Monthly Archives: 12月 2023

【109】ポストモダン風〝自分探しの哲学〟作法━━諸井学『マルクスの場合』を読む/1-1

 読み進めて、ああこれって前に読んだアレと似てるなあと思った。アイルランドのノーベル賞作家・サミュエル・ベケットの代表作『モロイ』に。ちょっと似てるものの、結構分かりやすいところが違う。自転車に乗った犬が海を見つめているかわいい表紙の『マルクスの場合』を読み終えての私の印象だ。犬、自転車、ビー玉おしゃぶり‥‥。登場する小道具が酷似している。しかも出だしのフレーズが最後にまた登場して、と。だが、あの作品を読み終えて感じたわけのわからなさへの苦痛と苛立ちは不思議にない。曖昧で不可解な人生へ挑む勇気が今ごろ湧いてくる。「ん?俺っていつからこんな本に感じるようになったんだろう」──な〜んて。ベケットの『モロイ』に感激して、そこから学ぼうと、筆名を諸井学(もろいまなぶ)とした人から直接手ほどきを受けた。その効果が出てきたのか、それともこれは初夢なのか◆かつて、あれこれ講釈を聞き、ポストモダンなる分野の小説を齧って数年が経った。諸井はモロイを超えた──これが私のやや無謀な実感である。現代世界文学の水準から、日本文学は遠く離されたところにある、遅れているというのが諸井さんの口癖だ。しかし、その挑戦はとりあえず成功したのではないか。ストーリーを追うんではなく、そこにある表現全体を感じとれればいい、理解しようとするのではなく、と幾たび聞いたことか。それからすると、理解できる、分かったは邪道なのだが。で、私は何故に諸井学に従順になったか。ひたすら和歌文学への彼の造詣の深さに感銘を受けたからだ。縦横無尽にあの手この手を使っての「新古今和歌集」を料理し尽くした『神南備山のほととぎす』にはたまげた。かの丸谷才一の『後鳥羽院』における誤りを謝らない同氏に、文中で挑みかかった度胸に痺れた。今度は現代世界文学への挑戦なのだ◆色んな受け止め方ができようが、私はこの本を著者の意図とは別に「自分探しの哲学奇行」と見た。愛犬マルクス・アウレリウスを相棒にその旅に自転車で出かけ、途中での数々の出会いと、思考の所産が散りばめられて飽きさせない。この人は工業大学に進みながら、文学への思い絶ち難く、ひたすらに古今東西の本を読みまくった。その遍歴の一端は第8章の「旅路の果て」に詳しい。知的興味を唆られる。専攻した「金属工学」にも、余技として熟達した「文学」にも、結局道は繋がらず、実家の電器商を継ぐことになった男。自らの生涯を〝わざとややこしく〟辿りみている。その道は、しばし出てくる「三叉路」にも似て、「自らを認識し歩む人生」だけではなく、「他者がわたしを観察しながら関わる人生」と、「私がそうありたいと望んだ人生」や「ありたかったと悔やむ人生」といった風に、幾つもある、と。思えば私も同じだ◆この本を読みつつ私は沖仲仕の哲学者エリック・ホッファーを思い起こした。そう、この人、電気屋の哲学者なのだ。随所に、犬ではない皇帝マルクスの自省録の一節や三十一文字の句を折り込みながら、人生の考察を展開し、哲学する作法をさりげなく披露しゆく。頁を繰ると、突然に三倍くらい大きい活字で「おかあちゃーん」とか「うるさい!」やら、「貴様!本官をバカにしとるのか!」「!?」と出てきたり。また文末に英語による一語や一文Yeah!、that is the  question.などが登場したり、1ページ丸々英文が出てきたり、音の大小に応じて活字を変えてみたり、数行丸ごとゴチック表示などと、読み手の感情の起伏に合わせるかのように。千変万化する手練手管の数々は、追うもなかなか忙しい。読者へのサービス精神旺盛なのである。こうした表現のあれこれを総じて一括するのは、「『Merdre!(クソッタレ!)』 現代芸術はこの言葉によって幕が開けられた。以後、演劇は条理を失い、絵画は具象を失い、音楽は旋律を失い、文学は物語を失い、わたしはしばらく気を失った」とのくだり。こう書いてきて、私は、昨今の世界も同様に、政治は人格を失い、経済は節度を失い、社会は安定を失った、と言いたくなる。そう、誰も彼も己が踝(くるぶし)の傷が疼き、前途の視界が怪しくなってきた。『77年の興亡』から1年が経ち、77+2年の新年に突入したいま、ゆっくり何かを待ついとまはない。(2024-1-1)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【108】「文化と観光」は対立的共存?━『五木寛之の金沢さんぽ』を読む/12-26

