Monthly Archives: 1月 2024

【112】《改訂版》混沌さ増す世界の焦点に肉薄━━高橋和夫『中東の政治』を読む/1-23

 「中東」とは具体的にどこを指すか。著者は一通りの説明を加える。「現在の国名でいうと、北はトルコ、イラン、南はアラビア半島南端のイエメンまでを含む。西地中海から東はイランまでの範囲に入る国々は、全て含まれる。この範囲にイラク、シリア、レバノン、イスラエル、サウジアラビアなどが含まれる。問題はその外側の国々である」と筆をすすめたあと、「北アフリカは含まれる」としながら、具体的に国名を挙げて、入るか入らないか曖昧であるとして、結論的には「中東とは混乱し混沌とした地理概念なのである。曖昧でぼんやりとした弾力性に富んだ地域の広がりを意味する」と半ば放りだす。そうした概念の混沌ぶりを裏書きするかのように、昔も今も「中東」情勢は混沌とし続け、〝世界の火薬庫〟のように見られ続けてきた。

 私がこのほど読み終えた本は、放送大学名誉教授の高橋和夫さんの手になる。高橋さんは知る人ぞ知る放送大学の看板教授である。私は「放送大学の存在」を偶然に知ってより、この人の講座をテレビで繰り返し観るようになり、とりことなった。なぜか。ひと言で言えば、講義が圧倒的に面白く惹きつけられる。時に中東に、アメリカにと現地に足を運び、講義もスタジオだけでなく、あちこちと転戦し、音楽を取り入れ、種々の楽器を持ち込み専門家に演奏させ、聴視者に提供する。変幻自在に飽きさせない講義ぶりに大概の人はファンになる。この本はその講義のテキストだが、放映と必ずしも一致しない。私はこの2年あまりテレビで見聞きした上で、今回漸く紙媒体も制覇した。大いに満足している。

●なぜかパレスチナ問題に言及がない

 ただし、難点が一つある。5年前に出版され、映像は2022年のもの。残念ながら、日進月歩というか日遅月退というべきか、移りゆく国際情勢の最先端を反映していない。つい昨年に、パレスチナのハマスの仕掛けたイスラエル攻撃に端を発した惨状言及がない。テキストは仕方ないにせよ、放送にあっても古い映像内容が出てくるのは口惜しい。元々著者は「パレスチナ問題への言及が比較的に少ない」とまえがきで断っていて、その理由は、これまで既に多くを語ってきている上、「中東の政治=パレスチナ問題」ではないと、明言している。とはいうものの、物足りないのは否めない。だが、15章(放送は45分ずつ15回)の講義には、私もめくるめく思いでページを繰ったと言っても決して言い過ぎではない。国際政治の移り変わりを大学時代から追いかけて60年近い私ゆえ、循環する人間の業とでもいうべきものを学ぶ無意味さを知る一方で、率直に言ってその面白味を捨てられない。あたかも血湧き肉躍る日本の戦国史や国盗り物語を読むのと似ているからである。

 ただ、日本史と中東史の最大の違いはユダヤ人にイスラエル建国の苦闘と、クルド人たちの悲劇の2つが日本史にはないことだといえよう。著者は「民主主義を実践してユダヤ人国家を止めるか、ユダヤ人の支配を続けてアパルトヘイト国家になるのか」と問いかけ、「ユダヤ人国家で民主主義を続ける限りあり得ない。イスラエルが直面するジレンマである」と結ぶ。13章の冒頭に掲げられたイスラエルのリベラル紙「ハーレツ」のブラッドレー・バーストンの「占領がイスラエルを殺す。イランでもハマスでもヘズボッラーでもない」との言葉が重く響く。

