない。思想の書というよりもあくまで小説だとの位置付けが強いからだろう。しかし、明治維新をもたらした起爆剤が宣長の思想にあり、やがてそれが西洋の思想と対立する日本の思想の根幹を形成していったことを認める向きは圧倒的に多い。このズレ、落差をどう埋めるか。著者は、第8章の最後で、今の日本に必要なものは、「『和』の思想なのか、『リセット』の思想なのか、それとも第三の思想なのか」と問いかけ、その答えを導くカギが源氏物語にあると断定している。「21世紀の日本文化の再生と創造に、最も必要な『教訓』を、源氏物語から呼び出そうではないか」と呼びかける一方、「現代の教訓読み」の重要性を強調しているのだ。(2024-3-12  以下、下に続く)

 

 

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【118】宝の山を探り当てるか、背徳の書に溺れるか━━島内景ニ『源氏物語に学ぶ十三の知恵』を読む(上)/3-5

 今年のNHK 大河ドラマ『光る君へ』は、ご存じ『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を取り上げている。今のところ毎週見て楽しんでいる。昨年の「家康」、その前の「頼朝」のように、戦闘に明け暮れた「武士の世界」ではなく、女性しかも文人の目から見た「貴族の社会」を描いて興味深い。権謀術数の数々に辟易しつつも、次第に引き込まれている。そんな折に、手元にあったNHKの『こころをよむシリーズ』のテキスト(2017-1〜3)を引っ張り出して読んだ。著者の島内景二って人は国文学者にして電気通信大教授。テレビで見ることの多い、徒然草や方丈記の研究で知られる島内裕子さんは女房殿。いかにも親しげに云ったが面識はない。放送大学の講義でお顔を見ただけだが、千年ほど前の女御を彷彿とさせられ、ほっこりする。このおふたり、国文学が結んだおしどり学者夫婦だと勝手に想像している◆さて、この著書は『源氏物語』の手引書として役立つ。古典は原作にあたれ、解説書なんか無用との〝賢人のご忠告〟は良く分かる。だが、愚人の務めとして敢えて紹介したい。日本最古の、世界に名声轟く、長編小説『源氏物語』の所以は何かと。このテキストを三等分して、まず第一回から第四回目までを一つにして取り上げてみたい。4つの章のタイトルとそのエッセンスは①源氏物語から大いに学ぼう(複雑怪奇な人生からの学び)②積み重ねることの大切さ(異文化の積み重ねからの学び)③世界とのつながりを見つけよう(人間関係の絆の発見)④輝く人こそ影がある(人の多面性を見抜く)──といったものになろう。著者によると、この物語は小説の糸(ストーリーを追う)と評論の糸(コメントを楽しむ)とが絶妙に織り交ぜられているという。生真面目な私などからすれば、前者は怪しすぎて疎ましいし、後者は面白くてためになる◆前半部分で最大の読みどころは、教養の崩壊現象とでも言うべきものが起きている21世紀の日本では、「文学は何の役に立つのか?」であり、「源氏物語」は今日、世の中の役に立っているのか?」と著者が問いかけているくだりである。これは言い換えると、歴史的事実と文学的虚構との違いであり、ドキュメント、ノンフィクションとドラマ、フィクションと、どちらが人間の世界をよりよく明らかにするか、との問題設定にもつながる。著者は、紫式部が「真実には、限界がある。あるいは、虚構というかたちでしか語れない『人間の真実』がある」と、光源氏の口を借りて言わせているというのである。ここは実に重要なポイントだろう。一般的に、真実と虚構を立てわけ、ウソかまことかと単純に裁断してしまう傾向がある。島内さんは読者がその落し穴に陥ってはいけないことを強調していると思われる。「虚構の力を利用して『人間の心』の真実を明らかにしよう」というのが紫式部の戦略だということに気づけというのだ◆この本で私が新たに気づいたことが2つほどある。一つは、源氏物語の最初の本格的な注釈書としての四辻善成の『河海抄』(かかいしょう)の存在である。ここには源氏物語には、「君臣の交わり」(主君と従者の忠義の道)、「仁義の道」(人間社会の道徳)、「好色の媒」(なかだち=夫婦や男女の結びつき)、「菩提の縁」(極楽往生するための道心)など、「ありとあらゆる人間関係の教訓」がとかれている、と。確かにそうだ。二つには、九条稙通の『孟津抄』(もうしんしょう)や北村季吟の『湖月抄』(こげつしょう)など後年の注釈書の役割である。例えば、前者では源氏物語は、安易な気持ちでなく、しっかりした心持ちで、「盛者必衰の理(ことわり)」を胸に秘めて読めと言っている。安易な気持ちだと、好色の勧めだと錯覚し、人の道を踏み誤りかねないと忠告しているのだ。これもまた重要である。まるで注釈書の解釈本を読んだようだが、源氏物語という小説は〝宝の山〟ではあるが、読みようによっては正反対の〝不道徳の手引き〟ともいえる「背徳の書」だとも捉えられかねない。このことはしっかりと銘記されるべきだと思われる。(一部修正 2024-3-9)