 金沢を松江、京都と共に推奨してやまない高校後輩のT弁護士の強い引きで、1泊2日の年末旅行に妻共々出かけた。かねて私には、金沢の文化への〝確証なきこだわり〟があった。劇作家の山崎正和さんは、評論家の丸谷才一氏との対談本『日本のまち』の中で、「京都人にとっては文化即観光、観光即文化ですね。ところが金沢の人にとっては、文化と観光は対立概念だというところが面白い」との比較論を展開している。私はこれまで2度ほど金沢を訪れたものの駆け足で撫でた程度だった。今回の旅では「文化と観光は違う」説の裏を取ろうとの目的を持っていた。日本海側に大雪が降るとの天気予報がドンピシャで的中。お昼前に駅を降り立つやいなや、小雪混じりの強風のお出迎えとなった。元は油屋だったという古い佇まいの台湾屋台でお粥を啜ったあと、元は銀行だった円筒形の「金沢文芸館」に入った。ここには五木寛之氏の著作が全て陳列されているコーナーがあるということも知らずに◆この地が泉鏡花、室生犀星、徳田秋聲らの作家を生み出したところだとは知っていながら、五木氏とのゆかりは全く分かってなかった。彼は九州・福岡の出身だが、苦節の若き日にこの地で暮らしたことで、第二の故郷と位置付けているという。一階受付横に置いてあった2冊が目に飛び込んできた。表題作と『蒼ざめた馬を見よ』である。後者は直木賞を受賞した彼の代表作で、その昔に手にしたことがある。迷わず散歩中の粋な写真が表紙の方を選んだ。まるで観光パンフレットを手にするようなノリで。このエッセイ集との出会いが「文化のまち」の由来を手繰り寄せる手引きの役割を果たしてくれた。旅から帰ってきて読み進めるなかで、こういう語り部を持たない土地の不幸を思いっきり感じたしだいである◆この本における金沢が生活の中に文化が根付いたまちであるとの裏付けを挙げてみたい。まず、まちの佇まいだろう。筆者が友人に宛てた手紙で「兼六園を抜けて、旧制第四高等学校の赤煉瓦の建物前をすぎると、もう香林坊。(中略) 本屋さんを順ぐりに回って、竪町の古本屋にたどりつく。帰りには『郭公』だの、『蜂の巣』だのといった喫茶店でコーヒーブレイク、というのがワンセットなったぼくの日程でした」とある。また「主計町は大橋から中の橋へかけて、浅野川にひっそりと寄りそうように暗い家なみが続く一画である。古風なお茶屋さんや、鍋料理の店や、旅館や、スナックなどが営業している」など、とも。さらに、堂々たる博物館や格調高い美術館、そして文学館から蓄音器館までといったような建物が優雅に立っている。市内を流れる犀川と浅野川という二つの川とその間にある起伏豊かな坂の存在も、と言った風に、挙げ出すとキリがない。そして、加賀百万石の礎を作った前田家の歴史と伝統であろう。戦争時の空襲を受けていないという僥倖もある。五木さんの思い入れたっぷりの散歩紀行を読むと、いっぱしの金沢通の気分になった◆実は、五木さんについては、デビュー作『蒼ざめた馬を見よ』での印象的な男女の絡み合いが災いして、彼のエンタテイナー的側面ばかりが気になった。そのおしゃれで粋な顔つきをやっかむかのようなある作家のデマゴーグに撹乱されたこともある。また、先年には友人から、名医・帯津良一さんとの「健康談義本」を勧められた。五木さんが自分の足の指10本に名前をつけて、1日の終わりにそれぞれの名を呼びつつ一本づつ愛おしみながら揉みほぐすというエピソードには、虚をつかれた思いがした。この人を多情すぎる作家と誤解していたことは否めない。今回の本もその傾向なきにしもあらずだが、上っ面だけで、人間の本質を私は見誤っていたのかもしれない。金沢に行って、人間・五木寛之に出逢った感が強い。(2023-12-27  一部修正)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【107】現状の政治打開に打つ手はこれだ!──吉田徹『くじ引き民主主義』を読んで/12-16