 一方、最終章の「クルド民族の戦い」は、イスラエルが国土を持つだけ、まだしもだと思わせる。「死ぬ国ある人はよし クルドらは 死ぬ国を求め今日も死にゆく」と。クルド民族は、3000万人とされ、「国を持たない最大の民族」だという。イラン、イラク、シリア、トルコの国境地帯に国境をまたいで生活している。このクルド人の自治や国家を求める願望は、第一次世界大戦後の英仏を双頭の頂点とする列強の線引きに外されて以来、クルド人の土地は山分けされたままになって、もう100年有余を超えている。ユダヤ人のシオニズムに比べればまだましとはいうまい。「クルド問題はエネルギーを蓄積しながら、次の爆発の時を待ち続けるだろう」との結末の記述もまた暗く重い。(24-1-23)

【他生の縁 放送大の教師と潜り受講生】

 高橋和夫さんの講義をもぐりで受講してきた私は、著者を身近に感じます。講義の感想を手紙で書いて送ったことに対しハガキで返事をいただきました。放送大学開校いらいの講師として、「中東の政治」だけでなく、「現代の国際政治」や「世界の中の日本」など複数の講座を担当されてきました。しかも「中東の政治」は一人で全講義を受け持ってます。

 若い講師が講義ペーパーにしょっちゅう目線を落とすのと違って、全部を誦じての講義ぶりは聞いていて安心できます。かつて議員時代に、イラクに行く機会があったのに、逃してしまった私には中東政治を語る、高橋さんの臨場感溢れる講義が楽しみです。

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【111】「令(うるわ)しく平和に」の思いと共振した『77年の興亡』━━『潮』2月号の対談から/1-16

 新しい年が能登半島大地震と共に明けて1月も中旬。早々に私にとって嬉しい話が飛び込んできました。東京の友人が総合雑誌『潮』(2月号)を電車の中で読んでると、対談の中で私のことが触れられているというのです。急ぎスマホでそのくだりを画像で送って貰いました。連載40回目の『高島礼子の歴史と美を訪ねて』に、中西進さんが登場され、『万葉集』と『古今集』の違いを、国際主義と国粋主義の違いと捉えた上で、自由さと多様性を持った『万葉集』の時代は国際主義であるとの議論を展開されています。今回はいつもと趣向を変えて、この対談から考えたことをまとめてみます◆高島さんは、中西さんの議論を受けて「令和の時代は『万葉集』の時代と同じように、世界に開かれた自由な時代、多様性が輝く時代になっていくかもしれませんね。「令和」という元号の二字自体が『万葉集』の一節から取られていますし‥‥」と発言。中西さんは「そうあってほしいものです。時代というのは螺旋階段のように、同じことをくり返しつつ進んでいくものですから」と続けて、私の著作を持ち出されます。「公明党で長らく代議士を務めて引退された赤松正雄さんが、最近、『77年の興亡』という著書を出されました。これは明治維新から敗戦までが77年で、敗戦から2022(令和四)年までが同じく77年であることに注目して論を進めた内容です」と◆このあと、中西さんは、「いまは、次なる77年の始まりに当たる」わけで、「令和の始まりはまさに日本にとって節目で、戦後の昭和や平成の時代とは大きく変わるのかもしれません」と、ご自身の「令和」という年号にかけられた「希望の光」に言及しています。私は自著において、次なる時代の明るい展開にむけて、その源泉こそ日蓮仏法に裏付けられた中道思想にあることをさりげなく盛り込みました。中西進さんという16歳上の偉大な国文学者が、時代の変遷の中に大いなる期待を込めて、私の着想に共振していただいたことはとても大きな感動を覚えます◆時代の先行きは想像はでき得ても、確たる見通しは持てません。螺旋状的展開を繰り返すと、見定める先達も同様でしょう。そこは「どうなるだろうか」との予測ではなく、「こうしてゆくのだ」との確信が新たなる歴史を形成しゆくカギを握るものと信じます。かつて池田大作先生が、普遍性と土俗性のあいだを往来してきた近代日本の歴史を俯瞰された上で、「第三の偉大なる蘇生の道」を歩み行くことへの展望を後継たちに託されたことを思い起こします。今からちょうど50年前のこと(昭和49年3月3日第15回学生部総会)です。その講演の結論で、先生は「庶民生活の中で風雪に耐え、個人の「真我」の確立を説き、人類普遍の道を開き、現代人の心に巣くう虚無感からの脱出を導く仏法にこそ、新しき確実なる活路を見出すべきだ」と訴えられました。これを銘記して、私もこの一年元気に生き抜きたいと思っています。(2024-1-16)