 

 

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【117】全てディープステートのせいとする主張━━秦正樹『陰謀論 民主主義を揺るがすメカニズム』を読む/2-26

 11月に行われる米大統領選挙に向けた共和党の予備選挙で、ドナルド・トランプ前大統領が連戦連勝を続けている。本選挙で民主党のジョー・バイデン大統領との再対決の公算が高まってきているとの報道が専らである。トランプ氏といえば、2021年1月6日に起きたアメリカ連邦議会襲撃事件に深く関わっていることを思い出す。前年の大統領選において「選挙不正」があったと訴えるトランプ氏に共鳴した支持者たちが、バイデン大統領の就任を阻止せんと暴挙に出たものだった。この行為の背景に、事件の首謀者たちが「Qアノン」と呼ばれる陰謀論を妄信していたこともまた既に多くのメデイアが報じている通りである◆この動きと呼応するかのように、日本にあってもトランプ氏絡みの陰謀論的な主張を支持する人びとは少なからずいる。また、新型コロナ禍の中にあって、ワクチン接種をめぐっての陰謀論も散見されたことは記憶に新しい。かねてから気になっていたこの問題について、標題の本を読むに至ったのは去年1月に民法テレビで思想家で著名な先崎彰容氏(日大教授)との対談(「陰謀論の正体と危険度」)を観たからだが、「今なぜ陰謀論か」「どう対応すべきか」を考える上で、とても大事な本であることを認識した。この本の特徴は、日本の陰謀論の実態の実証的研究の上に立って、陰謀論が受容されていくメカニズムを解説していることである。個人の政治観やメデイア利用との関連を追う一方で、どう対抗措置をとることが「民主主義の病」を予防できるかまでを丁寧に説いていることが注目される◆陰謀論をめぐって、この本では、幾つかの注意すべき発信源を挙げた上で、「私たちが最も気をつけるべき存在は、もっと公的な存在、すなわち政治家や政党ではないだろうか」と、警告している。そして、具体例として、ノンフィクションライターの石戸諭氏が「中国の軍事研究『千人計画』に日本学術会議が積極的に関わっている」とした陰謀論を取り上げて、その拡散に、「自民党元幹事長の甘利明が大きく関わっていたこと」を指摘している。これは後に、日本学術会議の関与について明確な根拠はなかったことが判明した。だが、甘利氏は「日本学術会議と中国千人計画は『裏でつながっている』とする主張をした」。その結果、「反中国的態度を持つ右派的な支持者たちを中心に広く拡散される事態となった」という。このくだりは全体的に抑制したトーンの中で、際立つケースだと見られよう◆大統領自らが陰謀論の先頭に立つかの如き動きをし、「分断」の音頭取りと見られる行為を率先してやっている米国の場合と違って、日本は未だそこまではいっていない。だが、土壌は深く広く耕されつつあるかに思われる。とりわけ、「ディープ・ステート(deep state)と呼ばれる闇の秘密結社の暗躍がすべての『元凶』であると指摘する」人びとは増えつつあるように思える。この主張の日本代表は、元ウクライナ大使だった作家、評論家の馬淵睦夫氏である。この人は、4年前のバイデンの当選は不正選挙だと断言するなど、トランプ支持を広言して憚らない。ウクライナ戦争も、ロシア対ディープステートの戦いだとし、ロシア革命から、共産中国の誕生を経て、朝鮮戦争からベトナム戦争や、米大統領不正選挙からウクライナ戦争まで一貫しているとの立場だ。私の友人にも彼の本を愛読し、ユーチューブを見逃さず、断じて陰謀論ではないと固執する人がいる。また昨年末、彼の講演会が姫路で開かれ、日本の現状を憂える多くの人々が集まったとも聞く。著者は、終章の末尾で「『何事もほどほどに』という教訓について触れた。それに加えて、『自分の中の正しさを過剰に求めすぎない』という姿勢こそが、今の社会に求められているように感じられてならない」と結んでいる。同感する。(2024-2-26)

