Monthly Archives: 6月 2017

(216)日米中関係ーここまで書いてええんかいなー柳澤協二、伊勢崎賢治、加藤朗『新・日米安保論』

先日、読売テレビ系の人気番組『そこまで言って委員会』を観た。財務、厚労、経産、外務などの元官僚8人ほどが出て、いつもながらの言いたい放題だった。ここで注目したのは元防衛官僚で内閣副官房長官補だった柳澤協二さんの登場であった。辛坊治郎氏に司会がバトンタッチされるまでは、殆ど見たことがなかったので定かではないが、彼の登場は初めてのはず。今兵庫県知事選に出馬しているK氏などはかつてこの番組に出ていたもののあまりにひどい発言連発から降ろされたという。テレビ局としてはそこはきちっと自制を効かせているものと思われる。で、柳澤さんについては、彼が現役時代にあれこれと議論し、助けてもらった仲である。これまで彼の本を幾たびか取り上げても来た。防衛庁、自衛隊の後輩連中からは、「裏切り者」との汚名を浴びせる向きもあるようだが、本人は一向に意に介さない。着実にいい仕事をしていると私は高く評価している。それだけに今の防衛省をどうとらえているかの評論の開陳を期待したが、この日まな板に乗せられたのは前記4省だけだった。宮家邦彦氏が元外務官僚として、外務省を擁護すべきはきちっとしていて好印象だったが、防衛省が対象になっていれば、恐らく彼も同様だったに違いない▼その柳澤氏が、伊勢崎賢治、加藤朗の両氏と組んだ鼎談『新・日米安保論』をこのほど読み終えた。トランプ米大統領の捉え方から始まって「尖閣問題」「対テロ戦争」「北朝鮮と核抑止力」「日米地位協定の歪み」「日本の国家像」の6つのテーマをめぐり、彼の問題提起を受けて、縦横無尽に議論している。文句なしに面白く大変に啓発を受けた。尤も、ここでの真摯な議論の展開の仕方に惹きつけられはしたが、結論めいたものには必ずしも同意できない。そのうえで、印象深かったと言えるのは➀対中国観と今後の東アジア情勢にどう立ち向かうか➁日米地位協定の歪みをただすことの意味の大きさの二つである。中国については、その海外展開の実態と、中国主導の秩序下に日本が入ることが平和をもたらす、としていることに驚いた。まず、中国の対パキスタン戦略。「現在国際社会が固唾を吞んで見守るタリバンと対峙する外交フォーミュラは、アフガン政府、パキスタン政府、アメリカ、そして中国の『四者会議』」であり、パキスタンを「陸の回廊」にすべく着々と手を打ってきている中国は、その首根っこを押さえているという▶パキスタンの南端にあるグワダル港への中国の進出ぶりはかねて注目されてきたが、今やインドを封じ込めるに至るほどの実態だという。この港を使うことで、「直接アフリカ市場、アラビア海にアクセス」できるうえ、その上部にある「黒海、カスピ海の石油市場にアクセスする、中央アジアを突っ切るパイプライン」に直結することが可能だというのだ。この中国の現実を「スーパー・パワーとして認識せよ」という伊勢崎氏は「中国がくしゃみするだけで、アフリカ大陸が風邪をひく、つまり地球規模の人道的危機を引き起こす」し、「アメリカの対テロ戦略を左右する影響力がある」ことを強調している。ある程度知ってはいたが、改めてこう指摘されると、日本の存在などこの地域には皆無なだけに焦燥感が募ってこないと言うと嘘になる▶一方で、中国が今のところ武力を使ってアフリカを軍事占領していない事実を指摘し、かつての欧米諸国に比べて非常に非軍事的なことを力説する。そして、東アジアにおいて中国の軍事力に勝てるわけがない日本が、アメリカの協力がえられないとするならば、平和のためには中国的秩序に入ることを認めるしかないことを強調している。そういう流れに日本が唯々諾々と応じるとは考えにくいのだが、突き詰めていけば、そうでなければ、新たなる日中戦争に突き進むしかないことも論理的には分かる。この結論に至る前提としての「日米同盟の危うさ」が述べられているだけに、なかなか説得力がある。また、いわゆる護憲派が「平和」を振りかざすのなら、例えば、「尖閣」での問題勃発にあたっては身体を張ってでも行動をおこせというくだりは興味深い。この加藤発言にあとの二人が「過激すぎる」と言い合うところなど三者の呼吸が面白い。日米地位協定をめぐる問題は、「後の祭り回想記」に書く予定。ともあれ、「日米安保」が新たな局面に直面した今日において、この分野に関心を持つひとにとって、この本は必見だといえよう。(2017・7・1)