 総合雑誌『潮』の23年11月号の【特別企画】「政治の使命とは何か」での吉田徹同志社大教授による論考『「くじ引き民主主義」で停滞する政治を打開せよ」』(同名の著書は未読)は、燃え盛る「政治家たちの犯罪」のなかで読むと、極めて示唆に富んだ面白い内容である。こんな政治、政党、政権ではどうしようもない、と嘆いてばかりではいけない。打つ手は未だあるのだと強く感じた。実は、さきのブログNo.101で、ジェレミー・リフキンの『レジリエンスの時代』を取り上げたが、その中にあった今世界各地で広まりつつある「分散型ピア政治」なるものの日本版が「くじ引き型民主主義」と呼ばれるものだからだ◆吉田さんは、この論考で「主権者たる国民が自らを統治するにはどのような形がいいのか」「多様な意見を政治にどう反映すべきか」「そうしたビジョンを実現するには、どのような制度や仕組みが求められるのか」との自問を投げかける。そして、民主主義の再起動は、こうした構想や議論があってこそだとすると共に、「くじ引き民主主義」を答えとして挙げている。彼は、「市民の中から無作為抽出で、地域や国の構成員の属性(男女比や年齢)に似た議員を選ぶ仕組み」を「くじ引き民主主義」だと定義づけている。先に私が見た「分散型ピア政治」なるネイミングがわかりづらいのに比して、そのものズバリでわかりやすい◆現在のような犯罪者まがいの政治家の体たらくを見ていて有権者の間には、政治の現場をこんな連中に任せるなんて、呆れる、もう嫌だとの声がじわり広まりつつある。かつて私が学生時代に、遠くない将来に、政治家無用論が起きてくると言い放った教授がいた。曰く、高い予算を投入して選挙で議員を選び、また彼らに高額の報酬を与えても、ろくな結果が生まれないどころか結局無駄の限りを尽くすだけ、それなら自分たちでやれるのではないかとの議論が必ず出てくるといったものだった。政治家はいなくても、民衆の決定に応じてそれを遂行する役人(事務遂行人)がいれば済むはずとの主張だったと記憶する◆今、日本以外の世界の随所で展開されている分散型ピア政治(くじ引き民主主義=裁判官員制度が類似)は、くじ引きで選ばれた素人たちが決めた一定の指針を出すのが基本的スタイルであるが、それをどう法律にしていくかは、今まで通り、議会や官僚(役人)など行政が担っていくことになる。だから完全ではなく、まだ進行形に過ぎない。これは発展途上だからであって、そのうち、今のくじ引きで選ばれる〝一般的議会人〟が、常設の議会に取って代わる時がくるに違いないと思われる。吉田さんは「共同体と個人関係をアップデートしていかなければ、日本の民主主義はやせ細っていくいっぽうです。公と個の関係を結びなおすことのできる構想や仕組みが求められています」と強調している。実際、その通りである。国会では今後、自民党を非難し攻撃する野党や国民に対して、政府与党は「再発防止策」を練り上げるだろう。しかし、そんなことですまされるのか。それは結局対症療法であり、抜本的な問題の解決にならないと、私は確信する。打つ手が違ってるのだ。(2023-12-18 一部修正)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【106】パレスチナへの言及が極端に少ない━━高橋和夫・放送大教材『中東の政治』を読む/12-12