 

 

 

 

 

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【116 】ふらつく異教徒へのヒント━━芥川龍之介『さまよえる猶太人』を読む/2-19

 ユダヤ人という言葉から何を連想するか。私たちの世代では、一にヒトラー・ナチスの虐殺の被害民族。二に中東の軍事大国イスラエル。三に、イザヤ・ベンダサンこと山本七平の著した『日本人とユダヤ人』と云ったところか。今はまた、パレスチナ・ガザ地域での戦闘状態が気掛かりだが、私が標題の芥川の短編を手に取って読み、ここに読書録を書くことになったきっかけは、前々回に取り上げた『人間と宗教──日本人の心の基軸』を読んだことによる。寺島実郎さんが第一章「人類史における宗教」で、この書をイエス・キリストを考える中で、突然に思い出したものとしてあげている。ご縁を実感し、読んだ◆芥川はここで、キリストへの2つの疑問について取り上げている。2つの疑問のうち1つ目は、さまよえる猶太人が日本にも渡来したかどうかという事実上の問題。もう1つは、イエス・キリストを十字架にかけられるよう追いやった人間は恐らく数え切れない程多かったはず。「それが何故、彼ひとりクリストの呪を負ったのであろう」か。また、「この『何故』には、どう云う解釈が与えられているのであろう」──この2つの疑問への答えが偶然発見された古文書によって解決された、という。ゴルゴダの丘の刑場に曳かれていく途上、キリストはしばらく息を入れようと立ち止まった。その時に群集心理に悪乗りしてヨセフという男が小突き回した。キリストは「行けというなら、行かぬでもないが、その代り、その方はわしの帰るまで、待って居れよ」と言った。この「一言がヨセフの運命を変えたどころか、人類史を変えたとさえいえる」(寺島実郎)というのだが、その罪をひとりヨセフが何故背負うのか◆古文書によると、「御主を辱めた罪を知っているものは、それがしひとりでござろう。罪を知ればこそ、呪もかかったのでござる。罪を罪とも思わぬものに、天の罰が下ろうようがござらぬ。云わば、御主を磔柱にかけた罪は、それがしひとりが負うたようなものでござる。但し罰をうければこそ、贖いもあると云う次第ゆえ、やがて御主の救抜を蒙るのも、それがしひとりにきわまりました。罪を罪と知るものには、総じて罪と贖いとが、ひとつに天から下るものでござる」という。罪を罪と知るものだけが罪と贖いの所産を一緒に得られるというのなら、皆こぞって自身のおかした罪と向き合うことになるというわけだろう◆アイルランドのノーベル賞作家であるサミュエル・ベケットの作品に『ゴドーを待ちながら』という戯曲がある。ポストモダンの究極と云われる作品で、ただひたすらゴドーという存在がやってくるのを待つと云うだけの芝居である。かつてこの読書録でも取り上げたが、いささか戸惑いが残った中身だったように思えた。だが、今この短編を読んで、「ゴドーを待つ」と云うのは、ヨセフに触発された「さまよえる猶太人」から始まって、世界のイエス・キリストの再誕を信ずる人々の心理を表現したものかもしれないと、思わないでもない。日蓮仏法徒の私にとっては、法華経を信じるか信じないか、その罪と罰を巡って、大いに悩んできたテーマと共通する。信じている者が不信の罪を蒙り、信じていない者には無縁だというのはどういうことかとの疑問である。異教とはいえ、原理的には同じ仕組みのもとにあるといえよう。このヒントを得て、豊かな心持ちを抱くに至った。(2024-2-19)