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(215)7-①「天風哲学」に基づく老いへの備えー合田周平『晩節の励み』

k◆「アジア・オープンフォーラムイン台湾」での出会い

 システム工学を専攻する著名な電気通信大の名誉教授。『海洋工学入門』なる著作で毎日出版文化賞を受賞されたひと━━こういった人物紹介では合田周平さんの表部分をとらえたことにしかならない。精神形成の深いところに関わるものとしては、財団法人「天風会」の元理事長を務めた人であり、その団体の創始者で実践哲学者の中村天風の高弟と紹介すべきだろう。初めて私が知り合い、語らったのはもう20年ほど前に遡る。台湾での日台交流の場(「アジア・オープンフォーラム」)であった。「天風会」をめぐって大いに話が盛り上がったことを覚えている。先年、実に久しぶりに東京でお会いしたが、80歳を優に超えておられるにも関わらず、颯爽としておられるように見えた。

 先年、FB上のやりとりで合田さんが『晩節の励み』という本を出版されたことを知り、急ぎ読んだ。読みやすくて、生きるうえで大いに役立つこと請け合いの本である。若者にも、そして年老いた人にも。人生の指針たりうる言葉に満ち溢れている。晩節を汚すことのないようにするための手引きの書でもある。

 実は、私は高校に入ったばかりの頃に、親しかった友人の故西園寺健弘君の紹介で「天風会」に入会した。中村天風そのひとにも一度だけだが、目白・護国寺の天風会館で聴衆のひとりとしてお会いしたこともある。天風会の実践をする研修会にも参加した。というのも西園寺の叔父貴(国際基督教大学の教員だったと記憶する)がやはり天風先生の弟子のひとりだったから、それなりの影響を受けざるを得なかったのだ。後に創価学会に入会していらい、そちらの方とは疎遠になった。この本には「座標軸としての『天風哲学』」、「こころみイズムとは何か」といった門外漢には、少々なじみが薄い口上が並ぶ。しかし、現代中国で人気を誇る京セラの稲盛和夫氏の講演録のさわりが紹介されているあたりから俄然身を乗りすことになる。そう、このひともまた天風門下。合田さんとはいわば兄弟弟子なのである。

◆「尻・肩・腹」の三位一体で事に当たれ

 後半には「八十路の哲学」や「晩節の励み」として「健康長寿」や「逝去の覚悟」といった高年齢者のたしなみめいたものが満載されており、その語り口は万人に適応しそうだ。例えば「悲観的な言葉を発すれば、自分自身も悲観的な気分に沈むことになる」「自他ともに、楽しく愉快になる言葉を口にしよう」といった、どこでも目にする呼びかけから始まり、鏡の前で自分の顔を見ながら「お前、病気を気にしなくなる!」と声を出して強く訴えよ、との自己暗示法に至るまで実に多彩だ。そんななかで「クンバハカ」は一般的にはまだまだ知られていない天風の訓練法のエッセンスである。「肛門を締めながら、肩の力を充分に抜いておろす。そして同時に下腹部に力を充実させる」━━つまり、「尻・肩・腹」の三位を一体として事に当たれ、というのだ。これは簡単のようで意外に難しい。若き日に学びながら未だに身についていない私はよほど不器用なのかもしれない。