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【110】時代の変化と人間の英知との格闘━━宇野重規と聞き手・若林恵『実験の民主主義』を読む/1-8

 正月早々にテレビで『令和ネット論━━2024年大予測』(NHK・Eテレ1-3放映)を観た。イーロン・マスクと生成AIが世界をどう変えるかについて、若い専門家を中心に討論する番組だった。AI研究家、IT評論家らによる発言を聴いていて、言い知れぬスピード感で世界が変化しつつあることを、改めて脅威を持って聞きかじった。方向は真逆だが、津波が一瞬にして町の姿を一変させてしまったと同じように、デジタルが社会の有り様を一変させている現実をグイと突きつけられた。これとほぼ同時に、標題にあげた本を毎日新聞の『今週の本棚』(1-6付け)で発見して購入、正月三連休第二弾の最終日に丸一日かけて読破した。テレビで観たものの背景と意味するものを活字で解説されたように思えて、確かなる手応えを示されたような気(これからの思索が大事だが)がした◆民主主義研究の重鎮である政治哲学者とデジタル文化に造詣が深い気鋭の編集人との〝やりとり〟は、実にユニークで読みやすい。この本は、歴史の知恵(トクヴィルの思想)を紐解きつつ、目の前で息詰まる民主主義の現状を、最先端の技術を使った実験をするかのように読み解き、打開する方向を模索したものである。その魅力は、通常見られるような学者の一方的な知的所産の披歴だけに終わっていないところだ。トクヴィルがアメリカ民主主義をどう見据えたかについて、宇野さんは深い洞察力を遺憾なく発揮して解説しながら、民主主義の現状打開への糸口を提示する。それを聞き出しながら、現代最先端のデジタル事情をファンダムなどの動きを通じて若林さんが巧みに議論を広げ、まとめゆく。学者へのジャーナリストのインタビューではなく、時代を超えて姿を現したあたかも知的モンスターとの付き合い方を、相互方向で論じあうという趣きがある。知的興味を掻き立てられ考えさせられたことは間違いない(正解はわからないのだが)◆民主主義に対する一般大衆の不満が日本中に充ち満ちてきていることは周知の通り。このところ私は世界、日本におけるコミュニティ作りへの挑戦や、くじ引き民主主義の取り組みなどについて示唆に富む本を読み、現状打破への道を探しつつある。この本においても著者たちは、民主主義の理想とでも言うべきゴールに向かって思考実験を披露しており、2つの重要な問題提起をしている。1つは、執行権(行政権)の民主的コントロールの可能性だ。つまり、選挙だけではなく、行政に対する直接的な影響力の行使へのアプローチである。もう一つは、新たなアソシエーション(結社)としてのファンダム(支持者グループ)に着目している点である。芸能人やアスリートたちへの無数のファンたちが自発的に情報を共有して「推し活」をサポートし合うのと同様に、政治参加の新たなモデルを見出せないかというのだ◆切り口は確かに斬新である。立法権行使より行政権のあり方の改革を迫るというのはユニークである。また、旧来的な政党よりもファンダムの方が何だか楽しそうで魅力に溢れている。しかし、現実の実効性はどうか──などと野暮なことは言わない方がいいだろう。ここは、能登半島の地震被害者たちをどうするかとの問題設定からスタートするのが手っ取り早いかもしれない。今そこに倒れ、途方に暮れている人びとが助けを求めている。それを目の当たりにしながら、今行政は悪戦苦闘し、政党、政治家は混乱の最中で妙案を見つけ出し得ていない。影響力を行使するチャンスだ。今こそ、無償の善意の持ち主たちがファンダムのように、知恵を出し合い、救済の手立てを講じる仕組み作りができるかもしれない。ここに新たなる民主主義のスタートに直結する一つのヒントが隠されているように、私には思われてならないのだが。さて。(2024-1-9)

 

 

 

 

 

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