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【115】「国体の本義」は蘇るのか━━佐藤優『日本国家の神髄』を再読する/2-13

●正統派保守思想の源流からの読み解き

 2017年3月。安倍政権が復活してから4年ほど経っていた頃のこと。日本史の表面から消えていたはずの「教育勅語」が蘇った。「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」という「閣議決定」がなされたのである。「教育勅語」が誕生したのは明治22年(1890年)の明治憲法の発布と同時だった。以後、軍国日本の精神的支柱となった「国家神道」の具体的な展開の手立てとしての役割を果たすのだが、1945年の敗戦によって、天皇の人間宣言と共に、その奉読は禁止(1946年10月)され、その存在は消えたかに見えた。しかし、米国による占領主体のGHQによって強制的に差配されたものの、その根源は断ち切られていなかった。象徴天皇制や戦後民主主義が新たな憲法によって、広く知られても国家の神髄とでもいえるものは埋み火のように社会の地層に残っていた。「教育勅語」は中軸で、その実体こそ昭和12年(1937年)に文部官僚らによって編纂された『国体の本義』だったのだ。

 元外交官で作家の佐藤優氏が類い稀な思想家であることはよく知られている。その佐藤さんが国家神道の魂的存在である『国体の本義』の解説に取り組んだ本がこれである。出版は冒頭に触れた閣議決定の3年前。安倍首相再登場の1年後だった。キリスト教プロテスタントの彼が北畠親房の『神皇正統記』を中心にいわゆる右翼イデオローグたちと議論を重ねていることは、私も見聞きするに及んでいた。が、『国体の本義』にまで関心が及ばず放置していた。佐藤氏がこの書を読み解く必要性を痛感し、行動に移したのは日本のこれからの有り様に大いなる危惧を抱いたからに違いない。「新自由主義」の台頭や、ヘイトスピーチ、排外主義などの伝統的保守思想に潜む病理への危機意識が引き金となった。「正統派保守思想」の源流に立ち返り、誤れるまがい物的保守の生きかたを糾そうとしたのだと睨む。

●外来思想を土着化する重要性

 『国体の本義』の中で、天皇については、「高天原の神々と直結して」おり、「重要なことは知(智)、徳、力という世俗的基準で皇統を評価してはならない」うえ、「そのような人知を超越する存在なのである」と位置付けている。この書が基盤にあって、天皇の軍隊が行動を起こした。軍隊と天皇の関係にどう触れているかが気になるところだが、最終章に僅かに論及されているだけ。物足りない。読み解く対象としての「国体の本義」に、「軍事に関する記述は短い」のなら、そこは補ってほしかった。「高天原に対応する大日本がその領域である。従って、日本の軍隊は世界制覇の野望などそもそももっていない」といわれても、現実の動きに照らして困惑は禁じ得ない。天皇と軍隊にまつわる基本的な疑問の解消には結びつかない。

 ただ、日本の思想史的課題についての言及はわかりやすい。日本文明の特徴は、外来の思想を取り入れて、これを換骨奪胎し、日本風のものに取り込んできたことにある。仏教や儒教もインド、中国から外来思想として入ってきた。それが同化され日本独自のものへと変容していった。明治維新以降の近代化においても、西洋列強による植民地化の脅威をかわしつつ、その思想を懸命に取り入れ同化する取り組みに励んできたのだ。その結果はどうだったか。「国体の本義」の書き手たちは、遡ることほぼ半世紀の間における、個人主義、自由主義、合理主義の徒らな氾濫を厳しく自省する。既に1931年(昭和6年)の柳条湖事件からいわゆる「15年戦争」に突入していた日本は、その戦意を高め戦闘態勢を整える上で、自堕落な人間形成をもたらす西洋思想の受容の失敗は我慢ならなかったと思われる。

 いらい、敗戦を経て90年余。佐藤氏は「1930年代にわれわれの先輩が思想的に断罪した『古い思想』(すなわち、個人主義、自由主義、合理主義)が二十一世紀の日本で新自由主義という形態で反復した」という。日本お得意の外来思想の受容が、うまく行かず失敗した。ではどうするか。佐藤氏は、日本人と日本国家が生き残るために日本をどう捉えるかが焦眉の課題であるとし、「日本の国体に基づいた外来思想を土着化する必要がある」と強調するのだ。要するに、西洋思想を日本風に捉え直す作業を急がないと、国家神道の再起をもたらすだけだと言っているように、私には聞こえてくる。