 少し前のことだが、面白い”警句連作もどき”のようなものを、日本で唯一の坑道ラドン浴「富栖の里」(姫路市安富町)の食堂の壁の掲示で発見した。「18才と81才の違い」と題した作者不詳のものだが、思わず笑った。「道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才。心がもろいのが18才、骨がもろいのが81才。偏差値が気になるのが18才、血糖値が気になるのが81才。受験戦争を戦っているのが18才、アメリカと戦ったのが81才。恋に溺れるのが18才、風呂で溺れるのが81才。未だ何も知らないのが18才、もう何も覚えていないのが81才……」まだまだ続くが、この辺でやめておく。合田さんに怒られそうだから。尤も、笑いは身体に悪くないから許してもらえるかも。そういう老人にならぬためにも、この本を読む必要があろう。ついでに「17才と71才の違い」と置き換えても、ほとんど似たようなものと、気づくのにあまり時間はかからなかった。そうだ、西園寺が心臓弁膜症で死んだのは17才、高校生のときだった。あっという間に60年ほどが経った。いつまでも17才のままの友を想い続けているから、私は幾つになっても、精神年齢は彼と永遠に別れた歳と同じままなのかもしれない。

【他生のご縁 夏の研修会に参加】

 天風門下には、元プロ野球選手、元大相撲力士から芸能界の有名な方々がいます。先年まで現役だった政治家も名を連ねています。合田さんはそういう人たちを束ねてきたわけですが、とても気さくな話しやすい方です。いわゆる理科系は私にとっては苦手ですが、合田さんとはとても話があいます。それもこれも天風先生に学んだ過去を共有するからでしょう。

 大学一年の夏休みの頃、一度だけ六甲山での天風会の研修会に参加しました。他人の頭の上に手をかざして、左右上下いずれかの方向に顔をかたむかせるという方式で、テレパシー能力開発の初歩的研鑽に取り組んだものです。青春は還らず。何もかもが忘却の彼方。懐かしい思い出ばかりとなりました。

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(214)中道を待望する思い高まるー青木理『日本会議の正体』を読む