 実は2020年に私はBSで初めて放送大学の存在(テレビをつけるとそこで講義が観られるということ)を知った。コロナ禍が猛威を振るい始めた年だということもあって、テレビによる一流の学者の謦咳に触れられることは有り難く、はまった。欲深く10指を超えるそれぞれ15回分の講座を聞き始めたものだが、やがて次々と脱落し、3講座くらいだけが残った。そのうちの一つが『中東の政治』である。講師は国際政治学者の高橋和夫さん。現在は、同大学の客員教授。恐らく開学いらい40年のこの大学での最古参講師のひとりだと思う。話口調は滑らかで、講義の始めに音楽(ペルシアの伝承曲から、サントゥールの演奏)を持ってきたり、友人のピアニストにあれこれピアノ曲を弾かせたりと、工夫を凝らし抜いた45分は魅力に溢れている。全講座を一人で担当されるのも魅力である。私は完全に高橋さんの魅力のとりこになり、ファンレターもどきのはがきまで書いた◆あれから3年が経った。映像で15回の講座を観たといえども、悲しいかな頭の中に定着したとは言えず、次々変転する中東政治を追う際に役立っているかどうかは心もとない。ということで、放送用の教材を求めて読むことにした。正規に放送大学に入学して受講生になった人用のテキストだけに、300頁を超える立派な装丁ながらシンプルないかにも教科書という感じである。放送内容とテキストは自ずと違う。高橋さん自身が講義の初めに、教材を読み上げるようなことはしたくない、あくまで参考にして欲しいと言っていた。当然だろう。読むにあたって、真っ先にパレスチナとイスラエルのくだりを探した。今世界中の耳目を集めている事態の推移を読み解く機縁にしたかったからである。だが、15章の中の13番目に「イスラムパワー/ハイテク時代のジレンマ」とのタイトルで16頁が割かれていただけだった。一章あたり平均20頁の計算になるはずなのに、それよりも少ないことに驚いた◆さらに、著者は「まえがき」にそのことへの弁明をわざわざ断っている。いわく「本書に関して、筆者自身が驚いている点がある。それは『中東政治』のタイトルながらパレスチナ問題への言及が比較的に少ない点である。(中略)『中東の政治=パレスチナ問題』ではないという視点が、本書のメッセージのひとつだろうか」と。私が引用を略したところには、ご本人が、①これまでにこのテーマで数多く語ってきた②他にも多くの問題が存在する━━と「パレスチナ問題」への触れ方が少ない理由を挙げているのだ。そう。15章の内容を要約した目次からパレスチナの5文字が完全に消えている。該当する第13章もイスラエルについての言及なのである。映像では1993年のオスロ合意(パレスチナ暫定協定)締結時のクリントン米大統領の仲介を象徴したラビン・イスラエル首相とアラファト・PLO議長のそれぞれのリーダーが握手した場面があったことは記憶に残っている。ただ、印刷物には出てこないのだ◆映像と教材は一致しないとのお断りが講師からあったとはいえ、強い違和感は否定できない。そもそもパレスチナについてこの本で触れているのは2箇所。ともにイギリスがかつて支配した地域だとの記述に際してのみなのだ。さらに今回の問題の発火点になったハマスへの言及も似たり寄ったり。そんな量的比較よりも最大の問題は、「重大な人権の蹂躙が日常化している」ことで、「聖地という土地にユダヤ人が特権階級として君臨し、二級市民としてのイスラエル国籍を持つパレスチナ人がいる。さらにその下に占領下のパレスチナ人が生活している」ことなのだ。筆者は「かつて少数派の白人が支配した南アフリカの支配構造と酷似して」おり、既に「イスラエルは新たなアパルトヘイト国家になっている」と警告。占領を続ける限り、ユダヤ人国家で民主主義というのはあり得ないと、イスラエルのジレンマを指弾しているのだが、事態は一段と深刻化を増している。今回の戦争は、ハマスが仕掛けたことが発端だからイスラエルの反撃は悪くないとの議論は理屈として分かっても、現実的には肚に落ちないのだ。テレビ放映で、この辺りの高橋見解が聞けるかどうか。特別講義が待ち遠しい。(2023-12-12)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【105】日本近代の原型はここに━━山崎正和『室町記』

◆交流のるつぼが沸騰した時代

 「日本史のなかでも『室町期』の二百年ほど、乱れに乱れて、そのくせ不思議に豊穣な文化を産んだ時代はない」の一文で書き出され、「長い試行錯誤ののちにやっとたどりついた現代日本の社会は、ちょうどあの室町時代から、流血と常識をともに少しづつ失っただけの状態だといへないだらうか」で終わっている山崎正和さんの『室町記』。これは、1973年(昭和48年)の一年をかけて週刊誌に連載された。出版からちょうど半世紀ほどが経つ。この人が38歳の時だった。生前親しくしていただいた私としては、数多ある著作の中でも最も面白く読み、日本という国の歴史を考える上での糸口になった。

 山崎さんが懇談の折に、「日本の近代はある意味で室町から始まったといえる」と述べられたのが、読むに至るきっかけだった。「近代日本は明治維新から」との常識に縛られていた私を覚醒させるに十分なものだった。日本史の大転換は、「室町」の後に、戦国時代を経て江戸・徳川の260年を待たねば、やってこない。だが、その原型は紛れもなく、14世紀から15世紀にかけての室町期に現れていた、と。