【他生のご縁 『創価学会と平和主義』で私の発言が引用される】

 佐藤氏は、私を『創価学会と平和主義』(朝日新書)を始め、『世界宗教の条件とは何か』サイト版(潮出版社)などの媒体で取り上げています。いずれも鈴木宗男衆議院議員(当時)や佐藤氏との関係についての衆議院予算委員会証人喚問での私の発言に関するものです。

 「あやまちを改めるに憚ることなかれ」を私が実践したことを過大に評価されたわけで、面はゆい限りです。世界宗教としての創価学会SGIが世界広宣流布の展開に本格的な取り組みを強める上で、この人の「キリスト教指南」が一段と重要性を増すに違いないと思われます。

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【114】不気味な国家神道復権の動き━━寺島実郎『人間と宗教 あるいは日本人の心の基軸』を読む(下)/2-7

 

 著者は最終章「現代日本人心の所在地」の中で、「憲法改正の動きと関連し、令和日本のテーマに『国家神道への郷愁と復権という難題』が浮上しているから」、その教科書としての、昭和19年(1944年)文部省編纂の『高等科國史』(復刻版)を読むよう薦めている。ここには明治期日本の教育の基軸であった「教育勅語」が反映し、「外来思想排除」の論理が繰り返し登場する。この問題の淵源は、江戸時代中期の本居宣長の「やまとごころ」を恣意的に使ったことに起因する。明治維新の背景的思想へと変化し、やがて戦前の「皇国日本」の基軸になった。江戸期国学から国家神道への一本道が鮮やかに描かれて、興味深い◆戦後日本は敗戦から米国占領を受け、一転して経済中心の国家運営になり、宗教性は極端に希薄となった。勿論、この間に日蓮仏法を基底に持つ創価学会によって宗教的「中道」の展開が浸透していったのだが、筆者はそれにはまったく触れてはいない。時代の潮流としては未だ記述するだけに至っていないと見ているのだろう。むしろ、「宗教性の希薄な日本の間隙を衝くように、国家神道を掲げた戦前への回帰を志向する勢力が天皇親政の神道国家を再興しよう」としていることに警鐘を鳴らす。(2024-2-7)

【他生のご縁 憲法調査会での参考人質疑から】

 寺島実郎さんとは、衆議院憲法調査会の参考人に来ていただいた時に(2002-5-10)、冒頭私がお互いに団塊の世代前後の人間だとして、親近感を抱きますと述べました。その時の彼の笑顔がとても印象的だったことを明瞭に覚えています。そのあと、次のようなやりとりをしました。まず。一問目は、かつて私が米国に行って講演をした際に、日米間に「二つの失望」があると述べたことから始めました。一つ目は、在日米軍基地縮小政策が滞っていることへの、日本の米国への失望です。もう一つは、安全保障分野において、これ以上、日本は米国の期待に応えられないと言う意味での米国の日本への失望についてです。

 つまり、日米同盟のもとでの協力体制について、両国の国民が抱く認識と期待の間に相当の隔たりがあるとの考えを寺島さんはどう捉えていますか、と訊いたのです。

 これ対して、同氏は非常に大事な質問をいただいたと述べた上で、「安保というものに対する相互リスペクトつまり敬愛がない仕組みを、お互いに変えていかなきゃいけないということが、まず重要なポイントだ」と述べる一方、「日本における米軍の基地のあり方だとか、地位協定の改定だとかいうものをしっかり持ち出して、相互に敬愛できるような仕組みに近づけていこうと、言い出すべきだ」と強調されました。とても、大事な視点だと、思ったものです。

 第二に、国連のアジア本部を沖縄に設置する構想は21世紀前半においてとても重要なことだと思うがどう考えるかと問いました。これには、「例えば、経済協力に関する機関だとか、アジア太平洋地域のエネルギーとか、食糧の国際機関だとかを粘り強く積み上げて誘致して、国連アジア本部というものを日本に引っ張ってくる考え方は実に意味があると思う。要するに、年間40万人の国連関係者が訪れるようなところには、例えば核攻撃はできません。そう言う意味も含めて、今言われたポイントは極めて大事だ」との見解でした。