とある会場で安倍晋三首相とすれ違ったときのことだ。「赤松さん、こんな会合に来ていいのですか」と、ニヤリと笑いながら彼が私に投げかけてきたことを10年近くたった今、おぼれげながらだが思い出す。私は「日本会議」主催の尖閣列島問題についての対中国・抗議集会に公明党を代表して出席していた。安倍さんとは、故中嶋嶺雄先生がコーディネートしていた「新学而会」なる学者、政治家との懇親・勉強会でときどき一緒になる関係だった。「余計なお世話だ」と思わないでもなかったが、あの時の会場での居心地の悪さが、安倍さんの冒頭のセリフと共に、今もなお私の脳裏に影を落としていることは間違いない。これが「日本会議」と私の出会いなのだが、その後の歳月のなかで、着々と存在感を増しつつあるこの集団が気になっている。そんな折に、書店で見つけたのが青木理『日本会議の正体』である▼元共同通信の記者がフリージャーナリストとして、この集団を追いかけたルポだ。「極右」であり、「超国家主義団体」ではないか。「安倍政権の中枢でますます影響力を強め」ていて、「内閣を牛耳」ってるような組織なのかどうかを探ろうというのが目的だーとプロローグにある。結論はどうなのか。「戦後日本の民主主義を死滅に追い込みかねない悪性ウイルスのようなものではないか」というのが著者の出した答えである。昭和40年代に大学生活を過ごし、人生の曙期を経た私の世代は、良いも悪いも「戦後民主主義」の只中で呼吸してきた。「左翼暴力革命」を夢見る「日本共産党」や「極左」「新左翼」などといった集団、さらにそこに影響を受けてきた「日本社会党」などのイデオロギーに凝り固まった塊とどう対峙するかが常に頭にあった。いらい50年の歳月が流れた。戯画化を厭わずに述べれば、「左」との対決に一応の決着がついたと安堵した瞬間、今度は一転「右」が大きな存在として立ちはだかっているというのが現実である▼「日本会議」は、初代会長がワコールの元会長の塚本幸一氏。今は4代目の田久保忠衛氏。元時事通信の記者で現在は杏林大名誉教授だ。メンバーは硬軟取り混ぜての印象を持つ文字通りの多士済々の面々。元をただせば、宗教法人「生長の家」をルーツに持つ。今はほぼ完全にその手からは離れており、神社本庁があらゆる面でバックアップしているとみてよいようだ。草創の頃は紛れもなく創価学会・公明党の存在を意識していたことは間違いない。今は政権与党の一翼を公明党が担っている分だけ、事情は複雑だが「日本会議」の構成メンバーの深層心理が「公明党嫌い」にあろうことは、言わずもがなであろう。双方がお互いの思惑で利用し合っていると見るのが自然だと思われる▼日本政治史を振り返るときに、左右対決のはざまにあって塗炭の苦しみを味わった民衆の救済に立ち上がったのが創価学会であり、公明党という存在である。今の政治の表面的在り様を見ていると、左翼勢力が立ち枯れている印象は隠しがたく、右翼勢力の鼻息が荒いことは否めない。その根底部分に「日本会議」があることは間違いない。しかし、肝心なことは、民衆の生活安定であり、人生の安寧、安心にどう心を寄せうるかということである。「左」の没落の後に来るものが、「右」あるいは「極右」の戦前回帰の国家主義などになることは真っ平ごめん蒙りたい。左右双方を止揚したところに立脚した中道主義。そこに原点があることを片時も忘れずに、日常的な政治、政策展開をしていかねば、と深く心に期している。憲法改正論議のリードの仕方など強かな印象を強める安倍晋三首相を思うにつけ、右急旋回を用心し、ストッパーの役割を公明党は忘れてはならぬと自戒したい。(2017・6・15)

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(213)こういう本がなぜベストセラーかの謎ー呉座勇一『応仁の乱』を読む

 