 歴史の表面を普通に追うと、武士が権力を握った源家、北条の鎌倉期から、足利の室町期全般の流れは信長、秀吉、家康の三代の英傑が登場するまでの前座に過ぎないかのように見える。だが、室町期の豊かさに着目する著者は、その根本的原因は、「(室町期の)政治的動乱が社会をかきまはしたことで、多様な趣味がいっせいに自己主張の機会を得たこと」にあるという。「生け花」「茶の湯」「連歌」「水墨画」「能」「狂言」といった芸術有縁のものから、住まいにおける「座敷」「床の間」「庭」や、食生活での「醤油」「砂糖」「饅頭」「納豆」「豆腐」など、現代日本のお茶の間にゆかりのものまで、確かに全てこの時代が生み出したものである。更に、『太平記』『徒然草』といった読み物や、「禅の思想」から骨董趣味の原型までをも育んだ。西洋との交流もまたしかりだ。まさに交流のるつぼが沸騰した時代であった。

 加えて、乱世の究極としての「応仁の乱」以後の復興にあたって、大きな役割を果たしたのが、我が国最初の「都会人」というべき「町衆」の経済活動であった。そして彼らの「ほとんどすべてが同時に熱心な日蓮宗徒だった」ということは興味深い。法華信仰は京都の町衆の間に根強く生き残り、有名な商人や職人だけでなく、芸術家にも、「狩野一族を始め、長谷川等伯、尾形光琳などの名前も知られている」。これは先年、美術ライターの高橋伸城氏の『法華宗の芸術』が、日常生活の深いところに沈められた法華経が数多の芸術家の力を引き出す機縁になったものとして見事に描いていた。

◆現代日本と室町期の類似性

 ところで、混乱の中に豊饒なる文化の花が咲いた500年前の室町期の日本と、現代日本は似通っているとの山崎さんの見立てについて、心騒ぐことを禁じ得ない。文化芸術の豊穣さはともかくとして、50年ほど前に「ジャパンアズNo.1」と言われた時代がやってきたものの、今や国際社会での経済的地位はNo.2からNo.4へとずり落ち、政治も相変わらず情けないとしか言いようがない乱れた事態が続くからだ。

 かつて、私は山崎さんとの会話で、明治から昭和20年までの日本が「富国強兵」の旗印のもと、「軍事力増強」で敗戦の憂き目にあい、戦後は一転、「経済至上主義」を掲げ復興を果たしたものの、20世紀末からは「失われた20年から30年へ」と、低迷が続いていることに触れた。それゆえここから先の新たな時代には、軍事、経済に代わる「国家目標」を持たねばならず、それは例えば「文化芸術立国」などが相応しいのでは、と投げかけたのである。

 これに対して、山崎さんは微笑みつつ「そういうものは必要ないでしょう」と言われた。話はそこで途切れたが、ずっと気がかりになっている。国家にあって、目指すべき指標の明確化は大事だと思う。似ているとされる室町期は、乱れた政治社会状況の中で、豊穣たる文化の花を咲かせたのちに、戦国時代へと突入した。時あたかも、ウクライナ戦争やイスラエルとハマスとの残虐戦闘行為の連鎖化の惨状が続く。山崎さんの予測とは裏腹に、日本にあっても流血が増え、常識を大きく失う事態が訪れるのは遠くないかもしれない。

【他生のご縁 出版記念会で世話人としてご挨拶いただく】

 山崎さんには、2001年の私の処女作『忙中本あり』の出版パーティで、代表世話人のひとりになっていただき、挨拶をして貰いました。身に余るお褒めの言葉を頂いたものです。

 かつて、自民党のアドバイザーの役割を果たされていましたが、晩年はすっかり公明党の支援者になって頂きました。公明新聞にもしばしば論考を寄稿され、大いに勇気づけられたものです。

 丸谷才一さんとの対談は数多ありますが、なかでも『日本の町』が私は大好きです。全国各地の町が取り上げられており、京都と金沢を比べて、京都は文化を観光の売りにしているが、金沢は文化の中に町があるといった趣旨でのお話は強い印象を受けました。

Leave a Comment

Filed under 未分類