 あれから21年余。昨年暮に発刊された総合雑誌『世界』の1月号で、寺島さんは、この時の発言とほぼ同じことを「21世紀・未来圏 日本再生の構想」の中で、提案しています。残念ながら、私たち2人のやりとりは実現せぬままに時が過ぎてしまったのです。これで諦めずに、これからも頑張りたいと思っています。(この項終る)

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【113】宗教なき社会の再構築━━寺島実郎『人間と宗教 あるいは日本人の心の基軸』を読む(上)/2-3

 寺島実郎さんといえば、三井物産を経て現在は日本総合研究所会長であり、多摩大学の学長でもある。時に応じて世界の今を切り取り、解説し分析する能力たるや抜群の冴えを見せ、多くの人を惹きつけてやまない。その彼が総合雑誌『世界』に「体験的宗教論」を書き、3年前に出版された。1947年生まれ。いわゆる「団塊の世代」の旗手の一人。若き日より世界を駆けめぐってきた人が思い入れたっぷりに、「宗教の現場」に足を運び身を寄せて論じた。宗教者ではなく、特定の宗教に帰依しているわけでもない、ビジネスと社会科学の世界に生きてきた人が、なぜ宗教か。「世界は宗教に溢れており、本気で意思疎通するには相手の思考回路と精神性を理解する必要があり、宗教は避けて通れない」からだ、という書き出しは迫力十分である◆読む方の私といえば、浄土真宗の門徒に生まれながら、19の歳に日蓮仏法に改宗し、いらい60年が経つ。ほぼ全ての時間をその宗教のリーダーが創始者となった政党の人間として生きてきた。寺島さんを宗教の回遊観測者とするなら、こちらは定点観測者であろう。100を越える国々を深く歩いてきた人と、およそ列島以外を歩いたとは言い難い私は、それでも同時代人として様々な思いを共有する。宗教そのものと格闘してきた時間において、引けを取らないはずとの思いのみを頼りに、「日本人の心の基軸」に肉迫した〝寺島的作業〟に伴走ならぬ後追いをしてみた◆私にとっての「宗教の60年」レースの出発点は「日蓮と親鸞」で、ゴールは「仏教とキリスト教」である。この本の核心も前半のスポットライトは3章「仏教の原点と日本仏教の創造性」と4章「キリスト教の伝来と日本」にあると、読めた。親鸞は妻帯し6人の子どもに恵まれ、長生き(89歳没)をした。弱さと非力。微笑みと人間臭さ。愛欲と名利。筆者の親鸞像は「大地を生きる人間の体温」を感じさせ、どこまでも優しい。一方、日蓮像は人間味を感じさせない。法華経の行者。末法の救済者。国のあり方を問う宗教者。といった風に、世の変革に取り組む修行者イメージ一辺倒である。唯一、「日蓮を心に親鸞を生きた宮沢賢治」という表現に心和む思いを抱く。私は高校時代までは父の背を見ながら念仏を唱えた。やがて法華経を学び親をも改宗させた大学時代。それ以降の自らの宗教体得への道を思うとき、退廃を続ける〝時代の子的側面〟を感じざるを得ない◆阿弥陀仏を口ずさむ者と、妙法蓮華経を唱える人びとの鍔迫り合いが展開されるなか、日本にキリスト教が伝来した。筆者は「それからのキリシタン」において、斬首、火炙り、吊るしなど、ありとあらゆる残酷な手段で、「壮絶な棄教と殉教」を迫られた神父たちの過酷な運命を描く。キリスト者への大量殺戮と集団的狂気に走った日本人をどう見るか。「教義には融通無碍だが、時代の空気には付和雷同するという意味で、日本も恐ろしい国である」との記述は胸に重く響く。戦前の国家神道全盛期に、正法流布に一歩も退かず、弾圧された創価学会の会長ら先達の戦いと対比させつつ読み進めた。あれから80年。宗教から離れたかに見える日本。そこに「国家神道の復権を希求する存在が根強い」との指摘は聞き捨てならない。(2024-2-3 以下続く)