つくづく現代日本は歴史好きが多いのだと思う。いや、正確に言うとごく一部の歴史好きの連中を大きく引っ張ろうとする出版ジャーナリズムの策謀が根強いというべきか。呉座勇一『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』なる新書がベストセラーになっているとの噂を聞いて、読もうとしたのだが、私としては、およそ歯がたたないために辟易したと告白しておく。いや、これも正確を期すと、日本史とりわけ室町期に明るくない普通の読者にとっては、という注釈が必要だろう。それというのも私の先輩筋の友人で、歴史に明るいと自他ともに認めるF氏においては、「この本は凄い、奈良から見た応仁の乱はこれが初めて。実に面白い」と絶賛していたからだ。で、この本の読後録をスタートするにあたって、正確を期す。室町時代に関心を持つなら、この本の前に改めて、「応仁の乱」前後の歴史をおさらいしてから読まれるべきだ、と。それをした後なら、面白い。確かに■実は、先週末、上京する機会があり、昔ながらの友人数人と久しぶりに会って懇談した。その余韻を残しつつ東京を離れたのだが、京都で途中下車してこれまた古くからの友人O夫妻(夫は鳥羽、夫人は横浜在住)と会うことにした。この友人たるや奈良、京都を訪れること500回をくだらないという大変な御仁。彼に連れられて、私も善光寺参りならぬ諸々の寺社詣りに手を染めた。しかも10回は優に超える身であることもまた告白しておく。今回は、また偶然ながら(つまり彼は私が『応仁の乱』を読んだ直後の京都旅だとは知らない)、上七軒近くの料理屋で落ち合った。食後に足を運んだのがすぐ傍にある大報恩寺。西陣地区のど真ん中に位置する通称「千本釈迦堂」である。今までもそうだが、私は過去にこの友人に連れられて名だたるお寺や神社に行っても、自慢じゃないが殆どその由来やら歴史的価値を知らない。恥ずかしい限りだが、これまで関心を敢えて封印してきたのだ。このお寺のことも勿論知らなかった。彼も私の”神社仏閣音痴”を知り抜いているゆえか、深いところを説明せず、「おかめ塚」についてのみあれこれと紹介してくれた■京都から帰って、私は思い直して井沢元彦『逆説の日本史➇中世混沌遍』を改めて読み直してみた。数年前にこのシリーズにはまりしゃにむに読んだものだが、この大乱をめぐるくだりを含めて、ものの見事にきれいさっぱり忘れていた。大法恩寺がなぜ国宝なのか、大乱時にどういう役割を果たしたのか、全部丁寧に書いてあった。つまりかつて私も読んでいたのだ。すなわち、大乱で洛中のほとんどが焼けつくし、このお寺ぐらいしか残らなかったということ、そして山名宗全率いる西軍が陣をしいたのがここであったことなどなど。国宝になった由縁である。誰も訪れる人がいなかった数日前の静寂そのものお寺を、550年前の往事を偲びながら思い起こしたのも一興ではあったと述べておく■そうしたこの時代の歴史的背景を頭に入れて読むと、私のようなド素人でもそれなりに噛み砕ける。とはいうものの、やはり相当の歴史マニアでないとよくわからない。この本は新書ではあるが、学術書の雰囲気が滴るからだ。というのも随所で歴史学者たちの、つまりは呉座氏の学者仲間たちの通説やら見立てについての評価が顔を出す。曰く、誰々氏はこう述べているが、「単なる性格の問題ではあるまい」、むしろ恐らくこうであろうとか、これまでの歴史学上の見方を批判的に捉えたりする見方を提示している。たとえば、近年の研究成果として、戦国時代の幕開けは「応仁の乱」(1467~1477年)後よりも「明応の政変」(1493年)後であるとの見方に対して、明確に否定しているくだりなど首肯せざるをえない説得力を持つ。こうした分野での仕事なら当然なのだろうが、数多の原史料(当時の日記やら寺社の史料の類い)を読み込んだうえで、煩雑さを厭わずいちいち、文章の後ろに()書きで付け加えることを忘れていない。こうした本がベストセラーになるなど、日本という国は凄いと妙に感心してしまう。ホンマかよ、と。実際は出版界の仕組んだ罠ではないか、などとあらぬ疑いさえ抱くのだ。自らの勉強不足を棚上げにして。わたし的には、「中華人民共和国の国連加盟問題のようなもので」(49頁)、とか「スイスの武装中立のようなものだ」(223頁)といった比喩の仕方が興味深かった。次の著作では日本中世史にみる国際政治史との類似点などに焦点を合わせてほしい。(2017・6・10)

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(212)小説は風俗。それがいやなら哲学論文をー大野晋、丸谷才一『光る源氏の物語』上巻を読む