 

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【112】《改訂版》混沌さ増す世界の焦点に肉薄━━高橋和夫『中東の政治』を読む/1-23

 「中東」とは具体的にどこを指すか。著者は一通りの説明を加える。「現在の国名でいうと、北はトルコ、イラン、南はアラビア半島南端のイエメンまでを含む。西地中海から東はイランまでの範囲に入る国々は、全て含まれる。この範囲にイラク、シリア、レバノン、イスラエル、サウジアラビアなどが含まれる。問題はその外側の国々である」と筆をすすめたあと、「北アフリカは含まれる」としながら、具体的に国名を挙げて、入るか入らないか曖昧であるとして、結論的には「中東とは混乱し混沌とした地理概念なのである。曖昧でぼんやりとした弾力性に富んだ地域の広がりを意味する」と半ば放りだす。そうした概念の混沌ぶりを裏書きするかのように、昔も今も「中東」情勢は混沌とし続け、〝世界の火薬庫〟のように見られ続けてきた。

 私がこのほど読み終えた本は、放送大学名誉教授の高橋和夫さんの手になる。高橋さんは知る人ぞ知る放送大学の看板教授である。私は「放送大学の存在」を偶然に知ってより、この人の講座をテレビで繰り返し観るようになり、とりことなった。なぜか。ひと言で言えば、講義が圧倒的に面白く惹きつけられる。時に中東に、アメリカにと現地に足を運び、講義もスタジオだけでなく、あちこちと転戦し、音楽を取り入れ、種々の楽器を持ち込み専門家に演奏させ、聴視者に提供する。変幻自在に飽きさせない講義ぶりに大概の人はファンになる。この本はその講義のテキストだが、放映と必ずしも一致しない。私はこの2年あまりテレビで見聞きした上で、今回漸く紙媒体も制覇した。大いに満足している。

●なぜかパレスチナ問題に言及がない

 ただし、難点が一つある。5年前に出版され、映像は2022年のもの。残念ながら、日進月歩というか日遅月退というべきか、移りゆく国際情勢の最先端を反映していない。つい昨年に、パレスチナのハマスの仕掛けたイスラエル攻撃に端を発した惨状言及がない。テキストは仕方ないにせよ、放送にあっても古い映像内容が出てくるのは口惜しい。元々著者は「パレスチナ問題への言及が比較的に少ない」とまえがきで断っていて、その理由は、これまで既に多くを語ってきている上、「中東の政治=パレスチナ問題」ではないと、明言している。とはいうものの、物足りないのは否めない。だが、15章(放送は45分ずつ15回)の講義には、私もめくるめく思いでページを繰ったと言っても決して言い過ぎではない。国際政治の移り変わりを大学時代から追いかけて60年近い私ゆえ、循環する人間の業とでもいうべきものを学ぶ無意味さを知る一方で、率直に言ってその面白味を捨てられない。あたかも血湧き肉躍る日本の戦国史や国盗り物語を読むのと似ているからである。

 ただ、日本史と中東史の最大の違いはユダヤ人にイスラエル建国の苦闘と、クルド人たちの悲劇の2つが日本史にはないことだといえよう。著者は「民主主義を実践してユダヤ人国家を止めるか、ユダヤ人の支配を続けてアパルトヘイト国家になるのか」と問いかけ、「ユダヤ人国家で民主主義を続ける限りあり得ない。イスラエルが直面するジレンマである」と結ぶ。13章の冒頭に掲げられたイスラエルのリベラル紙「ハーレツ」のブラッドレー・バーストンの「占領がイスラエルを殺す。イランでもハマスでもヘズボッラーでもない」との言葉が重く響く。

 一方、最終章の「クルド民族の戦い」は、イスラエルが国土を持つだけ、まだしもだと思わせる。「死ぬ国ある人はよし クルドらは 死ぬ国を求め今日も死にゆく」と。クルド民族は、3000万人とされ、「国を持たない最大の民族」だという。イラン、イラク、シリア、トルコの国境地帯に国境をまたいで生活している。このクルド人の自治や国家を求める願望は、第一次世界大戦後の英仏を双頭の頂点とする列強の線引きに外されて以来、クルド人の土地は山分けされたままになって、もう100年有余を超えている。ユダヤ人のシオニズムに比べればまだましとはいうまい。「クルド問題はエネルギーを蓄積しながら、次の爆発の時を待ち続けるだろう」との結末の記述もまた暗く重い。(24-1-23)

【他生の縁 放送大の教師と潜り受講生】

 高橋和夫さんの講義をもぐりで受講してきた私は、著者を身近に感じます。講義の感想を手紙で書いて送ったことに対しハガキで返事をいただきました。放送大学開校いらいの講師として、「中東の政治」だけでなく、「現代の国際政治」や「世界の中の日本」など複数の講座を担当されてきました。しかも「中東の政治」は一人で全講義を受け持ってます。

 若い講師が講義ペーパーにしょっちゅう目線を落とすのと違って、全部を誦じての講義ぶりは聞いていて安心できます。かつて議員時代に、イラクに行く機会があったのに、逃してしまった私には中東政治を語る、高橋さんの臨場感溢れる講義が楽しみです。

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【111】「令(うるわ)しく平和に」の思いと共振した『77年の興亡』━━『潮』2月号の対談から/1-16

 新しい年が能登半島大地震と共に明けて1月も中旬。早々に私にとって嬉しい話が飛び込んできました。東京の友人が総合雑誌『潮』(2月号)を電車の中で読んでると、対談の中で私のことが触れられているというのです。急ぎスマホでそのくだりを画像で送って貰いました。連載40回目の『高島礼子の歴史と美を訪ねて』に、中西進さんが登場され、『万葉集』と『古今集』の違いを、国際主義と国粋主義の違いと捉えた上で、自由さと多様性を持った『万葉集』の時代は国際主義であるとの議論を展開されています。今回はいつもと趣向を変えて、この対談から考えたことをまとめてみます◆高島さんは、中西さんの議論を受けて「令和の時代は『万葉集』の時代と同じように、世界に開かれた自由な時代、多様性が輝く時代になっていくかもしれませんね。「令和」という元号の二字自体が『万葉集』の一節から取られていますし‥‥」と発言。中西さんは「そうあってほしいものです。時代というのは螺旋階段のように、同じことをくり返しつつ進んでいくものですから」と続けて、私の著作を持ち出されます。「公明党で長らく代議士を務めて引退された赤松正雄さんが、最近、『77年の興亡』という著書を出されました。これは明治維新から敗戦までが77年で、敗戦から2022(令和四)年までが同じく77年であることに注目して論を進めた内容です」と◆このあと、中西さんは、「いまは、次なる77年の始まりに当たる」わけで、「令和の始まりはまさに日本にとって節目で、戦後の昭和や平成の時代とは大きく変わるのかもしれません」と、ご自身の「令和」という年号にかけられた「希望の光」に言及しています。私は自著において、次なる時代の明るい展開にむけて、その源泉こそ日蓮仏法に裏付けられた中道思想にあることをさりげなく盛り込みました。中西進さんという16歳上の偉大な国文学者が、時代の変遷の中に大いなる期待を込めて、私の着想に共振していただいたことはとても大きな感動を覚えます◆時代の先行きは想像はでき得ても、確たる見通しは持てません。螺旋状的展開を繰り返すと、見定める先達も同様でしょう。そこは「どうなるだろうか」との予測ではなく、「こうしてゆくのだ」との確信が新たなる歴史を形成しゆくカギを握るものと信じます。かつて池田大作先生が、普遍性と土俗性のあいだを往来してきた近代日本の歴史を俯瞰された上で、「第三の偉大なる蘇生の道」を歩み行くことへの展望を後継たちに託されたことを思い起こします。今からちょうど50年前のこと(昭和49年3月3日第15回学生部総会)です。その講演の結論で、先生は「庶民生活の中で風雪に耐え、個人の「真我」の確立を説き、人類普遍の道を開き、現代人の心に巣くう虚無感からの脱出を導く仏法にこそ、新しき確実なる活路を見出すべきだ」と訴えられました。これを銘記して、私もこの一年元気に生き抜きたいと思っています。(2024-1-16)

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