日本文学最高の古典とされる『源氏物語』を読もうと思い立ちながら今まで幾たびか挫折してきた。それにはいくつかの理由がある。平安期の言葉遣いに馴染めないことを始めとして、次から次へと女性を取り換えていく物語展開に、あまりに自分の日常的気分とかけ離れているとの思いが付き纏うことまで、枚挙にいとまがない。手元には紫式部の書いた原典以外に何冊かの訳本がある。随分年下の後輩の女性から貰った与謝野晶子の源氏物語や、瀬戸内寂聴さんのものまで色々と。姫路の元医師会長で、かねて尊敬するI先生から「赤松さんは源氏を読まないの?これを読まなきゃ、損ですよ」といった意味のことを何回か言われ続けてもきている。そんな折に、6月末にお会いする予定が出来た。なんとかその時までに恰好つけなければ、という風な焦りにも似た思いに駆られてきた。そんな折も折、NHKのテキスト島内景二『源氏物語に学ぶ十三の知恵』を書店で発見し、一気に読んだ■これは肩肘を張らずとも、どのように読んでもこの物語は滅法面白いのだということを、13回に分けて書いている。1)憎たらしく仕組まれている人生に翻弄される老若男女を描いており、そこから大いに学ぼう2)日本固有の信仰を基盤に据えて、その上に異文化を積み重ねていく「異文化統合システム」が仏教によってもたらされた3)アイデンティティーは、自分が必要としている人を見つけるだけではなく、自分を必要としている人をみつけることではないか4)この物語の中から、「苦しむ神」や「苦しむ女神」を何人も見つけられる。その苦しむ能力の高さに敬意を払うことから、読者の新しい人生が始まる──などといった風に、島内さんは薀蓄の限りをかたむけて止まない。このテキストを読み終えて、要するにここには日本文化の原型が語られているわけで、それを自分らしく見出すことでいいのではないか、との思いに駆られたのである。そこでふと思い出したのは、私がかねて尊敬する丸谷才一さんと、大野晋さんの対談『光る源氏の物語』上下が我が書棚の奥深くに眠っていたことであった。早速それを取り出して読み始めたらもう止まらなくなった■この本はお二人が『源氏物語』を縦横無尽に語りながら解説する本で、なかなかに面白い。要するに、私は見栄も外聞もかなぐり捨てて、取りあえず原典は棚に上げ、二人の碩学の読み方に専ら頼る道を、取りあえず選んだのである。すると、この本には実は私にとって驚天動地のことが書いてあった。しかも初めのところで。それは、昭和25年に竹田宗俊さんなるひとが、この物語は実は二つに分かれているとの説を発表しているというのである。a系とb系の二つで、aは桐壺、若紫、紅葉賀、花宴、葵、賢木、花散里、須磨、明石、澪標の順で続く。bは、帚木、空蝉、夕顔、末摘花、蓬生、関屋と続き、それが我々の目の前にある物語の間に挿入されているというのである。つまり、a系はa系だけで読んでいけば話の流れがスムースに読み取れるのであり、b 系のものを挟むと何だか分かり辛いというのだ。冗談じゃない。そんな漫画チックなことを言われてもド素人には分かるわけがないという他ない。この「a系b系二分説」は大多数の源氏学者は受け入れていないというのだから、もはやキツネにつままれたような感じになるのは私だけだろうか■実は私はこの小論で、あらかじめ決まった考えをもって書いているわけではない。しかし、丸谷さんたちがa系だけを通して読むと分かりやすいというので、そのように読んでみたいと思っているが、残念ながらまだそれをするには至っていない。上巻のみを読んだだけで、あまりにも源氏の世界に溶け込んでしまうので、ただ時系列的に読後感をここに記している。つまり、これまで私が長い間ひっかかっていた、光源氏なんていう人物は、要するに、気に入った女を年増だろうが少女だろうが、片っ端から犯し、拉致してしまう。これって、今風に言えば、ストーカーであり、変態的女たらし以外の何者でもない、と。ここのところは源氏物語を読むにあたっての最大のネックだったのだが、丸谷さんの解説で妙にすっきりした。「何か風俗小説というのは、現代日本では大変評判が悪い(中略)何か風俗小説を書く人間は、愚かしい不謹慎な男だと思われている」が、「もしそんなことを言うんなら、小説全体を否定するしかない(中略)風俗を描くのがいやならば、小説なんか書くのをやめて、最初から哲学論文とか社会学の論文を書けばいい」と述べる一方、坪内逍遥の「小説の手法は人情なり。世態・風俗これに次ぐ」(『小説神髄』)を引用して、源氏物語を擁護している。これは、「描く」「書く」のところを「読む」に置き換えてみると分かりやすい。ともあれ、これから私はどう『源氏物語』の世界に、はまっていくか、それとも途中で投げ出すことになるのか。いまのところ全く未知数なのは何とも心もとない。(2017・6・3)

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